第26話 夕日の告白

 体育祭が終わった。

 結局俺たちB組は総合順位もE組に負けて二位となった。

 でもリレーで一位だったのでテンションは下がらず良い雰囲気で体育祭を終えた。

 朝早かったし、色々あって本当に疲れたが、委員会の仕事は片付けまで含まれる。

 俺たちは陸上競技場の中にあるゴミ箱にセットされたゴミ袋を集めて歩いている。

 もう制服に着替えた穂華さんがくるくる回ってジャンプした。

 

「すっごおおおおおおい楽しかった体育祭! お祭りじゃん~~」

「わりと派手だよな」

「辻尾っち、チーターみたいで超速かった! なにより紗良っちだよ~~、マジでかっこよかったよおおおおお」

「とにかく終わって良かったわ。さて、ゴミはこれで全部だから、これは出しておくわ。穂華もおつかれさま」

「帰って良い? じゃあまったねーーー!」


 朝と同じようなテンションで元気に去って行く穂華さんを吉野さんと俺は苦笑しながら見送った。すごく元気だ。

 でも俺たちも、あとはこれを置き場に持って行くだけだ。

 俺と吉野さんも体操服の上に制服を着て(学校の体操服はダサすぎる)両手にゴミを持ち、背中にリュックを背負って歩き出した。

 吉野さんは俺のほうを見て微笑んだ。


「今日は本当にありがとう。400m走った時はね、お母さんのことしか考えてなかったの。お母さんが見てるから頑張らないと、お母さんの前で一番以外あり得ないって。でもねリレー走ったときは、そんなこと全然考えなかった」

「良い走りだったよ。気持ちよさそうに見えた」

「そうなの。はじめて……何も考えずに走った。本当にはじめてだと思う。ずっとずっと……絶対一番、それしかダメだって思ってたけど」

「うん」

「ありがとう。辻尾くんのおかげだよ」

「いや……走ったのは吉野さんだし。俺だったらあんなの言われたら、マジで心が折れる。体育祭から脱走も考える。頑張って、また頑張るの、キツい」

「うん、そうなの、そうよ。頑張ったら、もう終わらせてほしい。何よりちゃんとそこを理解してほしいって思っちゃう。でも自分が出来ると、出来る子しか近くにいないと、それが理解できない。これが吉野家の普通なの。私は無理ってだけ」


 吉野さんは苦笑しながら話した。

 ゴミ袋を両手に持った俺たちを夕日が背中から照らす。

 長く伸びた影を更に伸ばそうと俺が背伸びすると、吉野さん「見てて」と笑いスカートでくるりと回った。

 体育祭の疲れもあり、脱力しながらも、俺たちは競技場を出て駐車場方面に歩いた。

 駐車場の更にその奥にかなり大きなゴミ置き場がある。

 そこに向かった歩いていたら、後ろから声をかけられた。


「紗良、探してたのよ」


 朝見たままの凜とした美しい立ち姿に、メイクも全く崩れてない美しい笑顔。

 夕日に照らされて影がきっちりと落ちた表情は凜と美しい。

 花江さんは俺のほうに軽く頭を下げて挨拶して、吉野さんのほうに歩いてきた。

 そして、


「もう帰れる? 一緒に車でご飯に行きましょう。みなさんが紗良とも話したいって」


 と笑顔を見せた。

 もう帰れる? ……じゃなくて、頑張ったねとか、おつかれさま、そういう言葉を先に言わないんだろうか。

 それに「みなさんが紗良とも話したい」って……苦手だって言ってたのに。

 カラスが鳴きながら飛ぶ夕方の空の下、吉野さんはゴミ袋を強く握ったまま動かない。

 吉野さん……?

 ゴミ袋を強く握った指先が白くなっているのが見える。

 固く閉じた瞳に駐車場に斜めにはいった夕日が斜めに切り込んでいる。

 吉野さんはゆっくりと目を開いて、まっすぐに花江さんを見て口を開いた。



「ううん。私は車には乗らないです。いつも思ってたけど議員さんたちと食べる食事は苦手。辻尾くんとゴミを捨てて、一緒に帰ります」



 そう、はっきりいった。

 それははっきりと、ちゃんと自分にも言い聞かせるような大きな声で。

 花江さんは、


「そう? 疲れてるのね。じゃあいいわ。じゃあ辻尾くん? 紗良をよろしくね」


 そう言ってヒールを鳴らして駐車場を歩き去って行った。

 背筋がピンと伸びていて、わりと暑かったのに髪の毛はまるで乱れてないし、スーツに皺ひとつない。

 言い切った吉野さんが心配になって横に立つと、まっすぐに花江さんの背中を見たまま、固まっていた。 

 花江さんが階段を下りて消えてから……やっと俺のほうを見た。

 その笑顔はふにゃああ……と力が抜けて、そのまま蕩けちゃいそうなほど丸い笑顔だった。


「……はあ、言っちゃった」

「おおおお。びっくりしたよ。断ってたじゃん」

「……あー……はじめて言えた。あーー、頭に鳥肌たってるー……はあああーーー……大丈夫かなああ……」

「気にしてるようには見えなかったけど」

「はあああーーー、はああああーーーー」


 吉野さんは駐車場に響き渡る声でため息をついた。

 俺は吉野さんを宥めながら一緒にゴミ置き場に向かい、ゴミを捨てた。

 両手が軽くなり、俺たちは駅に向かってゆっくりと歩き始めた。

 夕日が背中からやってきて、前に長い影を落とす。

 うちの高校は本当に敷地が広くて、かなり大きな公園くらいのサイズがある。

 ここは専門棟の真裏で、すぐ横は野球部のグラウンドだ。いつも練習しているがさすがに今日は誰もいなくてガランとしている。

 俺は落ちていた野球ボールを見つけてヒョイと拾った。

 右手で浮かしてパン……と手に取っていたら、反対側の手に温度を感じた。

 見ると吉野さんが俺の手を握っていた。

 そして口を開く。


「……ずっと食事がイヤだったの、やっと言えた」

「うん」

「大丈夫だったかな、あんなこと言って」

「さっきも言ったけど、あんまり気にしてるようには見えなかったけど」

「私、少しずつ始めようと思って。逃げてばっかじゃなくて、気持ちだけは、ちゃんと言おうと思って」

「うん」

「言わないと、伝えないと、私が思ってること、誰も分からないって、やっと分かってきた」


 吉野さんの力が抜けた手を、俺は少し強く握った。

 それに答えるように吉野さんも俺の手を、クッ……と握り、そのままおずおず……と身体を近づけきた。

 なんとなく胸元に入るような、ぎこちない動き。

 そのままグイグイ……と大きな木の陰に隠れていく。

 ゴミ置き場から少し離れた休日の小学校の体育館裏は当然だけど誰もいなくて、ただカラスの鳴き声だけが聞こえてくる。

 遠くを走る救急車の音と角を曲がるバスの停車音。

 そんな日常を押しのけるように俺にしがみついてくる吉野さんを俺はなんとなく抱き寄せる。

 吉野さんは繋いでいた手を離して、俺の腕の中に身体をクッと押しつける。

 胸元に入り込むように、そこに収まるように強く。

 そして俺の胸元の制服をクッ……と握った。

 あまりに吉野さんが近くて、右手に持っていた野球ボールがポロリと落ちて転がっていく。

 吉野さんはうつむいたままだった顔を上げて、まっすぐに俺を見る。

 真っ黒な髪の毛が夕日に照らされてオレンジ色に光り、細くて艶やかな唇が開いて、


「辻尾くんが私のこと、たくさん知ってくれたから言えたの」

「うん」


 心臓がバクバクと大きく音を立てて、自分に聞こえる。

 吉野さんは目を少し苦しげにに歪ませて、


「もっと好きになって」

「……うん」


 そう言って身体ごと俺に再びぶつけて、俺のほうをまっすぐに見て、


「辻尾くんが好きなの」

「……俺も吉野さんが、すごく好きだ」

「嬉しい。もっと……もっともっと私を好きになってほしいの。強くなりたい、弱くなりたい、違う私になりたい、もっと悪い子になりたい」


 そう言って吉野さんは俺の胸元の制服をカリッ……と指先でひっかいた。

 その感覚に心臓が痛む。

 目の前には夕日が斜めに落ちた吉野さんは居る。

 その表情は甘くて、可愛くて、でもどこか儚くて、今にも泣き出しそうなのに、すごく甘美で。

 俺はなんとか言葉を探す。


「……もっと悪い子?」

「そう。もっともっと、悪い子にして?」

「ちょっと、あの……やば……」


 俺が何も言えずに身体を引くと、吉野さんは俺の胸元の服を掴んでそのまま背伸びをして、俺の唇にキスをした。

 状況と吉野さんの言葉がすごすぎて、背中の木に身体を預けたまま力が抜けてそのまま座り込む。

 膝の間に吉野さんが座っている。夕日の影に入った吉野さんの瞳が潤んでいる。

 吉野さんは俺の膝の間にグイグイと入ってきて抱きついてきた。

 もっとキスしたい……と思ったら、吉野さんは俺の胸元に入って頬をすり寄せて子どものような丸い笑顔を見せて、


「……落ち着く。辻尾くんに抱っこされるの、ほんと落ち着く。ここが好き」


 ……こんなことを言われて引き剥がしてキスできる男がいるだろうか。

 少なくとも俺は無理だ。吉野さんの、こんな安心している顔、今日はじめて見たからだ。

 心の奥底から安心して、そのまま眠りそうなほど優しい丸い笑顔。

 ずるい……すごくずるい、ものすごくずるい気がするけど、利用されてる気がするけど……そんなの全部放り投げてどうでもよくて、とにかく俺の胸元で丸まっている吉野さんはメチャクチャ可愛い。

 俺に抱きしめられて落ち着くなら、どれだけだって抱っこしていたい。 

 吉野さんの笑顔が一番みたいんだ。

 俺は吉野さんの背中を優しく撫でた。

 

「……おつかれさま」

「えへへ。すごく頑張ったーーー! すごく、がんばったーーーー!」


 吉野さんはスッと立ち上がって背伸びをした。 

 さっきの悪い顔はどこに消えてしまったのか……悪い吉野さんに協力をしたい……。

 吉野さんは膝についた葉をパンパンと叩いておとしてポケットからキャラメルを出した。


「えへへ。取って置いたの。終わったら食べようと思って、ずっとポケットに入れておいたらふなふなになっちゃった」

「……俺も食べようかな」

「辻尾くんと一緒に駄菓子屋さん行きたい。それに山登りも、お散歩するんでしょ? いつがいいかな」

「とりあえず中間かも」

「あー……そうだー……それで点数取らないと自由ないかもー……。今週末も一緒に勉強しよ?」

「……ああ」


 俺と吉野さんは駅に向かってゆっくりと歩き出した。

 もっともっと吉野さんとしたいことがたくさんある。

 今日も明日も、明後日も、ずっとずっと。

 今までより強く、すっきりとした笑顔で背筋を伸ばす吉野さんを俺は後ろから追った。

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