第8話 急変

 一晩、実家で過ごした僕は翌日、近所のケーキ屋でシュークリームを購入し、再び赤松病院の恵の病室を訪問することにした。

 深い理由はない。何となく昨日の微妙な空気を払拭したかった。


 穏やかな空気が流れる病院受付を抜けて、入院病棟へと真っ直ぐ向かって行く。


 目当ての恵の病室の前で、僕は手に持っていたシュークリーム入りの紙袋を落とした。


 勢い良く病室から飛び出してきたストレッチャーの上には、苦痛に顔を歪めた恵が乗せられている。数人の看護師と医師が彼女を乗せたストレッチャーを囲み、どこかへ向かって押していく。表情は緊迫していて、付け入る隙などない。


「——どけ!」


 通路を塞いでいた僕を一人の看護師が押しのける。

 僕は力なくその場に倒れ込んだ。


 噓だ。

 昨日までは元気だったのに。瘦せてはいたけれど、顔色も良かった。それに恵自身が大したことないと言っていた。けれど、目の前の惨状は大したことないで、済まされない状況だった。


 僕は頭の中が真っ白になった。


「桜井さんのお知り合いの方ですか?」


 背後から声をかけられて、僕はハッと意識を取り戻した。


「すいません」


 急いでストレッチャーに踏みつぶされたシュークリームの残骸をかき集める。


「大丈夫ですよ。私たちが片づけますから」


 看護師の女性が掃除道具で片づけはじめる。

 僕はそれをただ、すいません、すいませんと連呼して、ぼうっと見ているだけだった。



#



 気づいた時、僕は恵の病室近くのベンチに座っていた。


 正面から看護師が近づいてくる。


「桜井のお知り合いの方……ですよね」

「……はい」

「彼女はICUに移送されました。もう、今日は戻って来ませんよ……」


 どれくらい経ったのか、窓の外は真っ赤な夕焼け模様だった。


「桜井からは……大したことない。って訊いてたんですけど、彼女そんなに深刻なんですか!」


 僕は看護師に縋りついていた。

 恵とは特段仲が良かったわけではない。けれど、溢れ出る感情は僕には初めてで、見過ごしていつも通りなんて到底出来なかった。


「そうでしたか……本当は言っちゃダメな決まりなんですが、見た感じお知り合いの方だと思うので……」


 そう言って、看護師は手を口の横に持ってくる。


「彼女、余命宣告されてるんですよ」


 それを訊いてからのことは覚えていない。



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