第85話 (更新再開)二学期のはじまりと、紗良からのお願い
「おはよう、陽都。今日は始業式で四時間でしょ? 家でお昼食べる?」
「ううん。外で食べる」
俺はカバンを床に置いて、椅子に座った。
今日から二学期が始まる。机の上に置いたスマホが揺れて見ると紗良さんからで『学校の最寄り駅で待ってるね』と書いてあった。
昨日の夜、友梨奈さんが怪我して帰って来たけれど、時間も遅かったから俺は帰った。
その後『怪我はたいしたこと無さそうだけど、お母さんがすごく怒ってるの』とLINEが入った。
それから連絡は途絶えた。娘が怪我して帰ってきたことが、怒られるような事だろうか……と疑問に思ってしまう。
俺がスマホを見てるのを見て母さんが口を開いた。
「吉野さんとは良いお付き合いしてるの?」
「あ、ああ。うん。普通に。うん」
良いお付き合いってなんだろうと思うけれど、普通に付き合っているのは本当なので軽く頷く。
母さんは俺に彼女がいるという状況にまだ落ち着けないようで「迷惑かけてない?」と定期的に聞いてくる。
迷惑って……と思うけれど、世間体を気にする母さんらしい。
フライ返しで俺をピシッと指して、
「成績落とさないこと! あと品川さんにコマ持って貰えるか聞くこと! 高二で塾行ってないの陽都くらいよ、目標が出来たなら頑張りなさい!」
「はいはい」
「『はい』は一回」
俺は「はい」と小さな声で言って頷いた。
確かに高二の夏を過ぎると、部活で大学行くヤツや、中園や穂華さんみたいに将来を決めている人以外はみんな塾に行っている。
俺は方向性が見えずにやる気が出なかったけど、さくらWEBの安城さんがいた大学に入りたいという目標も出来たし、二学期からバイトを減らして紗良さんがバイトしている横にある品川さんがしている塾でコマを入れてもらうことした。
そこはばあちゃんが経営している所で母さんは良い顔をしないけれど、品川さんの実力は認めているようで、そこに決めたことを許してくれた。
言うと「吉野さんが目的でしょう」と言われそうで、紗良さんがすぐ横にある夜間保育所でバイトしていることは言っていない。
7割くらいそれが目的だから仕方ない。
いや、品川さんに英語を受け持って貰えるのはすごくありがたい。それが目的、うん。
朝食を食べ終えて俺はカバンを持って外に出た。
「うげ、暑っ」
まだ8時前なのに暴力的な日差しと蒸し暑さが酷くて、俺は壁際の日陰を求めて移動しながら駅に向かった。
久しぶりに着た制服が暑苦しすぎる。
「おはっぴーーー!」
「中園、おはよう」
改札前に中園が立って待っていた。
このクソ暑いのに汗ひとつかかず、涼しい笑顔だ。
よく見ると駅のすぐ横に中園が引っ越したマンションの入り口が見えた。
「あ。そうか引っ越したのか。え? 入り口そこ?! もう駅じゃん」
「いいだろ。一階コンビニだし、マンション専用の入り口は奥にあるんだよ。セキュリティーばっちりで、思ったより電車の音も聞こえなくてさ、マジで快適だよ。それに家から陽都が歩いてくるの見えたから、それ確認して出てきた」
中園はニッカリと笑顔を見せた。
どうりで俺が来たのと同じタイミングだと思った。
上から見てたって、
「なんだよそれ、どんなセレブだよ」
「だって見えちゃうからさ。これで置いて行かれないな」
「駅直結はマジで良いな。夏と冬は羨ましい」
「あらまあ陽都くん。汗だく……まさかこの灼熱の中を歩いてきたんですの?」
「腹立つ」
俺たちは笑いながら改札に向かった。
汗ひとつかかない余裕さは腹立つけれど、中園が安心して暮らせるならそれが一番良い。
結局中園はアメリカのゲーム配信会社に所属したまま、さくらWEBが持っている配信者部門に登録することになった。
トラブルのために弁護士も付いていてスタッフも多いしノウハウも蓄積されている。
プレゼントはすべてそこで開封してチェック後に引き渡されることになったようで、一安心だ。
強引に番組に召喚されることはあるかも知れないけれど、また自宅がばれて引っ越しになるのの100倍良いと思う。
改札に入りながら、
「まあ良かったよ、安心出来るなら」
「一階がコンビニなのも熱い。俺専用の冷凍庫があるみたいなもんだぜ、アイスがすぐ食える」
そういって中園はウインクした。
中園と俺は小学校と中学校が同じ学区で、そこで知り合った。
仲良くなったのは小学校五年生の時に同じクラスになってからだけど、まさかここまで長い付き合いになると思わなかった。
中園の元住んでいた家は俺の家から徒歩10分くらい離れた一軒家だったけど、ストーカーに知られたなら引っ越したほうが早い。
小学校の頃は泊まったりしたし、中学になってからはゲームしにいったり。何度も遊びに行ったから他の人の家になるのは微妙に淋しい。
俺たちは電車に乗り込んで、なんとなくいつもの場所でつり革を持って話し始めた。
「売るの? あの家」
「離婚騒ぎもあったし、良い思い出がある所じゃないから良いんだけどさ。でもなー、実際家出てみると、淋しいっていうか、やっぱり長く住んだから簡単にサイナラって事にもしたくなくてさあ……」
中園は少し俯いて窓の外を見た。
引っ越して楽しそうにしてたから、少し意外だけど、中園はわりと事後にウダウダするタイプだとさくらWEBのマンションに移動した時も見てて思った。引っ越す前は楽しそうにしてたのに、入ってすぐ淋しくて嘆いてたし。
中園はモジャモジャの髪の毛を適当に直して、
「陽都、部屋に遊びに来いよ、見せたいものあるし、相談したいこともある」
「何? また親父さんに召喚されたのかよ」
中園の家は離婚していて、映画部の合宿は中園が離婚した親父さんにひとりで会いたくないからという理由だった。
そして偶然品川さんと居る時に会った親父さんは中園に全く興味がないのに偉そうで、一緒にいる俺も腹が立った。
中園は苦笑して、
「いやもうアイツには一生会わねーけどさ。てかこの話、プライペーチョすぎて、電車の中で話すことじゃなさげ。今度俺の部屋遊びに来て話そうぜ」
「お、オケ」
俺は軽く頷いた。
確かに……さっきから気が付いていたけれど……横に立っているのも、後ろに立っているのも女子高校生で、中園をチラチラと見ている。
夏休みの間さくらWEBの番組にも何個か出演してファンが増えたとは聞いてたけど、電車に乗って、四方からチラチラ見られるなんて、もう芸能人だ。
プライベートな話をペラペラ出来そうな雰囲気じゃないと俺も気が付いた。
学校の最寄り駅についてホームに下りると、何人かの女の子たちがパッと近づき「あの中園くんですよね、ファンなんです」「握手してくださいー!」と取り囲まれた。
中園は「ありがとうー!」と対応を始めた。マジで変装が必要だろ。もうあれだ、米袋だ。
米袋をかぶるしか無いな。米袋はいいぞ、なんたって分厚い。
その隙にスススと俺は中園から離れた。だって駅には……、
「陽都くん!」
「紗良さん」
改札外に紗良さんが立っていた。半袖のワイシャツにリボン、それに少し伸びた髪の毛は今日もゆるく編まれていて可愛い。
スカート丈は膝で綺麗にアイロンがかかっていて、立っている姿が美しい。ああ、なんて朝から可愛いんだろう。
俺は改札から出てすぐに紗良さんの横に駆け寄った。そして手を握る。
「おはよう」
「おはよう。あれ……すごいわね、中園くん」
「石油王みたいになってきたな、早く逃げよう」
俺は紗良さんの手を繋いで早足で駅構内から出た。
駅でファンの対応をしたら「答えてもらえる」と思ったようで、更に人が膨れ上がり、さっきみたら中園の周りには10人くらいの女の子がいて、その真ん中に中園がいた。
悪いがあんな状態で俺の所に逃げて来られたら紗良さんと話せない。脱走一択だ。
駆け足で駅から出ると、朝なのにどうしようもない日差しで暑すぎる。すると紗良さんがカバンから日傘を取りだしてさしてくれた。
その瞬間に日陰にいるように涼しくなる。
「日傘すごい」
「そうなの。日傘って男の人はささないと思うけど、さすと二度と手放せないほど涼しいの。駅から学校までね、陽都くんと毎日歩きたいから、少し大きめのを買ったの。それに……」
そういって紗良さんは傘を差したまま、俺のほうに一歩近付いてきて、
「傘をさしてたら、こうやって近付いても変じゃないでしょう?」
「!! すごく良いアイデアだと思う。もう雨も晴れも曇りも、全部日傘に入ろう。俺が持つ」
「うん。ありがとう。えへへ」
俺が傘を持つと、腕に紗良さんがギュッとしがみついてきた。
夏でものすごく暑いのに日傘のおかげで涼しくて、傘の中だから暗くて紗良さんが近くて嬉しい。
クソ暑いけど、こんな特典があるならずっと夏でいい。日傘すげぇ!
紗良さんは俺の腕にしがみ付いて、笑顔を見せていたけど、通知が入ったスマホを見てため息をついた。
「……あのね、陽都くん。昨日のことなんだけど」
「そうだ、友梨奈さん、大丈夫だった?」
昨日紗良さんとご飯を食べて家にお邪魔していたら、友梨奈さんが怪我して帰ってきた。
かなり気が動転した様子だったけど、紗良さんのお母さんが帰ってきたので俺は退散したけれど……。
吉野さんはカバンを肩にかけなおし、
「うん……あの後友梨奈はすぐに部屋に引きこもっちゃって……。帰ってきたお母さんが友梨奈に部屋から出てきなさい! って話しかけてたんだけど、友梨奈はもう一歩も出て来なくて。今朝もお母さんが必死に話しかけてたのに『もう別れたから』しか言わなくて……」
「なるほど」
「それでね、こんなこと陽都くんに頼むのは心苦しいんだけど、お母さんが家に帰ってきた時のことだけでも陽都くんに聞きたいって言ってるんだけど、バイト終わりにうちに来られないかな。私も説明したんだけど、冷静に聞いてくれなくて……」
そう言って紗良さんはうつむいた。
俺は日傘を持ったまま、少し紗良さんに近付いて、
「全然良いよ。バイト帰りで遅くなるけど、それでもいいの?」
「私もバイトだし、お母さんも帰りが結構遅いの。ありがとう! ごめんね……なんか巻き込んじゃって」
そう言った紗良さんの表情が暗くて、俺は顔をのぞき込んで、
「前に紗良さんが俺の住んでる駅まで来てくれたでしょ。今日は俺が紗良さんの電車に一緒に乗って行こう」
「……うん。ありがとう、陽都くん」
そう言ってやっとふわりとした笑顔になった。
俺は頭を紗良さんの頭に少しだけコツンとぶつけた。
後ろの方から「陽都おおお置いていくなあああ」と中園の声が聞こえた。
このままじゃ石油王に追いつかれる。
俺と紗良さんは早足で学校へ向かって歩き始めた。
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