1-3

 あれは、5年前の出来事。


 きっと俺は、あの日の事を生涯忘れる事は出来ないだろう。



フォーリーズ辺境伯領と隣接する大森林で大規模な魔獣の侵攻があった。万に迫るであろう大軍勢に対し、フォーリーズの領軍はわずか1000人。


故郷を、家族や友人、恋人たちを護るため、必死になって戦っていた。


 その光景を、俺は最前線で見ていた。


 止めど無く溢れ出す魔物たちを。


 臆する事無く剣を振るう兵たちを。


 そして、目の前で散っていく数多の命を。


 俺は兄様の後ろで必死に恐怖と戦いながら、ただ見ている事しか出来なかった。


 ボスクラスと呼ばれる上位個体、ケルベロスが現れた時も、立ち尽くしたまま見ている事しか出来なかった。


 兵たちがまさに死に物狂いで攻撃を仕掛け、ケルベロスは三頭の内の二つを潰され、足は一本千切れていた。対する領軍も、立っていたのは兄様だけだった。


このまま何もせずにいたとしても、ケルベロスは城門を打ち破る事は出来なかっただろう。


軍の皆が護り抜いた城門は、傷一つついてはいなかったのだから。


だが兄様は、ケルベロスに止めを刺そうとした。それはきっと、俺がいたからだ。深手を負い、魔力の尽きかけた兄様であっても、あの状態のケルベロスから逃げ切る事は出来ただろう。


足手まといである、俺さえ見捨てていれば。


兄様は最後の魔力を振り絞り、ケルベロスの最後の頭に斬りかかった。その剣先はケルベロスの頭蓋に到達することは出来ず、砕け散った。その隙を見逃さず、ケルベロスは兄様の横腹に食らいついた。


食い千切る程の力は残っていなかったのか、兄様に致命傷を与えたとみると、兄様の体を放り出した。兄様の体は、ぐしゃりと嫌な音を立てて地面に叩きつけられた。


それを見た瞬間に、背筋にぞくりと冷たいものが伝っていった。


死んだ?


兄様が。


こんな俺を護るために?


嘘だ、ウソだ、うそだ!


兄様が死んだかもしれないという不安。ケルベロスに対する恐怖と憎悪。そして、生きたいという渇望。そんな感情が渦となり、俺の体の中を駆け巡った。


熱い、熱い、熱い。


胸の奥から指先までを一気に熱が駆け巡り、それは俺の中から溢れ出す。


属性も、形も、何一つイメージされていない純粋な魔力だけの塊が、俺の周囲を消し飛ばしていた。


そこにはもう、ケルベロスの姿は無くなっていた。


その対価として、俺の両手足は焼け爛れ、今にも崩れ落ちてしまいそうになっていた。


『随分と物騒なノックをする奴じゃな!これではおちおち昼寝もできんわい』


 痛みで飛びかけた意識を、その声が繋ぎ止めた。


「だ・・・れ?」

『誰とは随分なあいさつじゃ。お主のバカげた魔力のせいで、数千年ぶりに現世に引きずり出されたというのに。よいか、聞いて驚け!ワシこそがかの有名な・・・って、死ぬな!まだワシ名乗って無いじゃろが!』


 その声と同時に、俺の全身を奇妙な光が包み込んだかと思うと、飛びかけた意識が一気に覚醒した。ボロボロだった手足も傷一つ無く、あれほどの痛みが幻覚であったかのように無くなっていた。


「なんで?痛く、ない?」

『まだワシの名乗りが済んでおらんからな。息があれば、今のワシの力でもこの通りじゃ』

「あなたは、誰?どこにいるの?」

『うぅむ、残念ながら姿を現すほどの力は残っておらんようじゃ。じゃが、これでワシが名乗りをあげる準備は整ったの』

「誰だかわからないけど、兄様を、兄様を助けて!ケルベロスにやられて、し、死にそうなんだ!」


 声が聞こえる方へ、必死に叫んだ。


『フォーリーズの民か。痛ましい事じゃ。ワシらの力が弱まったばかりに、奴の封印が解けかけておるのか。魔獣の暴走も、それが原因じゃな』

「お願い!さっきみたいに、兄様も、まだ生きてるみんなも助けてよ!」

『ふむ。辛うじてワシの力が残っておるのも、フォーリーズの民が歌を紡いでいたおかげじゃ。助けるのはやぶさかではないのぉ』

「じゃ、じゃあ」

『じゃが、ただで助けるわけにはいかん。息がある者全てを助ければ、ワシに残された力もかなり減ってしまう。そうなれば、ワシの役目が果たせなくなってしまう』

「なんだってするよ。だから、お願い、します!」


 泣きながら、必死になって頭を地面にこすりつけた。声の主が誰だかわからないけれど、この人の力が借りられなければ、きっとみんなは助からない。


『お主、名は何と言う?』

「リクス!リクス・ヴィオ・フォーリーズ」

『ならばリクス、お主は我が眷属となり、ワシの力を取り戻す手助けをせよ』

「わ、わかった!」


 俺が返事をすると、一陣の風が舞い上がる。それは石や枝葉を巻き込みながら、倒れた兵や兄様の周辺で様々な音を奏でながら吹き荒れる。


時に速く。時にゆっくりと。


高音や低音が入り乱れ、抑揚をつけながら俺の鼓膜を震わせた。


最後の仕上げと言わんばかりに、さらさらと音を立てながら光の粒が兄様たちの体に降り注ぐ。カッと甲高い音と共に強い光が周囲を包むと、音は一斉に消え、平穏へと戻って行った。


その音を聞いて、その光景を見て、心の底が熱くなるのを感じていた。


『どうじゃ、リクス。これが音を楽しむという感覚じゃ』

「音を、楽しむ?」

『そう。歌と同様に、旧時代に忘れ去られた文化。音楽じゃ』

「おんがく?」

『お主には、音楽という文化を復活させてもらう。それが、ワシの眷属となったお主の役目じゃ』

「わかった。俺が世界中に、音楽の文化を広めてみせるよ!」



『ちゅう約束をしたのに、フォーリーズ領以外では全く音楽が普及しておらん!もう5年じゃぞ!どうなっとるんじゃ!』

「だったら、どんな奴が歌っても文句言うんじゃねえよ!好みの娘が歌わなきゃ嫌だとか、演出を拘りたいとか、盛り上げるためのグッズを作りたいとか、注文が多すぎるんだよ」

『なんちゅうことを言いよるか!お主だって、自分好みの女子が歌ってくれた方が嬉しいじゃろ?推しがキラキラしたステージで魅力的なパフォーマンスしてくれたら元気出るじゃろ?そうしたら、歌い手と一体となって楽しみたいじゃろ?』

「おかげで俺は領内じゃ、美少女に見境なく声をかけまくるろくでなし扱いだよ!せっかくフォーリーズから離れた王都に来たのに、またろくでなし扱いされろってか?」

『すでに婚約して間もない女子に手を出すクソ野郎と言われておるようじゃが?』

「すっかり忘れてた~!」



 その後、慌ててパーティ会場に戻った俺は、ご令嬢たちの嫌悪の視線にさらされる事となった。


 ちなみに婚約者?の彼女はすでに帰宅したらしい。


 第一王子から数々の非道な行いをしてきたと告発された彼女だが、どうやらその後のドタバタ劇のおかげで、その告発自体がみんなの記憶から忘れ去られ、ほぼノーダメージで今日を乗り切ったようだ。


 つまるところ、本日最もダメージを受けたのは、『第一王子の婚約者を奪い取り、そのまま無理矢理如何わしい事をしようとした鬼畜クソ野郎』という称号をいただいたこの俺だろう。


 あまりの居心地の悪さに、俺も早々にパーティ会場を後にする事となったのは言うまでもない。





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