第1話

「んんぅ~♪ やっぱり輝のご飯が一番うまい!」

 俺の目の前に座る少女が、満面の笑みを浮かべながら俺の手料理を頬張る。メニューはご飯に味噌汁、そしておかずの生姜焼きだ。男子高校生の俺ですら多いと感じる量が盛りつけられているのだが、既に半分近くが食べつくされていた。そんなありえない光景にも、すっかり慣れてしまった自分がいる。

 その原因である目の前の少女は、偏見なしに自慢できるほど美少女だ。青空のように澄んだ水色のツインテールは、揺れる度につい目で追ってしまうくらいに美しいものだ。手足にウエストもどこもかしこも引き締まっており、鍛え上げられた健康さすら伝わってくる。

 そして何より常に活発な笑顔を浮かべているのが、彼女の大きな特徴だ。常に明るく、暗く沈んでいる顔を浮かべているところを、俺は今まで一度たりとも見たことがなかった。それくらい彼女は、容姿に関しては文句のつけどころがないのだ。

 そんな目の前の美少女、その名前は空野彩芽。俺と彩芽の関係は、切れることの許されないくらいに堅い絆で結ばれた、いわゆる幼なじみというヤツだ。逆に幼なじみでなければ、彩芽のような美少女とご縁になることは永遠にないだろう。

「……よくそんなに食えるよな。部活終わってすぐ帰ってきたんだろ? そんな状態で食べれるとか信じれんわ……」

「いやいや! 輝のご飯は別格だから! そのためにいつもダッシュで帰ってくるんだからね!」

「それで事故られても困るからゆっくり帰ってこい」

 これで怪我でもされたら彩芽の両親に顔向けできない。俺のセリフにはそのような意図が含まれているのだが、それに気付く彩芽ではない。視線を戻せば既に食事に戻っていたくらいだ。

 そんな彩芽は今、俺と同じ流星学園の体操着を身に着けてきた。先ほどの俺の言葉通り、彼女は帰宅してすぐシャワーだけを浴びて、近くにあった体操着に着替えてここに来たのだろう。もうかれこれ十年以上の付き合いだから、彼女の行動は手に取るようにわかる。

 しかしながらこう見えて彩芽は結構すごい人間なのだ。彩芽は自身が通う流星学園にて女子バスケ部に所属している、しかもスポーツ特待生の身分を引っ提げてだ。その称号通り、彼女はバスケのスキルや身体能力に富んでおり、例年二、三回戦止まりのバスケ部をたった一人で全国レベルにまでのし上げるほどの実力を有している。完全な団体競技であるバスケでそれを成し遂げるのは、並み大抵でないことは誰でも理解できるはずだ。

 そんな彩芽は流星学園に通うために、地元から離れ一人暮らしをしている。本人曰く「通学の時間を練習時間に充てればもっと強くなれる」とのことだ。その心意気は十分評価するが、残念なことに彼女には一人暮らしをするだけのスキルが全く備わっていないのだ。

 簡単に言えば家事能力がない。炊事、洗濯、掃除、どれを取っても最低レベルなのはずっと近くにいた俺にはわかっていた。その状態で一人暮らしをすればゴミ屋敷+病気待ったなしだ。だから俺は彩芽が流星に推薦入学が決まったのを確認して、一般で流星に入ったのだ。偏差値が低いわけではなかったが、それでも入試で苦戦するほどではなかった。

 ちなみに俺が流星に通うことに対して、両親は反対をしなかった。むしろよくやったと言わんばかりに喜ばれた。ついでに一人暮らしも推奨されたくらいだ。あと彩芽の両親にも泣いて喜ばれ、「あとは任せた」と意味深なセリフを残された。何が任せただ、何が。

 とまあ今の説明でわかる通り、俺が流星に通うために一人暮らしをしているのは、ほとんど彩芽が原因と言っていい。昔から料理が得意でスキルがそれなりにあったため、彼女の食事メニューすら俺が管理するほどだ。少しくらい褒められてもバチは当たらないだろう。

 そのようなことを考えながら、俺はずっと彩芽のことを眺める。その視線に気付いたのか、彩芽はきょとんと俺を見つめ返す。女性への耐性がないがないので、見つめられるだけで目を逸らしそうになる。これだから顔が良すぎる美少女は苦手だ、ただし彩芽は除く。

「ん? どうしたの? さっきからアタシのこと見つめて」

「いや……単純に、そんだけ食べてよく太らないなって思っただけだ」

「……女の子にそんなこと聞くなんて、ちょっと常識が足りないぞ?」

「大丈夫だ、彩芽にしかこんなこと言わないし、言う相手も彩芽しかいないから」

 俺だって女性にこんなこと聞くのは失礼なことくらいわかる。だからこそ聞くのは、男女の壁とかそういうのを当の昔に超えた彩芽だけだ。

 向こうもそれを承知しているのか、露骨に嫌そうな顔はしない。むしろそれを誇っているかのようなドヤ顔を彼女は浮かべていた。

「まあ答えを言っちゃえば太らないかな。食べた分しっかりと動いているから、カロリーはちゃんと消費してるんだよ。輝だって私の太った姿なんて、一度も見たことないでしょ?」

「確かにないけどさ」

 彩芽は昔からこうだ。女子にしてはかなりの量を食べても、バスケで相当量のカロリーを消費しているから彼女が太ることはなかった。だからこそ女子にしては高身長なのに加え、手足やウエストも引き締まったレベルの高いスタイルを維持できているのだ。

 まあ一つだけ、たった一つだけ欠点があるとするならば……

「……絞りすぎてはいけないところも全くないけど……」

 彩芽の身体のある一点を眺めながら、俺はふとそんな言葉をこぼそうとした時だった。ビュンと俺の前に一瞬、風が横切った。気のせいかと思ったが、残念ながら現実だ。瞬く間に俺の眼球の前には、彩芽が握っていた箸が向けられていた。俺があと数ミリ動かせば、箸が眼球を突き刺さりそうなくらいの距離感だ。

 そして箸の向こう側にいる彩芽はというと……鬼の形相で俺を睨んでいた。普段から笑顔を絶やさない彼女には似合わないほど、怒りに満ち溢れた表情だ。戦場の悪魔とか大魔王とか、そういう言葉が似合いそうだ……って冗談言ってる場合じゃないな。

「輝……それ以上口にしようものなら、輝でも容赦しないよ?」

「……わかった、悪かった。つい口が滑ったんだよ」

 こうなった彩芽に反論するのは愚の骨頂、俺は脊髄反射のごとくすぐ謝った。幼なじみという間柄なだけあって、彩芽もあっさり矛を収め食事に戻った。これが他のヤツだったら、腕の一本じゃ済まなかっただろう。

 高身長で手足やウエスト周りもほっそりとし少し筋肉もある、まるでモデルのような体型をしている彩芽。それだけ聞けば完璧のように聞こえるが、ただ一点……胸の大きさだけは、神にも見放された。

 端的に言えば貧乳……いや、それだと貧乳の方々にも失礼だ。他の追随を許さないほどの「無乳」なのだ。着痩せするタイプだとか、親の遺伝に恵まれなかったとか、そんなレベルではない。彼女の胸は少しの起伏も確認できないほど真っ平なのだ。それこそ地平線の如く、首元から腰まで綺麗な直線を描くくらいに。俺が料理で使うまな板と大差なかった。

 そしてそのことは、彩芽本人がものすごく気にしている。さっきの一連の流れのように、彼女は胸の話題にだけは敏感で、すぐに噛みつく傾向がある。加え眼だけで巨乳の人間を殺せるくらいに、全ての巨乳の女性を憎んでいるのだ。

 だから学校とかでも、彩芽への胸の話題はタブーとなっている。実際彩芽の胸を弄った陽キャの男子が、一日で陰キャと見間違えるくらい暗く孤立したのは学校でも有名な話だ。胸の話題を振って生きて帰ってきたのは、十年を超える付き合いから見ても多分俺だけだ。

「全く……輝じゃなかったら、本気で怒ってたんだからね」

「それは嘘だろ。今までだって、何回生命の危機に晒されたことか……」

「嘘じゃないもん。だって結局のところ、輝には一回も殴ったことないし」

「そういう問題か?」

 むう、と可愛らしく両頬を膨らませる彩芽、クソ可愛い……ってそれは今どうでもよくて。

 確かに彩芽の言う通り、俺に対しては怒る一歩手前で踏みとどまっている。付き合いが長いだけあって、彼女の胸について指摘した数は他の人より多いのにだ。

 すると不意に、彩芽が珍妙な趣で俺の方を見る。珍妙と言ってもあくまでそれは俺の主観であって、傍から見たらドキッと胸を高鳴らせる、そんな表情だ。どこか熱っぽい眼差しは、上目遣いで俺の顔を覗かせる。何故かほんのりと頬を赤く染めているのは気のせいだと思いたい。

「輝だからなんだよ。輝はいっつも、アタシのこと気にしてくれるから……」

 彩芽にしてはあまりにも似合わない甘い声が、俺の鼓膜を震わせる。脳みそを直接殴られたかのような衝撃と共に、頭の中も一瞬でバグってしまう。これを聞けば、勘違い野郎がほいほいと湧いて出てきそうだ。

 彩芽は嘘とか冗談、演技の類のことを苦手としていて、基本的には感情をそのまま全面に押し出している。だから今、彼女が俺に向けている感情がどういうものなのか、わからないわけではない。ただし、気づいてやる素振りは見せてやらない。

「そうか……俺も彩芽の支えになれて、嬉しいぞ」

 だから俺も変に構えることなく、淡々とそう口にする。幼なじみとの絶妙な距離間を十二分に使い、彼女との関係を適切に保とう。昔からの決め事だった。

 しかしそんな陳腐な褒め言葉だとしても、彩芽はみるみるうちに照れで顔を赤くする。誰がどう見たって完全な自爆だ。別にこのやり取り自体は初めてではないはずなのに、どうして同じミスを犯すのか、俺には全くわからなかった。

「そ、そう……ありがとうね。でも輝も、自分のやりたいこと、してもいいんだよ?」

 そんな自身の不利的状況をどうにかしたかったのか、彩芽は強引気味に話題を逸らした。とはいえ話題の内容が俺のことだったので、無視することも出来ない。

「やりたいこと、ね……特にないんだよな、今のところは。彩芽の世話でいっぱいいっぱいで、他に手を回す余裕があるかと言われたら微妙だし」

「むっ……それじゃあまるで、アタシが子どもみたいじゃん。もう高2だよ、アタシ!」

「ならもう掃除も洗濯もしないし、飯も作らんぞ」

「ごめんなさい嘘ですまだまだ助けてくださいお願いします」

 この返事をするのに一秒もかからなかった。綺麗に頭を下げるその姿は、もはや潔さすら感じた。まあ今彩芽を放置したら、マジで廃人コースまっしぐらだもんな。潔く謝るのは当然のことし、マジでそんなことする気はない。

「で、でももし、何かやりたいことが見つかったら、アタシに相談してね? 幼なじみなんだし!」

「そうだな……その時は頼むよ」

 あまり期待はしていない、という言葉は後ろに隠れているけどな。無論口にすることはない。

 それでも言葉通りに受け取った彩芽はとてもいい笑顔を浮かべ、食事に戻っていった。まあ彩芽のその笑顔が見られただけ役得か……そう思いながら俺は彩芽の食事姿を終わるまで眺めるのだった。

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