1-15

 エンディール家に滞在して、1週間が経った。




 初日と2日目こそ慌ただしかったが、2日目の夜にエンディール家の皆様に『音楽』を披露してからは、特にすることも無くシリウスくんの話し相手などをして過ごしている。




「リクス兄様、ボクの相手ばかりしていてよろしいのですか?その、姉様のお相手などは・・・・・・」




 なぜかすっかりシリウスくんに懐かれてしまった。いつの間にか「リクス兄様」と呼ばれているのだが、キミの姉様との婚約は正式には認められてないからね。一応シャリスの婚約者は第一王子のままらしいから、キミの義兄様は第一王子だよ?




 だから婚約者(仮)の相手なんて、夕食を同席するくらいで十分だろう。そもそも、シャリスが今行っているのは『歌』のレッスンなのだ。




 くそじじいから出禁をくらっているので、立ち会いたくても立ち会えないのだ。




「俺、歌の才能が無いらしくてね。じじいに言わせると、俺の歌は邪教徒が魔獣を召喚しているような禍々しさを感じるらしい」


「ふふふ、なんですかそれ」




 それに、せっかく元気になったシリウスくんを一人ぼっちにしておくわけにもいかない。公爵様と夫人は、シャリスと第一王子の婚約解消やら、シリウスくんに呪いをかけた者の捜査やら、じじいがふっかけた無理難題やらのせいで、王都へ行ったきり帰って来ない。




 シャリスはちょこちょこやって来るが、ゆっくりと会話をしている余裕が無い。特に喉の。




 朝から晩まで発声練習をさせられ、最近では歌唱の訓練も始まっているらしく、一日中喉を使いっぱなしだ。




 喉を壊さないようにリリーナたちがしっかりとケアをしているが、今までと違う喉の使い方をするわけだから、負担は相当大きいだろう。




「早く、家族でゆっくりできる時間ができるといいね」


「いえ、みんなが忙しくしているのは、ボクのせいですから。わがままなんて言ってられませんよ」




 そう言いながら上目遣いで見上げてくる。一週間の間に痩せ細った顔つきはだいぶ回復してきており、抜け落ちた髪も新しく生え始めている。




 長く整ったまつげと、吸い込まれそうな赤い瞳を見ていたら、どっかの誰かよりかわいいような気がしてくる。男の子だけど。




 これが将来、あの筋肉だるまになってしまうのか。




「なんと、不憫な」


「誰の胸が不憫ですって!」


「いいかいシリウスくん。こんな乱暴に扉を開けるような令嬢になってはいけないよ」


「はい!あ、いえ、兄様。ボク、令嬢にはなれないんですけど」




 そう言われると少し残念な気持ちになってしまう。今くらいの歳なら、ちょっとスカートはかせてみても怒られない気がする。




「というわけで、シャリスのスカート貸してくれ」


「ちょっと!全く意味がわからないんだけど。アタシのスカートで何するつもり!」


「はくんだけど?」


「え?そ、そうなの。そ、そういう趣味が・・・」


「シリウスくんがね」


「アホか!人の弟に何しようとしてんの!」




 別に女装させようとか思ってない。ただ、シリウスくんがスカートをはいている姿が見たかっただけだ。




 この程度のことでこれほど怒るとは、やはり練習疲れでストレスも溜まっているのだろう。なぜか喉の調子は絶好調で、ぎゃんぎゃん怒鳴っているけども。




「し、失礼致します!」




 とりあえずお茶でも淹れてやろうと立ち上がろうとしたところで、血相を変えて執事さんが飛び込んできた。




 シャリスが部屋の扉を開けっぱなしにしたせいで、ノックができずに困った顔をしているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。




「そんなに慌てて、どうなさいましたの?」


「す、スタンピードにございます」


「「「スタンピード(?)」」」




 執事さんの話を聞いて、同じように血相を変えるシャリスとシリウスくん。それに対して俺は、聞き慣れない単語に首を傾げるしかできなかった。




「すたん?なに?」


「「「は?」」」




 俺の質問によって、慌てていた様子の3人が落ち着きを取り戻した。落ち着いたというより、何言ってんだこいつ、という様子に変わったと言うべきか。




 辺境の田舎貴族なんだから、公爵家様が使う高貴な言葉なんてわかりませんことよ。




「なんでフォーリーズ家の人間が、スタンピードを知らないのよ!」




 スタンピードとは、辺境の田舎でこそ流行っている言葉らしい?更に首を傾げながら、説明を求めて執事さんの方を向くと、彼も眉にしわを寄せていた。




「魔物の侵攻にございます。東の渓谷より魔物の軍勢がこの領都を目指して侵攻しているのです。」


「なんだって!」




 そこでようやく俺も慌てだす。緊急事態にスタンピードなんてしゃれた言葉使ってるんじゃ無いよ。魔物の大規模侵攻なんて大事じゃないか。




「き、規模は?」


「およそ1000。大半はDランク相当のウルフやゴブリンですが、中にはBランク以上の魔物も多数。おそらく、Aランク相当の魔物が率いていると思われます」


「せ、1000体・・・・・・」


「Aランク・・・・・・」




 シャリスとシリウスくんは、そう言って喉を鳴らす。


「それで、領軍はどれだけいるんだ?」




 急なことで言葉も出ない様子の2人に代わって、俺が執事さんとやりとりを行う。




 公爵家の領軍は2万ほどいるらしいが、そのほとんどが隣領との境に配備されており、領都に常駐している兵はおよそ1000人。さらに、渓谷付近の兵を集めれば更に1000人。合わせて2000人ほどが大規模侵攻に割ける人員らしい。




「余裕じゃん!」「厳しいわね」


「「え?」」




 なんか俺の思ってたんと違う答えが来たぞ?




 シャリスも俺の答えが気に入らなかったようで、俺を睨み付けている。シリウスくんと執事さんはシャリスに同意のようだ。




「相手はDランク相当の魔物が大半とはいえ、1000もの軍勢なのよ。そこにBランクやAランクの魔獣が混ざっているんなら、2000程度の兵力じゃ戦えっこない!」


「左様です。高位の魔獣の相手は、高レベルの騎士にしか務まりません。領都の兵はエンディール騎士団の中でも優秀な兵が多くおりますが、団長のディクス様でさえ、スタンピードに対応しながらAランクの魔物を討伐するのは不可能でしょう」


「Aランクモンスターに率いられた魔獣の侵攻であって、ボスモンスターに率いられたAランク魔獣の侵攻じゃないんだろ?」


「え、Aランクモンスターが軍勢でやってきたら、エンディール領はおろか、国が亡びるわよ」




 なるほどね。辺境の田舎と大都会のエンディール領とでは、魔獣に対する認識が異なるらしい。




「シャリス様、ご当主様不在の今、シャリス様に軍を動かしていただく他ありません。指揮はディクス様にお任せすればよろしいでしょうが、公爵家の人間として、誰かが随行せねば」


「わかっています。ディクス団長をここへ」


「承知いたしました」




 どうやらシャリスも出陣するらしい。大した侵攻では無いと思っていたが、彼女の瞳は死を覚悟した者のそれだ。少なくともシャリスや執事さん、シリウスくんはこの戦い、勝てないと踏んでいる。




「シリウス、あなたには領都の護りを任せます。門を閉じ、魔物の侵攻を防ぎなさい。もしお父様が戻れば、可能な限り援軍を手配してもらえるように伝えてちょうだい」


「ね、姉様」


「あなたが元気になって良かった。エンディール家次期当主として、しっかり励みなさい」




 姉弟の感動のシーンではあるんだが、俺にはどうしても伝えたいことがあった。




「1000体の魔物なら、うちの楽隊だけで倒せるけど?」


「「「はぁ?」」」




 シリウスくんにまで冷たい目を向けられてしまったのは、しばらく忘れることが出来ないだろう。








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