第84話 夏休み最後の夜に

「紗良さん!」

「陽都くん。ありがとう。お仕事終わったの?」

「うん。俺すげー紗良さんに会いたくて、明日の朝会えるのに会いたいなーと思ってたから、すごく嬉しい」


 俺は紗良さんの手を握った。

 ふわりと柔らかくて温かい。それに部屋から軽く上着を羽織ってきているのだろうか、メイクもしてなくて、メガネもいつもと違い、軽いフレームの金属製のものだと思う。そんないつもの違う素顔の紗良さんにドキドキしてしまう。

 髪の毛は低めの場所でポニーテールにしていて、部屋着のTシャツに長袖のワンピースの前を開けた状態で着ている。

 俺と手を繋いで歩くたびに、そのポニーテールがぴょこぴょこ揺れて可愛い。

 紗良さんは駅ビルの最上階にあるお店に俺を連れて行ってくれた。


「ここね、子どもの頃からずっと来てるお店なの」

「へえ。景色が良さそうだね」

「再開発でここに移動したのよ。嬉しいな、いつも行っている店に陽都くんと行けるなんて」

 

 駅ビルにあるにしては古風な外観でドアベルが付いていた。

 カランとベルを鳴らしてお店に入るとカウンターからおじいさんが声をかけてくれた。


「いらっしゃいませ。あ、紗良ちゃん。いつもの席空いてるよ」

「こんばんは」

「お。はじめて男の子と来たね」

「えっと……かれ、し、です……」


 彼氏と紹介されるのはお母さん以降はじめてで緊張して背筋を伸ばして頭を下げる。


「辻尾陽都です。紗良さんと同じ高校二年生でお付き合いをさせて頂いてます」

「おお。しっかりしてる。嬉しいな、紗良ちゃんの彼氏。どうぞどうぞ」


 そう言われて紗良さんと奥まった所にある席に案内された。

 店は駅ビル最上階にあり景色が最高で、遠くまで綺麗に見渡せた。

 白い壁にはクジラの絵が描いてあり、すごく開放的な雰囲気だった。

 紗良さんのオススメでコロッケセットを頼んだ。そのコロッケは中にチーズと挽き肉が入っていて、とろとろで味が濃くてすごく美味しかった。

 紗良さんはそれを食べながら、


「このお店は元々高架下にあったんだけど、再開発で無くなりそうになったの。それをお父さんが粘り強く交渉して。その途中でお父さんは亡くなってね。それをお母さんが引き継いで、駅ビルに移動することになって、ここが出来たの。私もバトンを引き継ぐ人にならなきゃって思って、ずっと辛かった。でもね、陽都くんと一緒にいるようになって、それだけがお手伝いの方法じゃない。私に出来ることをすれば良いって気がついて、すごく楽になった。だからここに一緒にきて、これを食べたかったの」


 そういって紗良さんは微笑んだ。

 そんなふうに言って貰えるのが嬉しくて、俺は紗良さんの手を握った。

 俺も話したい。


「実は今日さ、ばあちゃんの知り合いだって人にあって」

「へえ」

「俺のばあちゃんはほら、あの夜間学童保育所みたいに支援をしててさ、わりと色んな人にお金出してるんだよ。そのうちのひとりみたい」

「さくらWEBにいたの?」

「さくらWEBに出入りしてる仕事相手なんだけど……俺、紗良さんと話しながら気がついてきたけど、その人わりとダーク寄りというか、人の気持ちとかガンガン無視して動いていくタイプで。それって俺が引きこもった時に今のバイト先に投げ込んだばあちゃんのやり方っぽい。だってさ、俺は何とかなったけどさ、普通あんな所に投げ込んだら心折れるよ。俺はなんとかなっただけ。全ての人にするのが良い対応だと正直思えない。メチャクチャだよ。そんな強引さとか、強さとか、でも結局正解な感じとか何か似てて。……平たくいうと、何か面白くない」


 俺がそう言い切って横を見ると、紗良さんは目を丸くて、


「面白くない。なんか直球で笑えるわ」

「俺はばあちゃんにすげー憧れてる。すげーカッコイイと思ってるけど、あんな風に動けないって分かってる。だから動けてる人が目の前にいると……なんか面白くない」

「うん。私もそうよ。友梨奈が迷い無くグングン進んで言いたい放題なの、簡単にいうと、面白くないわ」

「面白くないよな」

「面白くない、あはは!」


 紗良さんと笑いあって話しているだけで、何の解決にもならないけど、ものすごく気持ちがスッキリしてきて、やっと落ち着いて息が出来た。

 違ってるけど同じ方向を向いててそれでいい。紗良さんにはそんな風に偉そうに言えるのに、自分のことになると口から出てくる言葉は「面白くねぇな」だけだ。


 俺たちは食事を終えてお店を出た。

 おじさんは「またきてね」と手を振ってくれて、紗良さんの生活している日常に入れたことが嬉しかった。

 明日から学校でもう帰らなきゃいけないのに、紗良さんといると楽しくて、離れがたい。

 指先を少し握ると紗良さんが俺の指先をクンと引っ張った。


「今日、お母さんは食事会で、友梨奈はカフェ行ってて遅くなるの。だからまだ家に居ないわ。紅茶でも飲んでいく?」

「えっ……いいの?」

「21時まで帰れないからご飯適当に食べてってLINEがきてたの」


 え、ちょっとまって。誰もいない家にふたりっきり?!

 突然の提案に一瞬で緊張した。慌ててスマホで時間を確認したら20時。

 すぐお母さんと友梨奈さんが帰ってくるんだから、少しだけ……もう少しだけ紗良さんに甘えたい。

 俺は緊張しながら紗良さんの家に着いて行くことにした。




「どうぞ。丁度この前ね、匠さんに出そうと思った紅茶があるの。私も一杯飲んだけど、すごく美味しかったから」

「お邪魔します……」

「二度目だし、そんなに緊張しなくても。部屋片付けてないからリビングでいいかな」

「うん! あ、はい!」


 俺は緊張しつつ、リビングにあるソファーに座った。

 このリビングは前に挨拶に来たとき入った部屋だ。さすが政治家の家という感じで大きな机に椅子、そして壁側にはかなり大きなソファーが置かれてている。

 前はあの椅子に石のようになって座っていた。正直挨拶の時の記憶は曖昧だ。とにかく「しっかり!!」ということしか覚えてない。

 ゆっくりと部屋を見るのははじめてで……と棚の上を見ると、四人が写っている写真が目に入った。


「……紗良さんが小さい」

「あ。それやだ。私、幼稚園児よ。私って分かる?」

「分かるよ。だって顔が同じだもん。……この人がお父さん?」

「そう。さっき食べてたチーズコロッケとか揚げ物が大好きで、すごく太ってたの。この写真は友梨奈の幼稚園入学の時に写真館で撮ったものね。友梨奈が年少。私が年中」


 そういって紗良さんは机に紅茶を置いて、横に座った。

 写真に写っているお父さん……身体がかなりふっくらしていているけれど、顔の優しさとか雰囲気とかが似ててお父さんなんだな……と分かる。

 お母さんは若くて、でも今とそんなに変わらない気がする。もうこの時からパワーに溢れている。

 何より紗良さんが可愛い。目がまん丸でまだメガネをしてない。前髪が揃っていてチェックのスカート。

 胸元には大きなリボン。そしてツインテールにしていて根元にはピンク色のボンボンが見える。可愛い。

 俺がスマホを取り出すと、紗良さんはパシッと写真立てを奪い取った。


「さすがにダメです」

「俺が見るだけ」

「いやよ、恥ずかしいもん!! 昔の私より、今の私のほうがいいんじゃない?」


 そういって紗良さんはメガネを外して目を細めた。

 あ。これは……俺の心臓がドクンと跳ねる。夏の合宿の時も紗良さんはメガネを外した。それは……間違いなく少しエッチなサインで……。

 紗良さんは俺の胸元にゆっくりと掌を置いて目を細める。俺は吸い寄せられるように紗良さんを抱きよせた。

 細い腰、柔らかい背中、ああ、紗良さんだ。

 そのまま目を閉じてキスをした。

 柔らかくて温かい紗良さんの唇。ここは紗良さんの家で、すごく静かで……誰もいない。

 俺は夢中で紗良さんの唇に唇を触れさせた。

 夏の合宿の時は部屋が暗くて、紗良さんの顔がよく見られなかった。俺とキスしてる時、紗良さんはどんな顔をしてるんだろう。

 薄目を開いて見ると、紗良さんは完全に目を閉じて……その長いまつげが目の前にあって、すごく綺麗だと思った。

 そう思ったら、ものすごくもっとしたい、もっと紗良さんの色んな表情を見たい……そんな気持ちがわき上がって、俺は一度唇を離し、紗良さんの上の唇だけにチュと軽く触れた。

 紗良さんはキョトンとして、でも同じように俺の上唇にキスしてくれた。

 そしてそのまま俺を押し倒す。えっ、俺が倒されちゃうの? でも覆い被さって見下ろしてくる紗良さんがエッチでドキドキして、そのまま身を任せる。

 紗良さんは俺の上に乗っかって、親指で俺の下唇に触れた。そして首を傾げた。

 ポニーテールがサラリと揺れて長い首が見える。


「……ここはいつもお母さんと話にくる議員さんが座る所なの。そんな所に陽都くんが転がってて、そこに私が跨がってるなんて……なんかすごく悪いことしてるみたいで、興奮する」

「なるほど。もっと悪い子になってもろて」

「もろて」


 なぜか出てきた大阪の商売人みたいな言葉に自分で戸惑っていたら、紗良さんは笑いながら上から覆い被さって、俺の唇に親指で触れてペロリと舐めた。

 うっわ……。紗良さんは跨がってるし、これはちょっと時間を確認したい、いやどこまでとかそういうことじゃなくて、どれくらい味わえる時間が残っているのか。

 いや俺は時間があったらどこまで何をしたいと思っているのか。それを確認するためにも時間を知りたい。もはや脳内が禅問答のようになってきた。

 俺の気持ちなんて無視して、紗良さんはそのまま顔を動かして、俺の耳に唇を付けた。そのままわざとチュと音を立ててキスをして、俺のほうをいたずらっ子のような目で見た。

 俺もしたい。俺も紗良さんに悪いことしたい。

 紗良さんをお腹の上に載せたまま腹筋でなんとか起き上がる。紗良さんがものすごく近くにいてそんなことが嬉しい。

 そのまま唇に触れて、舌を紗良さんの中に入れる。紗良さんの肩がピクンと動く。

 可愛い。もっと。もっと俺がキスすることで動いてほしい。

 俺はそのまま紗良さんの背中に手を回して、ソファーに押し倒す。

 舌で紗良さんの中を触れると、そのたびに紗良さんの唇が開いてきて、柔らかい吐息が漏れる。

 唇を離すと紗良さんが俺のほうを少し睨んでいた。


「悪い子だ」

「そう。紗良さんが家族といるときも、俺のことを思い出す……悪いこと……」


 俺はそのまま紗良さんの耳に唇を寄せた。甘い匂いが強く香る。

 

「は……」


 紗良さんの吐息に心臓が痛い。

 そのまま唇を首筋に動かしてキスをすると、ふわふわに柔らかい降ったばかりの雪みたいで、そのすぐ下にある血管がトクンと動いたのが分かる。

 紗良さんの首。良い匂いがしてクラクラしてくる。もっと触れたい。

 触れてるのか、触れていないのか分からないくらい、紗良さんの首は柔らかい。

 再び唇をつけた瞬間に部屋の中に着信音が響いた。その音に紗良さんの身体がビクン! とする。

 俺はキスをやめて紗良さんの身体の上に乗っかった。……やべー……。すげー夢中になっていた。

 机の上で紗良さんのスマホがブブ……と移動して着信音が鳴っている。

 紗良さんは下になった状態で俺にキスをして、


「……こうしてるのすごく気持ちがいい」

「いやもう、俺も……ごめん夢中になって」

「ううん。こうしたかったのは私」


 こんなこと話している間もずっとスマホには電話がかかってきてて、一度切れたんだけど、また鳴っている。

 二度も三度もかけてくるのはきっと緊急事態だ。紗良さんはソファーから立ち上がって電話に出た。


「お母さん? えっ……家にいるけど、帰って来てない……あっ、ちょっとまって。今玄関で音がしたわ」


 紗良さんはスマホを持ったまま、玄関のほうに向かった。

 なんだろう。俺がソファーに座り直し、冷めてしまったけれど紅茶を一口飲んだ。

 すんごい喉が渇いてた。美味しい。

 数秒後、玄関のほうでガタガタッと音がして、声が響いてきた。


「もうサイテー! あの男、マジでクソ!!」

「友梨奈、お母さんから電話で匠さんと連絡が取れないって言ってたけど」

「また店に来たから追い返した」


 そういって友梨奈さんはリビングの中を歩き、冷蔵庫から水を出して一気に飲んだ。

 そしてソファーに座っていた俺に気がついた。


「あ、ごめん。ラブの邪魔したね」

「匠さんがまた店に来たの?! 別れたのに?」

「ね、別れたのにね、また来たのよ平然とフツーーの顔で。It sucks!」

「友梨奈」

「もう着替えるから部屋いく!」


 大声を上げてリビングから出て行こうとする友梨奈さんを紗良さんが追う。

 俺は慌ててソファーから立ち上がり、友梨奈さんと視線を合わせる。

 友梨奈さんはしっかりとメイクをしていたけれど、目の周りが赤く、泣いたように見える。

 そして俺に視線を合わさない。ものすごく苛立っていて同時に怯えていて何かあったのだと分かる。

 夜の街で配達してると、こういう状態の子によく会う。

 むしろ誰かと話したくて唐揚げを頼んでる子もいるくらいだ。

 俺は友梨奈さんより視線が下になるように小さくなって距離を取り、ゆっくりと話すのを意識して口を開く。


「友梨奈さん、今日も暑かったよね。だから俺もはやく着替えたいよ」

「……」

「でもひとつだけ聞かせて? 足首を気にしている? 違ったらごめんね、勘違いならそれで良いんだ」

「?! 友梨奈、怪我したの?」

「……ちょっと足首グキッってなった」

「話してくれてありがとう。お風呂に入る前に少し見ても良いかな? 紗良さん、保冷剤にタオル捲いてもらっていい?」

「うん!」

「ごめんね、お風呂入る前に足に触れて。いやだよね。まず椅子に座ろうか。ゆっくりでいいよ」


 友梨奈さんはコクンと頷いて椅子に座った。

 足首を見ると若干腫れているように見えた。陸上部の時に何度か痛めたから知ってるけど、たぶん捻挫程度……でも病院にいったほうがいい。

 とりあえず動かさないようにして冷やす。俺は紗良さんから受け取った保冷剤タオル付きを足首に巻いて、友梨奈さんの膝に上着をかけた。

 紗良さんは必死に話しかけるが友梨奈さんはむくれたまま、


「……ほんとあの男……Eat shit and die」


 と言った。なるほどク○食って死ね、と……。

 友梨奈?! と紗良さんは叫んでいるけど、半分強がりだと思う。

 俺は大きな毛布を紗良さんに持って来てもらって、友梨奈さんにかけた。

 足首冷やしてるとすごく寒くなるから。友梨奈さんはそのうちソファーで丸まって眠り始めた。

 お母さんも戻るということで俺は帰ることにした。紗良さんが玄関まで来てくれる。


「明日から学校だね。朝、一緒に行けるかな」

「行きたい。絶対一緒がいい。今日のこと話したい」

「うん、じゃあまたあとでLINEする」


 玄関で紗良さんの手を握り、家を出た。

 少し歩き始めたら、紗良さんの家の前にタクシーが止まったのが見えた。お母さんかな。

 なんとなく、友梨奈さんがあまり責められてないと良いなと思ってしまう。

 別れた女の子のバイト先に行く男は、やっぱりどうかと思う。

 高二の夏休みが終わり、明日から二学期が始まる。



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