隣の席の口うるさい美少女がネトゲ廃人で頼れる俺の旦那なんだが?

ああああ/茂樹 修

第1話

「さぁ、行こうぜ『オレの嫁』」


 芝居掛かった旦那の言葉に、妻は思わず笑みを溢す。


「ええ、いきましょうか……『あなた』」


 対峙するは炎天竜バーニングケイオスドラゴン。六枚の翼を広げ、凶悪な爪と牙を鳴らしその二人を威嚇する。


 赤髪の双剣士と金髪の巫女――世界を滅ぶす厄災に、立ち向かうはたったの二人。


 イカれていると誰かが諌めた。


 有り得ないと誰もが呆れた。


 それでも固い絆で結ばれた二人が躊躇う事などあり得ない。そう、夫婦で危険な狩りを続けるのは。


「レイドの時間だーーーーーーーーっ!」


 夫婦システムのおかげでレアドロップ率が上がっているからであった!


 





「いやー実装四日目でペア討伐されるとは運営も思っちゃいないだろうな!」


 ギルドハウスに戻った俺たちは、仲良く今日の戦利品を山分けしていた。炎天竜バーニングケイオスドラゴンは四日前のアプデで実装されたばかりの四人用レイドボスで、ペア狩り到達したのは俺達が初めてだ。


「私は別に他のアプデ要素見てからでも良かったんですが……」


 呆れるツバサの言葉に、『俺』が答える。


 何を隠そうこの金髪で狐耳の巫女服の女の子が俺のプレイヤーキャラであるヒカリだ。


「何を言うんだ、ヒカリ!」


 勇ましいツバサの声がスピーカー越しに響いた。


 そう、声……このゲーム内ボイスチャットににボイスチェンジャー機能こそが『エルディニアルオンライン』、通称エルオンの人気の秘訣だ。


「狩って狩って狩まくる、そんでレベル上げてレアアイテムゲットして! それの武器でもっと強い敵を狩りまくるのがネトゲの醍醐味だろうが!」


 拳を強く握りながら、翼が俺に力説する。が、狩に重きを置いているこいつはエルオンの中でも異端の部類だった。


 エルオンはライトノベルに出てくるようなフルダイブとかVRネトゲという訳じゃない。アニメ調の綺麗なグラフィックと自キャラの後ろ姿を楽しめる三人称視点タイプのネトゲだ。


 幻想世界を理想のキミで冒険しよう! がキャッチコピーのゲームなのどから、俺としては急いで四人用レイドのペア狩りなんてやり込みプレイをする気はなかった。


 まぁ良いアイテム出て助かったけども。


「またツバサくんはそんな事言って、ポーション調合用の農場は『私』しかやってないじゃないですか。少しは手伝ってくれてもいいと思いますけど?」


 口を尖らせてツバサに言えば、彼は気まずそうに目線を逸らす。


 ツバサ――本名も年齢も知らない俺の『旦那』だ。これは比喩ではなく、エルオンの目玉システムである結婚相手という意味である。


 結婚すると農場共有化で効率アップに、パーティを組めば経験値とレアドロップが常時25%ブースト、さらに夫婦限定アバターショップもある、とくれば結婚しない手は無かった。


 ちなみに大体の人はサブキャラと結婚しているらしい。みんな自キャラに思い入れがありすぎて結婚できないというのが主な理由だ。


「いや、まぁそれはおいおい……」

「この間wikiのページ送ったじゃないですか。見ながらやればすぐですよ」


 ツバサに丁寧な口調で文句を言う。ネトゲを始めた時に出来るだけ他人に失礼のない口調を心がけようとしたところ、結果こんなお上品な感じになってしまった。


 エルオンなんておっさんがボイチェン使って幼女を操作してる軽めの地獄なので、誰も気にしちゃいないが。


 実際ツバサに送ったwikiだって、一番ページが多いのはボイチェンの項目だ。


「でもほら、やっぱり狩りの時はオレがいた方が効率いいだろ! な!?」

「それはまぁ、そうですけど」


 必死に弁明するツバサに対して俺は不満気に答えた。ツバサがどこの誰かなんて知らないが、それでもこいつと一緒にゲームするのは楽しい。


 本当の自分なんて物があるかは知らないが、少なくともこいつと遊んでいる時の自分は好きだ。


 顔も年齢も性別も知らないけれど、このちょっと荒っぽい喋り方の赤髪の双剣士は俺の大切な友達だ。


「オレさ、ヒカリにはマジで感謝してんだよ。前のギルドが解散した時にさ……すぐに声掛けてくれただろ? あれがなかったら今頃は家と職場だけのつまんない人生で」


 頭を掻きながらツバサが胸の内を語る。自分もツバサと出会わなければこのゲームはやってないだろうなと思った。思ったが、気恥ずかしいのでつい話題を逸らしてしまった。


「そういえばツバサくんは普通のゲームはやらないんですか?」

「まぁ嫌いじゃないけどさ、やっぱりああいうのは」


 世間では大人気RPGシリーズの新作で賑わっているのに、俺達は見向きもせずにネトゲをしている。もっともツバサがやらない理由なんて、もう随分前から知っている。


「「フェアじゃない」」


 二人の声が合わさると、自然にお互い笑顔になった。


「そう、そうなんだよ! やっぱりシングルプレイのゲームってどうやっても主人公が強いだろ? けどネトゲはさ、全員が同じスタートラインっていうか、ほかのゲームより努力が報われるって言うか」


 よくネトゲが舞台の物語でいわゆる『不遇職や死にスキルを組み合わせて無双する』なんて展開があるが、実際のネトゲプレイーはそんな事はあり得ないと知っている。


 まずそんな組み合わせが見つかれば、速攻でSNSで共有されて暇人が検証を始め、三日後にはみんな転職している。で次のアプデで修正パッチを喰らって産廃の出来上がり。


 それでもネトゲの面白いところは、それが全員平等に降りかかる事だろう。ツバサの言葉を借りるなら、ネトゲは他人に対して最もフェアなゲームの一つなのだから。


 課金要素? まぁうん、それは仕方ないけども。


「悪ぃ、オレばっか喋って」

「いいえ、かまいませんよ」

「そうか?」

「だって私……ツバサくんの話聞くの楽しいですから」


 こういう四方山話をこいつとするのは本当に楽しかった。友達の少ない俺が日曜日の夜に寂しい思いをしないで済んでいるのは、間違いなくこいつのおかげだ。


「なぁヒカリ……今度リアルで」


 突然ツバサがそんな事を小声で呟いた。


 現実でツバサと会うのは……考えなかった訳じゃない。今までの会話から関東地方に住んでいるのは間違い無いので、物理的にも難しくは無いだろう。それにツバサはおそらく社会人だから、節度だって俺よりあるだろう。


 ただ目の前のヒカリと現実の俺ではあまりに差があり過ぎる。もし嫌われたら、もし二度と遊べなくなったら? そう思うと軽々しくリアルで遊びに行こうと言えない自分がいた。


「なんでもねぇわ……よしっ、今日は早いけど落ちるわ!」


 察してくれたのか、ツバサは膝を叩いて立ち上がる。高校を卒業して、まだこいつと遊んでいたらその時こそ誘ってみよう……声に出さずに小さく決心した。


「おやすみなさいツバサくん」

「ヒカリはどうする?」

「いえ、今日がぶ飲みした分のポーション補充しておきたいので」


 ペア狩りのおかげでレアアイテムを独占できた俺達ではあったが、その代償としてアホみたいな量のアイテムを消費する。


「悪いな、迷惑かけて」

「そう思うなら農場手伝ってくれてもいいと思いません?」


 農場はその素材が取れるので是非とも手伝って欲しいのだが、相変わらず地味な作業はお気に召さないようで。


「あーそのうちな、そのうち……じゃあなヒカリ、また明日な」

「ええ、また明日」


 そのお決まりの挨拶のおかげで、心が軽くなるのを感じる。


「さぁて、調合がんばりますか」


 時計を見れば午後十時。調合してログアウトすればちょうど寝る時間になるだろう。


 さぁて、明日は何をしようか。


 憂鬱なはずの月曜日を迎えるにしては前向きな心で、俺はポーションの調合に取り掛かった。






 結局三時までネトゲしてた。


 いや一、二時間ぐらいで止める予定だったんだけど別のフレにフルパで炎天竜行かないかと誘われて、素材を売ってその金で取引所で農場じゃ取れないポーションの素材を買い漁って、折角だし取引所を眺めてたら三時だった。


 という訳で高校二年生の小林光は、授業のほとんどを寝て過ごしましたとさ。


「ねぇ小林」


 放課後、重たい瞼を擦りながら見上げれば、同じクラス委員である雨宮さんの姿があった。


「なんですか雨宮さんや」


 冗談っぽく答えてみても、彼女はため息をつくだけだ。


「その乱れた服装の寝癖、どうにかならないかしら?」


 雨宮翼さん。美人で真面目で成績も良く、友達も多いクラスメイトだ。奇しくも下の名前は『ツバサ』だが、あの豪放な戦闘狂との共通点は二本の足で立っていることぐらいだろう。


「あー……昨日遅くまでゲームしてて、朝急いでたんだよね」

「その言い訳、朝も昼も聞いたんですけど」


 ちなみに隣の席の彼女に注意されるのは本日三回目だ。何故毎度服装が崩れるかと言えば、寝る時に苦しいからだ。


「これで良いですか?」


 俺は立ち上がってネクタイを締めれば、胸を張って雨宮さんに見せつけた。まぁ良いんじゃないの、ぐらい言ってもらえないだろうか。


「シャツ出てる」


 はいごめんなさい。


「全く、男子ってこうなんで身だしなみに気を遣えないのかしらね。同じクラス委員として恥ずかしいわ」


 ちなみにうちの学校は校則が緩いので、服装ぐらいで教師から小言が飛んでくる事はない。それなのに雨宮さんが俺に口うるさいのは二人ともクラス委員という立場のせいだ。


 そしてなぜやる気のない俺がクラス委員なんて大役を任されているかと言えば、何と自分から立候補したからだ。


 夕方からエルオンの大型アプデを控えた四月のあの日、一秒でも早く帰りたかったのにクラス委員決めで時間がかかりそうだったので、光の速さで俺が立候補した、というしょうもない理由だ。


「俺としては他の男子とすぐにでも変わりたいんだけど」


 今になっては浅はかな行為だったと後悔している。今日みたいに教師に頼み事をされるせいで帰りが遅くなる、というのは勿論あるが。


「それはダメよ」

「なんで?」


 首を傾げて尋ねれば、雨宮さんは鼻を鳴らす。


「だって小林、『雨宮狙い』じゃないでしょ?」


 ちなみにクラス委員決めの話には続きがある。男子で俺が立候補するや否や、雨宮さんが手を挙げたのだ。すると男子たちの空気は一変、美人の雨宮さんがやるなら自分がやろうかな、なんて輩が続出したのだ。


 雨宮さんのパートナー決めは戦国時代に突入する……かと思われたが、彼女の『相手を見て立候補する人とは仕事したくない』のイケメン過ぎる一言で事態は無事収束した。


 なお大型アプデに伴うメンテは夜の十時まで延長した。世知辛い。


「そういう人って……何でもやってくれるのはありがたいんだけどね。そういうの、フェアじゃないなって」


 昨日のツバサと同じ言葉で一瞬ドッキリしたが、成程二本足以外の共通点もあるものだなと納得する。


「私はね、任された事は自分の力で解決したいの。それで自分に胸を張れるようになったら」


 それから雨宮さんは胸の前で手を合わせ、恋する乙女のようにくりっとした瞳を輝かせて。


「憧れのあの人を……デートに誘うの!」

「憧れの人?」


 わぁ雨宮さん狙いの男子が聞いたら卒倒しそうな台詞だ。


「そうなの! いつもおしゃれで気が利いて、それでいて優しくて可愛くて……」

「この学校の人?」


 男? と聞きたくなるのをぐっと堪えて、適当な探りを入れてみる。


「さぁ」


 まさかの性別不詳で思わず肩を落としてしまう。


「ネットの知り合いだからね……でもきっと素敵な女子大生あたりね」


 今度は顎に手を当てながら、彼女はうんうんと頷いた。しかし意外だな、雨宮さんのような人なら『ネットの人と会う? 馬鹿じゃないの?』ぐらい言いそうだと勝手に思っていたが。


「それで私の服選んでもらったり、おしゃれなカフェでランチしたり、そのうち家にもお呼ばれされたりして、二人並んで一緒にレ」


 雨宮さんの止まらない妄想を笑顔で眺めているのは楽しかったが、俺の視線に気付いた彼女は顔を赤くして咳払いで誤魔化した。


「……まぁ、その前に小林君と職員室に行かないとね」

「それはそう」


 そのまま二人並んで教室を後にしようとした瞬間、ポケットに入れっぱなしのスマホが小さく震えた。


「あ」


 何の通知かと思えば、エルオン公式チャンネルの新着動画の通知だった。よし今見るか。


「あのねぇ、これから職員室に行くって時にスマホ出さないで貰える?」

「いや、ゲームのアプデ情報が」

「ふうん、なんのゲーム?」


 意外、雨宮さんがゲームのタイトルを気にするなんて。


「多分知らないと思うけど」


 そりゃあおっさんがボイチェン使って幼女になるからバ美肉オンラインとまで言われてるゲームだし。


「私、決め付けられるの好きじゃないんだけど」


 確かに嫌いそうだなと思い、恥ずかしながらも俺は答える。


「……エルオンってネトゲ」

「は?」


 物凄く睨まれてしまった。それはそうだよね雨宮さんがエルオン知ってる訳無いよねうんうん。


「ちょ、本当、アプデ情報ってなに!? 嘘でしょ期間限定クエストとか? それとも新しいボス増えるの!?」


 なんて思ってうんうんbotに成り下がる間もなく、雨宮さんにスマホを取り上げられてしまった。


 えっ?


「えっと、期間限定アバターのデザイン発表」

「なんだアバターかぁ、私あんまり興味ないや」


 と、ここで雨宮さんが俺にスマホを返却して、そっと両手で顔を覆った。


「雨宮さん、エルオンやってるの?」

「……やって、ないわ」


 そっかーやってないけど新クエストとか新ボスは気になるんだー。


「いや、それは無理があるでしょ」


 なんて気楽に言葉を返すが、内心で俺は叫びたくなるぐらい嬉しかった。まさかこんな近くにエルオン仲間がいるだなんて、ありがとう運営いややっぱあそこの運営はカスだわ。


「……引かない? 女子高生がネトゲ好きって」

「はっはっは、それを俺に聞くのかね」


 こちとらバ美肉三年目だぞ。


「そ、それもそうね」


 と、ここで雨宮さんはわざとらしい咳払いを一つした。それから満面の笑みを浮かべて俺の背中をバシバシと叩き始めた。


「あーでも意外だな、小林がエルオン仲間だったなんて」

「こっちこそ。まさか雨宮さんがエルオンやってるなんて思ってなかったよ」


 ちなみにプレイヤーアンケートでは10代以下が5%で、男女比は7対3だ。なので単純に考えても、エルオンをやっている女子高生は1.5%しかいないのだ。


「なにそれ偏見」

「公式のデータに基づく発言なんだけどな」

「あー年末のアンケート見た見た。確かに十代も女性も少ないわね」


 冗談を返せば綺麗にネタを拾ってくれる雨宮さん。ありがとうあの時の俺、クラス委員に立候補して。


 ……あれ、雨宮さんもエルオン仲間って事は。


「もしかしてクラス委員に立候補したのって、アプデ待機したかったから?」


 ニヤけながら尋ねれば、雨宮さんの顔が一気に赤くなる。


「べ、別にそういう訳じゃないんだけど……」


 べ、別にネトゲのためじゃないんだからね! というセリフに勝手に脳内変換されてしまう。しかもそれに若干ときめいてしまうのは、俺がダメ人間だからだろう。


「ねぇ小林、折角だしさ」


 落ち着きを取り直した雨宮さんは、真っ直ぐと俺の目を見据える。あーいけません、ただでさえエルオン仲間と判明して好感度が爆上がりしてるのに、そんな顔されると俺も『雨宮』狙いになってしまいます。


「今日、一緒に狩りいかない?」


 なんて色気の欠片もない誘いに秒で頷く。


 そういえば自分のキャラは金髪狐耳巫女とかいう欲張りセットな事を思い出したのは、帰宅してからの事だった。






 雨宮さんとはエルオン内の広場で合流する予定になっていた。事前にキャラ名ぐらいは教えておくべきかとも思ったが、雨宮さんには『見たらわかるから』と言われたので、それ以上は聞いていない。


 サブの倉庫キャラで行こうかと迷ったが、やはり育ってないキャラで一緒に狩りにいくのは失礼だと思い直して、ヒカリで広場へと向かったのだが。


「あれ、ツバサくん?」

「あ、ヒカリ」


 広場の噴水の前で意外な人物と顔を合わせる。ツバサは俺以外の遊ぶ時はソロなので、こういう場所で見かけるのは本当に珍しい。


「珍しいね、誰かと待ち合わせ?」

「あーいや、実は職場にエルオンやってる奴がいてさ」

「へぇー」

「う、浮気とかじゃないからな!?」

「ふふっ、わかってますよ」


 しかしツバサも同じような境遇とは、偶然とは恐ろしいものである。ひょっとしてエルオンブーム来てるか? と思ったけど来てないですねわかってます。


「けどリアルでネトゲの話できる奴ってなかなかいないだろ? まぁ折角だし一緒に遊ぼうかなって」

「よかった」


 照れ臭そうに頬を掻くツバサを見れば、自然とそんな言葉が漏れていた。


「ツバサくんがまた、他の人と遊べるようになって」


 ツバサは過去に所属していたギルドで人間関係のいざこざに巻き込まれた経験があるらしい。それ以来他人との交流は避けていたのだが、職場の友人はそんな彼の心を溶かしてくれたようだ。


「そうだ、良かったらヒカリにも紹介……いやダメだな、あいつがヒカリに惚れたら殺さないといけなくなるな」

「そんな物騒な」

「いやいや、バカでだらしないアイツがヒカリを見たらぜーったい鼻の下伸ばしてデレデレするね」


 過分な評価につい照れてしまう。自分のキャラが褒められるのは自分が褒められる以上に嬉しいというのはネトゲあるあるなのだから。


 まぁそのせいでバ美肉おじさん達はエルオンから返って来れないんだけど。


「嫌いなの、その人の事?」

「そうでもない……かな」


 慌てて話を切り替えれば、照れ臭そうにツバサが鼻を擦る。


「じゃあ、その人が来るまで待ちますか。私にも紹介してくださいね?」

「……だな」




 


 来ない。


 見たらわかるという雨宮さんらしき人の姿を目で追うこと早一時間。彼女と同じような黒髪の美人は何人もいたが、まぁ中身おじさんっぽいなという人ばかりで。


「おせぇ……おせぇぞあの野郎」


 ツバサの待ち人もどうやら姿を現さないらしく、さっきから横で苛立ちを隠そうともしない。


「なかなか来ませんね」


 二人並んでため息をつく。つい一時間前までは偶然だねとか笑ってられたが、人を待ち続けるという行為は想像以上に神経をすり減らしていた。


「しゃーない、奥の手を使うか」

「奥の手ですか?」

「職場の連絡網作る時に電話番号聞いておいたんだよ」


 なるほどその手があったかと間抜けな台詞が頭を過ぎる。


「それなら確実ですね……私も電話しようかな、約束の人が来ないので」


 そう言えば俺もそんなもの持ってたなと思い直し、雨宮さんに電話する決心をした。


「え、ヒカリも待ち合わせ?」


 と、ここでツバサが驚いた顔をして尋ねてきた。


「言ってませんでしたっけ?」

「聞いてない」


 どうやら間が抜けていたのは頭の中だけではなかったらしい。


「……男?」


 口を尖らせ不満そうにツバサが聞いてくる。まぁ男は俺なんだけども。


「いいえ、女の子ですよ」

「良かったぁ、ヒカリが誰かに取られるのかと思った」

「もう、ヒカリの旦那はツバサくんだけですよ」


 独占欲を隠そうともしないツバサが少しだけ可愛く見える……いかんいかん、男同士で何をやってるんだ俺達は。


「にしてもヒカリを待たせるなんてろくでもない奴だな……オレがガツンと言ってやらねぇとな」

「変ですねぇ、時間は守るタイプだと思ってたんですが。私も電話してみようかな」


 俺を待たせる罪の重さはともかくとして、あの真面目な雨宮さんが遅刻というのはどうも想像できない。


「じゃあお互い『いっせーの』でかけてやろうぜ」


 ツバサの提案に黙って頷き、連絡網を見ながら彼女の電話番号を打ち込む。しかし女子の携帯に電話するのなんて人生初だな……なんて思いながらも緑の受話器のボタンを押した。


「……話し中かな?」


 が、繋がらない。スマホのスピーカーからはツーツーという音が聞こえていて。


「こっちもだ、あの野郎舐めやがって……」


 ツバサが舌打ちをしてから不満げに呟いた。しかしツバサを待たせるなんて相手はなかなか神経が太いようだ。


「そうだヒカリ、オレがガツンと言うから一緒に文句言ってくれよ!」


 と、いきなりツバサがそんな提案をして来た。


「いやーそれは流石に相手の方に」

「いや、いい! アイツはヒカリみたいなしっかり者に諭された方が絶対いいから!」


 ので断ったが、あまりの熱意に押されてしまう。


「もう、一言だけですよ」


 まぁ『あんまり待たせちゃダメですよー』ぐらいなら言っても良いかと思い直せば、今度は俺のスマホが鳴った。


 一瞬ビクッとしたがら先程入力した雨宮さんの番号が表示されていたので、ああ折り返しかけて来たんだなと納得する。


 ――こんなタイミングで電話をかけてくる人間が、偶然二人も居るはずないのに。


「「あ、繋がった」」


 二つの声が両耳に響いた。右耳からは雨宮さんの、左耳からはツバサの声が。


 え? でも台詞一緒なんだけどなにこれ新たなバグかなとりあえずスマホをミュートだミュート何か違う何かおかしいいやまさか見たらわかるってそういう意味だとは。


「「ちょっと小林、今どこにいるのよ!」」


 雨宮さんの棘のある言葉が耳奥に突き刺さる。同時にボイチェンのかかったツバサのイケボが一字一句同じ言葉を吐いて。


 見たらわかる。うん、確かにプレイヤーキャラ名『ツバサ』だね。本名だね、確かに見ればわかるようんうん。


 待って。


 え? 雨宮さんがツバサなの? そりゃあ俺がバ美肉してるぐらいだからおかしくないかも知れないけど、え、ツバサが雨宮さん? 三年前から一緒にネトゲしてる人が隣の席なの? 嘘でしょいやいやあり得ないでしょそれにほら今日だって憧れの人がどうとか言ってたけどツバサは友達俺ぐらいしかいないし。


「「私の憧れの人だって待たせてるのに、もう一時間も来ないなんてどういうつもり!?」」


 俺だ。


 いつもおしゃれで気が利いて、それでいて優しくて可愛くいいの中身が俺だ。


「あ」


 と、ここでツバサがヒカリの顔を覗き込んだ。しまった、なんて言いたげな顔してるが気づいたかもしかして気づいてしまったのか。


「「いや違うんだヒカリ、その、この口調はたまたまっていうか」」


 ――そっち!? 今になってしまえばツバサの性別が女だって事は気にしちゃいない。何故かって?


 もっとデカい爆弾投げられてるからだよ!


「あ、あはは、ツバサくん、女の子だったんだぁ……」


 何とかツバサに話を合わせて、後退りで距離を取る。


「「あ、これはその」」


 まずい、とにかく今は逃げないと。スマホを切ってベッドに投げつけ、声高らかに宣言する。


「あはは、今日は落ちまーす!」


 只今時刻八時五分。


 どうやらエルオン史上最恐難易度のクエストが今幕を開けたらしい。


 え、俺明日学校行くの?






「最っ低」


 朝、偶然昇降口で居合わせた雨宮さんが俺を見るなり当然の台詞を口にする。


 結局あの後雨宮さんからの着信もなく、俺から電話する事もなくて。


「昨日来なかったじゃん、浮かれてた私が馬鹿みたい」


 彼女の瞼が赤く腫れていた。それを見ても昨日彼女があの後どうしたか想像できない俺じゃない。


「あの雨宮さん」

「それだけ言いに来たから。もう私に話しかけないで」


 俺は彼女を傷つけた。約束をすっぽかした形になってしまったのだから、嫌われたって当然だ。


 だけど去りゆく彼女の背中が、いつも俺の前に立つ頼れるツバサのそれに重なる。


 このままで良い訳ないだろ。


「雨宮さん!」


 気がつくと俺は彼女の手首を掴んでいた。周りの生徒達が白い目で俺を見るが、そんな事は気にしない。


 だってこれは俺達のーー夫婦の問題なのだから。


「……放課後時間ある?」





 放課後、俺と雨宮さんは近くのハンバーガーチェーンで向かい合っていた。謝罪の意を込めて全額俺が支払おうとしたが、フェアじゃないと断られた。


 だから余計に昨日のことは現実だったと実感する。俺の旦那のツバサの正体は間違いなく目の前の彼女だと。


「ごめん雨宮さん、昨日は回線の調子悪くって……」


 が、ヘタレの俺は下手な嘘をついていた。実は俺がヒカリなんですと言うのが『フェア』だと思ったが、今それを明かせば火に油を注ぐように思えたから。


「ふぅん」

「俺もさ、雨宮さんとゲームするの楽しみだったんだけど……ごめん、連絡するべきだった」


 深々と頭を下げる。雨宮さんと一緒にゲームしたかった気持ちに嘘偽りはないのだから。まぁそれが長年の相棒だとは夢にも思っていなかったのだが。


「昨日電話くれたでしょ……もしかしてそれの事?」

「まぁ、うん」


 そういう事にしておこう。


「……私こそごめん、今朝は八つ当たりしてた」


 と、ここで雨宮さんの口から意外な発言が飛び出して来た。どうやら涙の原因は俺だけじゃ無いらしい。それもそうだ、どういう思い上がりだよ全く。


「八つ当たりって?」

「バレたの……憧れの人に、私が女だって」


 あ、うんその事ね。


「そ、そうなんだぁ〜」


 正直どうでも良いというか、それよりもっと話し合う事があるというか。


「その後あの人、すぐに落ちちゃってさ。当然だよね、ずーっと男のフリして騙してたんだから」


 が、雨宮さんはそう思っていないらしい。


「嫌われたかな……」


 昨日の態度が悪かったのは、小林光だけじゃなかったと思い知らされる。ヒカリとしてだってあの態度は失礼でしかなかったじゃないか。


「そんな事、ない」


 彼女の目を見て、真っ直ぐと言い切る。


「ないんじゃないかな〜……」


 事ができない俺のヘタレ。でも彼女が何故性別を偽っていたかなんて、簡単に想像がつく。


「ネトゲやってるとわかるよ、女ってだけで寄ってくる奴多いもんね」


 オンラインゲームという世界は、圧倒的に男が多い。しかも俺みたいに女性に不慣れな陰キャの男だ。


 そんな連中の巣窟に本物の女性が現れて、ギルドの空気がおかしくなって崩壊するなんて話は悪い意味での『ネトゲあるある』だ。


 ちなみに俺も中身も女性だと勘違いされて言い寄られたことはある。即ブラックリストに放り込んでやったが。


「雨宮さんはそれを防ぐために男のフリしてたんだよね? だったら嫌われる理由なんて、な、ないと思うなぁ〜……」


 最後の最後で言い切れないヘタレ発言だったが、それでも雨宮さんの表情が少しだけ和らいだのがわかる。


「……ありがと。小林にしては上出来じゃん」

「そ、そうかな」


 雨宮さんに褒められたことがないから、ちょっとだけ舞い上がる。ツバサには毎日褒められてるけどさ。


「まぁ私のヒカリさんの足元にも及ばないけどね」


 あっはい。しかも私のと来ましたか。


「そ、そんな凄いんだぁそのヒカリさんって」

「そうなのよ!」


 ファストフード店特有の不安定な机をバンと叩いて、雨宮さんが身を乗り出す。


「もうね、回復もバフのタイミングもバッチリで、エルオンで一番難しいと言われる巫女を使いこなせるトッププレイヤーの一人なの! それにアバターもいつもオシャレだし、私の代わりにポーション用意してくれるし、一緒に色んな冒険をして」


 やだ雨宮さん、俺の事好きすぎ……!?


「……仲直りできるかな」


 出来ないはずないじゃないか。そもそも彼女は悪い事なんて一つもしていないのだから。


「できるよ、ツバサくんなら」

「え?」


 と、ついヒカリの口調で話してしまった。まずい今度こそバレたか? 死ぬのか殺されるかデッドオアダイか?


「あっ」

「小林、私の下の名前知ってたんだ」

「まぁ、ね」


 良かった勘違いしてくれた、ツバサは意外とうっかり屋だからな助かった。


「ひょっとして『雨宮狙い』?」

「滅相もありません!」


 悪戯っぽく笑う雨宮さんに、全身を硬直させて答える。俺如きがこんな美少女と付き合えるだなんて畏れ多くて口にも出来ないのだから。


 まぁエルオンだと結婚してるけど。


「ま、小林になら狙われても」

「狙われても?」


 シェイクを飲み終えた雨宮さんがトレイを持って立ち上がる。まさかやぶさかではないとか言わないでしょうね。


「返り討ちにしてあげるわ」


 そんなイケメンみたいな台詞を口にしながら、ウィンク一つ飛ばして来た。


 はい、小林今日から『雨宮狙い』になりそうです!


 




「すいませんでしたヒカリさん」


 ログインするや否や、ツバサに呼び出されて頭を下げられた。


「本当はオレ、十七才の女子高生で……社会人だって嘘ついて、男のフリしてました。荒っぽい口調も、なんかそういう方がバレないかなって、はは……あさましいですよね」


 それは浅ましいんじゃなくて生真面目さなのだろうと思った。今にして思えばツバサというキャラクターは、雨宮さんが大切にしている事を体現しているキャラクターなのかもしれない。


「もしヒカリさんがオレを信用できないっていうなら……引退だってします。二度とログインしません。けど、ヒカリさんと一緒に遊べたのは……オレにとって本当に宝物のような時間でした」


 けどその生真面目さは今は必要のない物に思えた。


「ツバサくんと知り合って……もう三年になるんですね」


 三年という時間の長さを、俺は理解しているつもりだ。


「一緒に色んな冒険しましたね。マップが増えれば走り回って、街が増えたら隅々まで歩いて。あのボスが倒せない、欲しいアイテムが出ないって、気付いたら朝になることもありました」


 本当に楽しかった。家でも学校でもない世界でツバサと一緒に居られた事が。


「まぁ、正体にはビックリしましたけど」


 確かにツバサは雨宮翼だ。その中身は真面目で品行方正なクラス委員で、とびっきりの美少女だけど。


「そんな思い出が沢山あるから……私はツバサくんがどういう人か知っているつもりです」


 三度の飯より狩りが好きな事を、アバターショップの更新よりも新クエストが気になる事を、子供っぽいところがある事を。


 そんなツバサを俺が好きだという事を。


「秘密なんてあって当たり前です。そうですよ、隠し事がない人なんていないんですから」


 フェアじゃないなと自分で思う。だけどそんな隠し事を先送りにするとしても。


「だからこれからも……私と遊んでくれませんか?」


 またこの頼れる旦那と一緒に、俺は冒険したいのだから。


「はいっ、ヒカリさん!」

「もう、口調もいつものでいいですよ」

「……わかったよ、ヒカリ」


 お互い顔を見合わせれば、自然と笑みが溢れていた。画面の前の雨宮さんも同じ顔をしていればいいなと小さく願った。


「じゃあ今日は農場の手伝いしてもらいますね!」

「あ、けどその前に……悪ぃ、ちょっとミュートするわ」


 と、恐怖のスマホ着信再び。


「ひっ!」


 恐る恐る画面を見れば、そこには雨宮さんの番号が表示されていて。


『もしもし小林?』

「あ、うん」


 ゲーム側のマイクをミュートにして、電話の受け答えをする。


『あの人とさ、ちゃんと仲直り出来たから……ありがとね、お礼言っとく』

「そっか。おめでとう……でいいのかな、こういう時って」


 元通りとは言わないが、それでもヒカリとツバサの関係が悪くなる事はないだろう。俺と雨宮さんの関係だって、そう悪くない筈だ。


『そうだ、今から一緒に遊ぼうよ。フレンド登録すればギルドハウスにも入れるから』

「あーごめん回線が、回線調子悪いなーって」


 それはちょっと不味いので、急いでスマホの電源を切ってベッドに投げつける。


「ったくあの野郎、もうプロパイダ変えちまえよ」


 スピーカーからツバサの声が聞こえて来た。すいませんめっちゃ回線安定してます。


「で、電話終わりました?」

「あれ、オレ電話って言ったっけ?」

「そ、そんな感じだなあって」


 しまった藪蛇だったと思いつつ、無理矢理笑顔で誤魔化せば。


「さすがヒカリ、オレの事わかってんじゃん!」


 ツバサは満面の笑みを浮かべて、バシバシと俺の背中を叩いた。


「ツ、ツバサくんは律儀な方ですから。昨日の方にお礼言ってそうだなって」

「いやぁ、何でもお見通しだなぁ」

「当然です」


 まぁ中の人まで知ってるからね。


「じゃあオレが小林が好きなのもバレバレだったのかな」

「……え?」


 え?


「ああ小林ってさっき電話したクラスの男子なんだけどさ、まぁその……恋愛感情って奴? 持ってるみたいでさ」


 うん小林の説明要らないから。え、雨宮さんが恋愛感情? 俺に? 嘘でしょヒカリにじゃなくて小林光に?


「その、ネトゲの嫁にこんな事頼むのも変だけどさ……恋愛相談とか、させてもらう、かも」


 え、いや本人なんですけど。もうあれですねヒカリの正体が小林ですって一生言えないですね。


「え、あ、いやその」

「性別もバレちまったし、これからはどうやったら小林を落とせるか相談して」

「あー回線が! いけません回線が落ちまーす!」


 物騒な話を始めるツバサに狼狽え、思わず下手な言い訳を口にする。それさっき使ったネタじゃん小林特有の言い訳じゃんと思いながらも、急いでログアウトして。


 そのまま逃げるようにして、ベッドにダイブしてしまう。投げつけたスマホを開けば、雨宮さんの番号が表示されていて。


 小林を落とす、雨宮さんが? それはどんなレイドやクエストよりも、簡単すぎるじゃないか。


 だって俺はこの二日間のやり取りのせいで、三年間の積み重ねのおかげで。ツバサに、雨宮翼という人間に対して。


「もう落ちてるんだよなぁ」


 恋に落ちているのだから。

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隣の席の口うるさい美少女がネトゲ廃人で頼れる俺の旦那なんだが? ああああ/茂樹 修 @_aaaa

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