第106話 未来のために
「おはよう、母さん」
「あら、おはよう。思ったより早かったのね」
昨日帰ってきたのはAM2時だった。
そんな時間に帰ってきたのは、はじめてだったけど、ストーカーを捕まえたと警察が連絡してくれたこともあり、むしろ心配された。
布団に入ったのは3時すぎで、倒れ込むように眠り、起きたら10時だった。
起きたら夕方とかを想定してたけど、思ったより早く起きられた。
今日はさくらWEBにアクションカメラの返却に行くので、良かった。
起きてすぐ、自分のパソコンにアクションカメラのデータを移動させて少し見たんだけど、紗良さんが美しくてすごい。
天窓の光を受けてキラキラと輝く髪の毛、それが深いチェロの音と、高音から低音まで完璧にカバーしている歌声を受けて、気持ち良さそうに揺れている。
口元は音楽を味わうように、嬉しそうにハミングしていて、全身であの場を、空気を受け取っていて、紗良さんがあの場で生まれ変わったように見えた。
紗良さんが音で話しかけて、チェロが返す、それを全部結びつけるほど強い歌声。
全部順番で、全部手を繋いでいて。
音楽として間違っているように聞こえる音さえ、その場では正解で。
そう言ったら楠木さんは「それがジャズだから」と笑った。カッコイイ……!!
俺もそんなこと言ってみたい……!!
そしてこれをホタテさんに超見せたい。
ベヴィメタとチェロとか超熱くないのかな。全然分からないから聞いてみたい。
お母さんが朝ご飯兼昼ご飯の準備を始めてるのを見て、俺は立ち上がった。
「あのさ、母さん。休みの日の昼ご飯は、俺、自分でちょっとやってみる」
「!! あらまあ、何。料理するの?!」
「全然わからないけど、パスタくらい自分で茹でる。袋のラーメンに卵乗っけるとか」
「いいじゃない。大学で一人暮らしすること考えてるの?」
「そうだね。やっぱりしたいと思って。だって一時間半かかるよ」
母さんは「やらないよりやったほうがいいわよ、当然よ!」とまず、パスタ一人前茹でる鍋のサイズから教えてくれた。
ちゃんと教えてくれてる母さんには言えないけれど、昨日紗良さんをお布団に運んで眠らせた時に……やっぱり紗良さんと暮らしたいいいいいいいいという気持ちが溢れて仕方が無い。
俺にしがみ付いた紗良さん、お布団に横になった紗良さん、そして紗良さんのお布団の香り、ほどいた髪の毛、寝顔、まつげ、ぷにぷにのほっぺた……もうあのまま布団に飛び込まなかった俺を褒めてほしい。
この布団に入って一緒に寝てええ触りてええという欲望を、紗良さんの布団に置いてきた。
何を言ってるのか分からないけど、置いてきた。
そして思ったんだけど、やっぱり紗良さんの部屋はものすごくきれいで、俺が入るなんてこと全然想定してなかっただろうにキレイで。
料理も出来て気も遣える。だから俺も負担にならないくらい……紗良さんにご飯作ってもらうのが当たり前にならないようにしたい。
卒業まであと一年半。現時点でパスタも茹でられない俺にはかなりのハードルだ。
でも俺は、紗良さんと添い寝がしたい、色々したい!!
熱く決意して鍋を掴んだ俺に向かって、母さんが真顔で言う。
「陽都卒業したら、中園くんの家に住めば良く無い?」
「はああああああああ????」
俺はたぶん久しぶりに心の奥底から「はああああ?」と言ったと思う。
紗良さんと添い寝するために人間的成長までしようとしていた俺に向かって、あまりにも無慈悲な言葉。
思わず大声で叫んでしまった。母さんは慣れた手つきでサラダを作りながら、
「高校出たら中園くんあの家で一人暮らしするでしょ。家事も家の管理もひとりで頑張るらしいのよ。古き家を守り、自らを成長させる。そんなの、すっごく陽都に良いじゃない。見習いなさい。家から近いし」
「いやいやいやいや。俺は大学がここから遠いから、一人暮らしをしたいんだよ」
「一時間半なんて、今の高校とそんなに変わらないわよ。それに、駄目よ、吉野さんと一緒に住みたいとか考えてるでしょう?」
俺はさっきまで思い描いていた妄想を母さんに見られていた気がして慌てて、
「いやいやいやいやいや、そんなこと考えて無いよ。大学だよ、勉強だよ!」
「考えてることなんて全部わかるんだから。大学生が好きな女の子と一緒に住んで勉強なんてするはずないわ」
いや先にあれこれ決めつけないでほしいと思うけど、今これに突っ込んでいくと自爆する。
俺は口元をモゴモゴさせて黙る。母さんは上機嫌で、
「中園くんと住むにしても料理は出来ないと駄目ね。私も甘やかさない距離感を学ぶのに丁度良いかも。はい、サラダ。こうやって全部面倒見ちゃうから」
そう言って笑った。俺が家を出たがってるのを感じて、先回りして……ひょっとして中園の母さんと結託してるんじゃないかこれ。
中園の母さんも俺がいたほうが見張りになるって常々言ってるし。
えー。俺やっぱり紗良さんと住みたいんだけど。あのお布団魅力的すぎたんだけど!!
じゃあもう料理なんてしたくない……中園に作らせる……。アイツ地味にうめーし手際良いし、俺がしなくて良くね?
「いいじゃない。この仕事目指すなら、最低減の生活が出来ないと、ロケ先で死ぬわよ」
「え。ロケって、宿とかで寝られてご飯とか付いてくるんじゃなんですか?」
「どんな恵まれた生活を思い描いてるのよ、白骨死体が見つかった時の安城、テントで一週間冷たいサトウのごはんで暮らしてたわよ」
「ええええ……」
さくらWEBにアクションカメラを返して、ヘヴィメタ番組の編集をしながら「一人暮らししたいんですよねえ」と言ったら衝撃的な答えが返ってきた。一週間冷たいサトウのごはん……。
「そうか……山の中にロケに行きますよね」
「宿が近くにあれば泊まるけど、移動が一番時間食うから、結局テント最強なのよ」
「なるほど……」
「安城は食べ物に無頓着で、食べる時に一週間人間の食べ物を食べ貯めして、あとは白飯の男だから良いけれど、それが無理なら最低減出来るようにしとくべきよ。料理上手なスタッフはコンロ持ち込んで色々作ってるわよ」
そう言われて、確かに俺はわりと食事にはこだわりがあることに気が付いた。
朝ご飯はちゃんと食べたいし、お肉もラーメンも大好きだ。
色んな撮影はしたいと思うから、生活力を上げるのは必要だろうな……と頭では分かっている。
約束通り三本の動画を仕上げて編集ルームを出ると、インスタに穂華さんからメッセージが入っていた。
『さくらWEBにいるって聞きました! 今レッスンルームに恵真先輩といるので、来ませんか?』
今日は日曜日だけど、恵真先輩はさくらWEBの最上階の部屋に住んでいて、さくらWEBのレッスンルームでスパイダーの練習をしている。
せっかくだから少し顔を出そうと思い、二階下にあるレッスンルームがあるフロアに向かった。
そしてレッスンルームに入ろうとドアを開けると、そこから汗だくの穂華さんがズルルルズルルと這い出してきた。
顔にドロドロの汗をかいていて、いつものように可愛く髪の毛も縛ってない。頭のてっぺんで髪の毛をグルグル巻きにとめて、たぶんメイクもしていないすっぴんだ。穂華さんは俺の足元に転がったまま、
「いるって紗良っちに聞いてっ……助けてくださいっ……恵真先輩、練習の鬼なんですっ……ここから出してぇぇぇ!!」
穂華さんが転がっているレッスンルームの奥、涼しい顔して座っている恵真先輩がいた。
「あら、辻尾くん。ちょうど良かった。今最後のふたりパート、最終仕上げしてるから見て行って」
「恵真先輩っ、もう完璧です、もう私たちのダンスは完璧なところまで来てますから!」
その言葉に恵真先輩は動きを止めて、氷のような表情でこっちを見た。
「ダンスに完璧があると……?」
「地雷だった、これ絶対地雷だったわ」
「ダンスに到達点も完璧もありません。見る人によって感じるものが違うからこそ……」
「わかりました、ラストですね、了解です!」
そういって恵真先輩と穂華さんはスパイダーを踊り出した。
左右が完全に対照になる動きで、たまにそれがひっくり返ったりして、とにかく複雑な動きが続く最終パートで、これに見慣れてくると、今のひとりだけのスパイダーは少し味気なく感じるほどだ。
これだけ踊れる人が三人も必要となると、そんなのは無理で、今のカタチに落ち着くのは必然という気がする。
でもさすが根性の人、穂華さん、ここにきてちゃんと恵真先輩に付いて行って……それにやっぱりこうしてカメラを持っていて、魅力的だなと感じるのは穂華さんのダンスのほうなのだ。
この旧スパイダーの最終ダンスは、さくらWEBの恵真先輩のページでのみ公開することになる。
今じゃ結構なお気に入り数で、見てくれている人も多いので、穂華さんの良い宣伝になって、いつか4BOXに出られると良いなあと個人的には応援している。
ふたりが床に膝をついて、ダンスは終わった。
俺は録画を止めて拍手した。
「すごい。めっちゃ上手くなってるマジで」
「はーーーっ、はーーーーーっ、はああああ……ですよね、わかります、私すごく上達してるの、わかります」
「まあ良いんじゃない?」
そう言った恵真先輩は息切れひとつしていない。本当にこの人すごいな。
恵真先輩は冷静な表情で髪の毛を耳にかけて……と俺はその指先に目がとまった。
なんか、変なもの……。え? 目玉がくっ付いてるように見えたけど。
「恵真先輩、その指先、なんですか?」
俺がそう聞くと、床に転がっていた穂華さんが口を開いた。
「良くないですか? 岡本太郎ネイルアートです。私がしたんですよ」
「えっ、は? 岡本太郎? え、あの絵を描いたってこと? これを穂華さんが? えっ?!」
「そうそう、そうなんです」
床に転がっていた穂華さんは膝をついて、トコトコと恵真先輩と俺のほうに来た。
恵真先輩の指先は、薄いピンク色に塗られていて、そこにアイラインのような線ががっつり引かれて、真ん中に黒い目玉があるアートが施されていた。
なんというか、ごめん、正直怖い。全ての爪先が開眼してる。どういうセンス?
俺が目を丸くしていると恵真先輩は目を伏せて嬉しそうに、
「私、岡本太郎先生を尊敬していて」
「あの芸術が爆発してる……」
「そうです。渋谷から少し歩いた所に記念館があると教えられて、先日穂華さんと行ってきたんですけど、本当に楽しくて」
「あるじゃないですか、渋谷の駅に岡本太郎のすんごいでっかい絵。恵真先輩、あそこ通り掛かるたびに目を輝かせて見てたから、好きなのかなーって。んで調べたらすぐ近くに記念館あるって分かったんで、連れて行ったんですよ。東京来てどこも行ってないっていうから」
「あの、もう、最高だったんです。辻尾くん、行ったことありますか?!」
そう言って恵真先輩は目を輝かせた。
俺はその今まで見たことが無い表情に圧倒されながら、
「いや、全く。そんなのがあることも知らなかった」
「行った方が良いです。とても美しく、気高い空間でした」
恵真先輩は指先に目玉を何個も描いた状態で、指と指を組み合わせて神に祈るような表情を見せた。
指先に目玉がカラフルにたくさん描かれてて、それで指を組み合わせると、マジ怖い……と思ったら、鏡の前に太陽の塔の人形が置いてあった。
「え? あれもひょっとして恵真先輩の?」
「そうなんですよ。記念館に売ってたのを買ったんですよね、恵真先輩」
「はい。枕元に飾っていて、最近はレッスンにも持って来ています。大切なので」
「へ……へえ……」
太陽の塔の人形と一緒に寝る……うん、まあデザインセンスとしてすごいのは、まあなんとなく分かる。
俺にはエヴァに出てくるシトにしか見えないんだけど。
穂華さんは汗を拭きながら、
「辻尾先輩、太陽の塔の本物、みたことあります?」
「あれって大阪だろ。行ったことない」
恵真先輩は太陽の塔の人形を手に取って、
「私、いつか行きたくて。昔そう思っていたことを、思い出したんです」
「恵真先輩芸術系大好きみたいで。再来週から始まる針金アートの展示会行くって決めたんですよね」
「そうなんです。再来週ならスパイダーの投票も終わってるし、そしたら少し……穂華ちゃんと色々行きたいなって」
「ねー! 決めたんですよね。私は全然詳しくないですけど、都内ってそういうのめっちゃあるんですよね。平手先輩も召喚して、動画作って、一緒に恵真先輩のチャンネルにいっぱい出ちゃおうかなって! さくらWEBで仕事したいし~! というのが半分で、まあ楽しいので」
そう言って穂華さんは笑顔を見せた。
その動画絶対需要ある。俺も見たい。
文句を言いながらも貪欲で、頑張り屋さんで、多少不器用でそこまで成長は早くないけど、華がある。
俺はプロデューサーじゃないけど、仕事を増やしてあげたいなと穂華さんに関しては思うんだ。
そして練習を終えた穂華さんと一緒に駅まで向かい、匠さんの話で盛り上がった。
もうとにかく「クソ」しか言わないのが面白すぎるけど、同意見だ。
紗良さんと友梨奈さんの横に、穂華さんがずっといてくれたら、俺は嬉しい。
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