第33話 別の角度から

 私は辻尾くんと別れて、まずトランクルームまでタクシーで行って着替えた。

 そして荷物を持って再びタクシーを呼び、家に近くまで乗って帰った。

 タクシーチケットは大量に貰ってるんだけど、全く使う機会がなかった。

 だからこうして使えて良かった。

 荷物を持って顔を上げると、突然話しかけられた。


「あら、紗良ちゃん。おかえりなさい」

「あっ……こんばんは!」

「今日は遅いのね。気をつけてね」

「はいっ!」


 タクシーを降りたタイミングで声をかけてきたんは近所のおばさんだった。

 危ない。大丈夫だったかな。お母さんに「紗良ちゃんタクシーで帰ってきてたわよ」って言われちゃう?

 誰もいないなら、家で勉強すればいいって軽率に考えてたけど、家に呼んだのを見られた時点で言い訳できない。

 家に帰ってきて冷静になって考えてみると「友梨奈は彼氏と親公認でお泊まり」と、どこか羨ましく思っていたのかも知れない。

 そう考えると自分の気持ちを満たすために辻尾くんを利用しようとしていた気がして、少し自己嫌悪でイヤになってしまう。

 でも。 

 辻尾くんが言ってくれた言葉を心の中に大切に入れる。

 『絶対に失いたくないから』

 そんなの、今まで貰った言葉のなかで一番嬉しい。

 辻尾くんとの関係を大切に守っていきたい。すごくそう思う。


 

 

「ただいま」


 そう言って家の鍵をあけて中に入った。

 誰もいない家に帰ってきても「ただいま」と言ってしまうのは、ただの癖か、誰もいないということに安心したいのか、どちらだろう。

 こういう風にお母さんと友梨奈がふたりで出かけていくのは、よくあることだ。

 平日に行くのもよくあるけど、友梨奈が通っている学校は『教育外研修』という社会活動に必要な休日は認められている。

 友梨奈はそれを利用して遠くの研究所を覗きにいったり、学会をのぞきに行ったりしている。

 私はこうして家でひとりになる時間がすごく好きで、落ち着く。


「よしっ!」


 まずは持ち帰ってきたウイッグをシャンプーで洗う。

 毎月一回ほどお母さんたちがいなくなるので、このタイミングでトランクルームからウイッグを持って来て全部洗っている。

 そしてドライヤーで丁寧に乾かす。漫画喫茶だと洗ってすぐに乾かさなきゃいけなくて、ドライヤーを長く占拠するので、気になってしまう。

 家だと先に洗っておいて、あとからゆっくり乾かすことができる。

 洗ったあとにウイッグに良いと書いてあった特殊な油脂も塗り込んでから、食事を作り始める。

 自然と鼻歌が出て楽しくて仕方が無い。

 辻尾くんが部屋にひとりになったらLINEするから、繋がない? って言ってくれた。

 さっきから画面を確認してるけど、まだみたい。

 このひとりの時間が楽しくて気楽だから、やっぱり一人暮らしをしたいと思う。

 食事をバランスよく作るのも、片付けも、買い出しも、全然嫌いじゃない。丁寧に暮らすほうがきっと私には向いている。


「よし、これを……ここにかけるのね」


 今日は店長さんから頂いたブラックペッパーを使ってみようと思った。

 ぶりのバター醤油にこれをかけると、すげぇ旨いから! と言われてやってみたくなったのだ。

 バター醤油で味付けしたぶりに、パラパラとかけて食べると、


「!! すっごく美味しい。ピリ辛なのに、甘い! すごーい……」


 食べながらひとりで拍手していたら、辻尾くんからLINEが入った。

 私は掛かってきた通話に出る。


「辻尾くん、店長さんから頂いたブラックペッパー、すごく甘くて美味しいの、胡椒ってこんなに違うのね」

『吉野さん、あれだよ……これ以上店長を褒めると、裏通りにある一見骨董品店なのに実はスパイス売ってる店に連れて行かれるよ』

「えっ、なにそれ。あのチュロスみたいなお店?」

『いや、普通の骨董品店で、家具とか売ってる店なんだけどさ、壁一面に小さな小物入れがあって、そこにスパイスが入ってるんだ』

「気になる、なにそれ!」

『しかもさ、小皿にスパイスだして、ちょいちょい舐めながら密談するから、完全に怪しい、あそこに警察踏み込んできたら捕まる』

「行ってみたいー!」

『変なすり鉢でゴリゴリ擦る係頼まれるよ、俺二時間監禁されてゴリゴリ係やったもん。やりすぎると怒られるし、やらなくても怒られるし、渡されるのはバイト料金じゃなくてスパイスだし。現代の日本じゃない、あそこだけ大航海時代だよ』

「だめ、面白い! スパイスがお金なの?!」


 辻尾くんと話していると楽しくて、どんどん時間が溶けてしまう。

 私は通話を繋いだまま、家事をして、勉強を済ませた。

 辻尾くんがお風呂に入るというので通話を一度落として、私もお風呂に入った。

 そして髪の毛を乾かして調べごとをするためにノートパソコンを開いた。

 実は……店長さんから聞いてからずっと気になっていた。


「お母さんと、辻尾くんのおばあちゃんの接点ってなんだろう……」


 いつも何も考えずにお母さんの後ろをついて行っていたから、どういうNPOの代表をしているのか知らない。

 ふたりが知り合いなら、心の準備というか、前情報を入れておきたいと思ってしまう。

 店長さんにお母さんのことを言われたから、なんとか対応できたけど、お母さんに「綾子さんと知り合いなの?」と言われたら動揺してしまう気がする。

 落ち着いて対応できるように前知識がほしいけど……何か分かるかな。

 辻尾くんのおばあちゃんの名前は辻尾綾子さん。

 調べると不動産会社の役員として名前が出てきた。顔写真……なんだか辻尾くんと似ている。目元の優しさが同じだ。

 えへへ、こういう人なんだ。やっぱり一度会ってみたい。

 調べていたら、無料塾を経営してるインタビューが出てきた。

 それ以外は同姓同名の別人がたくさん出てきて分からない。私は検索画面を閉じて、お母さんのTwitterを見る。

 お母さんはSNSは上手に利用すべきという主張をしていて、かなりの頻度でアップしてくるので、位置情報がわかる。

 むしろ位置情報をアップすることで、そこに支援者の人たちがくるようにしていて、今はお店で食事をしているようだ。

 たくさんの人たちに囲まれて笑顔を見せている写真と共に、賛同者のツイートが並ぶ。

 『学びたい子が学べる環境作り、吉野花江さんの主張に賛成です!』

 お母さんは大変な子ども時代を過ごしていて、勉強をする時間なんて無かった。

 だから普通に勉強できる環境に、自分の子どもを置くのが第一の目標だったのよ……と延々聞かされてきた。

 勉強に集中できる環境なんてラッキーなのよ! と言われて続けてきた。

 そうなんだろう、そうなんだけど。

 正しいからって私がそのまま受け入れられるわけではない。

 そのツイートをしている人が一緒に写真に写っている人……私は手を止めた。

 ……この人、私お母さんの食事会で会ったことがある。

 タグ付けしてあってクリックすると……辻尾綾子さんが役員を務めている不動産会社の会長だと分かった。

 ここが接点だ。

 やっぱりお仕事関係で知り合いなのね。

 私はベッドに転がって再び通話じゃない……ビデオで辻尾くんに繋いだ。


「辻尾くん、もうお布団?」

『……ん。半分寝てた』

「ごめんね、寝る前に顔が見たくなっちゃって」

『……ってあれ……これ、ビデオかって……わ、ちょっとまって、待て待て、吉野さんパジャマ?』

「そう。お風呂から出て、少し調べごとしてたの。おやすみって顔みて言いたいなって思って」


 さっきまで音声通話だったけど、寝る前にビデオ通話を繋いでみた。

 辻尾くんはベッドのなかでぼんやりしてたみたいで、眠たそうな顔がすごく可愛いなと思ってみてたんだけど、私を見て画面の向こうで目を丸くした。


『いや……私服の吉野さんを少し見慣れてきたところで……パジャマ姿を見ると……こう、うん、ドキドキして目が覚めた』

「普通のパジャマだよ」

『いやいや、もう、良い感じです、はい』


 こういう反応をされると、本当に私のことを大切で、特別に思ってくれるんだなと嬉しくなってしまう。


「今度もっと見せるようのパジャマ買ってくる」

『えっ、いやいやいやいや、吉野さん、そういう普通のでいいよ、そういう普通の』


 辻尾くんは何度も『普通のがいい』と連呼した。

 私のが家で着ているパジャマは、本当にシンプルなシャツタイプで寝ている時に足が熱くなるので、ショートパンツだ。

 カメラを動かして全身を見せつつ、


「足とかただのショーパンだよ。もっともふもふした可愛いパジャマ、辻尾くんに見て欲しいのに」

『ああああ……もふもふは捨てがたいけど、ショーパンはそのままでいい、いやごめん、これは俺の趣味だ』


 辻尾くんの画面がガタガタと揺れ始めて笑ってしまう。

 辻尾くん、ショーパン好きなのか。じゃあ日曜日の図書館デートはショーパンにしようかな。

 ビデオ通話を繋いだまま、私も布団に転がった。


「……辻尾くんは正しいのに、受け入れられないことってある?」

『山ほどあるよ。一番嫌だったのは不登校になった時、みんな学校に行ってるのにどうして? って言われたシリーズだな』

「あ、それは辛そう」

『みんなしてるし、当然だと思われてる。でも俺は少しの間でいいからほっといて欲しかったんだよな』

「うん、そうだね。そうだよ……」


 画面の向こうで辻尾くんは静かな声で語る。


『俺さー……全然、日曜日、家に行こうと思ってたんだよ』

「うん」

『今までもすごく吉野さんの事好きで……大切なんだけど、なんか……今日一緒にコンビニきてくれて、絶対ずっと一緒がいいって思ったんだ』

「辻尾くん……」


 今日コンビニのイートインコーナーで中学校の時の話をしていた辻尾くんはひどく傷ついて見えた。

 だからお店の中なのに、思いっきり抱きついてしまったんだ。

 他に方法が見当たらなくて、私には何も言えなくて、何もなくて。


『いや、でも……今だって、その……めっちゃ可愛いパジャマ姿の吉野さんに触れたいって思ってます』

「いつか絶対抱っこして寝たいな。辻尾くんと一緒がいい」

『素直に言ってしまうと……家は……なしだけど……それ以外のチャンスがあったら……と正直思ったり……してしまう俺は……います……はい』

「きゃははは! ……うん。いいよ。全然いい」

『家は……ちゃんとして、いつか……真っ正面からいく』

「……うん、待ってる」


 ちゃんとしていつか真っ正面から。

 そんなのすごく嬉しくて、スマホを握りしめて静かに目を閉じた。

 辻尾くんが真っ正面から来てくれるなら、私も真っ正面から受け取りたい。

 少なくとも、真っ正面から笑顔で抱きつける人でありたい。


 辻尾くんと話しながら、私はお母さんの写真に写っていた不動産会社の人のことを思い出していた。

 今までなんの興味もなくてただ連れられて行ってた食事会だけど、綾子さんに関連した人もいるのね。

 家にくるタイミングがあるかも知れないから話してみようかな。

 辻尾くんのおばあさんがどんな世界にいるのか。

 お母さんがどんな世界で戦っているのか。

 別の角度から見ると違う顔が見えてくる。

 

 私たちは通話を繋ぎながら、そのまま一緒に寝落ちした。

 辻尾くんが横にいてくれるような安心感と、私たちだけの正しさで世界を守って生きていこうという、曖昧な柔らかさに包まれて眠った。



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