山雀拓 ~ 1 ~
03 The language and the grudge of gratitude are offered to God.
二〇〇五年五月八日 日曜日
しかし行きつけの商店街の楽器店とリハーサルスタジオを兼ねているEDITIONの店主に声をかけられたのは、音楽の神様がいるのならば、それはそれで少し感謝くらいしてみても良いかもしれないと思える僥倖だった。
たまたまEDITIONに立ち寄ったギタリストとベーシストが新たにバンドを創りたい、と言っているそうで、既に店主に顔を覚えられているどころか、時折ライブにまで顔を出してくれるくらいの仲になっている店主に一度会ってみたら?と言われた時は、新たなバンドを組む時や参加する時に感じる高揚感に久しぶりに包まれたものだ。
数日後、拓は再び楽器屋兼スタジオのEDITIONに足を運んだ。件のギタリストとベーシストがスタジオで拓を待っていた。拓はスティックとフットペダルを持参して、早速EDITIONへと足を向けた。
「
「あら拓ちゃんいらっしゃい。Aスタにいるわよ」
超とドがつくほど美人なEDITIONの店主、
女性にしてはすらりと高い身長に胸元まで伸びたふわりと香るウェーブヘア。出るとこは魅力的に出っ張っていて引っ込むところはスリムにしっかり引っ込んでいるグラビアクイーンのようなスタイル。切れ長の目にすっきりとした頬から顎にかけてのラインは美人の証だ。
『夕香さんにライブを見にきてもらってこそ一人前のバンド小僧』そんな噂までできているくらいの超ド級美人店主に促され、Aスタジオの防音扉の丸窓から中を覗いてみると、自分よりもいくらか年下の男が二人、音を合わせているようだった。ギタリストが拓に気付いて頭を下げると、大きな身振りでベーシストを制して音を止めさせた。かすかに聞こえていた流暢なブルースコードが止まる。拓はレバーハンドルを回し、ドアを開けると頭を下げた。
「ども、ヤマガラです。よろしくお願いしますー」
「夕香さんに聞いてます。こちらこそよろしくお願いします」
ベーシストがまず挨拶を返してきてくれた。中々に礼儀正しい。
「ども。えーと、オレが
ぺこり、と頭を下げ、ギタリストも挨拶を返してきてくれた。
「あ、伊口です」
「どうもー。えーと、どんな感じのジャンル?」
あえて敬語は控え、とはいえ馴れ馴れしくならないよう心掛けつつ、拓は言葉を選ぶ。
「まだオリジナルはないですけどオレら
「あぁー、なるほど」
拓はドラムセットにつくと元々セットされているフットペダルを外して、持参してきたフットペダルをセットしはじめた。元々このスタジオのドラムセットは通常の練習スタジオなどでは絶対にお目にかかれないドラム・ワークショップのドラムセットなので、ペダルですらも持参しなくても良いものなのだが、一応初対面でもある訳だし、スティックのみでは格好もつかない上に、やはり踏み慣れている自分のフットペダルを使う方がドラマーとしても信頼度が増すだろうと考えた。
その拓が持っているフットペダルもまたドラム・ワークショップ製なので、本当に使い慣れているかどうかの差でしかないのだが、概してバンド者とは自分のパート以外の器材問題には疎いものだ。
「俺はスパンキン系だから-P.S.Y-も聞くけど、どこかしら共通してるかもしれないね」
「スパンキンっすかー。そうかもしれないっすね」
スパンキンというのは
軽く叩き続けながら、スネアのキーを調整する。練習ではミュートは使わないので、そこでスネアの調整は終わりにし、演奏を止めるとタムタムと呼ばれる、ベースドラムの上にセットされている太鼓を一つ外す。自分が座る椅子の左後方に外したタムタムを置き、残ったもう一つの十八インチの方のタムタムのチューニングをしてから、ライドシンバルとクラッシュシンバルの位置を調整する。
拓のスタイルはいわゆるワンタムと呼ばれるスタイルでドラムを叩く。通常ドラムセットにはタムタムというタイコが二つ、十二インチと十三インチのものが標準としてセットされているが、拓はロータムと呼ばれる、十三インチのタムタムを外して、タムタムを一つしか使わないドラムスタイルだ。最近ではこのスタイルで叩くドラマーが増えている。ツータムでも叩けるには叩けるのだが、あればあるだけつい叩きすぎてしまうという妙な癖もあるので、一つ減らしたくらいの方が自分のドラムスタイルに合っている。
ベースドラムを踏み込むと心地良い低音が腹に響く。ライドシンバルからリズム打ちを始めて、軽く十六ビートを刻む。
静河のギターは
「何かG's系で叩けるのあります?」
「うん、大体いけるよ」
少し声を張り上げて拓は言った。拓もG's系は好きで今でも聴いてる。
「んじゃ
「オッケー」
両スティックを一度スネアの上に軽く乗せて、拓は息を整えた。
「どうです?」
「いいね。見たところおれより若そうだけど、こんなにキッチリ合うとは思わなかったよ」
ベーシストの伊口が訊いてきたので、正直な感想を述べた。嘘ではなく、G'sのコピーをしただけでここまで気持ち良く叩けるとは思っていなかった。上手いより下手より、気持ちよく叩けるか。拓はそこを重視している。
静河も伊口も同じだろうが、拓もThe Guardian's Blueをリアルタイムで聞いている世代ではない。拓は兄が良く聴いていたので知っているたが、この二人はThe Guardian's Knightと-P.S.Y-から入って、時代を遡ったのかもしれない。それはともかく、静河は難しいフレーズでも歌いながら難なく弾いていたし、伊口はフィンガーノイズも心地良く、確りとテンポに乗れていた。指で弾き慣れている。
「今って他のバンド、何かやってんすか?」
静河が言う。
「今はフリーだよ。君らさえ良ければ入れてもらいたいけど」
「うっはー!やったぜ千晶!」
ガシ、と伊口の肩を掴んで、静河が大袈裟に喜んだ。
「よろしくお願いしまっす!」
「いえいえ、こちらこそ。んじゃ晴れて加入したってことで、俺のことは拓でいいからね。特にかしこまって敬語使う必要もないよ」
そう言って拓も笑顔になる。自分よりも若いとはいえ同世代だ。好きなバンドやジャンルも近しいようだし、バンド以外でも仲良くやって行けそうな予感はある。
「了解っす。んじゃオレはシズって呼んでください。こっちは千晶……」
「ちゃんはいらん!」
「シズに千晶ね。了解」
二人がどういった経緯でこのバンドをスタートさせようとしたのかは今後聞かせてもらうとして、拓も久しぶりにバンドでドラムを叩くという楽しみを堪能しようと席を立った。
「よっしゃ、んじゃもうちょっと合わせてみようか」
「了解げば!」
(なんだそりゃ)
二〇〇五年六月一日 水曜日 七本槍市内 山雀家
それから早くも一ヵ月弱が過ぎた。
さしあたって、EDITIONが企画した中央公園の野外音楽堂イベントに参加して、G's系のコピーを演奏したが、その直後に
莉徒とは一年ほど前に知り合ったのだが、当時から彼女のセンスは飛びぬけて高く、拓が最も多くライブをこなしていたライブハウス
拓にはもう付き合って四年になる彼女がいるので莉徒に気持ちが傾くようなことはないし、過去に莉徒と組んだユニットやバンドも期間限定であったことからトラブルが起きる余地はなかったし、当然後腐れもなかった。
拓の目から見ても確かに莉徒は可愛らしいし、男勝りの竹を割ったようなストレートな性格は裏表もなく、恋愛感情など全く抜きにすれば異性の友達としては非常に付き合いやすい。
そしてバンド者として一緒に音を出せばそのセンスは高く、同じバンドの男が莉徒に中てられるのも無理もない話だ、と拓も常々思ってはいた。要するに、男女混成のバンドのその崩壊の最たる原因である、メンバー同士の痴情の縺れが、莉徒を巡り発生する確率が高いということが、悪い噂の火種になってしまっている。
『でさ、なんか千晶のやつ、あんまノリ気じゃなかったように思えなかった?』
拓の所にシズから電話があったのは莉徒と一度合わせてみると決めた日から三日が過ぎた日だった。口喧嘩にまでは発展しなかったものの、千晶と莉徒の一連の会話からシズはそう感じたのかもしれない。
「嫌な訳じゃないんじゃない?千晶だって反対はしてないんだし。やっぱり一回は入ってみなくちゃね。おれは莉徒を良く知ってるけどさ、莉徒とシズと千晶の相性まではやっぱりやってみないと判んないからねぇ」
音楽的なことならば、一度スタジオに入って音を合わせてみれば判ることだろう。さほど心配することでもない。バンドとしてはまだ走り出したばかりだ。新しいメンバーを迎えるにあたり、今までの自分達の整合性と莉徒が加入してからの整合性が取れれば何の問題もない。どうあっても整合性が取れないということになれば、莉徒も馬鹿ではない。自ら辞退するだろうし、それはそれでやはり何の問題もありはしない。
『音はどーだか知んないけどさ、あのルックスだろー。拓さんが使ってたハコじゃネームバリューも高いみたいだしさ、客も呼べるよね』
「ま、そうだね」
開けっ広げにシズは言う。これだけ正直な男だ。拓はシズに思い切って訊いてみた。
「シズさ」
『何?』
「莉徒に手ぇ出す気、ある?」
さてどう出るか。このひと月で、シズの性格も多少は判ってきた。当然拓の中ではNoという答えが返ってくることを期待してはいるが、こればかりは絶対の自信がある訳ではない。
『はぁ?ないよ。悪ぃけどオレ、ヒンニューチビに興味ねーんだ。アイツがカワイーのは認めっけどさ、女はもっとこうスラーっとキレイで出てるとこはドバーンと出てねーとさ。うひゃひゃひゃあ』
(バカッぽいよなぁ……)
『あ、何かバカにしてる?』
(でも鋭いんだよなぁ……)
しかしそれをシズの口から聞けて安心した。莉徒は同年代の女の子の平均身長を遥かに下回るくらいの背丈しかない。シズはモデルをやっているような所謂スタイル抜群の女性、つまり谷崎夕香のような女性の方が好みなのだろうから、莉徒はストライクゾーンには入らないのだろう。
『大体ギタボやるような我の強い女ってオレ、ダメなんだよねー』
じゃあ自分は何なのだ、と突っ込みたいほど偏見丸出しの意見だが、その実やはり、ギターやボーカル、いわゆるフロントマンをやる人間と、ベースやドラム、いわゆるリズム隊をやる人間ではやはり性格的な違いはあると拓は感じている。根拠は何一つ無いので血液型性格診断と似たようなものだが、どちらかといえば血液型性格診断の方がいい加減な気がしている。
性格的に控えめな人間はフロントマンには少ない。我が強い、とまで言ってしまうと誤解を招くが、自己主張や自己顕示欲が強かったり、という人間はフロントマンには多いように感じる。そしてシズはそういったいわゆる気の強い女性は好みではないのだろう。だとするならばシズの変説もなさそうな気はする。
千晶はそもそもあまり恋愛に興味を持っていないような気もするし、バンドを壊してしまうことにつながりそうなことには慎重そうなイメージがある。そしてあの日に莉徒とやり合った感じからすると、あれが恋愛にまで発展することは天地がひっくり返ってもなさそうな気がする。
気がするだけで実際には判らない。犬猿の仲だと思っていた二人が結婚して子供まで生んだという事例だって、拓の身の回りにはなかったが、実際にはない訳ではないだろう。ただ、千晶に関してはそこまで気を揉む必要がないと思っているのは拓の主観でしかないことも判っているのだが、大体にして物事の判断など己の主観でしかない。それならば、単に千晶とシズの二人を見れば、千晶よりもシズの方が女の子好きで、多少の心配があった方に注力するのは当然と言えば当然だろう。
「んならいいけどさ。バンド内のそういうゴタつきって良くないしね」
シズがそのつもりならば莉徒も余計なことを考えずに音楽に集中できるだろう。
『めんどくせーしね。それにさ、ルックスはイイに越したこたないけど、センスが良けりゃオレは性格には目を瞑るよ』
シズに他意はなかったのかもしれないが、その実言っていることはかなりシビアだ。以前やっていたバンドで嫌なことでもあったのだろうか。組んで嫌なことが一つもないバンドなど実際は存在しないのが実情でもあるけれど、高校生にしては随分と考え方がドライだ。
「ま、とりあえず一回入ってからだね。後のことはそれからで」
『そうだね。判った。んじゃ今度の日曜ね』
「あぁ。そんじゃおやすみー」
通話を終えて、携帯電話を充電器にセットする。
センスの話ならばシズも相当なものだ。シズのギターと唄を支えるだけの弾きは千晶もしているし、千晶を確りと乗せられるだけのタイコも叩ける。誤解を恐れずに言うのならば、これで莉徒が入ればネームバリューも高くなる。その上で、莉徒の音楽性が三人とマッチすれば中々に面白そうなバンドができる。拓は煙草に手を伸ばして火を点けると深く煙を吸い込んだ。
さしあたって五曲。オリジナル曲はシズを中心にして創ることになるだろう。ライブ目標はまだ立ててはいないが、三ヵ月も見ておけば充分だろう。バンドとしての音のまとまりは練習をすればどんどん向上して行く。後は個人の考え方でその音を崩さずに自分なりの楽しみを見つけられれば良い。
そう、例えるならば、バンドもライブも生ものだ。
いつ誰が抜けるかも判らないし、どんなトラブルが発生するかも判ったものではない。とにかくそんな生ものの鮮度を保つには、練習あるのみだ。不慮のメンバーの脱退などは仕方がないにしても、練習は裏切らない、とは誰の言葉だっただろうか。
「さてさて、楽しみだねぇ」
とん、と灰を灰皿に落として拓は呟いた。
The language and the grudge of gratitude are offered to God. END
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