第87話 かつて悪い子になりたかった君へ
今、この瞬間に紗良さんにフラれたら、俺も匠さんみたいにストーカーになるのだろうかと、電車の流れる景色を見ながら考えた。
このあと駅に行って、紗良さんに突然「別れましょう」と言われたら。
……想像するだけでへこんできた。もうイヤだ、帰りたい。
そうじゃなくて。
もちろん納得できないけど、それでも紗良さんのことが好きなままだったら、悲しませたり、特に怪我なんて、絶対させたくないと思う。
こう考えてしまう時点で、俺はきっとストーカーという人の脳内が全く理解出来てないんだと思う。
昨日は始業式で四時間授業だったから、早めにバイトに行った。そこで店長になんとなく相談してみたんだ。
男の人に女の子が怪我させられた場合、どう対処するのが正解なのか。
店長は「この町ではよくあることや」と言いながら、対処方法を教えてくれて本当に助かった。
俺は小さくあくびをしてスマホ画面を見た。紗良さんから『陽都くんと同じくらいの時間に着けそう』とLINEが来ていた。
オッケーのスタンプを送ってスマホをカバンに入れた。
いつもより一時間早くて少し眠いけど、中園に邪魔されないし、なにより紗良さんと話がしたい。
電車から降りてホームに立つといつもの改札横に紗良さんが立っていた。
俺を見つけると小さく手を振り、
「おはよう陽都くん。中園くんは待ってなかった?」
「おはよう紗良さん。さすがに一時間早いと居ないわ。そもそもアイツは朝弱いんだよ」
俺が「行こうか」と掌を見せると、紗良さんはパアと笑顔になって掌を握り返して腕にしがみ付いてきた。
朝から可愛い。朝からひとりで変な想像をして勝手に落ち込んでしまった、無意味すぎる。俺は紗良さんの手を握り、
「昨日の夜、大丈夫だった?」
「うん。あの後、多田さんが来てね、事実確認を含めて対応を約束してくれたの。ほら、あの陽都くんが家に来てくれた時にいた議員さん」
「ああ、いたね、ばあちゃんを知ってる人」
「そう。お父さんとずっと仲が良かった人だから、すごく怒ってくれて。多田さん自身は数年前に病気になって治療のために一線を退いてたんだけど最近娘さんが結婚して、娘婿さんが出来たの。その人を議員にしたいみたいだから、結構ちゃんと動いてくれると思う」
ばあちゃんを知ってる人なら、本当に人脈が広いんだろうし、前に会った時の雰囲気も良かった。
あの人が動いてくれるなら、一安心だという気がする。
紗良さんはうつむいて、
「正直ね、お母さんが表で動けないのは、仕事のことだけ考えたら分かっちゃうの。事実関係も確認せず動く政治家は問題があるわ。だからそれは仕事面から考えると変じゃなくて問題は……ほらね、こうやって色々考えちゃう。だからね陽都くんが言ってくれて本当に助かったの」
「うん、役に立てて良かった」
「だから改めてお礼を言いたいの。ありがとう、陽都くん。ちょっと、こっちきて?」
そう言って紗良さんは俺を商店街の一本裏道に連れて行った。
まだ朝はやくてお店が開いてなくて人が少ない商店街の裏道、紗良さんは周りに誰もいないか、緩く編まれた三つ編みをふわふわ揺らして周りを見て、背伸びをして俺の頬にキスをした。朝だから、ほんのりとミントの香りがして同時に甘いシャンプーの香りがする。
そして俺の顔を見て、
「えへへ。昨日一緒に駅まで行って、キスしたかったのにダメっていうから今したの」
「……いや、もう暗かったし、逆に心配になるから」
「夜だって平気だもん。もう慣れたもん」
そう言って紗良さんは唇を尖らせた。
……すげー可愛い。俺はぎゅうぎゅうと紗良さんを抱き寄せて頬にキスした。
紗良さんは自分からしたくせに「朝からダメです!」と笑いながら離れて裏道をスキップしはじめた。
なぜ紗良さんからは良くて、俺からはダメなのか。可愛いからそんなのはどうでも良い。
ゆっくりと裏道を歩いていると商店街の隙間に小さな公園があった。そこは小学生たちが学校に行くときの待ち合わせ場所になっているようで、子どもたちが楽しそうに走り抜けていく。紗良さんはそれを見送って公園に入り、
「まだ時間あるかな。少しここで話そう?」
「30分は平気かな。こんな公園あったのかー」
1年半通ってる高校だけど、いつも使っている商店街の道の横には細い道が多くあり、通ってない道も多い。
紗良さんは細い平均台のような所に「えいっ」と登った。俺はすぐ横に立って手を握って、バランスを取るのを手伝う。
紗良さんは俺の手を握り、
「友梨奈はねー……、匠さんで五人目……六人目なのかな。色んな人と付き合ってて、でも半年続いたことないのよね」
「それはなかなかの速度。レベル中園だな」
「あははは! 中園くんもそんななの? もうでもあれよね、高二になってから誰とも付き合ってないわよね?」
「プロゲーマーになってガチでやり始めてる感じするから、彼女に使う時間がないんじゃないかな」
話ながら、そういえば昨日何か話したそうにしてたな……と思い出す。
確かに誰とも付き合って無さそうだけど、夏休みさくらWEBに居たときには普通に食い散らかしていたみたいで、安城さんには「中園くんの下半身はキングギドラなの?」と聞かれたレベルだ。想像するだけで腹が痛い。でも石油王には必要だな、キングギドラな下半身。
そういえばこれを中園に言おうと思って忘れていた。紗良さんには下品すぎて言えない。
暗に「これ以上うち所属の女の子を喰うなと言ってくれ」と釘を刺されたんだと思うけど。
だから学校で誰とも付き合ってないとはいえ、本質は何も変わってない。
紗良さんは俺と手を繋いだまま、ゆっくりと歩き、
「匠さんはおばさまたちにすっごく人気があるの。だからね、商店街のイベントとかお祭りとか、そうのは全部匠さんの仕事」
「ああ、身長高くてイケメンだもんな」
「そう。すごくちゃんとしてていつも笑顔で優しい人だから、そんなことしないと思ってたんだけど」
紗良さんはそう言って立ち止まった。そして俺の顔を見て、
「……私ね。気が付いちゃったの。お母さんが大変なの、ざまあみろって思ってる自分に」
「え?」
意外な言葉に俺は目を丸くする。
紗良さんはゆっくり歩きながら、
「私、悪い子になりたいってずっと思ってたけど。それは私が悪い子になって、お母さんが苦しめばいいって思ってたのに気が付いちゃったの。藤間さんの息子さん……期待されてて人気があって。そんな人がこんなことになって。それを見て『ほらね。そんな簡単に思い通りになんてならないでしょ?』って、どこか思ってる。私の気持ちなんて気が付かないお母さんは、私の本当の顔を知って傷つけばいいって、どこかで思ってたの。それに気が付いちゃった」
「紗良さん……」
紗良さんが最初に言った「悪い子になりたい」「お母さんに勝ちたい」……それに、そんな気持ちがこめられていたなんて。
紗良さんは続ける。
「匠さんみたいに人を傷付ける事は絶対にしないけどね。もっと悪いバイトをしてお母さんを悲しませてた可能性はあるし、それをちょっとしたかったんだなって。でも実際そうなった姿見てると『大変そうで可哀想』って思う。苦しめても、私はスッキリしないんだなーって知れた。でもね、今回っ」
そう言って少し高くなっている細い木の上から紗良さんは「えい」とジャンプして俺に飛びついてきた。
「陽都くんが絶対味方って知れて、すごく嬉しかった。今まで頑張っても頑張ってもね、誰も見てくれないって思ってたけど、頑張ったら陽都くんが見ててくれて、昨日みたいに後ろからも支えてくれる、守ってくれる、大変そうだって言ってくれる。だからね、私、悪い子じゃなくて良い感じだなって思ったの」
俺は紗良さんを抱き寄せて、
「俺は紗良さんが一番大切だから」
「すごく、すごーーーく、嬉しかった」
すごくすごーーーくと紗良さんは両手をくっと握って固く目をつむって、何度も三つ編みをゆらしながら言った。
その表情が可愛くて少しだけ安心した。
紗良さんは嬉しそうに笑顔になり、横の平均台みたいなものを見て、
「で。さっきから思ってたんだけど、これは何をするものなの?」
「……これはね、紗良さんあっちから歩いてきて? 俺こっちからいくから」
「!! 分かった、ちょっと待ってね」
紗良さんはそう言って一番向こうまで歩いていき、平均台に上ってゆっくりとバランスを取りながら歩いてきた。
俺はこっち側から歩いて行き、真ん中あたりで紗良さんと向き合う。
俺は両手を出した。
「はい、どーん」
「どーん?」
紗良さんも両手を広げて俺とパンと軽く手を叩いた。
俺は、
「はい、最初はぐー、じゃんけんぽん!」
「えっ、ぽんっ!」
「はい、俺の勝ち。だから俺は紗良さんにキスしてもいい」
「え~~~~?? なにそれ、そんなゲームをするための物なの?」
「そう。勝ったほうが負けたほうにキスできるゲームをする場所」
「絶対ちがうーー!!」
「いや、そうだから。今決めた」
「やっぱり今決めてる!!」
紗良さんと俺は近くにあったコンビニで温かいお茶を買い(じゃんけんで負けた俺のおごり)ふたりで半分こして飲みながら学校に向かった。
途中で『陽都今日学校休み? 俺もう電車乗ったけど』と中園からLINEが来たから、目の前の学校を写真撮って送った。
うおおおおいいいというスタンプが大量に送られてきたのでスマホを閉じた。めんどくさい。
めんどくさいけど、何か話をしたそうだったから、今度部屋を見学に行こう。
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