第91話 信じられるから、一歩踏み出して

「……お母さん大丈夫かな」

「そのうち起きてくるんじゃない?」


 友梨奈はそう言ってパンをかじった。

 朝七時。いつもは起きてくるはずのお母さんが起きてこない。

 そしてさっき二度目のアラームを止めた音がした。でも起きてこない。

 昨日の夜も私より遅かったから、2時すぎまで仕事してたんだと思う。

 匠さんは藤間さんの右腕として、商店街の秋祭りや、婦人会の会合に出ていた。

 でも突然「大学の勉強に集中します」と言って、打ち合わせに来なくなった。お母さんはその穴を埋めるためにかなりの量の仕事をしている。

 本当に大学が忙しくなったのかもしれないけれど、引き受けた仕事を放棄するのはどうかと思う。

 心配する私を尻目に、友梨奈はパクパクと朝食を食べながら、


「寝坊してもメイク時間が短くなるだけじゃん? お母さんすんごい時間かかるし」

「人前に出る仕事なんだから、身だしなみはマナーよ」

「最近お姉ちゃん、ちょっとメイクしてる?」

「あ。気が付いた? ちょっとチーク足してるし、リップも色が濃いのにしたの。可愛いかなって」


 学校の他の女の子たちはフルメイクをしてたりするけど、私はそこまでする勇気はない。

 でも陽都くんに可愛いと思ってほしいから、学校でも少しずつメイクをするようになった。

 友梨奈は私を見て、


「お姉ちゃんが学校にメイクしていくようになるとは……。変われば変わるもんだねえ……あの真面目なお姉ちゃんが」

「変?」

「んーん。可愛いけどさあ、前のお姉ちゃんなら絶対しなかったよ。『学校よ?!』って、言ってた。変わったなあと思うだけ」


 そう言って友梨奈はパンを食べ終えて洗面所に向かった。

 確かに前の私なら、学校にほんの少しのメイクだってしていなかった。

 でもフルメイクしてる子たちが怒られないなら私だって陽都くんの前で可愛くしたい。

 もう一度鳴ったアラームが止まり、二階から階段を駆け下りてくる音がした。


「大変!!」

「ご飯、おにぎりにしておいたわ。洗濯物は干しておいた」

「紗良、ありがとう。もう身体が言うこときかなくて起きられない……あ、はい、おはようございます、ええ。時間通りで。そうですね、今日はまず事務所に顔出しますから居ますよ。……え? あ、良かったです、はいはい」


 お母さんはすぐにかかってきた電話に対応しながら準備をはじめた。

 私ななんとなく先を読み、カバンを持って来てテーブルに出しっぱなしだったノートパソコンを入れる。

 そして充電ケーブルを袋の中に入れて……と。


「ありがとう紗良。秋祭りのお手伝い、藤間さんから多田さんの息子さんになったの。去年の駅前便り全部見たいっていうから昨日ファイル準備したんだけど」

「渡せばいいのね?」

「ありがとう、あ、友梨奈行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 私とお母さんがバタバタしている横で友梨奈は静かに学校に向かった。

 あれ以来、私の前ではいつもと変わらないけれど、お母さんと必要最低限の会話しかしなくなってしまった。

 でも友梨奈は中学生の時から反抗期がなかったから、これがそうなのかも……と思いつつ、でも違わない? とか思ってしまう。

 だってお母さんの対応はあまりに酷かったから。

 お母さんは化粧しながら着替えて電話に出ながらおにぎりを掴んで迎えに来た車に飛び乗って行った。

 この忙しさ……ちょっとすごい。

 最初は「大変なことになってざまあ~」って思ってたけど、このままじゃきっと体調を崩す。

 我が家の大黒柱であるお母さんが倒れても何の得もないから、最近は出来ることは手伝いはじめた。

 もうお母さんの仕事は手伝わないと誓っていたけれど、最近は「絶対に跡は継がない」と決めてから楽になった。

 ううん、言われても絶対に断れる自信がついたから、楽になり、逆に手伝うようになってきた。

 これがいつまで続くのか……じゃない。大変な間だけ、したいことだけ手伝う。そう思えるようになったのだ。

 そう考えると「跡を繫がなきゃいけない」と思い込んでいたのは私自身で、それをお母さんも当然のように利用していたのだと思う。

 でも匠さんのことがあり、お母さんも身内に期待するのが怖くなっているように感じる。

 この少し離れた距離感と感覚が、すごく楽。

 離れてみると、私は秋祭りのお手伝いとか商店街のことは、関わりたいなと思った。

 私はあの商店街が、お父さんが愛した町が、本当に好きだから。



 

「紗良っち、おはよー! あれ、今日辻尾先輩は?」

「部室で調べたいことがあるからって朝早く行ったわ」


 昨日の夜に陽都くんからLINEがあり、ちょっと調べたいことがあるから超はやく学校いくから一緒に行けない、ごめん! という内容だった。

 超はやく行かないと調べられないこと……なんだろう。少し気になるけど、今朝は家事をしたかったから結果的に助かってしまった。

 穂華は制服の胸元をパタパタさせて、


「朝なら部室暑くないのかな。もう冷暖房入るのマジで神!! ……あの後、辻尾先輩、どうするって言ってました?」

「もう冷暖房入るの決定してるなら、まあサイトと動画ならそんなに難しくないから良いかも……って言ってた」

「はああ~~~……良かった。私めっちゃ悩んだのー……。ダンス部に世話になったのに、辻尾先輩の所に恵真先輩連れて行っていいのかなーって」


 朝、穂華はカバンを肩にかけ直してため息をついた。

 前から思ってるけど、穂華はやっぱり気の使い方がしっかりしてるから好き。

 ハチャメチャに元気な子に見えるけど長く仕事をしてるだけあって、ちゃんとしてる。

 私は穂華と一緒にバスの列に並んだ。うちの学校は駅からかなり遠くて徒歩20分くらいかかる。

 陽都くんと一緒だから日傘をさして歩きたいだけで、そうじゃないなら5分に一本出ているバスのほうが楽。

 丁度二人がけの席に座れそうだったので穂華と座る。穂華はカバンを抱えて、


「今、恵真先輩、あの中園先輩が住んでたマンションにいるんですよ。あそこって、同じ建物のなかにスタジオあって。そこでひたすらスパイダー練習してるんですよね。なんか何年も前からやりたかったみたいで、ネットで映像探して、それを見て練習してたみたいです」

「そうだったの。じゃあ生半可な気持ちでやりたいって言ってるわけじゃないのね」

「やりたいって言ってからは、実行委員の先生に正式に動画もらったみたいで、昨日も遅くまで練習してたみたいで……みてくださいこれ」


 そういって穂華はLINEを開いた。

 そこにはスマホを置いて撮影したのだろうか……ダンスの動画があった。

 それはたしかに柊さんと同レベル……ものすごく妖艶なスパイダーのダンスをする恵真先輩が写っていた。

 スパイダーのダンスは真っ黒な衣装を着る。恵真先輩は練習の時も上下真っ黒な服を着ていて、そこに金色の髪の毛が更に「蜘蛛」らしさを増していた。穂華は動画を見ながら、


「恵真先輩頑張ってくださいって思うのと同時に、同じくらいの気持ちの量で、絶対無理だと思うんですよね。だって柊さんは中学生の時からスパイダーがしたくて、うちの中学入って、今高二で部長ですよ。そんな長く夢を追いかけてる人……と思うんですけど……」


 そう言って穂華は動画を止めて、


「詳しく知らないんですけど、恵真先輩はすんごい苦労人らしいんですよね。ものすごく才能があるけど、ずっと地元にいた人で、長期の休みの時だけ上京を許されてたみたいで。その時は社長がホテルを準備してたみたいです」

「それは珍しいの?」

「恐ろしいほどの特別扱いですね。地方の子にそんな目をかけるなんて。それで泉に移籍したのに監督とモメて映画も消えて。今度は4BOX……なんかものすごく持ってる人なんですよね」


 確かに少しお邪魔しただけでも分かる……さくらWEBという会社はすごく大きいし、そのなかでも4BOXはかなりの人気番組だと、あまりその方向を知らない私も分かる。穂華は自分の事務所のサイトをスクロールしながら、


「気になるのがスパイダーへの執着なんです。今が一番売り時なのにそんなことしてる場合かなって。スパイダーなんて、結局学校の行事ですよ。仕事の実績にもならない。それにこだわる理由がちょっと分からなくて。いくら実力があるって言ってもやっぱり無理なんじゃないかなーって思うし。ていうかさくらWEBにもうチャンネル作ってもらってるんですよ? 動画アップすればいいのに。そっちに力入れたほうがいいのにーって思っちゃう。ていうか言いながら気が付いたけど、妬みです、これ。4BOXうらやましい。いいなあ、私も出たい。スパイダーなんかよりさくらWEBですよー、4BOXですよー」


 そう言って穂華はスマホをカバンに投げ入れた。

 私も白骨死体を発見した時の動画は見たし、教室に入ってきて陽都くんたちと話していたところも見ていた。

 ものすごく聡明で頭が良さそうな人だと感じたからこそ、確かにちょっと意味が分からない。


 学校に到着して穂華と別れて教室にいくと、陽都くんの席にカバンはかけてあるけど、席にいなかった。

 まだ部室にいるのね。何か手伝えるかも知れないと思って私は部室に向かった。

 ほんの少しでも、ちょっとでもいいから、朝は陽都くんと話したいと思ってしまう。

 一緒に行き始めたらすごく楽しくて、朝が大好きになった。

 あと15分くらいで朝礼が始まる校舎の中は、みんなが登校していてざわついている。 

 それでも専門棟のほうはやっぱり人が少ない。部室が多くて、朝練を終えた人たちが大きなカバンを持って歩いている。

 映画部の部室は専門棟の一番奥だ。そこまで来ると女の子の笑い声が聞こえてきた。

 私は一瞬立ち止まる。

 この先には、映画部の部室しかない。

 そして映画部の部員は、私と穂華しかいないのだ。

 先に行くといっていた陽都くん。

 そして聞こえてくる女の子の笑い声。

 私はドキドキしながら足音を立てないように映画部の部室前まで歩いた。

 そして耳を澄ませると陽都くんと女の子の声が聞こえてきた。


「なるほど、これか。うーーん、確かにダンスとしては……負けてる、かな。いや、俺ダンスの善し悪しとか全然分からないけど。その前に男性が踊った歴史はあったんですか?」

「調べた限り何度か。むしろこのダンスはとてもダイナミックだから、男性が踊ったほうが面白いと思うけど」


 部室にいるのは、陽都くんと恵真先輩だ。

 陽都くん、朝早く行く用事って、恵真先輩と調べごとするのが目的だったんだ。

 ふたりは静かに話を続ける。


「恵真先輩のお兄さんはダンス部に入ってたんですか?」

「入って無いわ。一年から海城にいたのにね。俺が立候補すれば勝てると思ってたのかも知れないわね」

「……なかなかに棘がありますね」

「聞いたんでしょ? 安城さんたちに。可哀想だと思うでしょ? だったら助けてほしい。他に味方がいないの」


 可哀想だと思うでしょ? だったら助けてほしい。他に味方がいないの。


 とてもプライベートな話をしてる気がする。


 可哀想だと思うでしょ? だったら助けてほしい。他に味方がいないの。


 言葉が頭に響いて、息が苦しい。こんなの聞いちゃ駄目だって分かるけれど、身体が動かない。

 盗み聞きなんて最低と思うけど、心の真ん中が苦しくなってきて息ができない。

 心の真ん中に住んでる黒い塊が顔をもたげる。

 丸まっていると陽都くんの声が聞こえてきた。


「あのすいません、一回ストップ。これ思うんですけど。ここで一回話を止めさせてください」


 恵真先輩の話を陽都くんが止めた。

 そして続ける。


「動画は作るし、サイトもやります。でも絶対に話したくない部分だけ隠して、ちゃんと映画部のメンバーに説明してください。俺、イヤなんですよ。秘密が。全部隠して手伝ってくれって、虫が良すぎますよ。特に紗良さんに言わずに、ここで恵真先輩とふたりっきりなのも、紗良さんに誤解されそうでイヤです」


 私は息をのんだ。

 さっき心の真ん中にあった黒い塊が陽都くんの言葉で包まれる。

 恵真先輩は「ええ……?」と戸惑い、


「……辻尾くん、本当に吉野さんが好きなんだね。私、別に恋しろって言ってないわ。仕事仲間として助けてほしいのよ」

「仕事だったらふたりっきりで話さないと思うんですよね。それに安城さんも使うのも卑怯かなと。もちろん恵真先輩の事情が複雑ってこともあるんですけど。でも俺はあんまり良いと思えなくて。ていうか、逆にですね。紗良さんが他の男と朝イチでふたりっきりだったら、かなりイヤですね」


 私はそれを聞きながらなんだか気が付いてしまった。 

 恵真先輩の話し方とか、雰囲気とか、なんだか陽都くんと会う前の私に似てるんだ。

 世界の全部に絶望して、しっかり、しっかり。そうしないと誰にも愛されないと思っていた。

 そして甘えられそうって思ったら、甘えたくて仕方が無い私に。

 理解してくれる人を見つけたら、縋って、助けてほしくて仕方なかった私に。

 だから陽都くんが恵真先輩とふたりっきりなのを見て、どうしようもなく苦しくなったんだ。

 でも陽都くんは……私をすごく大切に思ってくれてるし、それを信じられるようになったから、私も変わりつつある。

 ここで逃げたりしない。

 私はもっとシンプルで良い。

 だって陽都くんは、こんなふうに全部ハッキリ言ってくれる、私のことが大好きな、私の彼氏だもん。

 私はその場から立ち上がって、ドアをノックして顔を覗かせた。


「……おはよう陽都くん。少し話が聞こえちゃった、ごめんね」

「紗良さん! 何でもないから!!」


 そういった陽都くんの顔が本当に慌てていて、恵真先輩がいなかったらすぐに抱きついたのにと思ってしまう。

 陽都くんにたくさん助けられている。

 私は恵真先輩に向かって、


「何か特別な事情があるんだったら、話せるところだけでも、私たち映画部に話してくれませんか。きっと何かお手伝いできると思います」


 そう言うと恵真先輩は静かに頷いた。







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