第107話 決選投票
この世で最も美しい白い蜘蛛は、気高き女王。
恵真先輩は、金色の髪の毛を美しく輝かせ、真っ白な衣装で夕方の旧音楽室の真ん中に立った。
蜘蛛の糸に張り付き、獲物を待つように全く動かない。そこに黒の蜘蛛がやってくる。
ここは私の場所だ。
指先をビクリと動かして警戒態勢を取る。
いつものハーフツインを解き、高い場所に一つに髪の毛を結んだ穂華さんは、身体にぴったりとした上下黒の服を着ている。
化粧もしてなくて、シンプルな服装なのに、今まで見たどの穂華さんよりかっこ良く見える。
そして上下黒で、真っ赤なマフラーを巻いた熊坂さんも入ってきて、三人のダンスが始まる。
今日は旧スパイダーの最終撮影日だ。
俺はiPhoneの録画停止ボタンを押して、
「ここで一回切ります。次こっち側から恵真先輩だけお願いします」
「じゃあ音楽行きます」
そう言って紗良さんが少し前から音楽を流し始めた。
それに合わせて、恵真先輩が踊り出す。俺は自分で描いたコンテを思い出しながら動く。
今回旧スパイダーをさくらWEBに載せるに当たり、平手と一緒にカット割りを考えてみた。
この動きはこっちから撮って、ここまで使う。
この流れは、ここで撮ったほうが良い。
ヘヴィメタバンドの時に教えてもらったんだけど、プロモーションビデオはちゃんとしたカット割りを最初から決めていた。
角度、ライト、動き……。それを全部真似ることは出来ないけれど、とりあえず見よう見まね。
紗良さんはヘヴィメタライブの時にもいたタイムキーパー? というのだろうか。
今はここまで撮影した、その時はこのポーズだった……などを克明に記録する係をしてくれている。
カットを割るなら、ちゃんと記録しないと、編集時に繋がらないのだと現場でホタテさんが教えてくれた。
紗良さんはしっかりしている人だから、全部メモして、俺たちがミスすると教えてくれて、マジ有能すぎて神。
平手と「これはこっちからのが良くね?」と相談しながら考えて、マジでやっと「映画部」になってきた気がする。
いやなんだろう……「学校映像お助け部」が正解なのか?
決めていた部分を撮影してiPhoneを止めた。
「……オッケーだと思う。じゃあこれソフトに入れて繋げようか」
「たぶんこれで全部揃ったよね」
「だよな、確認しようぜ」
俺も平手も全く自信がないから、撮ったらすぐに横のパソコンにデータを入れて確認して、作っている。
恵真先輩と穂華さん、それに熊坂さんも疲れるみたいで、休みながらパート分けして撮影するのは楽で良いと言っていた。
繋いで確認して、もう一回撮影して……を繰り返して、もうなんと4時間も撮影してしまった。
今日は学校公開授業の日で、土曜日の午前だけ授業があった。だから昼から丸々撮影出来るから今日にしたんだけど……もう夕方だ。
こんなに長く撮影したのははじめてで、踊っていた三人も、俺と平手も疲れ果てた。
「おつかれい。アイスとジュース買ってきたぜ~」
そこに中園が差し入れを買ってきてくれて、俺たちは夕日に染まった旧音楽室でジュースを飲んで休憩した。
穂華さんが「うーん」と言って立ち上がり、
「いやあ……もう今回はマジで無理だと思いましたけど、私頑張りましたよね?!」
俺は深く頷き、
「偉い。今回一番偉いのはマジで穂華さんだ。恵真先輩のレベルによく付いていったよ」
「ですよねええええ。この頑張り、全部恵真先輩のチャンネルにアップして、それでさくらWEBの方に私の素晴らしさをアピールしてくださいね。そうじゃないとここまでやった意味全然無いですから!」
「恵真先輩のチャンネルには、この前の練習とかもアップするよ」
「助かりますっ!! JKコンブーム終わって、また仕事が減ってきてて……」
しょんぼりする穂華さんの横に恵真先輩が来て、
「私のチャンネルにずっと出ればいいわ。そうだ、平手くん。私たち美術館に行こうと思ってるんだけど、撮影して貰えないかな?」
その言葉に平手は目を丸くして、
「俺でいいの?」
「平手くんは主張が強くないからそこが好きなの。私たちが冷静に映ってる気がする」
「……別に良いけど」
平手が少し嬉しそうに引き受けると、穂華さんが「やったー!」と声をあげて喜び、恵真先輩も嬉しそうに微笑んだ。
恵真先輩は、穂華さんがいればかなり丸い笑顔を見せるようになってきている。
そこに熊坂さんも入ってきて「美術館ってどこの? 私も結構好き。行きたいー」と話し始めた。
これは恵真先輩のチャンネルに使えそうだと、俺と平手はカメラを取り出した。
すると後ろのドアがコンコンとノックされて、そこに柊さんが立っていた。
俺は慌てて録画を止めて立ち上がる。
「あっ、おつかれさまです。先日は撮影、おつかれさまでした」
「こちらこそありがとう」
そう言って柊さんは真っ黒な髪の毛を耳にかけた。
昨日半地下にあるダンス部部室で、現在のスパイダーを撮影した。
カメラは固定で良いと言われて、部室の真ん中に設置した。
それに向かってひとりで踊り始めた柊さんの動きは、圧巻だった。
これが三年間スパイダーをするために磨き上げた動きなのだろう。一切無駄がなく、迷いが無い世界。
ダンスに完璧などないと恵真先輩は言っていたけれど、柊さんの本気のダンスを見てやっと理解ができた。
完璧は当たり前なんだ。そうじゃないとその先の個性が見えてこない。
あの時間、柊さんは間違いなく、この学校唯一の蜘蛛だった。
ベタベタと白く光る糸に捕らえられて、俺も平手も、一緒に見ていた恵真先輩たちも身動きが取れない。
そして全く同じ……カメラも固定した半地下の部室で、恵真先輩の現代のスパイダーも撮影した。
同じダンスなのに、恵真先輩が踊るとまた違うものに見えて、よくピアノとかで「課題曲」とかあるけど、意味あるのかな? と思ってた。
でも極めると、同じことをするのに意味があるのだと気が付いた。
同じものを踊ると見えてくるのは技術の差と、個性だ。
恵真先輩のスパイダーは、柊さんとはまた違う力強さがあり、俺はこっちのスパイダーを「カッコいい」と思った。
もう編集を終えていて、新スパイダーの柊さんバージョンと、恵真先輩のバージョンは学校のサイトにアップしたので、来週月曜日の学活で最終投票が行われる。
柊さんの所に、恵真先輩がいき、頭を下げた。
「突然立候補したのに、勝負を引き受けてくださり、ありがとうございました」
「……いいのよ。貴女のスパイダー、素晴らしかったわ」
「いえ、同じものを踊って分かったんですけど、やはり柊さんのスパイダー……全然勝てないなと思いました」
「へえ……」
その言葉に柊さんは眉毛を釣り上げて、薄く微笑んだ。
どう見ても気分が良い……そういった雰囲気で髪の毛を後ろに縛り上げて、
「……実は興味深くて、さくらWEBの旧スパイダー……すっと見させて貰っていたの。穂華さん、75点ってところね」
その言葉に遠くにいた穂華さんはズバババと近付いてきて、
「ひどおおおおいいいいい!! 私5000点くらい頑張りましたああ」
「失礼するわ」
そう言って旧音楽室に入ってきた柊さんに俺たちは「え?」と動きを止めた。
柊さんは髪の毛をサラリと肩に落とし、
「見ていて思ったんです。穂華さんが足を引っ張ってるなと」
「うおおおいい???」
「熊坂さん、センスがありますね。でもセンスだけで動いています」
「お~~~い、柊、燃やすよ??」
「私なら、もっと完璧に旧スパイダーを踊れるのに……と思っていました」
「おい柊、お前ちょっと来いや」
「柊さん酷くないですか?!」
言い切った柊さんに向かって熊坂さんと穂華さんがギャンギャン怒って噛みつく。
まあなんというか、ここまで頑張ってきたふたりを見ていると、その言い方はあまりに酷いと思いつつ、心のどこかで「なんだか面白いことになってきた」という気持ちが出てくる。
でもきっと……本当の天才同士は、闘いなんてしたくないんだと思う。
一緒に高めて、理解していけるのは、同じランクに立つ人たちだけなんだ。
最初スパイダーのダンスを見て、その巧さに気が付いたのは穂華さんだけだった。
俺も平手も「なんかずっと同じ動きしてるけど、どういうこと?」としか思えなかったんだ。
でも穂華さんは真っ先に気が付いて、褒めていた。
結局同じレベルの人間同士は、最も敵になるけど、最も味方になりやすい。
「こう」
そう言ってスッと手を上げてセンターに立った柊さんの立ち姿は、地球唯一広がる青空の下、湖畔に舞い降りた黒鳥のように美しかった。
ポーズを取っただけで、穂華さんと熊坂さんが黙って、一歩引く。
そして横に恵真先輩が近付いて、スタートのポーズで立つ。
音楽もなくふたりは動き始めた。そこに音がないのに、間違いなく旧スパイダーの音が聞こえる。
その動きは鏡だけど、鏡じゃない。
似ているけれど、全く違う。
お互いを助けているのに、食いあうようにも見える激しいダンスで。
音楽がないからこそ、足が床に着地して響く音が「同時に着地している」のだと分かる。
いつの間にか見に来ていたダンス部メンバーも録画していて、俺も平手もそれを食い入るように撮影した。
目を輝かせて見ている紗良さんと熊坂さんの横で、穂華さんは「ケッ」と、にらみ潰すような表情をしていて、それを平手が撮影していたのが面白かった。
たしかに。ここで心底悔しいと思っている穂華さんを、俺も撮影したいと思ってしまった。
柊さんと恵真先輩は、踊り終えて、お互いをまっすぐに見つめた。
その絡み合うような視線が、なんだかすげーカッコいいなあと俺は思った。
同時に旧音楽室は大きな拍手に包まれた。やっぱり二人は別格だ。
そして月曜日。学活の時間に決戦投票が行われた。
俺たちはその日の放課後、映画部部室に集まり、みんなで集計結果を開いた。
結果は、柊さんが8割以上の票を獲得して、完全勝利に終わった。
動画の再生数を見ても、正直生徒数の半分も再生されていない。
学活の時間に、ふたりのスパイダーが立候補してることを知った人もいたくらいで、やはり一ヶ月弱で認知してもらうのは無理があった。
それでも一緒に書き込めるコメント欄には「全然知らなかったけど、すごい上手」「同じなのに違うのに見えてオモロ」など素直な感想が見えた。それを見て恵真先輩は静かに微笑み、熊坂さんと穂華さんに頭を下げた。
「負けちゃって悔しい。突然のお願いだったけど、ありがとうございました。でも私、大学に行くつもりなかったけど、このまま海城の大学に推薦で行こうかなって思って。だから三月までダンス部に入りたいなって。今更だけど、やっぱりスパイダーを柊さんと踊りたくて」
「おお。良いんじゃないかな」
俺は頷いた。
結局あの旧スパイダーを見たダンス部メンバーは「一年くるのが早かったらわからなかった」と恵真先輩の能力を認めていた。
穂華さんはお菓子を食べながら、
「なんか最後はフラれちゃったって気がしますけどお~私すんごい頑張ったのに完璧見せられちゃってえ~~柊さんにもディスられてえ~~」
そこに恵真先輩は近付いて、
「穂華ちゃんが居なかったら、ダンス部に入ろうなんて考えられなかった。プライドが許さないって思ってた。でも穂華ちゃんと踊って楽しかったから。だから柊さんとも、もっと踊りたいって素直に言えると思う。全部穂華ちゃんのおかげなんだから。ダンス部行く時も、最初一緒にきてほしい」
「……まあそこまで言うなら許してやってもいいですけどお? チャンネルには出してくださいよお?」
「パンケーキのお店、連れて行ってくれるんでしょう? 東京、お店が多すぎるわ」
「おっ。平手先輩っ、行けますか?!」
「オケ」
「えーー、私もパンケーキ食べたいー」
「熊坂先輩も一緒に行きましょうよ。もう今回マジで熊坂先輩に助けられました、熊坂先輩いなかったらガチで脱走してました」
そう言ってワイワイとどの店に行くか話し始めた。
突発的にはじまったスパイダーの撮影で、恵真先輩を勝たせることは出来なかった。
でも最初は機械のようだった恵真先輩が笑顔でいるから、それだけで良かった気がする。
俺の横に紗良さんがスススと近付いてきて、
「私もパンケーキ、お店で食べてみたいな」
「バイト先の店長が、今パンケーキ開発中だから、紗良さんが来てくれたら喜ぶと思う。この前食べたのも、ふわふわで、口のなかでシュワッと消えて美味しかったよ」
「!! 気になる。店長さんすごい」
「あの大きな身体で繊細な味なんだよな。店で出すからって試食させられてるんだけど、さすがに飽きた」
「食べたいー!」
そう言って紗良さんは目を細めて微笑んだ。
そして俺と紗良さんは学校終わりのバイト先で、店長の作るパンケーキを食べてささやかな打ち上げをした。
とりあえず終わって良かった。
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