第14話 吉野紗良という生き方(吉野視点)

 怖い。どうしよう。

 舞台の袖で手が震えて怖くて仕方がなかった。


「紗良ちゃん、大丈夫だよ。先生が横でずっと見ててあげるからね。怖くないよ」


 そういった幼稚園の先生の目が真っ赤だったのを覚えている。

 それが寝不足なのか、疲れなのか、あの頃の私には分からなかったけど今なら分かる、私と同じ責任感から来る恐怖だ。

 先生が握ってきた手はキンと冷たくて氷みたいだった。

 冷たい私の手に、先生のさらに冷たい手が乗り、痛い。 

 怖いけど絶対に逃げるわけにはいかなかった。

 お父さんがせっかく見に来てくれてるんだから。


「おひめさま、ここにきて歌ってよ。君の歌はみんなをよろこばせるよ」


 舞台の上で男の子がセリフを言った。

 行かないと!

 でも足が動かない。失敗しそうで怖い……でも出ないと!

 私はふらふらと舞台に出た。

 ライトが私を照らしていて熱い。たくさんの目が私を見ている、何も聞こえない、心臓の音が身体中を支配する。

 私は必死に観客席の一番後ろに座っているお父さんを見た。

 その横には大きなライトとテレビ番組のカメラ。

 ああ、絶対に失敗できない!!


 ……それでも後でみた動画では私は完璧に歌って踊っていた。

 その時の記憶はない。

 ただふらふらと飛び出した瞬間とカメラのライト……それしか覚えてなかった。


 私のお父さんは地元の議員だった。

 商店街の人たちを守るために代表になったけど、人望が厚く、そのまま市議会議員になった。

 市長を三年務めて、次は国政へ……期待されてテレビに取り上げられるようになった。

 将来有望な議員、娘ふたりのお遊戯会を見学、そんな軽いコーナーだったけど、幼稚園側は気合いを入れた。

 気がついたら自分で立候補したきのこの役ではなく主役になっていた。

 長くひとりで歌う役。私は元々歌が好きじゃなかったから、やりたくなかった。

 でもみんなと踊るのは大好きだったから、きのこの踊りがしたかった。

 先生は毎日私のために練習をしてくれて気がついた。

 私が失敗すると、幼稚園の先生も、お父さんも、お母さんも困っちゃうの?

 すぐに怖くなった。


「わたしはたのしみ! すっごくたのしみ! おとうさんがみにきてくれるなんて! わたしも主役になったんだよ!」


 そう言って無邪気に笑っていたのは妹の友梨奈だった。

 事実友梨奈はテレビのインタビューも、お父さんへの一言も、お母さんへのねぎらいの言葉も、年中ですべてこなして見せた。

 そして年中の劇では、誰より長く中心で歌い、大きな拍手を貰った。

 実際テレビに流れたのは友梨奈のことだけで、私のところは丸々カットされていた。

 


 あのお遊戯会を力に変えたのが友梨奈。

 あのお遊戯会で死んだのが私。



 その後お父さんは病気で死んで、家にはお母さんと友梨奈、私だけになった。

 お母さんはお父さんの地盤を引き継ぎ、活動をはじめた。元々才能がある人なのだろう、その華やかさと強さ、そして父を失った美談と共に人望を集めていった。

 友梨奈は「医者になる」と宣言。

 病気の研究がしたい、もっと知りたい、人間の身体を。

 そう宣言してお母さんや議員さんたちを喜ばせていた。

 今も思い出す、私を照らすスポットライトと、正面で私を見ているお父さんを。

 ライトで全然顔が見えないよ。

 私、すっごく頑張ったけど、歌ったことも、踊ったことも、何も覚えてないの。

 それでも私の歌、お父さんに届いたかな?

 私だってお父さんを大好きだった。




 でももう、永遠に言えない。




「お姉ちゃん、ねえちょっと、大丈夫? またうなされてたよ」


 目を開くと目の前にベージュの髪の毛をした友梨奈がいた。

 そしてもうバッチリとメイクをしていて、朝から完璧に可愛い。

 私は汗だくのパジャマを手でギュッと握り身体を起こした。


「……友梨奈、おはよう。ごめん、怖い夢見てた」

「もお~~~。マジでお祓いとか行ったほうが良くない? そこまで悪い夢見るって何?」


 友梨奈は私の布団にトスンと座って唇を尖らせた。

 ベージュの髪の毛に合うキレイなグロス。

 私は少し落ち着いてベッドから出て、


「また叫んでた?」

「う~う~って聞こえるから心配になって部屋入って呼吸チェックしちゃったよ」

「さすが未来のお医者さま。私が家でぶっ倒れても安心ね」

「お姉ちゃん、マジで一回病院行く? 精神科なんて今はかっこ悪いことじゃないよ。心の風邪なんて誰だってひくんだから」


 引き出しから服を取りだしていると、横で友梨奈が膝を抱えて丸くなって、私のほうを見た、

 本当に心配してくれているのがよく分かる表情で、だからこそ何も言えなくなってしまう。

 だって私より頑張っていて完璧な友梨奈は『心の風邪なんて引いたことないから』だ。

 私は弱い。お母さんだってそんなこと知ってるけど、それを自分で言うなんて、絶対にできない。

 友梨奈は私の横に座り込んであぐらをかき、


「穂華なんて『昼寝しすぎて寝れないからヤクよこせ』って勝手に私の部屋に入ってくるんだけど、あいつ学校で大丈夫? なんとかやってる?」

「頑張ってるわよ。薬なんて言われても困っちゃうわね。友梨奈が処方できるわけじゃないのに」

「そうよ。私の事なんだと思ってるのか!」


 友梨奈は口を開けて首をふってアホな表情を作った。

 友梨奈が高圧的や嫌な妹だったら、憎めたら、もう少し楽だったかもしれないなんて思ってしまうほど、妹の友梨奈は完璧だ。

 シャワーを浴びるために服を持って部屋を出ようとすると、友梨奈は階段も付いてくる。


「お姉ちゃん、今日も朝から出かけるの? 休みの日のたびに出かけるの大変じゃない? お昼に美味しいものも食べられるしお金も貰えるじゃん! 私が一緒ならどうかな? お母さんは気にするなって言うけど、私は気になるよ」


 私は持っていた服をギュッ……と掴んだ。

 これは家から出るようの『よい子の服』。目の前の友梨奈が着ている服と同じものだ。

 お客さんはお昼すぎまで家にいて、その後一緒に食事にいく。

 そこでは食べながらこの国の未来、区の問題、そして人々の悩み……幅広く議論される。

 お母さんは議論が好きで、いつもそこで三時間くらい話す。そして友梨奈はご飯だけ食べてお小遣いを貰って帰っている。

 私も何度か連れて行かれたが、帰るタイミングが掴めず苦手だった。

 あれを「つらい? むしろ面白くない?」と言える友梨奈は、その時点で才能があるのだ。

 私にはない。それは友梨奈が悪いわけでは全く無く、この家で唯一……死んだお父さんにもあった社交性がない私が悪いのだ。

 

「……ありがとう、気にしてくれて。お昼からバイトだから、その前に図書館で勉強したいだけよ」


 そう言って私は家から逃げ出す。

 大義名分は勉強。医者になれるほど頭は良くないけど、勉強は嫌いじゃない。

 友梨奈はため息をつく。


「バイトもしなくていいじゃん。ご飯食べに行ったら一万円交通費ってくれるよ。どんな交通費?! って言いながら最高じゃん?」

「友梨奈。友梨奈はお医者さんになるんだよね」

「うん」

「英語の塾も通いたいんでしょ? 今の塾だけじゃ足りないってお母さん言ってたよ」

「うーん……英語はネイティブまで持って行かないとダメだけどさあ……」

「その一万円も、全部勉強に友梨奈は使ってるって、私は知ってるよ」

「勉強じゃなくてカフェだよお~イケメン外国人たくさんいるんだからあ~~」


 もう本当にこの子は完璧だ。

 ご飯食べるたびに交通費とか裏金じゃん~~と笑いながらも、そのお金でネイティブな外国人がしているカフェに出入りして勉強している。

 お母さんから「大丈夫かしら?」と言われてこっそり見に行ったら、必死に話しかけていた。

 店員に聞いたら「ネイティブな発音の勉強だって」と言われた。

 自分の会話は通じるか、使えるか。高校卒業したらアメリカ留学して大学に進学したいから……と現地の情報を集めたりしているようだ。

 心配されるから、きっとお母さんに言わなかっただけ。友梨奈の行動はすべて未来のためにある。

 正しくて美しくて優しい私の完璧な妹。

 私は友梨奈の手を握った。


「友梨奈の夢にお金をちゃんと使うべきだよ。私は私のためにお金を貯めるから」

「えーー、お姉ちゃん本当に高校出たら家出るのーー? やだやだやだやだああ」

「一年先に出るだけじゃない。友梨奈だって大学はアメリカに行くんでしょ」

「そうだけど、お姉ちゃんが一年もいないの、さみしいよ。私お姉ちゃんとこうやって話すのが最高のストレス解消なのにーー」

「友梨奈が家を出るなら私が出ておかしくないでしょ?」

「よっし、お姉ちゃんもアメリカきてっ!」

「嫌です」

「もおお~~~~」


 笑う友梨奈を抱きしめた。

 世界で一番大好きで可愛くて大切で、それでいて絶対に勝てなくて、友梨奈がいるからつらい……でも絶対に恨めない……私の妹。

 大好き、大好き、大嫌い。

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