第92話 恵真先輩の、本当の顔

 なんか……紗良さんに秘密を作るみたいでイヤだな。

 俺は早朝の電車の中で思った。

 昨日の夜、安城さんとホタテさんと食事を取り、さくらWEBで少し仕事の話をして帰ろうとしたら、恵真先輩に呼び止められた。

 そこで映画部には過去のスパイダーの映像ストックがあると聞いたから、兄のものがあるかも知れない。

 あるなら見たいから一緒に探してくれないかと言われた。

 実は俺も安城さんから聞いた情報を元に、HDDを漁ろうと思っていたし、今後どうするのか、すりあわせをしようと思っていた。

 そして天馬さんのことも気になっていた。恵真先輩と天馬さんはどういう関係なんだろう。

 恵真先輩の出身地は青森で、鍋川は北陸にあるから、出身地が同じとかでは無さそうだ。

 色々個人的な話をしたいけど、もう冷暖房の工事が始まるので部室が使えなくなる。

 だから今日の早朝、映画部の部室に来てもらうことにした。


 恵真先輩はLINEを教えようとしてきたけど、俺は待ち合わせにした。

 なんとなくここは紗良さんとだけの場所であってほしくて。

 俺ははじめての彼女が紗良さんだからだと思うけど、すごく大切にしたい気持ちが大きい。

 だからLINEに女の子の連絡先は、紗良さんしか入れたくないと思ってしまう。最近は友だちとの連絡はすべてインスタのDMなので、LINEに入る通知は紗良さんがメインで、LINEしか通知をONにしてない。そこに恵真先輩からの連絡が入るのは……個人をミュートしてしまって結局気がつかない気がする。

 そんな俺が早朝から恵真先輩とふたりっきりになるのは紗良さんに悪い気がしてしまうが、事情が事情すぎて……。

 まさか恵真先輩の兄がグリーンショコラの凪琉聖なぎりゅうせいだとは。

 凪琉聖は今一番売れている男性アイドルで、今朝見ていたテレビにもドラマの番宣で出ていた。

 お兄さんが日の当たる場所を歩いていて、自分はそうではない……となると、難しい感情は理解できる。

 だからって悪いけど文化祭まで一ヶ月半のこの状態で、スパイダーを出来ると思えないんだよなあ……。

 俺は平手に言われた言葉を脳内でリピートする。新品の冷暖房が付くと思えば安い……まあそうだ……。



「おはよう、ごめんね。こんな朝早く」

「いえいえ、大丈夫です。さくらWEBからだとうちの学校結構遠くないですか?」

「私睡眠のコントロールが得意で。寝ようって思ったらすぐ眠れるし、起きようって思ったらすぐに起きられるの」

「なるほど」


 それは時間が基本的に不規則っぽいこの業界で強みな気がする。

 俺は朝5時に安城さんにLINEで起こされた時、マジで意味わからないと思ってしまったけど、ホタテさんたちを見ていても「緊急時に時間なんてみない」らしい。

 俺と恵真先輩は野球部しかいない校内を移動して専門棟に向かった。

 JKコンの時に知ったけど、野球部は朝6時から練習してて、学校の鍵はそこから開いているようだ。

 でも文化系の部活でここまで朝はやい人たちは誰もいない。校内も専門棟もひっそりと静まりかえっている。

 恵真先輩は歩きながら、


「ずっと漁港に住んでたから朝の空気好きなの。海で働く人は朝が早いの。朝4時にはお母さんが仕事にいくから、私も起きる」

「それはすごいですね」

「そのかわり、昼過ぎには仕事が終わってね、お母さんはそのあと缶詰工場で働いてたけど、そこには従業員の子ども専用の保育所みたいな場所があって、私はずっとそこに居たの。海が見える畳の部屋で、とにかく広くて。私は漁で破れた網を、巨大な針でひたすら縫ってた」

「全く想像できない世界です」

「網も、手も、畳も。全部生臭いの。ずっと、ずっと。でも世界全部が生臭いって気が付いたの、東京に出てきてから」


 そう言って恵真先輩はカバンを肩にかけなおして。

 そして窓の外を見て、


「何も知らなかったのよ、私。自分の手がどれだけ臭いかも」


 そう言って自分の掌を見てキュッと握った。

 お母さんはまだそこに住んでるのかな、ひとりで……? とか、天馬さんはお母さんとサバを煮たって聞きましたけど……とか聞いてみたかったけれど、聞ける雰囲気ではなくて黙った。

 パンドラの箱とか思いながら、やっぱり気になって仕方が無い。


 映画部の部室に入り、机の下からHDDの山を引っ張り出した。俺はHDDの箱が埃だらけなのも、中身が分からないのもわりとストレスなタイプなので、JKコンの作業中、動画の吐き出しとかで時間がかかるときにHDDの中身を確認してある程度整頓していた。

 その時、過去のスパイダーは年代によってわりと違っていて面白いな……と思ったので、年代は全部メモしてあった。

 俺はHDDを引っ張りだして、


「えっと……今から八年前……ですよね?」

「全部安城さんに聞いた?」

「あー……っと、まあ、はい。そうですね、お兄さんが誰なのかは聞きました」

「朝、番宣出てるの見た? 26才で高校生役ってさすがに無理があると思うんだけど」

「でもまあ……あの人は顔が幼いし、それに26才が高校生に若返ってやり直す話だから、まあ適役かなと」


 俺がそう言うと、恵真先輩はハッとした顔になり、目を逸らして、


「……ごめん。私、今まで私の状況を知ってる人が全然いなくて。公表してないから誰にもアイツの話出来ないし。ずっとすごくアイツの文句を言いたかったのに相手がいなくて。嬉しくって言いたい放題してる気がする」


 そう言って恵真先輩は椅子に座った。

 でも俺はどう対応するのが正解なのか分からず、とりあえず八年前のデータが入っているHDDを引っ張り出した。

 そして動画を再生すると、そこに高校生姿の凪琉聖がいた。今と変わらない顔で、スパイダーを踊っている。

 同じHDD内にもうひとりスパイダーを踊っている女の人がいて、そっちの女性のほうが妖艶というか、気になるダンスではあった。

 恵真先輩はそれを見て文句を言いつつ、それでもため息をついて背もたれに身体を預けて、


「……なによ琉聖。そこまで酷くないわ。この女の子がすごく上手なのね。これは負けて当然だわ」


 そして俺の方を見て、


「ありがとう。私、現時点で琉聖より上手だって確信が持てた。それだけでずっと心の奥にあった棘が少し丸くなった気がする」

「だったらスパイダーに立候補は……」

「するよ。そのためにここに来たんだもん。やりきって、全力出して。負けても勝ってもいい。琉聖と同じことを私もするのが大切。そして最終的にコイツに完膚なきまでに勝つのが目標。それまで誰にも知られず仕事を続けたいの」

「誰にも知られず……?」

「コネとかクソだと思ってるから、実力で成り上がりたいの。コネとか育ちとか口にした時点で、負け」

「なるほど……じゃあ、あの人が兄で……ってこととか、生まれの事とか、誰にも知られたくないってことですよね」

「そう。それは言わないで。それを言おうとしたから映画の主演も断ったの。バカみたい。それで売れなかったらどうするんだろ」

「なるほど……」


 どうやらテンダーから泉に移籍して映画がポシャったと言っていたのは、素性をばらそうとしたからのようだ。

 恵真先輩は髪の毛を後ろでまとめながら、


「全部ここから始めるのが丁度いいって気が付いたの。琉聖が出来なかったスパイダーを私がする」

「わかりました」


 俺は頷いた。

 俺はこれから作るサイトの概要。そして動画の撮影スケジュールを簡単に決め始めた。

 そして柊さんがライバルとして声を上げてくれたことを喜んでいることも伝えた。

 恵真先輩はケラケラと笑って、


「すごいなあ。カッコイイ。私ももっと早くこの高校にきて柊さんと戦いたかったなあ」

「敵が強ければ強いほうが盛り上がる……みたいなジャンプヒーロータイプではありますね」

「ヒロアカみたいな? 私なんだと思う?」

「え……轟家並のゴタゴタを感じますけど」

「あそこまで酷いかな。酷いかあ、酷いよねえ。でもさあ、半分熱くて半分氷なの、すごく憧れる、そうありたい」


 そう言って恵真先輩は涼しい風のように笑った。

 それは今までで一番人間っぽい表情で、誰にも話せてない秘密を吐き出せて安心したのが分かり、スパイダーを踊ることでスッキリ出来るなら、サイトと動画くらい良いかと思った。

 恵真先輩はJKコンで俺が作った動画を見ながら、


「辻尾くんは私が出る4BOXに関わるの?」

「行きたい大学が今だとちょっと無理めで、受験勉強に本腰入れるので、関わるとしても4BOXほど重いのはちょっと無理ですね」

「そっか。私、次の4BOXに人生かけるからさ。もし良かったら仕事仲間として助けてくれると助かる。私が一番好きなのは凪琉聖よ。アイツの視界に入って、アイツに私を認知させたいの。そしてどうしようもなく惚れさせたい。それでフりたいの」

「……それはなんというか……かなり歪んで……」

「私を認知して好きになってほしいと思ってる。どうしようもなく惚れさせて、私がいないと生きられないくらいにして、それで兄妹だよって言ってフって絶望させたい。平たくいうと琉聖の心を殺したい。そうしないと私の人生は始まらないの。今は琉聖しか人間に見えない。でも辻尾くんが安城さんや天馬さんに一目置かれる、私と同世代のディレクターってことは分かる。私、絶対に琉聖殺しに行くから見ててよ、面白いよ? だから友だちになって」


 そう言って恵真先輩は笑った。

 それを聞きながら俺は心底思った。

 そんな怖すぎる友だち、マジで勘弁してください。

 

 お昼休み。

 結局朝ふたりで話したこの内容を……兄が凪琉聖で、惚れされて殺すという事は隠し、腹違いの兄がいてあまり好きではなく、出来なかったことをして、自分が勝ちたいというシンプルな話にして映画部メンバーに恵真先輩は話した。

 みんな「なるほど、そういう理由かあ」と納得してたけど、妙にカンが良い中園だけは「それだけで学校行事にここまで執着するもんか?」と言っていた。

 隠れた殺意に気が付くの、中園っぽい。




「あれが今朝あった全部のこと。それでね、その時に……凪琉聖が兄で、恋愛には全く興味ないことを、俺の彼女の紗良さんだけには話して良いかって恵真先輩に聞いたんだ」


 放課後になり、俺と紗良さんは駅に向かって歩き始めた。

 そして商店街から一歩入った所にある、この前の公園に来た。

 紗良さんは俺の手を優しく握って、


「そう……凪琉聖は芸能人に詳しくない私も名前を知ってるくらいだから、有名ね。でももう大丈夫。実はね、陽都くんが、紗良さんに秘密を作りたくないって言ってたの、聞いちゃって」

「あ、そうなんだ。いや、それはマジで。もう俺、朝から気が重かったもんな。でも凪琉聖のこととか、どうしたらいいか分からなくて」

「たぶんね……あの必死な感じが、ちょっと前の私を思い出したんだと思う。でもね」


 そう言って俺の前にぴょんとジャンプして立ち、


「私が苦しかった時に陽都くんが助けてくれて。陽都くんが苦しかったときに私が助けられたって思ってる。だから陽都くんの真ん中に私がいるって信じられる」


 その言葉が嬉しくて俺は紗良さんを抱き寄せた。

 俺はゆっくりと顔を近付いてキスをした。紗良さんは俺の制服の胸元をキュッ……と弱く……それでも強く握ってしがみ付いてきた。

 そして俺の胸元で頭をぐりぐりとして、


「えへへ、陽都くんが大好き。映画部で、出来ることしようよ。冷暖房嬉しい。お昼も部室で食べたいなあ」


 俺はあまりの可愛さにぎゅうぎゅうと抱きしめながら、


「紗良さんとふたりがいい……紗良さんとふたりで食べたい……」

「じゃあ……」


 そう言って紗良さんは俺の頬にキスをして、


「今度また漫画喫茶でイチャイチャしよう? たくさん甘えたいなあ」

「今日イチャイチャしたい。もう朝から疲れたんだ。好きにさせてフリたいってどういう感情? 闇が深すぎるよ」


 そう言い切った時の恵真先輩は、それが必然で当然といった表情で。

 「絶対そうするんだろうな」という強すぎる意志が見えて、一緒の部屋にいるだけで息苦しくなった。

 完全に覚悟を決めた人間の強さ。

 俺がそう言うと紗良さんは、少し首をかしげて、


「うーーん。でもざまあみろって思わせたいって気持ちだけは分かるかも。私もお母さんに対してちょっと思ってたし」

「えーー、でも全然違うだろー」

「一緒にものすごく自分の心も傷つきそうだけど、そういうのは良いのかな」

「紗良さん本当に優しい……あっ、今日さ、夜中園の家に寄るから晩飯いらないって言ってるんだ。大人も食べられるお子さまランチのお店見つけたから、一緒に食べない?」

「えっ、行きたいっ! 今日きっとうちも晩ご飯ないから、一緒に食べよう、嬉しいな」


 そう言って紗良さんは笑顔を見せた。

 俺はさくらWEBに入って今みたいな仕事をしたいと思ってる。

 そしたらこんなことたくさんありそうだけど、紗良さんが居ればそれで頑張れる。

 

 



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