第16話 もっと、もっと


「ういっす、陽都おはよ」

「中園おはよ。いや、目が開いてねーぞ」

「月曜日はまーーじで無理だな。日曜の夜に大会戦が多すぎて朝キツすぎる」


 中園はそう言って前の席に座って、すぐに机に倒れ込んだ。

 天パーの茶色の髪の毛はいつも以上にモサモサで、もうそのまま家から出てきた感がすごい。

 それでもクラスの女子や、廊下には中園を見ている子たちが大勢いるのをみると、さすがファンを抱えたゲーマーは違うなと思う。

 スマホをいじってると、ふわりと……これは湿布の匂い……? いや、バンテリンだな。 

 陸上部に入ってた時、塗っていたから分かる。

 今もバイトがメチャクチャ忙しかった時は足が痛くなるので塗っている。

 なんか筋肉が熱くなって気持ち良いんだよな、あれ。

 匂いの方向を向くと横に吉野さんが立っていた。


「辻尾くん。おはよう。今日のお昼の委員会、活動場所が陸上競技場に変更になったそうです」

「あ、わかりました」


 と頭を下げた。

 クラスのやつらは「誰と誰が仲がいい」「誰と誰が話した」とか常にチェックしてる気がする。

 だからみんながいる前では「委員会仲間」の距離をしっかり保ったほうが良い気がする。

 すると前の席で眠っていた中園が顔を上げた。


「……この匂い……バンテリンじゃね?」

 その言葉に吉野さんは立ち止まる。

「すいません、匂いましたか。昨日……少し……運動をして、その結果腕と背中が筋肉痛になったので朝塗ったんですが、結構匂いますね。知りませんでした、臭いですか」


 俺はその言葉を聞いて唇を噛んでうつむいてしまった。

 昨日運動。腕と背中。それって願い石の所で延々と石を投げたせいでは?

 それで筋肉痛になってバンテリンを塗ってきたのか。

 俺は面白くてニヤける口元をなんとなく右手で口元を掴むことで誤魔化す。

 中園はクンクンと鼻を鳴らして、


「いやごめん。久しぶりにこの匂い嗅いだから普通に言っちゃった。てか匂いがない湿布もあるのに、女子で珍しくね? 吉野さんって運動のイメージないけど、何したの?」

「えっと……」

 吉野さんはうつむいて、少し目を左右に泳がせて、

「……テニスを、少し?」


 と言った。

 テニスを? 少し?

 俺はその言葉を聞いて笑ってしまわないように、ただ目を閉じた。

 石を池に投げる……どんなテニスだ。

 目を閉じていると、テニスラケットを持って願い石の池で素振りをしている吉野さんが浮かんできて笑えてきてしまう。

 吉野さんがテニスをすると聞きつけたクラスメイトが走り寄ってきた。


「えっ、吉野さんテニスするんだ? じゃあ部活入らない? テニス部部員大募集中だよ~」

「いえ、突発的にしただけで、そんなに上手ではないです」

「えー? 吉野さん入ってくれたら男子部員も増えそう。今度体験! どう?」

「考えておきます」


 吉野さんは丁寧に頭を下げて断った。

 突発的にしたテニス。確かに突発的だった。

 「運動は好きじゃない」と言っていたので、本当はテニスなんてしないんだろう……状況が面白くて仕方がない。

 石を投げて筋肉痛になるなんて、わりと運動不足なのでは……と思うけど、よく考えたら昨日は30分以上あの願い石の所にいた気がする。

 しかも本気で投げてたもんな。痛くなるかもしれない。

 前の席の中園も再び眠りはじめたし……とスマホに戻ると吉野さんからLINEが入った。


『笑ったな?! 朝起きたらすっごく痛くてね、お母さんにそれがバレて塗られたの! こんなに臭うなんて知らなかったよ! 酷くない?! シャワー浴び直す時間もないし!』


 女子高校生にバンテリンを問答無用で塗るのは少し酷いかもしれない。わりと匂うし。

 俺はスマホからチラリと顔を上げて一番前の右側の吉野さんの席を見る。

 吉野さんは肩越しに「むうう~~~」と俺のほうを睨んでいた。

 もうだめ、面白すぎる。口が尖っていて無茶苦茶可愛い。俺はすぐにLINEに、


『その表情、学校でして大丈夫なの?』


 と打った。それをみた吉野さんはスンッといつも通りの表情になりスマホに戻った。


『そんなに臭い?』

『バンテリンは少し塗るだけですげー匂うからそう言われただけ。わりと早めに匂い消えるし、痛みに効くからいいと思うけど』

『辻尾くんがいいなら、いっかな』


 そう答えて『OK!』とクマさんが踊るスタンプが押された。

 俺がいいなら、いいって。なんだかその言葉がすごく嬉しくてもう一度吉野さんのほうの席を見たら、吉野さんも俺を見ていて目があった。

 そして口元をにんまりさせて前を向いた。ああ、吉野さんが可愛すぎる。





「わ……すごいな。こんな風に練習するんだ」

「私も知らなかった。でもよく考えたら、練習しないと出来ない内容かも」

「わーー、すっごい、派手、可愛い、学ランでスカート、ハチマキがリボンだ、かわいいい~~~!」


 昼休み。委員会の仕事が陸上競技場になったと聞いて、吉野さんと穂華さんと俺の三人で来たら、応援団の子達が練習をしていた。 

 うちの学校はかなり大きな私立で小学校から大学まで同じ敷地内にある。

 敷地がかなり広くて、演劇用のホールから野球場から陸上競技場まで色々あって、部活も豊富だしみんな強い。

 使っていない時間帯は一般の人達に貸し出したりして収益を上げているようで、施設の機能もかなり充実している。

 体育祭を行うのは陸上競技場なんだけど、席の取り外しが自由に出来る空間があり、体育祭の時はそこで吹奏楽部、応援部、ダンス部、演劇部の子達が合同でチームを組み、応援合戦をする。

 小学生のダンス部の子がタンバリンを持って踊っている姿が微笑ましい。

 体育祭が土曜日なのもあり、小学校中学校大学からも参加者がいて、年齢の幅があるところがウチの学校……という感じがする。

 衣装は映像部の衣装部が手がけているらしく、今年のテーマは『男女ミックス』。

 上は学ラン、下はスカート、ピンク色のハチマキは後頭部で大きなリボンとして結ばれていて、それを揺らした女の子たちが楽しそうに踊っている。 

 男子は上がセーラー服で下がパンツで水兵さんのようだけどマントがついていてカッコイイ。

 穂華さんは目を輝かせて、


「すごい、めっちゃ衣装凝ってる。うちの学校の衣装部、私の所属事務所より絶対イケてる~~~」

「入ればいいじゃない。ここのダンス部有名よね?」

「まーーじでそのほうが青春できる気がしてきた。うちの事務所、所属してる子多すぎて扱いが雑なんだよなあ。ええーー、マントしてるのに楽器ってカッコイイー!」

「確かに。あれはかっこいいな」


 俺も頷いた。

 去年はただ体育祭というお祭りを見てただけだけど、こんな風に準備の工程を見ながら関わるのも楽しいと俺は少しずつ思い始めていた。

 まあ俺たち実行委員会はそんな花形ではなく、とにかく地味な仕事の連続だ。


「さて。はじめますよ。席にひたすら養生テープを貼ります」


 そう言って吉野さんはIKEAの巨大な袋から大量の養生テープを取りだした。

 陸上競技場の席にひとつひとつナンバーなんて書いてないので、養生テープを張って事前に席決めをする。

 ここは一階席から三階席まであって、中学の時陸上していた俺だって、こんな大きな所県大会以上の場所だ。


「あぐああ~~、私もダンス部入ってあっちで踊る方が良かったああ……」


 穂華さんは吉野さんから養生テープを受け取ってうなだれた。

 吉野さんは微笑んで、


「穂華、ダンスもっとしたいって言ってたから良いんじゃないかしら。見学行ってみたら?」

「うん!! なんか楽しそうって思う。あっちの練習してるほう、テープ係してきて良い?」

「いいわよ。階段気をつけてね」

「はあーーい!」


 そう言って穂華さんはツインテールをピョンピョンさせながら練習している応援団のほうに向かった。

 吉野さんは一緒にきている実行委員の人達に次々とテープを渡して指示を出していく。

 俺もテープを受け取って……と思ったら、吉野さんの制服のポケットから養生テープが入っていた小さな袋がはみ出していた。

 

「吉野さん、こっち側?」

「そうですね。プリントに担当箇所を記入してあるので確認してください」


 指示を出しながら歩く吉野さんのポケットからポロリ、ポロリと空の袋が落ちてくる。

 俺は少し楽しくなってそれを集めて後ろからついて行く。


「……あ。落ちてましたか、すいません」


 それに気がついた吉野さんが振り向く。

 俺はそれを自分のジャケットのポケットに入れた。


「パンパンになってるから、戻ってあっちにあるIKEAの袋に入れとくよ」

「そうですか。じゃあ、私のポケットに入ってる分も、お願いしますね」


 そう言って吉野さんは自分のポケットに入っていたゴミを取りだして、俺の制服のポケットに入れた。

 俺の手はまだポケットの中に入っていたのに、後から吉野さんの手も入ってきて、ポケットの中でふたりの手が絡まる。

 

「!!」

「よろしくお願いしますね」


 そう言って吉野さんは、俺のポケットの中で指を絡ませた。

 そして俺のほうをみて目を細めた。

 俺はものすごくドキドキして、それでももっとこの手に触れていたくて、指を数本ギュッ……と握った。

 すると吉野さんから手を入れてきたのに、パッと俺の方を見て口を尖らせて、


「(もう!)」


 と小さく言ってポケットから逃げ出して三階席の方に走っていった。

 吉野さんがしてきたから、俺もしたのに。していいのか、しちゃダメなのか分からない。

 でもそれがいい。少し近づいて、でもダメで、でも触れたくて。

 もっと吉野さんに近付きたい。

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