第42話 スマホがない恐怖と驚きの出会い
「げ。なんでスマホがないんだ。いや、待て落ち着け」
吉野さんと別れた電車の中で俺は呟いた。
スマホがない。
ポケットの中にない。鞄のいつもの所に……ない。
鞄を抱えて中を見るけど、ない。
位置情報をスマホで確認……できないだろって。
最後にスマホに触れたのは……あ。
「あの鞄のなかだ」
俺は思い出した。
今日も撮影があったんだけど、かなり動くことになりそうだったので小さなウエストポーチにスマホを入れた。
そこに入れたまま出てきちゃったんだ。
今からバイト先に戻って取りに行こう。今何時? ……嘘だろ、スマホがないと分からない。
まじか。俺今、時刻も何もわからないのか。やべぇ。やっぱり取りに戻ろうと思って、ふと思い出す。
この前遅くなった時にメチャクチャ母さんに文句を言われたことを。
スマホを忘れたって言っても、同じなのは容易に想像できた。
とにかく一回家に帰って位置情報をPCで見よう。それでバイト先にあったら電話して……と考えながらも「実は落とした?」とそわそわした。
家に飛んで帰ってドアを開くと母さんが顔を出した。
「陽都おかえり。バイト先から電話あってスマホ忘れてるって。品川さんが明日の朝7時半に学校駅前のコンビニまで持って来てくれるらしいわよ」
「……はあああああ、よかった」
「品川さんの息子の礼くん、久しぶりに話したんだけど、ちゃんとしてたわ。もう六年生なのね、この前は赤ちゃんだったのに」
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
「陽都聞いてる?! もうご飯たべなさい」
「あって良かった……」
俺は鞄を玄関に置いて膝をついてしまった。スマホがない恐怖、洒落にならん。
晩ご飯を食べながら品川さんにすいませんと感謝のLINEを……できない。
吉野さんにスマホがない連絡が……できない。
わかった、じゃあPCからインスタにログインして、そこから吉野さんにメッセージを送ろうと思ったら、パスワードが分からなくて終了した。
絶対このパスワードだって! 俺これ以外にパスワードないもん、なんで?!
あまりに吉野さんに連絡が取れずに頭を抱えた。
昔の人たちはどうやって恋愛してたんだろう。
大昔の漫画を読んだ時に時間を決めて電話をして取る……とか描いてあった気がするけど、家族がいる部屋にある電話で話すなんて、内容を全部聞かれるじゃないか。
それに予定の変更は? もう家を出てて待ち合わせ場所を変える時は?
……全くわからない。
俺は開き直ってPCで動画の編集をしまくった。スマホがないとこういう作業が鬼進む。
スマホなんて時間泥棒、害悪だ!
そして吉野さんにおやすみのLINEを打とうとして「ないんだわ」と再び言って寝た。
スマホがないと無理……つらい……。
「スマホがないとすることがなさ過ぎる……」
次の朝、登校する電車の中で俺はつぶやいた。
どれだけ無意識にスマホに触れていたか知らされた。
電車を降りて待ち合わせ先のコンビニに向かうとイートインに品川さんの姿が見えた。
「陽都くん!」
品川さんは座ってコーヒーを飲んでいた。
俺は駆け寄って頭を下げる。
「品川さん、もう本当にすいません」
「いいのよ、無いと困るでしょ。久しぶりに礼と一緒に小学校まで歩いたわ。ものすごく嫌がられたけど。あーあ。悲しい」
品川さんはショートボブな黒い髪の毛を耳にかけて、つまらなさそうに口を尖らせた。
息子の礼くんは小学校六年生の男の子だ。
バスケが好きで、最近少し遠くでやっているバスケットクラブに入ったので忙しくて会えてない。
俺は昔のことを思い出しながら、
「六年生くらいだと、そろそろお母さんと一緒に歩くのは恥ずかしいですね」
「みんなが登校してる時間なら分かるわよ、私だってそんなことしないわ。でも朝グラウンドでバスケしたいからって早く家を出てるの。だから誰もいないのよ、だったら一緒に行きましょう? って言ったら、こう目を一本の線にして口も全部! かなしいいいいい。あ、時間大丈夫?」
「大丈夫っス。いやでも、六年生くらいの時に母さんが授業参観見に来たんですけど、朝の一時間目から四時間目までず~~~~っといて、本気でイヤでしたね」
「見たいの分かる……でもダメなのも分かる……」
「こうバレないようにチラッと来てもらうのは、まあ許せます」
「……気をつける……。あ、スマホ。通知見るの悪いから電源落として充電しといた」
品川さんは鞄からスマホを出して渡してくれた。
フル充電までありがたい……。受け取って電源を入れると無数の通知が入ってきた。
俺はそれを簡単に確認しながら、
「品川さんの高校時代はもうスマホあったんですか」
「パカパカ開く携帯電話だったけどあったよ。メール全盛期」
「いや、無くて不便で驚いて。これなしでどうやって恋愛するんですかね」
「はああ……黒電話のくるくるで指先の血を止めてやろうか?!」
「なんですかそれ」
笑いながらふたりでコンビニを出た。
そして頭を下げてお礼を言っていたら、ちょうど吉野さんが歩いてきた。
「おはよう、辻尾くん! あの……」
「あーーーっ、吉野さん。良かった。俺昨日バイト先にスマホ忘れちゃって!!」
「あっ……そうだったの……そうだったの……もう私、すごく不安で……」
吉野さんの表情がクシャクシャと崩れていく。やっぱり不安にさせていた。
俺は慌てて横にいた品川さんを紹介した。
「品川さん、俺のバイト先の! 持って来てくれたんだよ、スマホ」
品川さんは「ほほぅ」と小さく声を出して一歩前に出て、
「はじめまして、品川です。陽都くんからお話は聞いてます。私あのお店に夜いないからなかなか会えなくて」
「はじめまして! お噂は聞いてます、わあ……ご挨拶したかったんです、よろしくお願いします」
「あらあら、店長がいう通り、こんな可愛い……はあああ……すごい、ふたりが一緒にいる所見るだけで何か溢れちゃう」
品川さんは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。
三人で話していたらそこに中園が歩いてきた。
「うっす陽都と吉野さん、おはよう……って、品川先生?!」
「あら中園くん。この高校だったの? 知らなかったわ」
「えっ、品川先生、陽都も担任してるんですか?」
「ええ、高校受験の時に担当してたの。昨日久しぶりにあった時に陽都くんがスマホ忘れて。……ね『そうよね?』」
品川さんはチラリと吉野さんのほうを見て言った。
高校受験の時に担当?? 何の話?? そんなことはしてもらってない。
状況が全く分からない。今分かるのは品川さんと中園が知り合いということだ。
俺は「おう、おう」と何度か首をふるだけだ。
中園と品川さんは簡単な話をして、品川さんは吉野さんに手を振って駅に入っていった。
さて……と……? 俺たちは三人で歩き出しながら、まずは中園の出方をみることにした。
中園は駅に入っていく品川さんをずっと見ている。
そしてグリンと振り向いて俺の方を見た。
「陽都、お前品川先生と知り合いなの?!」
「いや、中園こそ」
「俺、最近プロゲーマーになっただろ。もうボスが何いってんのかわかんねえよ。英語ヤバすぎる。教科書みたいな英語じゃなくて会話を勉強したくて英語専門塾入ったんだよ」
「ああ、なるほど。あれアメリカの会社だもんな」
「一緒にゲームしてる仲間も英語が基本だから、さすがにヤバくて。そこで一番人気の先生が品川先生なんだけど」
「あーーー、なるほど、あーーー、はいはい」
俺は大きく何度も頷いた。そういえば品川さんは最近「綾子さんに頼まれて表の塾も手伝ってる」「そこの子は勉強ばっかり」とか言っていたな。
中園は俺がバイトしてること知ってるから、そこにいると言えばいいじゃんと思ったけど、芋づる式に吉野さんのことも知られてしまう可能性が高まる。
だから品川さんは『高校受験の時に担当した』って言ってくれたんだな、分かった了解。
中園は、
「え? じゃあ吉野さんは?」
「私はさっきはじめてお会いしたの。辻尾くんから優秀な教師さんとは伺ってたんだけどご挨拶の機会がなくて」
「品川さんのコマはマジで取れなくて有名なんだぜ。週に二日くらいしか入って無いし。子どもいて大変なんだろうけどさあ」
品川さんお子さんいることも全部話してるんだ。じゃあ普通に話して大丈夫なんだな。
俺は頷きながら、
「お子さんがいるとやっぱり忙しいんだよ」
正直「表の塾はめんどっ。面談の日付も全部教師が決めるんだよ。電話電話の電話地獄。面談来るの面倒だって親もいるし。あーめんどっ」と言っていた。
品川さんは元々ばあちゃんが持っている塾の教師だ。
そこは品川さんが住んでいるマンションの一階にあり、小学校から高校生まで幅広く教えている。
夕食も食べれたり相談にも乗って貰える場所で、ばあちゃんが持っている不動産会社が地域活動のひとつとして経営している。
ばあちゃんが「教師は金払えばええのがくる」と言っていて、わりと良い給料を出しているので、そっちとうちの店だけで生きていけると言っていた。
でも品川さんは教師としてすごく優秀で、色んな所から声がかかってるのは知っている。
頷きながら、
「品川さんはほんと良い先生だよな。俺品川さんのおかげで数学かなり得意になったもん」
「マジか、数学もイケるんだ。教えてくれねーかなー」
と中園は首をコキコキと回した。
品川さんは基本的に理系の人で、数学を教えるのが得意だと思う。
でも英語も教えてくれるならバイトの時にお願いしたいなあ……なんて思いながら歩いていたら、中園が立ち止まった。
そして眉間に皺を入れて、
「……でもさあ、スマホって忘れるか?」
「いや驚くなよ、忘れたんだよ。俺も不便でびっくりした。まさかスマホ忘れるなんて」
「実は品川さんと付き合ってるとかないよな?」
「はあああ?? なんでそういう発想になるんだよ」
「だってお茶だけしてスマホ忘れないだろ、普通。ラブホ行くとよく忘れるけど」
「それは中園の経験じゃねーか!!」
「ベッドと壁の隙間によくスマホ落とすけど。あそこよくパンツも挟まってるよな」
「へええ? 経験がないので? 知らないですけど? そうなんです? ていうか、横に吉野さんいるの、お前完全に忘れてるよね? いいの???」
「あ」
俺たちがギャーギャー話しているのを、吉野さんは「スン……」とした表情で聞いていた。
そして俺たちを見て小さくため息を吐き、冷静にメガネの位置を合わせて顔を上げ、
「行きましょう、学校始まります」
「ういっす」
「はいっ!」
俺たちは三人で学校に向かった。
俺はスマホをポケットの中で握りしめて安堵のため息をついた。
はああーースマホあると落ち着くーー。
そしてふと思い出す。
実は品川さんと付き合ってるとかないよな? ……なんて中園にはじめて言われた気がする。
というか、俺が品川さんと付き合うという世界線を想像したこともなかった。
最初から礼くんがいて、バイト先のお母さんだったからだ。
でも品川さんはまだ三十代前半。よく考えたらそんなムチャな話でも……いや、無いわ。
ギリギリ姉ちゃん……いややっぱり母ちゃんだ。
とにかくお帰りスマホ。はあ、怖かった。
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