第32話 陽都の決意

「品川さん……あれですかね。女の子が家に勉強しにきて? って言うのって……」

「万事オッケー。コンドーム100個持って来てってことよ」

「本気ですか?!」


 土曜日の昼間、俺はバイト先で拭き掃除をしながら品川さんと話していた。

 どうやら花江さんと友梨奈さんは土曜日から出かけて日曜の夜まで居ないらしく「日曜日、図書館じゃなくて家で勉強しない?」と誘われた。

 えっ?! 親がいない家に行っていいの?! バレないの?! ってすげードキドキしてる。

 品川さんはニヤニヤしながら、


「彼女出来たんだって? 店長に聞いたわ~。どんな子?」


 品川さんはパイプ椅子に腰掛けてニヤニヤと微笑んだ。

 俺は恥ずかしいけど話を聞いてほしくて、


「前にオシャレしてカフェに行った時の子です」

「ああ~~! 上手くいったの?! やだやだやだ恋バナ大好き。もう家に行くような仲なの?!」

 

 そう言って品川さんは目を輝かせた。

 俺は、


「いやいや違いますよ。家の人たちがいないから、家で勉強しないかって」

「勉強?! する?! なんの?! ……はあああ~~、いいなあそういうの」


 品川さんは目をうっとりと目を細めた。

 品川さんはいつも俺に「綾子さんに言っちゃうぞ~」と言うわりに一度も告げ口していない。

 口が堅くて店長ほど性格が軽くなくて、それでいて緩いのでお姉さんのように何でも相談したくなる。

 品川さんは配達用のboxを組み立てながら真顔で、


「絶対妊娠させちゃダメよ、コンドーム100個持って行きなさい」

「だから勉強です!! でも家族がいない家に入り込むのって、どこか違う気がして、なんというか『勉強だよ?』ってイタズラっ子みたいな表情で俺のこと見たんスよ……もうすげー好きっす……」

「黙れクソガキ!!!! ポテト売れ!!」


 俺がのろけていたら、店の入り口がバシーンと開いてミナミさんが立っていた。


「あら、ミナミちゃん、いらっしゃい」

「高校生がまっとうな恋愛してる話聞くと、うらやましくて背中蹴飛ばしたくなりません?! 私は家に連れ込まれまくってセフレ三昧!! ジュースもください!!」

「はい、どうぞ」

「金をもっていけ~~~!」


 スマホを握ってミナミさんが右手を振り上げたので、俺は慌てて電子マネー用の支払い端末を持って来た。

 ピピッと軽い音がしてミナミさんはスマホをポケットに投げ込み、店舗入り口にある椅子に座りポテトを口に投げ込んだ。


「学生の時にさあ、もっと恋すれよかった~ってめっちゃ思うんですよ」

「学校帰りに待ち合わせして、一緒に帰ったりするの、良いわよね~~」

「品川さんそういうデートしてたんですか?」

 思わず俺が聞くと品川さんは俺のほうをキッと見て、

「勉強ばっかりしてたら、こんなことになったのよ! そんで少し甘い言葉かけられてすぐに恋に落ちちゃったの。免疫なさすぎた!!」


 そう言って次から次へと宅配用のboxをくみ上げていった。

 うん……もう10個くらい出来てるから、こんなに要らない……かな……?

 俺の視線を完全に無視して品川さんは延々と箱を作りながら、


「今私ね、綾子さんに頼まれて進学塾の先生も行ってるんだけど、みんなもうほんと勉強ばっかりしてるのよ。そりゃ塾だからそうなんだけどね。なんで学生の時には勉強しろ勉強しろって言われて、大人になってから恋が突然上手に出来ると思うんだろ。恋の練習も学生のときにしろって教えてほしいよね?!」

「品川さん、わかります~~~」


 ミナミさんは口にポテトを投げ込んで何度も頷いた。

 そして俺のほうを見て、


「じゃああれだよ。私のウイッグと服貸してあげるから、女装して彼女の家いきなよ。それならバレないって」

「女装プレイのお店増えたわよね~」

「女装したがるヤツって変態プレイ好きが多いんですよ」

「ええ~? そうなの?」


 下ネタタイムが始まったので俺はすんなりと離脱を決めた。

 その後吉野さんと話して「とりあえず今日は夜遅くなってもいいから、辻尾くんの最寄り駅まで一緒に行きたいな。そのあと議員さんたちから山ほど貰ったタクシーチケットで帰る!」ことになった。

 吉野さんの家は、バイト先から俺の家が100だとすると、50くらいの所にある地下鉄の駅だ。

 タクシーチケットなんて存在知らなかった。そんなものがあるんだ。

 特別すぎる週末、ドキドキする。




「えへへ。いつもここでお別れなのに、今日は一緒に電車に乗れるね」

「……なんかすごく変な感じだ」


 バイト終わりの22時。

 いつも通りに駅まで一緒に行った。俺は中央線で、吉野さんは地下鉄で帰る。

 いつもならここでさよならだけど、今日は一緒の電車に乗る。

 吉野さんは俺の後ろをついてきて、一緒に改札に入った。

 吉野さんは周りをキョロキョロと見て、


「こっちの路線って実は乗ったことないの」

「わかる。全然用事がないと他の路線って全然乗らないよな。俺も吉野さんが家に帰る地下鉄一度も乗ったことがない」

「確かに、あの地下鉄って、なんか中途半端な所で止まる路線だし、終点に何も無いもん。あっ、川があるよ」

「子どもの頃遊んだり……してないか」


 俺は階段を下りる吉野さんに手を伸ばした。吉野さんはにっこりと微笑んで俺の手を握り、


「うん。ただいつも水面がキラキラしててキレイだなーって思ってみてただけ。辻尾くんの家がある駅は結構大きいよね」

「商店街が結構デカくて楽しい。そこに駄菓子屋もあるよ」

「今度行きたい!」

「うん、夏休みには一緒にお菓子買って山登りしようか。俺さあ、懐かしくなって小学校の時に行った山調べたら、三時間くらいで登れて楽しそうだった」


 うちの路線の終点に有名な山があり、小学校四年生の時に登った。

 吉野さんと行こうと思って調べてみたら、ロープウェイは昔のまま健在で駅だけ新しくなっていた。

 吉野さんは眉毛をふにゃりと寄せて自信なさげな表情になり、


「三時間……結構あるね……私の体力で大丈夫かな」

「キツかったら登りだけロープウェイで上がって、ゆっくり下るって手もある」

「そっち採用でお願いしますっ!」


 吉野さんは俺の腕にしがみついて微笑んだ。

 乗り込んだ電車は結構混雑していて、当然座る席はない。

 吉野さんは目を輝かせて、


「いつもどこら辺りに立ってるの?」

「……そんなことが気になるの?」

「うん。なんか、辻尾くんの日常にお邪魔してるのが楽しいの。外で会ってね、特別なのも嬉しいんだけど、今って辻尾くんの日常でしょ? なんかそこに私が一緒にいられるのが楽しいの」


 そんなこと言われたら嬉しくて仕方が無い。

 俺にとっては日常だけど、吉野さんが横にいるから日常じゃないか。

 俺は手を繋いだ状態で、いつも立っている付近に移動した。そして目の前にある広告を顎でさした。


「いつもここら辺に立って広告見ながら『本を読むだけで最強のパワー』ってなんだろ? って思ってる」

「この本のCMいつもあるよね。手すりにつかまってるとスマホ出しにくいから微妙に見ちゃう」

「分かる。電車で流れてるCMも無駄に見ちゃうよな」

「天気予報とかスマホで見ればいいのに、なんか見てる」


 分かると顔を寄せて笑いながら、最寄り駅で降りた。

 俺がいつも降りている駅に吉野さんが立っている。なんかすごく変で、それでいてドキドキする。

 駅の上から降るようなライトに照らされたベージュのウイッグをかぶった吉野さんは、髪の毛をふわりと揺らして微笑んで、


「ここが辻尾くんがいつも通っている駅! 聖地巡礼!」


 と微笑んだ。なんか俺の全部が肯定されていく感じがして恥ずかしくて嬉しい。

 そのまま一緒に駅前にあるコンビニに入った。

 すぐ目の前にタクシー乗り場もあるし、ここで見送れそうだ。

 レジに並びフランクを二本買った。

 吉野さんはそれを受け取って椅子に座り、


「いつも買うの?」

「家に帰ったらすぐご飯だからいつもは食べないけど、中学校の時に部活終わりにたまに買ってたんだ。懐かしの味」

「そっか。ここに中学校の辻尾くんもいるんだね。なんかそれなりに遠いじゃない? それに他にも高校がたくさんあるのに、同じ高校になってさ、しかもこうして一緒にいるんだよ。なんかラッキーで嬉しい」


 そう言って吉野さんはフランクを美味しそうに食べた。

 俺も食べながら口を開く。


「……このイートインは、そんな良い思い出がある場所じゃなくて、わりと嫌な思い出がある場所なんだ」

 

 目の前にあったから何も考えずに入ったけど、いつもこのイートインにひとりで座っていたのを思い出した。

 中学の時の苦い思い出もあるし、母さんに「いつになったら学校に行けるの?」と言われた時に逃げだした場所でもある。

 無駄に明るい店内から見える暗い外は、ここだけ別世界みたいで、ここにいても許されるような気がして夜中に逃げ込んだんだ。

 横をみると食べ終わった吉野さんが俺にギューーッとしがみついていた。

 そして顔をグッとあげて、


「来られて良かった。私が一緒で、少しは辻尾くんの中で、良い店になったかな?」


 その言葉になぜか心の奥のほうがじんわりと温かくなって、俺はそのまま吉野さんの頭にトンと自分の頭を置いた。


「……うん。すげー良い店になった」

「良かった。あのね、私辻尾くんにそういうのすごくたくさん貰ってる気がするから、少しでも役に立ちたいって思っちゃった。えい、とりあえずギューしてなでなでだ」


 そう言って吉野さんは俺にグイグイとしがみついて、背中を撫でてくれた。

 ふわりと香る吉野さんの香りと、イートインの騒がしさ。それにフランクの油の香りと店内の騒がしさ。

 あの頃の苦い想い出がよみがえる。なんだ……すげー苦しくなってきたんだけど。

 俺たちは店を出て、駅前にとまっていたタクシーに向かって夜道を歩き始めた。

 心の奥の昔やけどした所がヒリヒリして、でも温かくて、変な気持ちだ。

 そして同時にすごく思った。


 この子を絶対に失いたくないって。


 俺は立ち止まった。


「あのさ、日曜日、家にお邪魔しようと思ってたけどさ、家はやめとくよ」

「え? なんで?」

「吉野さんのこと、本当に好きだから、親にバレて面倒なことになる可能性があることは止める。吉野さんとこうして会えなくなったら、それがなによりつらい。それだけは絶対にダメだ」

「辻尾くん……」

「俺は、絶対に吉野さんを失いたくないから。ずっと一緒にいたいから」

「……うんっ……」


 そう言って吉野さんは俺にしがみついてきた。

 家に行けなくなったのはどこか残念だけど、それとは全然違う……心の奥のほうに吉野さんが触れた。

 そこは今まで俺が存在を知らなかった、いや……忘れようとしていた場所。

 俺は今日、吉野さんとここにくることで、それを思い出した。


 

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