第4話

 夜の次は朝が来る、朝が来れば人々は起床しなくてはならない。これはこの地球という星における、一般常識のようなものだ。少なくとも規則正しい生活が求められる学生や社会人なら、絶対に守らなくてはならない。だから俺もその枠から漏れることはない。

「……朝か」

 眠たい目をゆっくりと開きながら、俺の意識は覚醒していく。近くにおいてあるスマホを見ると、いつも通りの起床時間である六時を示していた。目覚まし時計がなくても、この時間に起きることを身体は覚えているようだ。

 それにしても酷い夢を見たな……夜空を観に行ったら宇宙人が襲来したり、我が家に連れ帰ることになったり、最終的にここに住むことになったり……あと冷蔵庫の中身もほぼ空っぽにされたな。ここまで酷い夢を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。うん、そうだ、あれは夢だよな! ハハハ……はぁ。

「……現実なんだよな、これが」

 そう呟きながら、俺は未だ床に転がっている二つの時計の残骸を見つめた。それこそが、あの悪夢が夢ではないという決定的な証拠となる。

 改めて考えても、未だ信じられないことばかりだ。宇宙人に遭遇するだけでも相当なことなのに、まさか同居する羽目になるとはな。おかげで昨日は疲れ果てて、ベッドに向かう前に力尽きてしまった。床で寝るのは久しぶりだ。一体俺が何したって言うんだよ……

とはいえ今更嘆いてもしょうがない。俺はエトの世話をしつつ、赤星輝としての生活を送らなくてはならない。何はともあれ、まずは朝食の準備でも……

「……ん? なんだ、この重み?」

 身体を起こそうと床に手をついたとき、俺はその違和感に気付いた。いつもに比べ妙に身体が重い、しかも上半身に限っての話だ。まるで小さな子どもがのしかかっているような、そんな感じが……

「……は?」

 原因を探ろうと顔を動かすと、すぐにその原因が見つかった。エトだ。エトが俺の腹の上辺りにのしかかり、気持ちよさそうに寝ていたのだ。宇宙人にも睡眠って必要なんだな……なんて甘い考えはすぐに頭から消え去った。

 何が問題かといえば、彼女の恰好だ。確か昨晩、貸したカッターシャツが使いものにならないくらいに汚れたので、俺はそれを脱がせた後、替えのカッターシャツをエトに手渡した。着替えを手伝わなかったのは、俺の眠気がそこで限界を迎えたからだ。

 だから今のエトの恰好は生まれたままの姿、まごうことなく全裸であった。

「うおおぃっ⁉」

 思わず俺の口からキモイ声が出た。だがわかってほしい、いきなり全裸のロリ宇宙人が自分の腹の上で寝ていたら、誰だってこうなるはずだ。健全な男子高校生ならなおさらだ。

 こうしてエトの全裸を見るのは二回目だが、何度見ても見惚れるくらい美しいものだ。傷一つない柔らかな肌、思わず撫でたくなってしまうくらい細く綺麗な腕や脚。小柄ながらもいい形をしたヒップなど、彼女の素晴らしさを挙げだしたらキリがなさそうだ。

 そして何よりも注目しなければならないのが、のしかかると同時に押しつぶされたエトの胸であった。彼女の胸は彩芽ほどではないが、あまり大きくないのは記憶している。しかし今は違った。

「……大きくなってる、のか?」

 俺は女性の胸のカップ数だとかサイズ感だとかは全くわからない。でも間違いなくエトの胸が、昨晩よりもワンランク大きくなっているのは見ればわかる。服越しに伝わる二つの至高の柔らかさは、決して嘘をつかない。

 まさか彼女たち宇宙人は飯を食うだけで胸が大きくなるのか? だとするなら彩芽が可哀そうに思えてきた。彩芽も毎日ものすごい量の食事をとるが、結果が反映されることは俺の記憶上一度だってない。彩芽のことを想うと、少し涙も出てきた。

「ってそんなこと言ってる場合じゃないよな。なんでエトが俺の腹の上で……?」

 確かに昨晩、エトが眠りに就く前に俺が限界を迎えた。だからその後彼女が何をしたのかはわからないし、どういう意図でエトがこんなことをしているのかもわからない。理由は単純明快かもしれないし、もしかしたら複雑な事情が絡んでいるかもしれない。

 とにもかくにも、エトを起こさないことには何も始まらない。

「エト……おい、エト。起きてくれ」

「ん……んぅ……」

 エトの肩を揺すり、彼女を起こそうとする。もごもごと動くエトの口から甘い声が漏れるが、俺は聞こえないフリをした。この程度のことで動揺していたら生活などままにならないことくらい、俺も学習していた。

 しかし動揺しなくなったのは、エトの仕草だけだった。俺の願いが通じたのか、エトは起きようと身体を動かす。ただそのたびにエトの柔らかな身体だったり少し大きくなった小ぶりの胸などが、押し付けられるように俺の身体を蹂躙していく。俺個人としてもここまでのスキンシップをされたのは初めてなので、もうどうすればいいかわからなかった。

 やがてエトの目も、少しずつゆっくりと開かれていった。そして彼女の綺麗な蒼色の瞳が、俺の目を真っすぐ捉えた。

「……テル?」

「おはようエト。よく寝れたか?」

「うん。ひさしぶりのかいみんだった……でもなんで、テルがこんなちかくに?」

「それは俺が聞きたいわ……」

 どうやら無自覚に、身体の赴くままに覆いかぶさっていたようだ。気まぐれで俺のメンタルを揺さぶってくるのは勘弁していただきたい、身が持たなくなりそうです。

 とにかくエトがどいてくれないことには飯の準備も出来ない。ここは鉄の理性を持って対応しなければ……

「エト、とりあえずどいてくれないか? 朝食の準備とかしないとだし……」

「ごはん、はたべたい……でも、まだうごきたく、ない」

「そこをなんとか、頼むよ……」

 俺の理性が完全にタガを外れる前にどいていただきたい。そう頭の中で願っていた時だった。

 ピンポーン! と我が家のチャイムが鳴らされる。まだ六時という、早朝にもカテゴリされる時間帯にだ。こんな時間に我が家を訪れる客など一人しかいない。それを理解した瞬間、冷や汗がドバっと全身から溢れ出る。

『輝~起きてる? ご飯食べに来たんだけど~!』

 十数年も聞いて来た馴染みのある声が聞こえ、俺の中で確信へと変わった。彩芽だ。

 彩芽の食事管理をしている以上、彼女が朝ご飯を食べに来るのはいつものことだ。そのまま朝練に向かう関係上、彩芽が寝坊したことはあまりないのだ。そこは褒めるべきところであるが、今日だけはガッツリ寝坊してほしかった。

 何はともあれ、今彩芽を我が家に招くことは出来ない。いくら信頼する幼なじみとはいえ、宇宙人であるエトと会わせるわけにはいかなかった。

「あ、彩芽か? わ、悪い。ちょっとお腹が痛くてな……ちょっと今日は自分でなんとかしてくれないか?」

 仕方なく俺は嘘をつくことにした。彩芽を家に入れられない以上、このような手段を取るしかない。彩芽には悪いとは思うが、地球の平和のためにどうか信じてほしい。

『え、輝、大丈夫? 学校休むの?』

「いや、そこまでのものじゃないから安心してくれ。多分学校には行けるはずだから」

『そう……ならいいんだけど』

 彩芽の気遣いが身に染みる。そして嘘をついているから心は痛い。それでもエトという、絶対に守らなければならない秘密を守り通せた。これはデカい。とりあえずエトのことは、彩芽が我が家から離れたところで考えるとしよう。

『それじゃあ私、ちょっと早めに朝練行っちゃうね』

「お、おうわかった。また学校で……」

「……テル? だれとしゃべってるの?」

「ちょ、ま、エト……」

 彩芽との会話が打ち切れそうなタイミングで、エトが不意に話しかけてくる。しかも寝起きだからか、彼女にしてはそこそこ大きな声だった。まだ早朝で周りが静かなこともあり、その声は部屋によく響いた。

『……輝?』

 その時、玄関の向こうから氷点下レベルに冷めた声が聞こえた。この声を俺は今まで何度も聞いたことある、というか昨日聞いた。彩芽が静かにキレている時の声だ。

『なんか女の子の声が聞こえるんだけど? しかもアタシよりもだいぶ幼い子のような声にも聞こえたんだけど……⁉』

「い、いや~気のせいじゃない、かな?」

『気のせいなわけないでしょ⁉ ちゃんと聞こえたんだからね、輝のバカ‼ アタシよりも胸が小さそうな、幼い子を誘拐するだなんて……⁉』

「お前は何言ってるんだ⁉」

 何故かよくわからないポイントでキレていた。胸の大きさは関係ないだろ……いや、彩芽なら死ぬほど気にしそうだな。

『――もういい。部屋の中入るから。鍵持ってきて正解だったよ』

「し、しまった!」

 そんなアホなことを考えていたら、冗談では済まない状況へと向かっていく。今こうしている間にも、彩芽は我が家の鍵で中に入ろうと試みているはずだ。

 俺と彩芽は一人暮らしをしている関係上、万が一かあると結構危ない。風邪とかひいたらどうしようもないからな。そんな時のために俺たちは互いの合鍵を渡して、何かあった時でも部屋に入れるようにはしているのだ。しかし今回はそれが裏目に出た。

 と、とにかく悪あがきだけでもしておかなければ……

「お、おいエト! とりあえず一回ちゃんと起きてくれ! んでもってちゃんと服をだな……」

「んぅ~テル、ちょっとうるさ~い」

「んがっ⁉」

 引きはがしてでもエトと距離を取ろうとするが、当の本人は協力する気がない。それどころか寝ぼけて、俺の顔に少し大きくなった胸を押し付けてくる。顔中が胸の柔らかさでいっぱいに包まれ、一瞬幸せな気分になる。しかし本当に一瞬だ、すぐに血の気が引くような感覚に陥った。その感覚は間違いではなく、もはや第六感に近かった。

 やがて玄関の方からガチャリと嫌な音が聞こえた。すると蹴破るようにけたたましい音と共に扉が開かれる。そしてそのまま、この状況においては招かれざる客がリビングへと足を踏み入れた。

「輝! これはいったいどういう……」

 眉をハの字にするくらい怒りを露わにしながら部屋へと入った彩芽。しかし俺とエトの姿を視界に入れた瞬間、文句を言おうとした口がピタリと止まった。そのまま彩芽の活発で明るい表情が凍り付いてしまう。まあ無理もない、幼なじみの男子が部屋に裸の幼女を抱いて寝ていたら誰だってそうなる。しかも今のエトとの体勢は非常にマズい、どう足掻いても言い訳のしようがなかった。

 しばらく固まったままの彩芽だったが、やがて現実を受け入れたのか表情が少しだけ緩む。だが間もなくして、彩芽は静かに制服のポケットからあるものを取り出した。それはこの星に住む人なら誰でも持っているであろう文明の利器、スマホだった。

「待ってくれ」

 すかさず俺は彩芽を呼び止める。彩芽が今の俺の姿を見て何をしようとしているのか、考えなくてもわかった。むしろそれ以外の選択肢を取るヤツなんていないだろう。

 それでも俺は過度に焦ることなく、冷静に彩芽に問いかける。他の人ならここでゲームセットだが、相手は十年以上共に時間を過ごした彩芽だ。話せばわかるはず。

「彩芽、誤解なんだ。これにはブラックホールよりも深い事情が……」

「……うん。わかってる、わかってるよ、輝。何年の付き合いだと思ってるの? 輝の考えていることなんて、手に取るようにわかるんだから」

「彩芽……!」

 つい目頭が熱くなる。やはり俺と彩芽の絆はこの程度のことでは壊れない、そんなの当たり前のことなのだ。信じていたぞ、彩芽……

「……だから面会には毎日行くから。ちゃんと反省して、大人の女性を愛せるようになってね」

「いやなんの話⁉」

 前言撤回、何もわかり合っていなかった。既に彼女の中では、俺は牢屋の向こうの存在としか思っていないようだ。

「だ、だって……そんな小さな子と一緒に寝て、誤解するなとか無理な話だよ!」

「確かにそうだけども!」

「そ、それにその子……なんでアタシよりも背が小さいのに、そんなに胸が大きいのかな⁉ 不公平だよ、不公平! やっぱり輝も、胸の大きな女の子が好きなの、ううん好きなんでしょ⁉」

「落ち着け! とにかく一回落ち着け! 頼むから俺の話を聞いてくれ⁉」

 どうやら彩芽も平常心を失っているようだ。じゃなきゃそんな意味不明なセリフを吐くことはない。あそこまで錯乱した彩芽の姿を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 何はともあれ、彩芽の説得に入るしかない。ちょっと様子はおかしいとはいえ、話せばきっと分かるはずだ。どれだけ時間をかけてもいいから、彩芽だけでも説き伏せなければならない。ここが俺にとっての正念場だ。

「……テル、おなかすいた」

 そんな中、目を覚ましたエトは地獄のような状況などお構いなしにそんなセリフを口にした。その図太さを1%でもいいから俺にくれないかな。

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