第15話 優等生のままで(吉野視点)

 朝8時半のトランクルームの中はキンキンに冷えていて、春なのに真冬のように寒い。


「今日はこのウイッグにしようかな。パサついてるからそろそろ洗わないと」


 私は黒に緑のインナーカラーが入っているウイッグを取り出した。

 今日使って、帰りに漫画喫茶寄って洗おうかな。

 ついでに何個か洗ったほうが良いかもしれない。臭いとか辻尾くんに思われたらつらいもん。

 ウイッグは毎日洗えないからツライ。

 でももうこれは大切な私の一部。

 その場でスマホを立ち上げて、漫画喫茶のシャワールームを夜予約する。

 ウイッグはシャンプーで丁寧に洗って乾かすのが大切なんだけど、変身していることを絶対に知られたくないので家では洗えない。 

 最初に考えたのは銭湯だったけど、銭湯でウイッグを洗って良いのか分からないし年配の方が多いから驚かれそう。

 どうしようかなと思って思いついたのが漫画喫茶にあるシャワールームだった。

 あそこは追加料金なしで、シャワーを浴びることができる。

 私は週に一度は漫画喫茶に行き、ウイッグを洗っている。

 前は一ヶ月に一度だったけど……今は本当は毎日でも洗いたいよ。


「どの服にしようかなー!」


 家から着てきた普通の服を脱ぎ捨てて、衣装ケースに入れてある服の中から選んだ。

 最初は数枚しかなかったのに、今は20着以上かわいい服がある。どれも胸元も大きく開いたり、丈が短かったりして『優等生な吉野紗良』が着る服ではない。

 最初に買ったVネックの白いセーターを取り出す。これにしようかな。


 これを買ったのは一年前。恒例の食事に連れ出されて、その帰り道だった。

 友梨奈はそのまま塾にいき、私は町をふらふらして帰ろう……そう思って歩いていた街角のショーウインドウでコレを見た。

 Vネックセーターとミニスカート。すごく可愛くて見ていたら店員さんに「試しに着てみませんか?」って言われた。

 ちょうど手元に一万円もあったし……私は軽い気持ちで店に入った。

 このお金は、使い道もなく貯め込んでいたから適当に使っちゃえばいいかと思った。

 議員の人たちと食事をして渡される『交通費』。

 これは「何かあった時によろしくね」のお金だと私は理解していた。

 私たちは議員の人に呼ばれて、商店街のイベントで司会をするとか、地元の飲み会でお酒を運ぶとか、そういうコンパニオン的なことをさせられていた。

 それが嫌で嫌で仕方がなくて、でもお母さんの手前断れなくて。そのお金を使ってしまおうと思った。


 試着すると、真っ黒な髪な私には全然似合わなかったけど、店員のお姉さんがウイッグをその場で貸してくれた。

 ベージュの髪の毛にVネックの白セーター、それにお店の人が楽しんでしてくれた簡単なメイク。

 その場で全部買って家で着て興奮した。


 私が私じゃない。

 違う、正確には『お母さんに望まれてない姿をしてるのに楽しそうな私』がいた。

 私が当時着ていたのは全てお母さんが好きそうな服を選んで買っていた。

 白のシャツ、地味なパンツ、地味なカーディガン。

 一度「良いわね」と言われたら同じ服を二枚買った。

 家でも制服を着ているような毎日。

 一度、少しだけ派手な服を買ったら「こんなの紗良らしくないわ。やめなさい」と言われた。


 それを思い出して青ざめた。

 こんなの家に置いておけないよ、怒られちゃう。


 私は旅行用のキャリーバッグを引っ張り出してその中に入れた。それが全ての始まり。

 最初はキャリーバッグを持ち出して変身してたんだけど……すぐにお母さんに「最近それを持ってどこに行ってるの?」と聞かれた。

 そりゃそうだ、これ以上は無理と察した。でも変身して外を歩く快感を覚えてしまった私は歯止めがきかず、トランクルームに移動させた。

 ここは昔お父さんが本を置くために借りた場所だ。たまに私が本を借りに行くだけで、お母さんは全く立ち寄らない……なんなら存在を忘れてることを知っていた。

 もし入られたらって事もちゃんと考えて手前は本のバリケードを置いた。

 衣装ケースの中も手前は本。その奥に服や靴やメイク道具を入れている。

 交通費として渡されたお金は、すべてここにつぎ込んだ。

 友梨奈は勉強のために使ってるのに、私は私を変えるために使ってる。

 でも気持ちがよくて仕方がない。

 悪意なき正しい世界で、別人になる時間だけが私を救っていた。

 もっと可愛くなりたい。そう思って始めたバイトで辻尾くんと出会った。



 辻尾くんのクラスでの印象は「中園くんの親友」だった。



 中園くんは一年生の時から顔出しゲーマーでイケメンで有名人だった。

 陽キャで物事をはっきり言う、男女関係なく話す学年の人気者。

 一年生の間だけで彼女が何度も変わった。

 その中園くんの親友……横にいる地味な子。それが辻尾くんの印象だった。

 でもその評価は一変した。

 繁華街で私を助けてくれた辻尾くんは、あの大人ばかりの街を勝手知ったる顔で生きていてすごくカッコ良かった。

 そのギャップにドキドキした。

 そして変身して好きに生きている私をすぐに受け入れてくれた。

 学校で素の私になるなんて……絶対に許されないお母さんをこっそり裏切るのが気持ち良くて、ざまあみろって思えるから、辻尾くんを軽い気持ちで誘った。

 少しだけある背徳感、最高に気持ちが良い。

 そう思っていたら、辻尾くんが委員会に立候補してくれた。

 あのときは冷静な表情をなんとか保ったけど……実はトイレで泣いてしまった。

 踏み越えてきてくれた、私のところに、学校の私のところに、近づいてきてくれたんだ。

 誰にも気がつかれずに変身して好きに生きてる私を知っていて、尚、学校の私に近づいてきてくれた。

 それは私の中を派手に破壊されるほど、自信に繋がることだった。


 だってずっと「悪いことをしてる」と思ってきたから。


 たぶんあの瞬間に、私は辻尾くんを好きになった。

 

 辻尾くんも私のこと好きだよね? ドキドキしてほしい。私を好きになって、もっと好きになってほしい。

 表の私も裏の私も全部好きになってほしいの。 

 でも、私が好きに恋愛することをお母さんは良いと思わない。

 友梨奈は今、お昼ご飯の会で紹介された議員の息子と付き合っている。

 友梨奈は昔からお見合い肯定派だった。

 「不潔で仕事しなくて殴ってくる男じゃなきゃ誰でもいいよ。ソレ見極めるのムズくない? お見合いってさ、ダメだった時にその男と別れられる保険だと思うんだよね。責任押し付けられるなんてラッキーじゃん?」と。

 お母さんは嬉しそうに、

「友梨奈の結婚の責任は全部ママが取ります! 紗良も特にしたいことがないなら、早めに結婚したらどう? 早めに子どもを産んでからしたいことを探すのも良いと思うのよ」

 と笑った。

 その話を聞いて鳥肌が立った。

 お母さんは今、大学に保育園を作る活動をしている。少子化解消のためには早めに子どもを産み、しっかり働こう。

 それがお母さんが今言っている『公約』なのだ。

 それで選挙に出ようとしているのを聞いた。

 お母さん自身私たちを産むのが遅くなって社会復帰が遅くなったことを後悔しているらしいから『本音』なのだろう。

 それにどうせ産むなら早いほうが、それを社会がサポートする動きがあっても、別に良いのだ、別にいい。

 ただ、私は私の考えで生きていきたい。

 友梨奈ほど立派じゃないけど、お母さんほど立派じゃないけど、私だって、私がある。

 私はお母さんのコマじゃない!!!



「いっそ悪人なら憎めたのに」



 辻尾くんはお昼の公園でそういった。

 その言葉を聞いて「私が今の環境を、家を憎んでいる」と気が付いた。

 憎んでいいんだと思った。

 何も悪く無くて、みんな頑張ってて、どうしようもなくて、それでもつらいのを憎んでもいい。

 そう思ったら、泣いていた。


 でもそんな私は絶対に知られたくない、

 お母さんにこれ以上見捨てられるのが怖い。今以下の存在になるのが怖い。


 素の私が出るたびに一瞬怖くなる、嫌われちゃったかなって思う。

 それは私のクセ。でも辻尾くんはいつも笑って受け入れてくれる。

 辻尾くん、すごく育ちが良いんだと思う。

 色んな人たちに囲まれて悪い人も、良い人も、たくさん知ってるから、優しいんだと思う。

 人を許す幅が広いのね。どんな私も否定しない。それがものすごく嬉しいの、こんなのはじめて。


 ねえ、私をもっと好きになってよ、辻尾くん。

 もっともっと好きになって。

 穢れていく私を、誰より愛してよ。


 

 

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