柚机莉徒 ~ 1 ~
02 Fender Telecaster std 1966 and Kool
二〇〇五年五月二九日 日曜日
見るからに音楽バカそうで、頭も悪そうなギターボーカルに、背が高いのと眼鏡しか特徴がありません、と主張しているベーシスト。ドラマーは知り合いで、巧いのも知っているので極端なコメントは控えることにして、ルックスだけで見るならば明らかに大失敗のそのバンドの音は、莉徒の心臓に突き刺さった。
それこそルックスだけで聴く音楽を選ぶようなくだらない連中には解るはずもないし、解ったふうに語って欲しくもないような、何かを持っていた。
市内最大の市立公園で、日曜日の昼間だというのにライブを見ている客はまばらだ。しかし、そのバンドのライブを聞いている数人の中に、莉徒は我が目を疑いたくなるような二人組を見つけた。
二人組の男の内の一人は長身だった。莉徒の頭三つほども背の高い男で、あれでモノが見えるのか、というほどに濃い色のサングラスをしていて、何度もブリーチに耐えてきたであろう傷んだ髪を乱雑に整髪料でアップしている。
もう一人の男は男性にしてはやや小柄で散切り頭。色の薄いブルーのサングラスをしている。
二人とも今やっている、莉徒の知り合いがドラムを叩いているバンドの音に興味があるようで、曲と曲との合間で色々と話していたようだった。莉徒はその二人の後ろに近付くと耳を欹てる。
「中々いい音出してんなぁ。最近の学生バンドってすげぇよな」
「あぁ、ここはドラムがいいな。ベースはあれだ、才能より努力ですって感じで気持ちいい」
「ギターもいいセンスしてるぜ。
「あー、ぽいぽい」
淳というのは今話した背の低い方の男の従弟だろう。確かに言われてみれば、と莉徒もひとまず納得する。
「こういうのイイよなー。去年だったか後輩に頼まれて一個バンド手伝ったけど、楽しかったなありゃ」
「あぁ、
「そうなぁ。デカイとこも悪かねんだけど、やっぱライブハウスのが楽しいしな」
二人は冗談ともつかないことを話し合っている。しかしこの二人の琴線に触れるとは、莉徒の直感もあながち間違っていないことになる。それが少し誇らしかった。イメージよりも随分と気易い二人の発言に話してみたいという気持ちも大いに沸きあがったが、たかだか普通の学生ミュージシャンでしかない莉徒が話しかけるのも中々に恐れ多い。
ほどなくして、次の曲が始まる。
莉徒は二人の男から離れて、再び彼らの音に集中し始めた。
「
ステージが終り、撤収を始めた先ほどのバンドのドラマーに声をかけた。流石にこの陽気でも野外でドラムを叩けば汗だくになる。拓と呼んだドラマーのTシャツ胸から上が汗が染み込んで変色していた。
「や、莉徒。さんきゅね」
スネアドラムとフットペダルを持った男、
「思ったより全然良かったよ。驚いちゃった」
「お、莉徒にそう言ってもらえるとは嬉しいね!」
拓のドラムの巧さは知っている。ドラムがしっかりしていれば、竿モノ、いわゆるギターとベースがそれほど巧くはなくても、ある程度は聞けるものだが、その程度では流石にあの二人も褒めたりはしない。つまり、ベースもギターもそのドラムに見合うだけの音をしっかりと出していたということだ。
「
「え!それマジ!」
「うん。なかなかイイ感じに褒めてた」
噂話では聞いたことがあった。
「それは恐れ多いなぁ……。しかしこの辺に住んでるって噂、ホントなんだね」
「あぁー気持ちかったー。次はもうちっと頑張って集客すっか」
ギターボーカルの男が続いてステージ袖から降りてくる。
「シズお疲れ。ま、そうだね。でもま、今日はある意味お試しじゃん」
そう拓が言い、苦笑する。観ている人間が多いと燃えるタイプなのかもしれない。以前組んでいたバンドでもそういう人間がいたが、そいつには友達も知り合いもいなく、一人も客を呼べないくせにそんなことを言う奴だった。
「ま、そらそうなんだけど……」
「お疲れ様」
拓との会話の流れを読んで莉徒も声をかける。シズという名前だかあだ名だからしい。
「おぉ?もしかして拓さんの彼女?ちびっちゃくてカワイイじゃん!」
男にしては背はどちらかといえば低め、大きな目と潰れた鼻が妙に愛嬌のあるシズはにぱー、と笑った。
(うぁー、アタマ悪そー)
笑顔を返したものの、内心莉徒はそう思った。ただ、演奏を見ていても判ったが、こういう一つのことに対してバカになれる人間は嫌いではない。それに天才肌、というには大袈裟で言いすぎだが、それなりのセンスが光っている気がするのだ。あくまでも音楽的な話で。
「あ、何かバカにされた感じ」
(う、スルドイ)
「あはは、違うよ。莉徒とは
(私の名前、聴いたことはないのか)
それならばそれで良い。まったくもって良い話ではないが、莉徒の名前はある筋では有名だ。知らないのならば態々話して、莉徒自身のイメージを貶める必要もない。
「へぇー、じゃあバンドやってんのか」
「今はやってない。歌いたいんだけどね」
そう言って莉徒は笑った。
「あれ、
「何」
言ったシズのすぐ後ろから長身のベーシストが出てきた。
「お疲れ。私拓さんの友達の柚机莉徒。よろしく」
「あぁ、どうも。
どことなく所在無さ気にベースの男は名乗った。
(気弱そうに見えるけど、演奏は結構芯のある音出してた……)
頼りなさそうなベースの男、バカそうなギターボーカル、腕は確かなドラマー。それが莉徒のこのバンドの印象だった。
(なんか地味ぃっ)
山雀拓とはユニットやフルバンドで組んだことがある。莉徒が利用しているライブハウスEVEで知り合った。EVEを利用しているバンドの中でも拓のドラムは一番莉徒の好みだった。
シズというギタリストには伝わってはいなかったようだが、莉徒は一つのバンドに長くは留まっていられない。色々と理由はある。それは莉徒にはどうしようもない問題であったり、莉徒自身が問題になってしまったことなど、様々だ。半分は自分のせいでもあるということも自覚はしている。
理由はともかくとして、莉徒は歌とギターを始めてから、いくつものバンドに参加しては脱退し、時にはユニットを組んでみたりもして、自由気ままにやってきた。
ここ数ヶ月、莉徒はライブをやっていなかったので、そろそろ弾き語りでストリートライブでもするか、組めるものならバンドかユニットを組みたいと思っていた矢先、拓からのメールがきた。
『五月末にライブやるから見にこない?』
そんな短い文章だったが、拓が以前のバンドを抜けてから、どこかに参加したという話も聞いていなかったので、莉徒はそのバンドのライブに行くことにしたのだ。山雀拓がどんなメンバーとどんな音を出すのかが、気になって仕方がなかった。
同日 七本槍南商店街 喫茶店
「ふーん、じゃあアンチヒップホップなんだ」
「オレと千晶はね」
シズは言うと、アイスコーヒーをずごー、と音を立てて一気に飲んだ。イベントは流れ解散だったらしく、莉徒は演奏と清算を終えた拓達のバンドに誘われるがままに商店街の外れにある喫茶店に来ていた。
「私も基本ロックだけど、まぁ何でもありなんだよね。演奏が楽しければ何だっていいって感じかなぁ」
歌っていて楽しいかどうか、というのはバンドの力もある。良い曲でも演奏がダメなら楽しく歌えはしないし、つまらないメロディでも歌を生かせる演奏ならば歌っていて楽しい、と思える。
「莉徒は基本ギタボなんだよ」
拓が言って煙草に火を点けた。ギタボというのはギター&ボーカルの略称で、バンドでもコードギターを弾きながらメインボーカルを務める場合がほとんどだ。
拓はバンドの中で唯一の二十歳、シズと千晶はまだ十七歳で莉徒と丁度同い年のうえ、千晶は学校までが莉徒と同じだという。莉徒は学校ではほぼ寝ているので同じクラスの人間のことも良くは知らないし、それが別のクラスともなればなおのこと。伊口千晶のことは全く記憶になかった。
「へぇじゃあさ、ウチで弾かねぇ?勿論歌もさ」
「シズ」
言ったシズを嗜めるように千晶が名を呼んだ。どういう意味かは測りかねたが、莉徒はその提案に乗ってみるのも悪くないと思えた。純粋にこのバンドに興味が湧いたのだ。
それに何故拓が莉徒に声をかけたのか。誤解を恐れずに言うならば、このバンドに欠けたものを埋めるため。そういうこともあり得るのではないだろうか。そうでなければ、この界隈のバンド者の間では悪い噂を持つ莉徒に、わざわざ声をかけるだろうか、と考えていた。
「……拓さんと千晶ちゃんは?」
訊いてみる。
どうやらこのバンドのリーダーシップはシズにあるらしい。だけれど、シズだけの判断に委ねる訳にもいくまい。
「ちゃんは余計だけど」
「一回試してみるってんならおれは勿論大歓迎だよ。あとはシズと千晶次第だね」
拓はそう言うだろう。恐らく拓の中では莉徒のここまでの行動は織り込み済みなのだろうから。
「オレもオッケー。じゃー一回リハ入ってみようぜ」
シズの言葉に拓も千晶も頷いた。
「ちょっと待って」
莉徒が口を挟む。訝し気な視線でシズと拓と千晶が莉徒の顔を見た。
「千晶ちゃんの意見、聞いてないよ」
はっきりと千晶の目を見て、莉徒は言い放った。どうも先ほどからこの男の煮え切らない態度が気にかかる。
「ちゃんは……」
「どうなのよ。そこでシズと拓さんに同意したんだからOKに決まってる、なんて言わないわよね」
千晶の言葉を遮って莉徒は続けた。まともに面食らった顔をした千晶が口をパクパクさせる。
(なんかイラつくわね、コイツ)
キッ、と千晶の目を見る。
「一回さ、練習入って合わせてみようってのがそんなに重要なんだったらはっきり言うけど、とりあえず、でしょ。決めごとなんかその後でしょ。俺も一旦一緒にやってみるっていうのには賛成だよ」
意外にも千晶ははっきりと返してきた。千晶の口調が多少強くなったのは莉徒の言い方にも問題があったからだろう。個人的に千晶の言動にイラついたのは莉徒であって、拓もシズもそれにイラついた様子がない。だとするならばそれはそれで仕方がないので気にしないことにする。
「ま、そうね。合うかどうかなんて一回試してみなくちゃ判んないだろうし」
とは思いつつ、莉徒の語気も強くなる。
「柚机さんが俺達に馴染めるか、もあるでしょ」
意外ときっちり打ち返してきやがる。
「私の音が気に入らない、とかね」
負けるかこんにゃろ。
「その逆もね」
大人しそうな外見と、のほほんとした感じとは裏腹に意外と気の強い性格でもあるようだ。しっかり芯のあるベースの音はこの性格に起因しているのか、莉徒は千晶の認識を改めた。
(マイペースなのか、無頓着なのか……)
「ま、まぁまぁ莉徒も千晶も」
拓が仲裁に入る。
「あ……ごめんごめん。別に千晶ちゃんと喧嘩したい訳じゃないのよ。ちゃんと全員から聴きたかっただけ」
千晶も千晶だ。莉徒の売り言葉を買う前に、うんおっけ、と一言言ってくれれば良かっただけなのに……。というのはあまりにも千晶に責任を押し付けすぎだろうか。
「あ、いや、俺もちょっとはっきりしない言い方だったかも」
そうよそうよそもそもあんたがはっきりしないのが悪いんじゃないの冗談じゃないわ何なのよもう。と言いかけて辞める。これではまた千晶は何かを言い返してくるだろうし、きりがない。そもそもそんな話をしたい訳ではないのだ。
(反省……)
「おっけ?んじゃま、ヨロシクってことで。スタジオの時間はおれからメールするよ」
莉徒と千晶の顔を交互に視やると拓が言って、この場を結んだ。
ライブハウスEVEの界隈では柚机莉徒はちょっとした有名人だった。
勿論莉徒はそのことを自覚していたし、良い噂も悪い噂も莉徒の耳には入ってきている。
来るものは拒まずだとかウリをやっているだとか、薬をやってるだの売ってるだの、悪い噂には際限なく尾鰭がついてくる。
煙草も呑めば酒も呑む。バイクにも乗っているだとか……いうのは事実なので否定できないところだが、原動機付自転車の免許は取得済みだ。無免許で乗り回している訳ではない。
そういったくだらない噂に左右されない仲間達と、楽しく音楽ができていれば何の問題もないし、言いたい連中には好きなだけ言わせておけば良い。
冷静に、客観的に観て、莉徒は自分の容姿がいくらか良いことも自覚している。そして悪い噂の大半は他のバンドのファンの女達が発生源だということも判っている。嫉妬だとかやっかみだとか、莉徒にとっては実にくだらない感情だった。
別段好きでこの顔に生まれてきた訳ではないし、鏡を見るのが大好きというバカでもない。ぱっと見て自分が自分で可愛い、と思えるのは良いことだとは思うが、別段それが誇らしいことだとは思えなかったし(そういうことを言ってしまうとまた悪い噂の種になるのだが)自慢したこともなかった。
お高くとまっている訳ではなくそこに興味が薄いだけ。
とはいうものの、悪い噂の原因は自分にもある。
バンドに参加して、誰かに告白された時なども噂の材料になる。付き合いたくない男相手ならキッパリと断るし、付き合い初めても実際には交際が長いこと続かない場合が多かった。この性格のせいで、いざ別れ話になれば相手を傷つけてしまうような言葉も出てしまうし、そんなことが原因で出入りがしにくくなったライブハウスもあれば、ライブハウスから疎まれたこともある。
そうしてそのバンドにはいられなくなり、本人が抜けた後に、振られた男が悪い噂を流したりもする。そんなことが続いても音楽を辞めないのは、つまるところ、莉徒の中では音楽と悪い噂は比べるべくもないほどの比重だからだ。
莉徒は小学生時代に虐めに遭い、中学は全寮制の学校に通っていた。
両親はあまりその事実には動じず、意外と簡単に莉徒を地元から離れさせた。その中学の三年で様々な経験をし、言ってしまえば図太くなった神経で、莉徒は再び地元の高校を受験した。
あのおとなしかった柚机莉徒がヤンキーになって帰ってきたぞ、というまことしやかな噂も立つには立ったが、今の莉徒にそれを突っ込もうというだけの気概を持つ人間も少なかった。
それに今の莉徒にとってはそんなことなど些末でしかない。
勝手に音楽とは何の関係もない悪い噂を、好きなだけ言い合って楽しんでいれば良い。良く知りもしない他人のゴシップに興味津々な連中にわざわざ付き合ってやるほど暇ではない。
バンドでもそれは同じだ。
所詮半端にモノマネバンドをしたり、専門家気取りで聞くだけの連中などに関わっている時間など莉徒にはない。
音楽をやる者の音楽を評価する前に、態度だとか性格だとかプライベートだとかを批評する。それも自己の価値基準ではなく、安っぽい噂や音楽雑誌の程度の低いライターの記事を判断材料にして。
始めてから僅かに三年とはいえ、真剣に打ち込んできた。
そんな連中に自分が大切にしてきた莉徒自身の音楽を、云々される謂れもない。
夜になってから拓からメールがきた。
とりあえずの練習は今週末になった。二十歳とはいえ、拓も専門学生で社会人ではない。殆どの週末は音楽の日だ。莉徒は愛用のテレキャスターを手にとって、軽くコードを鳴らすと、
「楽しくなるといいねぇ……」
Fender Telecaster std 1966 and Kool END
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