第86話 真実と、本当の優しさを(紗良視点)

「ああ、辻尾くん、ごめんなさいね。こんな夜遅くに来てもらって」

「いえ、直線距離ではそれほど離れてないですし、バスを乗り継げば帰れるので大丈夫です」

「帰りはタクシー呼ぶわ。呼ばせて。本当に、わざわざごめんなさいね」


 そう言ってお母さんは深くため息をついた。

 学校が終わってバイトに行き、終わり次第、一緒に陽都くんと家にきた。

 一緒の電車に乗って帰ってくるのは楽しかったけれど、家に到着すると、もう気が重くて仕方が無い。

 昨日の夜も酷かったけど、今朝のほうが私はイヤだった。

 朝ご飯を食べているのに、何があったのか説明してほしいと延々と聞くお母さんに「別れた」しか言わない友梨奈。

 お母さんもお母さんで「藤間さんに確認しないといけないから」と言ったのだ。

 それまで「別れた」とは答えていた友梨奈も、それを聞いてものすごい目つきでお母さんを睨んで学校へ行ってしまった。

 私はすぐに「まずは友梨奈の心配してよ」と言ったら「片方だけの状況で鵜呑みにするのは間違ってるわ」と言った。

 そうかもしれないけど、まずは娘の心配をするものじゃないの?

 そして私に「辻尾くんを呼んでくれない? 状況がわからないわ」と言い残して事務所に行ってしまった。

 私はお母さんがすぐに仕事の話にしてしまうのが本当に苦手でイヤで、だから陽都くんが家に来てくれることになり、実は安心していた。

 頼り過ぎなのは分かるけど、友梨奈が怪我して帰ってきて、完全に気が動転して何も出来なかった私の前で、陽都くんはすごく冷静だったから。

 お母さんはお茶を出して、


「それでごめんなさい。ふたりで家にいた時に友梨奈が帰ってきたのよね?」


 質問をはじめたお母さんに陽都くんは状況を丁寧に説明してくれた。

 かなり取り乱した雰囲気だったこと、足を地面についていないことが気になったこと。

 そして、


「何より気になったのが、俺の目を見なかったことです。アルバイトをしている時、たまに怪我をさせられてしまった子に会うんですけど、みんな人の目を見ないんです。たぶんですけど、人と目を合わせると何かされそうで怖いんだと思います」


 確かにあの夜、友梨奈は私の顔も、陽都くんの顔も見なかった。

 私は友梨奈のいつもと違う様子に慌ててしまって、冷静に何も見られなかった。……情けない。

 そして陽都くんはスマホを取りだして、写真フォルダーを開いた。


「実は夕方、自分のバイト先から、友梨奈さんのバイト先に電話してみたんです」

 

 私は驚いて陽都くんを見た。

 確かに学校で友梨奈のバイト先を聞いてきたけど、まさかそんなことをしてくれるなんて。

 陽都くんは音声ファイルを開いて、


「友梨奈さんが出入りしているお店の店長さんは良い方でした。忙しい時に率先して手伝う友梨奈さんに感謝をしていました。時給を払うと言っても、それさえ『英語で話しかけて』というほど、積極的に英語の勉強をしていたようです。お客さんの9割が外国の方で、中国台湾、アメリカにフランス……。俺は当時の事を聞こうと思い、その場に居た何人かと電話で話したんですけど、難しくて分からない言葉ばかりでした。あそこに出入りしている友梨奈さんは本当にすごいなと個人的には思います」

「まあ……そんな店なの……」


 お母さんは眉をひそめた。私はその受け答えがどうしても気になってしまう。

 陽都くんは友梨奈のことを褒めてくれてるのに、どうして「そんな店」という言い方になるのだろう。

 陽都くんは説明を続ける。

 

「店長さんが現場を見ていて、お店に来ていた人たちも、みんな友梨奈さんはただ店にいたこと、そして匠さんは何度もお店周辺で確認されている所もみてました。そしてあの日は友梨奈さんがお客さんと腕相撲の勝負をしていた時に、突然友梨奈さんの腕を掴んだようです。誤解がないように言うと、海外の方は、よく腕相撲で勝負を仕掛けてきます。それで勝ったらおごってくれ……は俺がバイトしてる店でもよくあります。匠さんはそれを知らず、簡単にいうと男性と楽しそうにしている友梨奈さんに我慢が出来なかったようですね。その時点で別れていたのにも関わらず、です。少し高くなっている椅子から友梨奈さんを引っ張り下ろして店外に連れて行こうとしたところを、皆さんが止めたようです。その時の話を皆さんがしてくれたのを、俺が英語とかに自信がないのもあり、許可を取って録音しました」

「はあ……そういうことなの……でも男性と腕相撲なんて……紗良はしたことある? 変だと思わない? どう思う?」


 お母さんは私のほうを見た。

 私は静かに、


「夜間保育所で夏祭りした時に、陽都くんのお店の店長がしていたのは腕相撲のお店だったわ。だから文化としてあるものだと言うことは知ってる」

「そうなの……私は全然そういうのは分からないわ。普通のお店だとばかり」

「文化の違いだと思いますが。それでこれはシンプルにストーカー事件で、暴行事件なんだと思います」


 陽都くんはまっすぐにお母さんを見て言った。

 お母さんはハッと顔を上げて、


「暴行?! ……それはちょっと大げさじゃないかしら」

「お母さん!!」

「だって手を引っ張っただけよね? 紗良もそう思うでしょ?」

「お母さん、陽都くんの話を聞いて?」

「友梨奈さんは引っ張られただけではなく、その時に足首を捻挫、二の腕あたりに掴まれた跡があるのではないかと店長さんが言ってました。もし今日の時点で友梨奈さんを病院に連れて行って診断書を取った場合、暴行事件ではなく傷害事件になります」

「えっ……」


 お母さんは絶句した。

 確かにその通りだ。私も夜間保育所で怪我をした女の子にヨーコさんが相談にのっていた時に聞いた。

 暴行事件は怪我をしてない時、怪我をした時は傷害事件になって罪は重くなる。そして診断書を取るなら『すぐに』が鉄則だ。

 私はちらりとお母さんを見る。匠さんはお母さんの先輩である藤間さんの息子さんだ。藤間さんは次の市長選に出るために今精力的に活動している。

 それを支えているのが顔も品格も良い(と言われている)藤間匠さんで……。

 もし警察に通報するとなると、その影響は計り知れない。

 でも今それを黙っていたとして、市長選の時に対立候補がこの話を掴んだら、負けるのは確実だろう。

 ここまで考えて尚、どう考えても匠さんは想像以上に残念な人で、そんな人が市政に関わるのはどうなのかしらと思ってしまうのは、お母さんに逆の意味で毒されてるかしら。私は本当にイヤだけど。ストーカーする時点で人の気持ちを考えられない人だし、暴行する時点で完全にアウト。

 絶対に人のためになんて働けない人だと思うけど、私は厳しすぎるの?

 お母さんが黙ってしまったのを見て陽都くんは続ける。


「小さなことでも必要なのは警察への相談実績だそうです。それは抑止力になる。でもこれは一般論です。それもわりとちゃんと『正しい』話で、俺はやっぱり他人なので、それを言ってるだけです」

「すごく正しいと思うけど」

「友梨奈!!」


 靴があるから、もう帰ってきて部屋にいるのだろうと思ったけど、陽都くんが「とりあえずお母さんに話すよ。友梨奈さんはその場にいないほうが良い気がする」って言ったから呼ばなかった友梨奈が二階から下りてきて話を聞いていたようだ。

 そしてお母さんを見て、


「どうしてお母さんに言ってほしかったことを、お姉ちゃんの彼氏が言うんだろ」

「友梨奈。本当に怪我してるの?」

「ちょっと待って。今それ言う? 昨日お姉ちゃんが言ってたじゃん、足は間違いなく痛いよ。確かに腕も痛い。掴まれたわ」

「友梨奈……でもそんなの……そうなの……本当に匠さんなの……匠さんがそんなことすると思えないんだけど」

「じゃあ私が勝手にして、それをお店の人たちも見てたんだ。へえ、そりゃすごいね。マジックじゃん」

「そういうことじゃなくて、まだ飲み込めないって話をしてるの」


 お母さんと友梨奈がヒートアップし始めたタイミングで陽都くんは立ち上がって私の方を見た。


「家族で話し合うことだと思うので、俺はここで失礼します。えっと、これは俺が紗良さんの彼氏……だから……ですけど、紗良さんはどっち側につくのもちょっとしんどいんじゃないかなって思って。お母さんの気持ちも、友梨奈さんの気持ちもわかる人だし。だから紗良さんに家族として意見を求めるのは当たり前だと思うんですけど、大切なことを紗良さんに決めさせるのは、えっと、やめてあげてほしいなと思うんですけど。もちろん家族だと思うんですけど、えっとこれはわりと彼氏、として」

「陽都くん……」


 私はその言葉が嬉しくてその場で陽都くんに抱きつきそうになるが、ぐっと押さえてリビングを出た。

 陽都くんと廊下に出た瞬間から、友梨奈はキレて、お母さんはそれを落ち着かせるように話し始めた。

 私は手を引いて玄関から出て、すぐに陽都くんに抱きついた。


「……ありがとう」


 陽都くんは優しく私を抱き寄せて、


「実はさ、バイト先で誰の話というわけでもなく、怪我をさせられた子がいて……って、店長に話してみたら対処方法を全部教えてくれたんだ。俺スマホのメモ帳にすげーメモってきた。俺がこんな完璧に対処できるはずないじゃん。お店に電話するのも電話も録音も店長のアイデアだよ」

「ううん。私のこと。私のこと、お母さんに話してくれてありがとう。すごくイヤだったの」

「……朝さ、すごく落ち込んでるみたいに見えたから、何か言えないかなって。実際自分で考えたのあそこだけだよ。結局しどろもどろになっちゃった」

「ううん。あの言葉が一番嬉しかった、ありがとう。タクシー呼ぶ?」

「いや、駅まで歩くよ」

「じゃあ私も! 陽都くんと話したいの。陽都くんと一緒がいい」

「もう暗いし遅いよ。明日朝、電車を三本くらい早くしない? それなら中園に見つからないと思う」

「うん。気をつけて。時間、LINEするね」


 私が陽都くんの服を引っ張ると陽都くんは優しく私を抱き寄せて背中を撫でてくれた。

 こんなに優しくてしっかりしてる人が私の彼氏で嬉しい。

 陽都くんは手を振って帰って行ったけど……私は部屋の中から聞こえてくる声を聞いてため息をついてしまう。

 お腹すいたけど、リビングで話してるから、ご飯作れない気がする……。

 家に入りたくなーい。


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