第17話 吉野さんだけの記録を

「うわ……懐かしいな。グラウンド」


 俺は久しぶりに降りた陸上のグラウンドで空を見上げた。

 昔から走るのが好きで、中学校で陸上部に入った。

 その部活で盗撮犯と疑われて中二で辞めて……そのまま不登校になった。

 でも走る場所をバイト先に変えただけで、正直そこまで未練はない。

 走っているのが気持ち良いだけで記録とか興味が無いし。

 でも陸上競技場は上から見下ろすのと、下に立つのでは景色が全く違う。


「辻尾っちーー、はーーーい、よううぅい、どーーん! キャーー勝負ーー!」


 スタートライン付近に立っていた俺の横を穂華さんが走っていく。

 そして5mくらい前の所で「早く! 早く!」とジャンプしている。走ればいいのか?

 俺は久しぶりにグラウンドを軽く走り始めた。

 応援団が丁度テンポが良い曲を演奏していて、気持ちが良い。

 足に伝わる感覚が『正しくて』背筋が伸びる。

 いつもゴミとかを避けながら走ってるから。

 穂華さんの横に並んで軽く追い越すと、どうやら穂華さんはわりと本気で走っていたようで「えーー?!」と叫んでいる。

 100mのゴール付近に吉野さんが居たので、そこで止まると、ものすごく笑顔で目を細めてくれた。

 思わず手を出してハイタッチ……なんてしないけど、俺はすぐに立ち止まった。

 その横を穂華さんが転がりこんでくる。


「ちょっと。めっちゃカモシカみたいに走るじゃん。足がはやいーーー」

「中学の時陸上部だったから」

「なんだー、パソコンオタクの陰キャっぽいから勝てると思ったのにーー」


 あーん疲れたと穂華さんはグラウンドに転がった。

 その横に吉野さんがきて、ちょこりと膝を抱えて丸まって座った。


「辻尾くんはクラスで三番目に早いですから」

「えっ?! 地味顔なのにサギじゃん~~」

 吉野さんは目を伏せて、

「足が速いのすごいと思う。私は……やっぱり苦手だな。タイムもクラスで真ん中くらいだし」

「紗良っちはこれ以上何かできなくていいっしょー」

「そうかな」

「もう友梨奈くらいになるとキモいよ。アイツ最近体操教室で、鉄棒グリングリン回ってる動画送ってきたんだけど、見た?」

「ハマってるみたいね」

「なにあれキモい。重力ぶっこわれてる。あ、知ってる? 私紗良っちの妹の友梨奈と親友で愛し合っちゃってるんだけど、もう友梨奈の鉄棒キモいの~~」

 そう言って穂華さんはポケットからスマホを出して動画を再生してくれた。

 そこには身長より大きな鉄棒でグリングリン回ったあと、すぐに降りて問題集を解く……というよく分からない動画だった。

 LINEの写真しか見たことなかったけど、動画でみると吉野さんによく似ているけど、もう少し派手で、利発そうな子に見えた。

 髪の毛も染めているし、吉野さんより派手なのでは……? 

 いや、しかし……。俺は見ながら吹き出した。

「変な人だな」

「でしょーー? なんか鉄棒キメてるのが数学解いてるのか分からないんだけど」

 問題集を見ると、かなり高度な問題集を解いているのが分かった。

 なるほど。これが吉野さんの完璧な妹……友梨奈さん。

 もっとキツそうな人を勝手にイメージしていたけど、取っつきにくい感じでもないのか。

 まさにパーフェクト。こんな人が身近に居たら……。

 俺は横で一緒に友梨奈さんの動画をみて笑っている吉野さんを見て思った。




「吉野さん、おつかれさま」

「辻尾くん! 待った?」


 最近はバイト終わりに一緒に途中まで帰るのが日課になっている。

 店の近くで待っていたら、今日はベージュのふわふわとしたウイッグにピンクのメッシュ、そして白のハイネックセーターにピンクのロングスカートを履いた吉野さんが走ってきた。

 真っ暗な街の中で白が多めな吉野さんは、その可愛さもあって光って見える。

 サラリーマンたちがチラチラと吉野さんを見たのが気になって走り寄る。

 

「今日はすごく忙しかったー。写真騒ぎでふたり辞めちゃったの。募集かけて今面接中だってー」

「そうか」

 

 ふたりしか辞めなかったのは意外なくらいの事件だと思うけど、時給1800円は高校生にしては高いので理解できる。 

 吉野さんは鞄を肩にかけ直しながら、


「でも他の子も言ってたけど、そんなこと言ったらインスタに写真上げてるのだって全部アウトになるからさ、ネットにあげた時点で50%くらい諦めないとって」

「いやいや。店で働いてるなんて風に写真上げられるのは稀だし、怒っていいことだよ」

「えへへ。辻尾くんが気がつかなかったらうちら永遠に載せられてたよ。ありがとうね。今もバイト先で神様扱いだよ」

「……はやめに気がつけて良かったよ」


 とはいえ、あのオーナーは他にも風俗店をたくさん持っているので、また転載する気がしてたまにチェックしている。

 うちの店長がこってり絞ったと言っていたから大丈夫だと思いたいけど、三ヶ月もするとまたやり始めるんだ。

 俺はふと思い出して、ポケットからスマホを取りだした。


「これ。学校のだけど……どうかな。良い感じに編集出来てると思うんだけど」

「ん? なになに?」


 信号待ちの交差点、吉野さんは俺のほうに身体を寄せてスマホ画面を見た。

 それは今日バイトの空き時間に編集していた動画だった。吉野さんがミシンで布を縫っているものだけど、真剣な表情で説明している吉野さんがかなりカッコイイ。

 そして手元もキレイに入っているし、なにより……最後に完成品を持って俺のほうに笑顔を見せるシーンがすごく可愛く撮れた。

 吉野さんは俺の腕をぎゅっと掴んで、


「……ちょっと、なんだか恥ずかしいですね」


 と学校の話し方になった。俺はそれがなんだかものすごく好きで気になって顔を見ると、吉野さんは恥ずかしそうに目を逸らした。

 信号が青になって歩き始める。


「……吉野さんは、吉野さんの良い所がすげーあるって、動画とかで残したら、いいんじゃないかって思ったんだ」

「え?」

「友梨奈さんもすごいけどさあ、吉野さんの良いところって、わかりにくいかなって思って。動画って誰かに撮ってもらわないと残らないだろ? 自撮りには限界がある。友梨奈さんはわかりやすいからさ、あんな鉄棒でグリングリンとか俺もできないよ。思わず動画に撮りたくなる。でもこうやって学校の活動をしっかりしてるのって、残りにくいじゃん。だからちゃんと残そうかなって」


 俺がそう言うと、背中のリュックが思いっきり引っ張られた。

 歩き出そうとした動きと引っ張られた動きで膝がガクンとなる。うげげ!

 交差点渡ったところで、吉野さんが俺のリュックを両手でグイッと引っ張って立ち止まっていた。

 その表情は口を尖らせていてまっすぐに俺を見ていて……それでも全然怒ってない、照れていて、嬉しい……公園で会ったときの吉野さんの表情だと分かった。

 道の真ん中だったので、そのまま列車ごっこのようにズルズル……と移動してみる。吉野さんは俺の鞄を掴んだまま付いてくる。

 俺は思わず後ろを見ながら、


「小学校の時、こういう遊びしてない……よな? こうお互いのランドセルを持って電車ごっこ。俺は小学校の時にこれで巨大列車を作って先生にめっちゃ怒られた」

「……ありがとう。動画、嬉しい」


 そう言って吉野さんは俺のリュックをグイッと引っ張った。

 その反動でひっくり返りそうになるが、後ろに体重をかけてなんとか体勢を保つ。

 左肩のすぐ後ろに吉野さんがいて、まだ口元を尖らせている。嬉しいことがあると尖る口って面白いな。

 歩きだそうとしてもカッチリとリュックを掴まれていて前に進めなくて笑ってしまう。


「もうこのまま、帰る?」

「……電車、する」

「おっけー。じゃあそのまま持ってて。あー……中央本線、左側のドアが閉まりまーす。ご注意ください」

「……そこまで必要?」

「やったほうがいいのかなって」

「発車してください」

 

 背中のリュックを吉野さんが掴んだまま俺たちは夜の街を歩き始めた。

 それをみたサラリーマンたちが「おお? いいねえ、俺たちも社畜列車するかあ~~」と酔っ払って肩を掴んで踊り始めた。

 「先輩それジェンカっすよ~~おえええ飲んで飛ぶのマジアウトっす」と新人っぽい男の子が叫んでいる。

 ジェンカ懐かしすぎる。きっと吉野さんはそういうのを、全然してないというか、してきても……心の底から楽しむことは出来なかったのかな。

 俺は速度を弱めて、吉野さんの方を向いて、


「もし良かったら、もっと遊ぼうよ、子どものころの遊び。なんか聞いてると、何もしてないっぽいじゃん。色々あるじゃん、ガキの遊び。願い石はもうやったから」

「全然ダメ。あれ全然出来てない。また今週も、だからね!」


 そう言って吉野さんはリュックから手を離して俺の横にきた。

 そして髪の毛を耳にかけて、


「うん。辻尾くんともっと遊びたい。子どもの遊び、たくさんしたい。何もしてきてない。……まだ間に合うかな?」

「間に合うよ。俺たち高校生じゃん。まだまだ子どもだぜ。まあ、社会人でも一定数いるけどさ」


 俺たちの前には酔っ払ったサラリーマンたちがジェンカを踊りながら駅に向かっている。

 吉野さんはそれをみて、


「あれ何?」

「フォークダンスだよ。中学校の後夜祭とかで踊らなかった?」

「そんなの無かったよ。楽しそう」

「たくさん一緒に遊ぼう、秘密の親友だし?」

「……うん!」


 俺たちは夜の街をゆっくりと歩き出した。

 昼に友梨奈さんの動画を見て思った。本人に会ったわけじゃないし何も分かってないと思う。ただ……メイクをして別人になろうとしている吉野さんの顔は、友梨奈さんに似ている気がした。どうしようもなく吉野さんは妹の友梨奈さんに「なりたい」んじゃないかって思ってしまった。

 そんなことしなくていいと俺は思う。

 吉野さんは吉野さんのままで、ものすごく良い。

 すごく頑張ってて真面目で、いたずらっ子で、嬉しいと口を尖らせる。それに甘えん坊だ。

 そんな吉野さんを、吉野さんがいいと思ってほしい。

 だから動画にまとめようかなと思ったんだ。

 

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