第8話
「輝~言われたもの持ってきたけど……ホントに来てたんだね、エトちゃん」
「できればここには来てほしくなかったけどな……すまんな、彩芽」
「いいのいいの、このくらいどうってことないし」
数分後。俺の鞄と購買の袋を持ってやってきたのは、もちろん彩芽だ。エトの事情について知っているのが彩芽しかいないから、彼女に頼らざるを得なかった。彩芽も二つ返事で受けてくれて助かった。
とりあえず早急に必要だった鞄と、エトの腹を満たすだけの昼飯を彩芽に持ってきてもらった。でも一つだけ、俺の想定外のことが起きていた。
「……んで彩芽。なんで雲海と月島さんがここにいるんだ?」
「ひどいなぁ輝。僕を置いてどっか行っちゃうなんて」
憎めないような爽やかな笑みを、彩芽の背後にいた雲海が浮かべていた。そこまでされると俺も強く言えないから割と困る。
俺が呼び出したのは彩芽だけのはず。でもやってきたのは彩芽と雲海、そして月島さんの三人だ。彩芽はともかく雲海と月島さんはエトの事情を知らないから呼んでいない。不用意にエトの情報を広めることがよくないことくらい、俺にもわかることだ。
そしてそれがわからない彩芽ではない。俺ほど頭は良くないが、その辺りの物分かりは問題なかったはずだ。だからこそ状況があまり読み込めない。だから彩芽に理由を問いただすため、彼女を二人から離れた位置まで連れて行く。
「おい彩芽、どういうことだ? 何故二人がいる?」
「いや~アタシも一人で来るつもりだったんだけどね、これはしょうがないんだよ」
こう質問されるとわかっていたのか、彩芽はさばさばと事情を伝える。
「輝から連絡が着てからすぐ向かったんだけどね、生間くんと月島さんがついてきたの。最初は撒こうかなって思ったんだけどね……ほら、アタシって結構目立つじゃん?」
「まあ、そうだな」
容姿もよく人柄も明るい、そして全国出場の女バスのエース。そんな肩書を持つ彩芽はクラスだけにとどまらず、学校中の人気者だ。目立つなという方が無理難題だ。
「撒こうと思えば撒けたけど、それだとどうしても一目についちゃうじゃん? それだと結局、誰かには尾行されると思うんだよね。そうなるくらいなら、敢えて二人を連れてきた方がいいって考えたの。それなら変に広まることはないだろうし」
「……確かに、一理あるか」
彩芽の考えと判断は素晴らしいものだ。ちょっと叱る気でいた自分を叱りたい気分にもなる。
確かに校内で鬼ごっこまがいのことをすれば、それなりに注目を集める。しかもそれが彩芽ともなれば更に注目されることだろう。加えて俺と彩芽が幼なじみであることも、それなりに広まっている周知の事実だ。それだけの情報が揃っていたら、俺たちとエトの関係を探ってくるヤツが出てきてもおかしくはない。
そこでの雲海と月島さんだ。雲海は彩芽と並ぶことのできる人気者だし、月島さんは学園屈指の人格者だ。そこに彩芽も加われば大きな話題を生むことにはなるが、そこに介入するバカは確実に減る。彩芽たち三人に嫌われたら、この学園では生きていけないからな。
無論、雲海と月伸さんにエトのことを話さないといけないという面倒もあるが、二人なら問題ない。雲海は噂を流すようなタイプじゃないし、月島さんも人の個人情報を流す不埒な真似はしないだろう。口の堅さという点なら、何も心配はいらないな。
「お話は終わったかい、お二人さん?」
「あぁ、すまんな。彩芽しか呼んでないはずなのに、雲海たちがいるのにびっくりしてて……」
「まあ、許可もなく来たことは悪いと思ってるよ。でもあんな必死な様子の輝なんて見たことないから心配してね。空野さんについて行けば、輝の元に行けるって確信してたよ」
くっ、理由がこれ以上にないくらい真っ当なものだから怒るに怒れない……まあ、だから俺も全幅の信頼を寄せてるんだけどな。彩芽という絶対的な存在さえいなければ、信頼度で彼の右に出るものはいなかっただろう。
「……それにしても随分前衛的な恰好をしているよね、その子。輝の親戚?」
「あーまあそんなところだ。エトって言うんだけど、外国住まいが長くてな。あとガチの天然に加えてちょっと抜けてて。心臓に悪いからやめろ、とは言ってるんだけど、どうも聞かなくてな」
「エト、そんなの聞いて……もごご」
なんか余計なことをしゃべりそうなエトの口を咄嗟に軽く塞ぐ。多分何も考えずにしゃべっていると思うが、それが命取りになる。いくら雲海を信頼しているとはいえ、そう安々と宇宙人のことはしゃべれない。
(それも雲海だもんな……興味が湧き出てきそうだし)
生間雲海という人間を改めて思い返し、本格的に話せないことが確定する。基本的には中立的な立場を保ち、不用意に問題事に足を踏み入れない雲海。しかし雲海の興味のあるもの……つまり天体や宇宙に関することだけは、貪欲なまでの探求心を持っている。エトが宇宙人だと彼に知られたらどうなるか、俺にも予想がつかなかった。
だからすまんな、雲海。嘘をついているような真似しちゃって。でもこの秘密だけは死守しないといけないんだ、わかってほしい。
「まあそういうことだ。妙に騒がれても困るから、このことは黙っててくれると助かるが……」
「……」
「雲海?」
「ん、あぁ。うん、わかってる。誰にも話さないから安心して」
「お、おう……」
微妙に輝の返事が遅れたのは気のせいだろうか……まあ、今はさほど重要でもないか。雲海の意志が確認できただけでオーケーとしよう。んで、後確認しないといけないのは……
「月島さんもそういうことだから……月島さん?」
この場にいるもう一人の人物の意思確認を取ろうと、俺は視線を動かす。しかしその人物、月島さんの様子がどうもおかしい。
月島さんはルールとか、規則などには厳しい人だ。だからいくら事情があるとはいえ、部外者であるエトを校内に招き入れたことに対し、小言を言ってきてもおかしくはない。実際俺もその気でいた。
でも月島さんから怒声は飛んでこない。それどころがさっきから一言もしゃべっていない。ただ静かに、すぐ近くにいるエトをガン見していた。それこそ瞬きする余裕もないくらいに。
だがしばらくすると、月島さんがハッと我を取り戻す。そして俺の顔を見るなり、鬼気迫る顔で俺に詰め寄ってくる。俺の目から見ても普通に怖いくらい必死だった。
「あ、赤星さん! ちょっとこちらへ!」
「へっ、なん……」
返事をする余裕もなく俺の手が月島さんに掴まれ、少し離れた場所まで連れてかれる。距離的にも三人には会話が聞こえることはないだろう。
「あ、赤星さん! あの方はどちらで⁉」
「え、エトのこと? 俺の親戚ですけど……」
「エトさん、とおっしゃるんですか……とても人とは思えなかったのでびっくりしました」
「――っ!」
月島さんのその言葉に、俺は思わず息を飲む。例えその言葉に大した意味を含んでいないとしても、俺はビビらずにはいられなかった。
もしかして……いやもしかしなくても、月島さんはエトが宇宙人だということを察したのか? ありえないほどの急展開だが、その可能性を危惧しなかったわけではない。月島さんは良家の出身なだけあって、非常に聡明な人だ。加えて正義感が強くいろんな問題に首を突っ込んできただけあって、人を見る目も養われているはずだ。
そんな彼女の目をもってすれば、エトが人間ではない何者かだということくらいわかるかもしれない。エトの常識の欠如具合から察したのか、それとも……
「なんて……なんて愛らしい子なのでしょう‼」
「……は?」
予想の遥か斜め上をいく月島さんの発言に、俺の思考はつい止まってしまう。改めて月島さんを見てみると、彼女は笑顔を浮かべていた。ただしただの笑顔ではない。爛々と目を輝かせ、頬が取れて落ちそうなくらい表情を緩ませ、更には口から涎のようなものまで垂れそうになっていた。その姿を例えるなら、アイドルのライブに訪れた過激なファン。才色兼備で完全無欠なお嬢様の面影など、どこにもなかった。
「まさかこの世にこんな可愛い子が存在するなんて……!」
「あ、あの……」
「あの抱きしめたくなるような小柄な身体! 撫でまわしたいほどの綺麗な髪! そして何よりもあの、心臓すら打ち抜きそうなほどの愛らしい、いや愛らしいなんて言葉では表しきれないほどの可憐なお顔! とても人の可愛さだとは思えませんわ!」
「つ、月島さん……?」
「あぁ、どうしましょう⁉ 今すぐにでも屋敷に連れて帰りたいですわ! そして思う存分、あの子をなでなでしたいですわ! どうすれば……養子になってくれるのが一番楽で安全ですけど、それではお父様に迷惑が……いえ、なりふり構ってなどいられませんわ。こうなったら使える手は何でも……」
「月島さん!」
「ふぇっ!」
完全に自我を失っていた月島さんの肩を掴み、揺すってでも現実に戻ってきてもらう。このまま続けさせたら、彼女のキャラが終了を迎えそうだ。目とか完全に光を失い、不気味な感じすら漂っていた。いくら苦手とはいえ、彼女の名誉のためにもキャラは守らなくてはならない。
その甲斐あって変な声こそ出たが、彼女は再び我を取り戻した。この数分で理性飛びすぎなんだよな、月島さん。エトが可愛いのはわかるけど。
「わ、私はいったい、なにを……」
「思い出せばわかる……いや、思い出さない方がいいか」
よく考えても……いや、良く考えなくても、あんな恥ずかしい姿を晒した挙句思い出すとか、鬼畜の所業だ。記憶が朧気ならその方が幸せかもしれない……あ、でも顔真っ赤にして勢いよく俯いた。思い出しちゃったんだな、ドンマイ。
とはいえ意外といえば意外だった。月島さんが取り乱すほど、可愛いものが好きなんてな。まあエトの可愛さは人の趣味趣向など貫くものがあるから、仕方ないといえば仕方ない。改めてすごいな、エトは。
しかしそこまで時間が経たないうちに、月島さんも立ち直り真っすぐ俺と向き合った。
「……申し訳ないですわ。みっともない姿を晒したようで」
「いや、別にいいんだけど。エトが世間一般的にも可愛いのは事実だし」
「そうですわね。あのような天使の子を前にして、可愛いって思うのは当然のことですわ」
淡々と事実を口にする月島さんは、既にさっきの痴態をなかったことにしているようだ。とはいえ俺の記憶の中には残り続けるのだが、まあ言葉にはしないでおこう。金と権力で記憶ごと消されそうになるし。
「それで赤星さん。何故あの可憐すぎるエトさんが我が校に来ているのですか? 見た感じ小学生だとは思いますが、この時間に出歩いていること自体珍しいですわよ」
「あーちょっとな。話せない事情というものがあって……」
「……なるほど。でしたら深くは追求しませんわ」
「助かる」
きっと月島さんは、通っている学校で何かしら問題があり、塞ぎがちになって学校に行かなくなった、とかそんなことを考えているのだろう。まさかエトが地球の生物ではないとは微塵も考えていないだろうな。まあそっちの方が都合いいんだけど。
さて、月島さんとの話し合いも終わったことだし、さっさとエトの問題を解決しよう。そもそも俺が焦っているのは自身の立場が危うくなるからではなく、エトの機嫌が悪くなるからだ。あまり長い時間、彼女のお腹を空かせてはいけない。
みんながいる方へ戻ろうとするが、月島さんの視線がエトではないある一点に止まった。
「……ところで赤星さん。私の勘違いならいいんですけど、あそこの木って元から倒れてましたっけ? しかもあんなに黒くなって、まるで近くで燃えたみたいな……」
「……さあ、気のせいじゃないのか? 俺もあんまり来ないから、来た時びっくりしたし」
「そう、ですか」
腑に落ちないがさほど気にしていないようで、月島さんがそれ以上追求してこなかった。それが何よりの救いで、俺は地獄のような一瞬を耐え抜いた。マジで生きている心地がしなかったな。
気のせい、と俺は言ったが、もちろん嘘だ。あれは彩芽が来るのが待てなかったエトが、我慢できずについ爆発させてしまった残骸だ。これでエトが爆発をさせたのは三回目だ。ただポンとしたポップな爆発音なため、校内に響くことはなかった。可愛らしい音とともに木が黒く焦げ倒れる様は、見ていてファンシーだったのは言うまでもない。
ふとした拍子で月島さんに追求されても困るので、俺は先を急いだ。とにかく話題さえ逸らせば何も問題ないのだ。しかし向かうよりも前に、エトがトテトテと愛らしい子どものように近づいてくる。この時点で月島さんの興味がエトに注がれた、チョロいな。
「テル」
「おう、エトか。どうした……って言うまでもないか」
「うん……おなか、すきすぎた」
相変わらずの無表情だが、そこからでもエトの食欲が満たされていないのはわかってしまう。お腹に手を当てれば無限に食べ物を与えたくなる、魔性の可愛さがそこにあった。
「お腹が空いているんですの⁉ なら今すぐに一流の料理のご用意を……」
そしてその可愛さに一瞬でやられた者が現れる。言うまでもないが月島さんだ。
「本当に準備できるのか、今すぐに?」
「今すぐ……は語弊がありますが、十分ほど時間をいただければ必ず……!」
「……そんなにまてない。テルがよういしたのでいい」
「ガーン……そんな、そんな……」
容赦も配慮もないエトの拒絶を受け、月島さんが膝から崩れ落ちた。その顔を覗いてみると、本気で絶望したかのように感情のない表情を浮かべた月島さんがいた。気の毒に……とだけ言っておこう。
それはそれとして、今すべきことはエトについてだ。
「彩芽、買ってきたパン、くれるか?」
「あぁ、うん。これだけど……ホントによかったの? お財布にあるお金全部使っちゃったから、もうホントにすっからかんだよ」
「いいよ、どうせ大した額は残っていないし。それに俺の手持ちで守れるものがあるのなら、十分安い買い物だよ」
じゃないとガチで学校が壊れるかもしれないからな。最悪ここにいる全身が即お陀仏だ。本当に末恐ろしいこの上ないな。
そんなことを考えながら、俺は彩芽から受け取った袋の中身を確認。うん、ちゃんと頼んだものは揃ってるな。さすが彩芽だ。
「エト、ご待望のご飯の時間だ」
「……やった、ずっとまってた」
もはや待ち構えていたかのように、ちょっと離れたところにいたエトが颯爽と近寄ってくる。普段はマイペースな癖に、こういう時は早く歩けるんだな。そういう欲に忠実なところも、見た目も相まって愛らしいんだけど。
「……でもすまん。エトが急に来たものだから、昨日のようなものは準備できなかった。その代わりにこれをやる」
「……これは、パン、だっけ? あさ、たべたのといっしょ」
「まあ一緒といえば一緒なんだけど、そっちの方が百倍うまいぞ」
自信を持って俺は答えた。俺もそれ自体を食べたことはあるので、味の心配はしていない。まあ栄養的な観点から、あまり食べることはないけど。
俺がエトに用意したのは、流星学園の購買で売っている総菜パン。その中でも一番の人気商品である焼きそばパンだ。パンに焼きそばを挟んだだけのシンプルなメニューだが、腹持ちの良さだったり味の濃さだったりと、男子高校生なら誰もが口にする食べ物だ。あまりの人気からか、購買で売っているパンの半分がこれなくらいだ。果たして採算が取れているのか、一人暮らしをしている身としては少しだけ心配になる。
他にもいろんな総菜パンが売っているのだが、エトの舌や趣向に合うものと言ったら、これ以外考えられない。エトはフレンチとかのしゃれた料理よりも、こういったシンプルに味の伝わる食べ物とかが好きっぽいしな。
「ほら、食ってみ。美味すぎて飛ぶぞ」
などと冗談を混ぜつつ、パンの包みを剥がしてエトに渡す。エトも珍妙そうな目で焼きそばパンを眺めるが、目の前に食べ物がある状態で止まる彼女ではない。躊躇うことなく、エトは焼きそばパンに齧りついた。
「――っ‼」
その瞬間、エトが飛んだ。飛んだ、といってもその場で軽くジャンプした程度だ。しかし可愛らしい目を丸くし焼きそばパンを見つめるその姿は、完全にその美味しさにやられてしまった何よりの証拠である。
「……テル」
「なんだ?」
「これはいけない……こんなに美味しいものが、そんざいするなんて。いままで食べてこなかったことが、こうかいでしかない」
「そうかそうか。喜んでくれて何よりだ」
やはり炭水化物は正義だな。まあいっぱい食べるとぶくぶく太ってしまうが、人ではない体質を持っているであろうエトには関係ない話だ。それはそれで羨ましい話だ。
「ほら、たくさん用意したから慌てずに食べなよ」
「わかった。しばらくエトはこれを味わう……」
そう言い残し、エトは食事へと戻る。すると周りの目など気にならないくらい、一心不乱に焼きそばパンを頬張る。よほど気に入ったのか早食いとかをすることなく、一口一口味わうように食べている。
そして自然と浮かび上がるエトの笑顔。頬っぺたが落ちそうなくらいに緩んだその笑顔を見れただけで、俺も嬉しい気持ちでいっぱいになる。財布の中身が空になったが、このくらいなや安い出費だ。それこそエトの力の制御とか、そんなこと関係なしにだ。
「あ、赤星さん。何なんですのあれは⁉ あの可愛い生物はなんですの⁉」
「いや、エトだよ」
隣でエトの可愛さに胸打たれた月島さんが、興奮しているのか俺の肩を激しく揺らす。その反動でたまに俺の腕が月島さんの豊かな胸に当たるので勘弁してもらいたい。そんなことしたら理性がなくなるぞ、近くで見ているかもしれない彩芽のな。
「……赤星さん。お願いがありますの」
「エトはやらんぞ、養子にも出さん」
「な、何故それを……⁉」
「見てればわかるだろ……てか、よその子だということを忘れないで欲しい」
「そ、そうでしたわね……ぐぬぬ」
そんな本気で悔しそうな顔をせんでも……まあ、例えどんな条件を提示しようとも、どれだけ大金を積もうともエトは渡さない。てか不安で渡せないな、俺の知らぬところで地球崩壊の危機が迫ってるとか心臓に悪すぎる。
「むぅ……エトちゃん羨ましい。あんないっぱい焼きそばパン食べれて」
そんな俺たちの横で、これまた羨ましそうな表情を浮かべているものが一人……というか彩芽だ。ただ彼女の視線はエトが口にしている焼きそばパンに向けられていた。ただ食い意地を張っていただけだった。
「止めとけ、あんなに食ったら栄養素が偏るぞ……ほら、彩芽の分」
「うん、ありがとう……そうだね、アタシには輝のお弁当があるからいいもん」
エトとは違う弁当をもらったからか、彩芽の機嫌も良くなった。ぶっちゃけるとかなり助かった、ここで彩芽の機嫌まで悪くなったら面倒くさいことになっていたからな。既に彩芽は弁当箱を開けており、満面の笑みで食事にありついている姿を見せていた。
「……相変わらずの主夫っぷりだな」
「主夫って言うな……そんな大したことじゃないぞ。彩芽の世話は昔からだからな」
「なるほど、昔から結ばれる運命だったと……」
「お前はいったい俺をどうしたいんだ……」
とまあ雲海からのからかいも飛んでくるが、今日ばかりは軽く聞き流すことが出来た。今の俺は機嫌がいい、というか気分が非常に晴れやかだ。というのも……
「んまんま~♪」
満面の笑みで美味しそうに食事するエトを見たら、誰だって晴れやかな気持ちになるはずだ。雲海のいじりなど些細なこととしか思えなかったのだ。
そんなエトを眺めていると、口のものを飲み込んだ彩芽が話しかけてくる。
「そういえば輝……これからどうするの? さすがにエトちゃんを学校には置いておけないでしょ?」
「そりゃそうだな……エトがじっとしているような子でもないしな」
今一番の懸念事項を聞かれ、しばし俺も思考に耽る。エトが学校に来てしまった以上、エトの世話をしなくてはならない。しかし俺も学校にいる間は、学生としての責務を果たさなければならない。となると自然と保健室等に預けるのが一般的な考えだ。
しかしエトのことだ。無自覚に校内を散策しだすに決まってる。それに彼女の腹の具合を考えても、学校が終わるまで持つかどうかわからない。最悪のケースを考えても、エトを学校に置いておく選択肢はないに等しいだろう。
ただ考えはしたが、既に俺の中で答えは決まっていた。そのために彩芽に鞄を持ってきてもらったのだ。
「……仕方ないけど早退するわ。とりあえず今日一日はエトの世話に徹するよ」
「ま、それが安心だよね。アタシもエトちゃんがここにいたら……さすがにちょっと不安だし」
その気持ちは十二分にわかる。爆発の危機に瀕しながら勉強とかできるはずがない。
「というわけだ雲海。週明けにノート見せてくれ」
「了解……よく事情は分からないけど、頑張ってね」
「あ、あの、赤星さん。もしよろしければその役目、私に託しても……」
「絶対に渡さん。ていうか我が家の問題であって、月島さんは関係ないぞ。どっからどう考えても部外者だし」
「あ、安心してください! 不自由にはさせません!」
「いや、大丈夫だから。あと優等生が堂々とサボり宣言するな」
「くっ……そこを突かれると、非常に辛いですわね……」
本当に悔しそうな表情を浮かべながら、月島さんはがっくりと項垂れる。どんだけ世話したいんだよ……まあ、あの惚れっぷりを見れば無理もないか。それでも俺の目から話せないから無理だけど。
さて、そうと決まれば早めに帰ろう。長い時間エトをこの場に置いておくわけにもいかないからな……とでもその前に。
「ちょっとトイレ……彩芽、エトのこと見ておいてくれ」
「うん、いいよ~」
「私もちゃんと見守っていますわ!」
「いいか彩芽! 絶対目を離すなよ!」
「う、うん……もちろんだよ」
念には念を押して、俺は彩芽に頼み込む。エトの力が勝手に暴走するのも怖いが、隣のお金持ちさんが暴走するのも非常に恐ろしい。マジでいつか監禁とかしそうな雰囲気だ。正義感に溢れているヤツではあるから法には触れない……はずと願いたい。
とにかくさっさと用事を済ませるのが一番だ。そのまま俺は体育館のトイレに向かい用を済ませる。その後手を洗ってさあ戻ろうとした、そんな時だった。
「やぁ、輝。ちょっといい?」
「……雲海?」
静かにトイレに入ってきたのは、さっきまで一緒にいた雲海だ。それだけならなんとも思わないのだが、入ってきてからずっと俺から視線を外さない。とてもトイレに用事があるようには見えなかった。
「なんか用か? わざわざトイレまで来たってことは、彩芽たちには話せない用事か?」
「まあね。どうしても輝に聞きたいことがあってね。ちょうど輝がトイレに行ってくれて助かったよ。僕もこんな話、人前ではできないからね?」
「なんだなんだ? ついに彼女でも出来たのか?」
などと軽いノリで会話する俺。こんな状況で話すことも珍しいから、つい親友である俺にしかできない大事な話だと思ってしまう。だが雲海はさわやかな笑顔を崩すことなく、ズバッと俺にその言葉を投げる。
「単刀直入に聞くよ、輝。エトちゃんが親戚って、嘘でしょ?」
「……は? なに言って……」
「もっと厳密に言えば……たぶん、この星の生命体でもないよね?」
「……っ⁉」
核心に迫る雲海の一言が、俺の心にズバッと突き刺さる。もちろん俺も急なことだから、内心ひどい動揺に襲われる。態度に出さなかっただけ褒めてほしいくらいだ。
気づかれたのか、エトが宇宙人であることを?
確かに雲海は星とか宇宙とか、そういった知識は豊富だ。それでも彼の目線から見えるエトは、どう見たって地球人の子どものようにしか見えないはずだ。
ワンチャンあるとすればエトが爆発させて倒した木に気付けばというところだが、それでもそれとエトを繋げるのはだいぶ無理がある。雲海が親友の俺に対して、お茶目なハッタリをかましていると考えるのが妥当だ。
でも俺は知っている、雲海が嘘をつかないことを。彼は俺のことをからかったりとかはするが、嘘は絶対につかない。そういう人間であることは、この一年の付き合いで十分理解できることであった。証拠に彼の笑みからは、ハッタリをかけているようには見えない。エトが宇宙人であること、雲海はそのことを自分の中でほぼ確定した事実として捉えていることだろう。
そう考えれば俺が変に誤魔化す意味もない。それで雲海との関係がこじれる方がよっぽど嫌だ。雲海は俺にとって、この学園で唯一心を許している男友達であり、親友なのだから。
「……どうして気づいた?」
だから俺は一番の疑問を投げかける。それを聞く権利くらいなら俺にもあるはずだ。個人的にも今後の対策を練るために、是非とも参考にしたかった。
「簡単だよ、匂いさ」
「匂い……?」
雲海も俺が疑うことを想像していないようで、スムーズに会話を進めていく。
「そう。人間ってさ、どうしても体臭からは逃げられない生き物なんだ。いい匂いがする人もいれば、臭い匂いがする人もいる。でも全くの無臭の人間なんて存在しない。人間として生きている以上、生活臭とかも染みつくだろうしね……でもあの子、エトちゃんは違った」
「……匂いがなかったのか?」
「あぁ。僕も気にならない程度に何度も確かめたけど、これっぽっちも匂わなかった。さすがにびっくりしたよ」
すらすらと推察を口にしていく雲海の言葉に、俺も疑いようのない納得感を覚えた。確かに思い返してみれば、エトの身体から匂いを感じたことは一度もなかった。女性なら漂ってくるであろう特有の甘い匂いとかも一切ない。それもエトみたいに子どもっぽい身体であれば最もだ。匂いがしない方が怖いくらいだ。
しかし雲海はあの短い時間でそれだけの情報を見つけ出して、この答えまで辿り着いたのか。さすが雲海だな、単純に頭が良すぎる。
「さて、輝。詳しい話を聞こうじゃないか。僕も近くに宇宙人がいるとわかって、今すごくワクワクしているんだよ」
「……話すのは構わないけど、絶対誰にも話すなよ。彩芽は事情を知ってるからいいけど」
「わかってるよ。僕にも黙ってたことを考えても、輝は非常に賢い選択をしているみたいだし」
「そりゃどうも」
雲海にお褒めの言葉をいただきつつも、俺は彼に今回の経緯を簡潔に伝えた。客観的に聞いても嘘くさい内容だったけど、雲海は黙って俺の話を最後まで聞いてくれた。
「……なるほど。事情はよくわかったよ。輝もいろいろ大変だったんだね」
「真面目に心配してくれたのは雲海が初めてだよ」
俺の苦労が今の一瞬で報われたような気がした。果たしてこんなバカみたいな話をした直後に、ここまで気遣ってくれる人間が他にいるだろうか。少なくとも俺は雲海と彩芽以外に思いつくことはない。
「それにしても……輝にとってはかなりの面倒事だよね? よく関わろうと思ったのか、不思議に思うくらいだよ」
「関わろうと思った、じゃなくて関わらざるを得なかった、の方が正しいな。よく考えてみろ、知らぬうちに宇宙人に地球が乗っ取られていたら嫌だろ? なら近くで監視していた方が、よほどメンタルも削られないよ」
「あはは、それは確かに言えてるね」
笑いごとじゃないんだけどな……って、雲海がわからないはずないか。場を和ませるために笑ったに違いない……そうであってほしいものだけど。
「……ということは、今後とも輝はエトちゃんと付き合っていくつもりなの?」
「そりゃ……まあ、一応な。てかエトが俺のこと離さんだろ。定期的に飯をくれる人としか思っていないだろうけど」
これがいつまで続くのか、このレベルの生活がいつまでもつのか、はっきり言って何も見えていない不透明な未来でしかない。なんとか現状を繋ぎとめている、そんな状況でもある。ここらで具体的な解決案を絞り出さなければ、エトよりも前に俺が参ってしまいそうだ。
そんなことを考えていると、雲海の表情がふと変わる。爽やかな笑顔は消え、非常に真面目で畏まった表情になっていた。それだけで場の雰囲気もガラリと変わった気がした。
「なら一つだけ忠告しておこうかな、輝……あまりエトちゃんに深入れしない方がいいよ」
「……どういうことだ?」
「輝が我が身を犠牲にしてまですべき問題ではない、ってことだよ」
親友からの手厳しい指摘は、俺もすぐには理解できなかった。それを見抜いたであろう雲海は、更に説明を続けた。
「そんなに難しい話じゃないよ。輝は地球人で、エトちゃんは宇宙人。そもそも住む世界が違うんだ。確かに輝のしていることは全般正しい。でも深く首を突っ込む必要はないんだよ」
「首を突っ込む……?」
「例え話をしようか。例えば輝の実家、それか空野さんの実家や空野さん自身に何か問題が発生した場合、輝はどうする?」
「どうするって……そんなの決まってる、助けるに決まってるだろ。自分の家のことはもちろん、彩芽の家族も家族同然のようなものだし」
「そうだろうね、おそらくそれは正しい。でも例えば、輝とは碌に関わりのない家の問題に、輝は首を突っ込む?」
「いや……それはもちろん無視だろ? こっちに迷惑が被った場合は別だけど、基本的にはそっちで勝手になんとかしてくれって感じ」
「そう、その判断は非常に正しい……でもそれって、今の状況と似ている気がしない?」
「そ、それは……」
咄嗟に返事をすることが出来なかった。そのくらい的を射た鋭い意見だった。
確かにエトは宇宙人であり、昨晩に何の前触れもなく夜空から降ってきた。しかし当然のことながら何の理由もなく空から宇宙人が降ってくるわけがない。地球にやってきたのだって、何かしらの理由があると疑うのが普通だ。例えば自分の星で何か問題が起きたとか、そんなところだ。
ただその問題に俺が足を踏み入れるべきではない、雲海はそう言いたいのだ。そしてその指摘は至極真っ当なものだ。よその星の問題なんて振られても困るだけだし、責任を被るのは勘弁願いたい。だから雲海も過度にエトと馴れ合うことを勧めようとしないのだ。
「……もちろん輝の立場もわからないわけではない。今あの子を放置したらこの星がどうなるか……その危険を考えれば、今輝がやってることは何も間違ってはない。そこは自信を持っていい。ただ心までは許してはいけない、そこまででやって初めて無難な選択なんだ」
「……」
もう俺は返答する気も起きなかった。それほどまでに雲海の言葉は正しすぎた。この一瞬でそこまでの冷静な判断を下せる雲海が、少しだけ羨ましいと感じた。俺はただ、なあなあに現状維持をすることしかできないのだから。
しかしここまで言葉を口にしたところで、堅くなっていた雲海の表情が緩み爽やかな笑顔が戻った。
「もちろん輝一人で抱え込めとは言わない……どう考えたってこんな大問題、一人で抱えられる問題の範疇を越えている。だから困ったら遠慮せず僕に言ってほしい、輝の期待には応えて見せるよ」
「雲海……お前ってヤツは、どんだけイケメンなんだよ」
「ははっ、そんなことないよ。それに僕にとってはこれほどまでに面白いイベントもない……少しくらい噛ませてよ」
「……エトの解剖とか、そういうのをしなければな」
「さ、さすがにそんなことしないよ……命が惜しいし」
いや、結構真面目に言ってるんだけどな。雲海は興味のある星や宇宙に関することにはガチだからな。やりそうで怖いところだ。
何はともあれ、雲海も彩芽と同様に心の底から信頼できる仲間となった。我が事のように寄り添ってくれる幼なじみと、影から支えてくれる親友。こんな素晴らしい人たちと近しい間柄でいられることが、何よりも嬉しいことであった。
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