第41話 時を越える風呂桶
「どうもどうも。今日は懐かしい人を連れてきたよ」
「あらら多田さん、こんにちは。こちらは……?」
「大きくなったから分からないよね。
「あらららら。うそ、まあまあ、大きくなって。まあああ、美人さんに! まああ、入って入って!」
私は丸っこくて笑顔が可愛いおばあちゃんに連れられて私はお店の中に入った。
ここは昔住んでいた所の近くにある銭湯。50年以上に歴史がある古い所で、下駄箱も靴を入れて木の鍵で締める。
古いけれどキレイに手入れされていて、地元の人たちに愛されている場所だと分かる。
おばあちゃんは私に温かいお茶を出して微笑んだ。
「あらあら、お姉さんになって。ここのこと覚えてる?」
「……すいません。ここの駅に来たのがもう10年ぶりなんです」
「もうそんなに経った?! 経ってないわよ、昨日よ、あなたが勇作さんに連れられてここに来てたのは」
「ばあちゃん、さすがにそれはボケてると思われるよ」
市議会議員の多田さんは大きな身体を揺らして「ははは」と笑った。
今日は日曜日。いつもなら朝の8時に家を飛び出して図書館に逃げている日だ。
でも今日は、この前少し調べた辻尾くんのおばあちゃん、綾子さんと会ったことがある議員さんが来ると知ったので、家に居た。
「議員の多田さんとお話がしてみたいの」とお母さんに言ってみたら大喜びで席を作ってくれた。
そこで知ったのは、どうやらお母さんと綾子さんは知り合いではなく、大昔のお父さんと知り合いだと言うことだった。
そして縁の場所があるから一緒にお昼でもどう? と誘われてきたのが10年前に住んでいた街にある銭湯だった。
銭湯を経営してるおばあちゃんは私に、
「お昼食べましょう? 勇作くんは横のそばが大好きだったけど、紗良ちゃんもそれでいい?」
「はい。おそば、大好きです」
「もうね、勇作くんといえば、横のてんぷらそば。エビがふわふわでサクサクで美味しいの。それでいい?」
「はい! そういえばお父さん、エビの天ぷら大好きでした」
「そうなのよ、いっつもあれ食べてたわ。懐かしい!」
そう言っておばあちゃんは横のお店に走り込んでいった。
私は改めて銭湯を見渡す。
真ん中に大きな吹き抜けがあって、左に男湯、右に女湯。天井も木で出来ていて美しい。
この街には10年前に住んでいたけど、老朽化でマンションが無くなるから……という理由で引っ越しをした。
今住んでいるところも距離的には離れてないんだけど、電車だとかなり遠回りをすることになるので全く来なくなっていた。
なにしろすぐ裏には苦い想い出のある幼稚園があり、あまり来たいとも思わなかった場所だ。
お父さんの実家が近くにあり、お父さんはここで生まれ育った。
だから地元の人たちとの付き合いは長く、この銭湯にも何度か連れてきてもらった。
とにかく熱いお風呂と手足を伸ばせる湯船、いつも回っている大きな古びた扇風機に縁が欠けてる鏡と、大昔のポスター、ロビーにある古びたシャンプーに瓶の牛乳。
全然来ていなかったのに、記憶の中にある景色と一致する。
議員の多田さんは、カタカタゆれる扇風機の蓋を直して、
「勇作くんはね、ここを守るために表に立ったんだ」
「……そうだったんですか」
「駅の改修工事と共にここら辺にビルを作る計画が持ち上がったんだけど、絶対にこの銭湯は無くさせないって立ち上がってね。本当にたくさんの人たちの意見を丁寧に集めて、全部拾ってね、それでここを守ったんだ。だからみんな勇作くんを大好きだった」
「知りませんでした」
「なんかめっちゃ気に入ってくれててね。私なんかはもう古いし、どこか諦めてもいたんだけど」
そう言いながらおばあちゃんが戻ってきた。
私はまだ開店前で誰もいない銭湯の壁を見て顔を上げた。
よく考えると、今も二ヶ月に一度くらい銭湯に行くのは、ここに連れてきて貰っていた記憶があるからかも知れない。
届いたおそばを皆で食べ始めると、おばあちゃんはクスクスと笑い出した。
「勇作くんはねーー。もう話すのが下手で」
「えっ?!」
私は食べていた手を止めて叫んでしまった。
私のなかでお父さんは、それは丁寧にしっかりと話すイメージだ。
みんなに好かれていて意見をちゃんとまとめて、それを人前で話す人。
おばあちゃんはそばを食べながら、
「それこそ、あれよ。綾子さんに『あんた話が下手くそねえ』って言われて頑張ったのよ」
「え……そうだったんですか」
「綾子さんは立場も強くてね、誰も綾子さんまでたどり着けなかった。でも勇作くんは下手なのに、それは必死に諦めずに話しかけてくるから一瞬話を聞いちゃったんだって。ずっと聞く耳持たなかった人たちに風穴を開けたのは、勇作くんの下手くそな話なのよ」
「そんな……お父さん、ものすごく話が上手だったことしか覚えてないです」
「それはもう死ぬ直前の話だよ。もっともっと前の話。花江さんにも会ってない、もっともっと子ども……大学生の頃かね。なんか学生だった気がする」
それを聞いて多田さんはそばを食べながら、
「僕の所にきた勇作くんもかなり若かった気がするな。まあ話は下手だった。なんか変な比喩使うんだよな。あれがね」
「あったあった。人生は風呂桶だ!! とか言うのよね」
「言ってた言ってた。勇作くんがへんな比喩使うからさ、そのたびに『それどういう意味?』って聞いたらこっちの負けなんだよな。結局話聞かされてる。俺は好きだったけど、花江さんなんて最後のほう『あんたその更に分からなくなる比喩やめなさい、話の結論に二倍時間がかかるわ』ってキレてたもんな」
「そうだった! しかもその通りなのよね、二倍かかる!」
「でもみんなあれを聞くのが好きだったんだよなあ」
「そう、もう落語みたいな感じでね、はじまった~って」
ふたりはお父さんの話を楽しそうに続けた。
私はそれを聞きながら、なんだか視界がぼやけてきて、何度も瞬きをした。
ついこの前だった。
私が辻尾くんに気持ちを伝えたくて、ものすごく頑張ってソフトクリームを買って、それで変な比喩を使って……伝えたくて伝えたくて。
私の全然知らなかった頃にお父さんが、私と同じように話すのが苦手だなんて、知らなかった。
私は泣きそうになっているのを気がつかれないように、えびの天ぷらとおそばを食べた。
私のなかでお父さんは、すごくしっかりしている議員さん。
勉強もたくさんしてて、人の話を聞くのが上手で、それをまとめて話すのが好き。
だけどそれは、大人になったお父さんの姿。
当然だけどたくさん話して、勉強して、あの姿だったのね。
その途中に辻尾くんのおばあちゃん、綾子さんにも会ってたんだ。
おそばを食べ終えて顔をあげる。
私もまだ進化の途中。
「さあて、紗良ちゃん。お風呂洗うの手伝って。大変なのよ」
「はい! なんでもします!」
「あー、思い出した。勇作くんもそんなこと言って、スッ転んでたわ。長靴はいてやれば大丈夫だから。はいこれ勇作くんも履いてた長靴」
「……はい。お借りします」
借りた長靴は私には大きすぎて、それも嬉しかった。
多田さんは食後帰って行ったけど、私はバイトが始まる時間まで銭湯の清掃を手伝った。
ここは天国に行ってしまったお父さんが守った場所。
また今度夜に入りにこようと思った。
そうだ、辻尾くんも一緒に!
……ちょっと遠いかな。でも夏なら。
掃除しながら『人生は風呂桶だ!』というお父さんを想像すると、それはものすごく簡単に浮かんだ。
そして『二倍時間がかかるからやめろ!』とキレるお母さんも、もっと簡単に浮かんで、笑いながら掃除を続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます