第9話 最後の投げ銭

 一週間が経った。


 すっかり忘れていたけれど、本来の目的である『桜井からの投げ銭』は恵がICUに移った日からぱたりと来なくなった。


 本当なら今日は桜井が死ぬ日。毎日、続いていた投げ銭の末尾に添えられた残数がなくなる日だ。


 この一週間、僕は実家の自室で悶々と一人葛藤していた。

 辛いのは僕じゃなく恵なのに。


 最後の日、僕は赤松病院に向かった。


 何度見たか、病院へと続く道を取り囲む立派な赤松の木も、今は少しだけ弱弱しく見えた。

 受付の穏やかな空気感は時間が止まっているようで、それは病室棟へと続いている。


 ゆっくりと僕は歩を進める。


 この間の緊急移送は噓だったのではないか。僕の勘違いだったのではないだろうか。


 ナースステーションにはシュークリームを片づけてくれた看護師の姿が見えた。

 会釈だけしておく。


 ナースステーションを抜けても穏やかな空気は続いている。


 恵の病室はすぐそこだ。


 恵の病室の前に立つと、前回来た時とは異なる違和感があった。

 僕はその正体がわからない。


 病室の扉に手をかける。


「——あのー!」


 振り返ると、さっき会釈した看護師が慌てた様子で走ってきた。


「井原……さん? ですよね?」

「はい」

「良かった……」


 看護師はホッとしたのか、目尻に光るものが見えた。

 ポケットから封筒のようなものを取り出すと、それを僕に手渡してきた。


「これは?」

「桜井さんからです……」

「桜井から?」


 僕が訊き返すと、看護師は露骨に視線を逸らした。


「彼女は……昨日……」


 最後まで聞かずともわかった。わかってしまった。

 信じられない。信じたくない。


 病室に視線を戻す。

 そこに書かれているはずの『桜井恵』という名札がなかった。違和感の正体はこれだった。


「……噓だよな⁉」


 僕は病室の扉を開ける。


 病室には何もない。恵がいた形跡すらなかった。

 きれいさっぱり、新品の病室がそこにはあった。


「お悔やみ申し上げます」


 看護師は震えた声で頭を下げると、足早に消えていった。


 病室の扉が一人でに閉まる。

 病室内で僕は一人。膝から崩れ落ちた。


 手渡された封筒の封を切る。

 視界がぼやけて手間取ってしまった。


中に一枚の便箋。それと現金五万円が入っていた。


井原くんへ


もしあなたがこれを読んでいるということは、

残念ながら私はもうこの世にはいないのでしょう。

また、お見舞いに来てくれてありがとう。


実は2年前に余命宣告されていました。

治療法の見つかっていない、未知の病だそうです。

即日緊急入院が決まって、どうしようもなくなっていた私は、

動画投稿サイトで一人のvtuberと出会いました。

その人はたまたま私が入院した日にデビューしたので、

勝手に不思議な縁を感じていました。


そのvtuberの声は私の初恋の人に声が似ていたというのもあり、

すっかりファンになってしまいました。


辛い闘病生活の中、私の生き甲斐はそのvtuberだけになっていました。

残された時間が少なくなるに連れて「どうにか恩返しをしたい」という、

気持ちは強くなる一方でした。

あれこれ考えても良い案は思い浮かばず、

結局、私は少ない全財産を投げ銭することにしました。


勝手に支えられて、本人からすれば知ったことかと、

思われるかも知れませんが、本当に支えになりました。

辛い闘病生活を明るく過ごせたのは、

間違いなく彼が配信してくれていたからです。


ありがとう。


最後の投げ銭を同封しておきます。

どうぞ、お納めください。


桜井恵


 少し開いた窓から、春の新しい風が吹き込んできた。

 暖かい風は微かに残る彼女の匂いを僕に感じさせてくれたような気がした。







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今日も僕は投げ銭を貰う ゆれ @yule0120

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