わがままアスタリスク
牛風啓
プロローグ
パクパク、むしゃむしゃ、ごっくん。
パクパク、むしゃむしゃ、ごっくん。
エンドレスに続く咀嚼音と飲み込み音が、静かな部屋に響く。息をする間も惜しむくらいに食べ物を口の中に放り込んでいくというありえない光景を前にして、ここの家主である俺――赤星輝はただ呆然と見つめるしかなかった。
地元からかなり遠くの高校へ通っている俺は、高校入学と同時にここで一人暮らしをしている。当然ながら俺以外の住人は一人もいない。同じように近くで一人暮らしをしている幼なじみを除けば、ここにやってくる人間などほとんどいないくらいだ。
しかし何事にも例外はある、それが今の状況だ。
俺が住んでいるワンルームのマンションの一室、利便性に長けたキッチンのシンクで洗い物をしている俺の前に、その例外は存在する。いつも食事をとっているテーブルに、今日初めて会った少女が無心で食事をしているのだ。
その少女を一言で表すならば、星のような美少女だ。芸術品かと思うくらいの美しい銀髪は、まさに星の輝きそのものであった。どれだけ髪の毛に神経を研ぎ澄まし磨き上げてきた女性ですら、彼女を前にしたら裸足で逃げ出すだろう。
スタイルは身長が同世代の女性に比べやや低いのもあり、一般的な視点で見ても育っていないようにも見える。しかしそれが逆にあどけない可愛らしさを演出させ、見る者全てを魅了することだ。実際俺も初めて見たときは、数秒ほど目を奪われた。
そして顔立ちもやや幼くした感じの、可愛げのあるものだ。宝石のような瞳であったり、小さな鼻や口であったりと、この世の「可愛い」を全て詰め込んだようにしか思えないくらいに整っている。彼女が笑えば大抵のいざこざはなんとかなりそう、そう錯覚してもおかしくはない。
そんな誰もが認める美少女である目の前の少女は、先ほど俺が作ったオムライスを一心不乱に食べ進めていた。よほど美味しいのか口に運ぶスプーンが止まる様子はなく、口の周りにはケチャップがべっとりついていた。見た目のこともあってか、本当は子どもではないのかと疑問に思ってしまうくらいだ……彼女が食べたオムライスが、これで4皿目でなければの話だが。
「……」
さすがの俺もその異様な光景に言葉が出なかった。彼女の要望で少し多めに作られたオムライスは、超人的なスピードで口の中に消えていく。吸い込むかのように食べ進める彼女のその様子は、まるで某ゲームのピンク色の丸いキャラクターのようだった。これは比喩表現とかではなく、結構マジの話だ。
ちなみに彼女はオムライスの前にも、成人男性三人前分くらいの生姜焼きを平らげている。しかもそこから時間は全然空いていない。一体その小さな身体のどこに入るスペースがあるのか、俺がこの疑問を脳内に浮上したのはもう一度二度の話ではなかった。
そんなよそ事を考えている僅かな時間で、少女が食べ進めていたオムライスは既に姿を消していた。ちょっと目を離す前でもまだ半分くらい残っていたから、とんでもないスピードだと称賛を送らざるを得なかった。
食事を終えた少女はぼーっと虚空を眺めていたが、しばらくすると横にいた俺に視線を向ける。よほど食事に集中していたのか口の周りのケチャップを拭くこともせず、貸した俺の真っ白なカッターシャツはケチャップで赤く染まっていた。クリーニングでも出さない限り、もう使い物にならないだろう。
だがそんな些細なことはどうでもいい。どんなに子供っぽい行動をとろうが、俺は彼女を批判出来ない。この世で一番美しいとも言える蒼色の瞳が真っすぐと俺のことを見つめるだけで、心臓が跳ね上がりそうなくらいに緊張してしまう。
そして彼女の小さくて可憐な口が、ゆっくりと動いた。
「……おかわり」
なんとも緊張感のない、気の抜けた声。それでも一度聞けば二度と脳内から離れることがないくらいの中毒性を感じる。それだけ可愛らしく、愛くるしい声だった。ただ呟いたその内容が、どうかネタであってほしかった。
「まだ食べるのか……?」
「うん、もちろん。テルのごはん、おいしい。いくらでも食べられる」
「さいですか」
ちなみにこの会話のやり取りは、これで5回目だ。最初は半信半疑で聞いていたが、3回目くらいから考えることを放棄した。彼女はそういう生き物、そう考える方が一番楽であった。
「あ、でも……材料的にあと一人分しか作れないぞ?」
「うん、だいじょうぶ。たぶん次でお腹いっぱいになる……はず」
「……ホントかよ」
その言葉も正直信用していない、彼女の大食いっぷりを見たら誰だってこう思うはずだ。
しかしそんな彼女の無茶にも等しい要求に、俺は文句の一つも口にしなかった。本当にあと一人分しかないから、これで満腹になってもらわないと非常に困るのは本当のことだ。たった数時間で我が家のエンゲル係数が飛躍的に跳ね上がったのはもはや言うまでもない。しかし本当に俺が危惧しているのは、そんなちっぽけな問題ではなかった。
とりあえずラスト一人前を作るために、俺は洗い物を中断しやりかけの調理を再開する。ぶっちゃけおかわりを要求するのはわかっていたので、チキンライスの方はもう完成していた。あとは上に乗せる卵の部分だけだ。
慣れた手つきでフライパンに油を広げ、そこに卵を流し込む。もう一年以上も一人暮らしをしているのに加え、元々料理は得意な方だったのもあり、俺の料理の腕はそれなりに高い。実家にいた頃もよく母さんに、本当に男かと疑われていたくらいだ。
とはいえ俺が作れるのは生姜焼きやオムライスといった、一般家庭に並びそうなものばかりだ。手早く、そして多くの量を調理するのは得意だが、SNS映えしそうなおしゃれな料理とかは一切作れない。別に真面目に料理の勉強とかをしたわけではないからこれは致し方ない。
素早く菜箸を動かし卵の部分を完成させ、近くでスタンバイしているチキンライスの上に乗せる。最後にケチャップをかければごく一般的なオムライスの出来上がりだ。味の方は母親なり幼なじみが太鼓判を押しているので間違いないはずだ。
そんなときだった。部屋の方でポンと、日常生活では聞き慣れない音がした。それと同時にガシャンとけたたましい音も部屋に響く。視線を向けてみると部屋の奥にあるベッドの近くにあった目覚まし時計が、高いところから落ちて壊れていた。いろんな部分が破損し完全に中身が見えてしまっているところを見ると、もう修理は不可能だろう。
最初に言っておくが、俺の部屋は男の一人暮らしにしては綺麗な部類だ。忙しくても簡単な掃除は毎日欠かさずやっているから、部屋がごちゃっとなることは一度もない。だから時計が勝手に落ちてくることは基本的にないはずだ。
「……またか」
状況をひとしきり確認した後に出た俺の言葉がこれだ。物が壊れるのは今日初めてのことだが、ポンという聞き慣れない音がしたのはこれで今日2回目だ。しかも原因をわかっているだけあって、俺はもう大げさに驚くことはなかった。
多めに盛りつけたオムライスの皿を持って俺は少女の元へと向かい、目の前にオムライスを置いた。そして一言、こう言ってやった。
「あまり部屋のものを壊さないでくれると助かる」
「……どりょく、する」
信用にも値しないそのセリフを残し、少女は再びオムライスにがっつき始める。どう考えても適当に返事をしているようにしか思えないが、あまりにも美味しそうに食べる少女の顔を見たら文句の言葉など口に出来ない。それほどまでの暴力的な可愛らしさにやられてしまっている俺が、確実に存在していた。
「……たく、しょうがないな」
最終的に捻り出た言葉もそれだけだ。しかし彼女の笑顔が見られるのなら、それはそれで幸せか。そう思いながら俺はさっき彼女が食べていたオムライスの皿を下げ洗い物を始めた。その間も俺の視線は、うっすらと笑顔を浮かべる彼女へと向けられていた。
あ、そういえば紹介が遅れていたな。
今、美味しそうに俺が作ったオムライスを食べている可憐な少女。名前はエトワール、通称エト。数時間前に夜空から降ってきた地球外生命体――俗に言う宇宙人だ。
何故宇宙人が我が家にいて、平然とした態度で飯を食っているのか。もはや事件ともいえる出着事の発端は、数時間前まで遡ることとなる。
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