第5話 少しでも近くに、一緒に
「……ミナミさん、ポテトどうです? これは俺のおごりっス」
「わーい頂きまーす。なになに? 告白? ミナミ彼氏と超ラブラブだから困っちゃう~~~」
「違います。ちょっと話聞いて欲しくて……」
配達先にミナミさんがいるおっぱいパブがあったので、作り置きしてあったポテトも持って来た。
今日はわりと暇で、少し休憩して帰っても店長に文句は言われそうにない。
ミナミさんは21才で働いてる人の中では俺に最も年齢が近く、それでいて大人びているので話しやすい。
なぜここに居るかというと彼氏の起業を応援してるから……らしいけど、細かく聞いていない。
ばあちゃんが相談に乗ってるから大丈夫だろうと謎に思っている。
俺は裏口の扉を背に、ずるずると座り込んだ。
「……ミナミさんは、誰かに『自分を穢してほしい』って思ったことあります?」
バイトしながら、ずっとその言葉が気になってた。
どういうことなんだろう。俺に何を求めてるんだろう。
ミナミさんは持っていたたばこを取り出して火をつけた。
「穢してほしいってたぶん、死なないように殺してほしいってことだと思うよ」
「……はい?」
予想外の言葉に俺は首をかしげてミナミさんを見た。
ミナミさんは美味しそうにたばこを吸い込んで、煙を吐き出した。
「昔ね。すごく大切にしてたぬいぐるみのウサギさんを傷つけるのが好きだったの」
「え?」
「それで、それを縫い合わせるの」
「ええ……?」
「あのウサギは私自身。傷つけて、再びつなげて、元通り」
なんだかすごく危ない気がして、
「ミナミさん。大丈夫ですか?」
「昔の話だよー、すっごく昔の話。今は普通に働いてるOLだし、そんな面倒なことしない。そもそも裁縫なんて好きじゃないのよ」
すっごく昔って、今21なのに、そんなに昔はないだろう。
ミナミさんはたばこの灰を灰皿にトンと落とし、
「傷ついても元通り。自分で治せる。あれみるとすごく安心するの」
「すいません、全然わからないっス」
「ここで気持ち分かりますって言われたらキモくて頭に灰落とすー」
「……正解でよかったス」
ミナミさんは最後のたばこを吸い込んで押し消して、ポテトに手を伸ばした。
それを今度はたばこみたいに口にさして、
「あれは形を変えた自殺だって今は分かってる。でもみんな自殺してるじゃん。徹夜でアホみたいに仕事する人だって、バカみたいに酒飲む人だって、自分の心殺して生きてる人だって、みんな少しずつ自殺して生きてる。それと何が違うの?」
正直ミナミさんが言っていることがよく分からない。
徹夜で仕事をすることと、ウサギの傷を直すことが同じだと思えない。
ただ、ミナミさんの精神状態が昔悪かったことだけは分かる。
「ミナミさん、今は……?」
「もう大丈夫だって。でも『穢す』なんていう子は、あんまり良い精神状態じゃないのは間違いないよ」
ミナミさんは飲み終わったペットボトルをぐしゃりと潰して、
「でもこれは私の話よ。私は私の話しか、しないって決めてるの。だからその子には当てはまらない」
「……もちろんです。聞いてくれてありがとうございます」
ポテトありがとー! そう笑いながらミナミさんは乳首が透けたキャミソールを着たまま店に戻っていった。
あんまり良い精神状態じゃない? あんなに明るくてしっかりしている吉野さんが?
相談して更に混乱したような……?
更によく分からなくなったけど、俺はとにかくもっと吉野さんと話したい、近付きたい、もっと彼女を知りたいんだ。
「んじゃ、5月にある体育祭の実行委員決めますー。クラスからふたり! やれる人いますかー?」
窓の外から柔らかい風が入ってくる次の日の学活の時間。
内田先生はモニターに体育祭の概要を出して説明を始めた。
「去年は一年生だから参加しただけだと思うけど二、三年生から実行委員だしてやってるの。期間はこれから一ヶ月がメインかな。去年やったから知ってると思うけど、うちの体育祭は結構派手に楽しくやるから、お祭り好きな人はいいと思うけどどうかな?」
「……はい、先生、私やります」
その問いかけにまっすぐに手をあげたのは吉野さんだった。
クラス中が「おお……」という空気になる。学級委員もしてて係も立候補……さすが吉野さんという空気だ。
去年俺も体育祭を体験したけど、クラスみんなで旗を作り、学年対抗リレーもあって結構盛り上がった。
うちの高校は運動部が強いこともあって応援団も華やかで、それもお祭り感をアップさせていた。
楽しかっただけに準備が大変そうなのはなんとなく分かるけど……。
前に立って先生からプリントを受け取っている吉野さんを見て、俺も手を上げた。
「……先生、俺もやります」
「おおおおおお?!?!」
クラス中の注目が一気に集まる。
吉野さんの顔を見ると、メガネの向こうで目を細めて、本当にほんの少しだけ笑った。
そうだ、完全に、吉野さんと学校でふたりの時間を増やすために立候補した。
動機は完全に不純。
たぶん準備で色んなところで公式で二人っきりになれるんじゃないかな……と思ったからだ。
なによりこれで「同じ係」という枠になれば、話していても変だと思われない。
それに昨日の夜、ミナミさんと話した内容がずっと頭の中にあった。
『あんまり良い精神状態じゃないのは間違いないよ』。
もちろんミナミさんの話だ。でもその確率はゼロじゃない。
吉野さんの力になりたい、何かしたいとか、そんなの全部かなぐり捨てて、太ももに置かれた手が気持ち良かった。最高だった。最高。
昨日の夜はそれを思い出してなんど昇天したか分からない。
もう一度あんな風に吉野さんの近くに居たい。少しでも長く。近づきたい。
目の前の席の中園が、
「おいおい陽都、お前そんなことするキャラだった?!」
と俺の机を叩く。左右の席のやつらも「もう点数稼ぎか?!」と楽しそうにしているが、お前ら……これをすることでどれほどの恩恵を受けられるか知らないんだ。
いや、その恩恵を受けられるのは俺だけだから仕方ないな。
俺は委員会を引き受けたんじゃない、吉野さんと公式にふたりっきりになれる権利を手に入れたのだ。
「私、知ってる~。辻尾くんがパソコンに強いって知ってる~」
「……内田先生。これ、体育祭の仕事関係あります?」
「超関係あるよ。見てこれフォトショップ。去年の体育祭の様子を冊子にしなきゃいけないのに、このクソアプリ立ち上がらないの!!」
「……これあれですね、旧バージョン……これちょっとまってください。無料フォント350って、こんなにあるから立ち上がらないんですよ」
「よろしく。先生はコレ使って冊子作れって押しつけられただけで全然分からないの」
昼休み。
さっそく体育祭委員で頼みたいことがあるというので委員会準備室に呼ばれて来たら、行事に使ってるというパソコンを押しつけられた。
見るとデスクトップには無限のアイコンとファイルが並び、何がなんだか分からないし、アップデートも何年もしてない。
なんじゃこりゃ。俺はファイルを片っ端から開いて整頓していく。
「辻尾くん、すごいですね。パソコン強いんですか」
横をみるとトンと缶コーヒーが置かれた。顔を上げると横に吉野さんがいた。
ショートボブの黒い髪の毛が窓から入ってくる風でふわりと揺れた。昨日みたいにメイクなんて全くしてない素顔だけど、ものすごく可愛い。
委員会準備室にはたくさんの人がいて二人きりではない。だから普通のしか会話できないけど……それでも普通に話せる立場を手に入れたことが嬉しくて口元がニヤニヤしてしまう。
俺はコクンと頷いて、
「わりと好きなんです。特に画像とか、動画とか、作ったりしてて」
「それはすごいですね。私はスマホしか使えなくて。でもこれデスクトップが酷いですね」
そうクスリと笑って、横の席に座った。
俺はマウスを動かしながら、どんどんファイルの整理をしながらため息をついた。
「そうなんだよ、マジで画面埋まるまでファイル置いて、ショートカットもなに、も……な、い…………」
そこまで言って心臓が跳ね上がった。
右手の俺の手……マウスを握ってるんだけど、その右手の小指に、横に座った吉野さんの左手小指が触れている。
それはほんとうに、触れるか、触れないか、分からないほど、ほんの少しの接触だけど、間違いなくわざと触れている。
委員会準備室は教室の半分くらいの広さで、窓が大きく開いていて外にはまだ残っている桜の木が花びらを舞っている。
空気が丸くて柔らかい午後。
はじまったばかりの委員会準備で、みんな楽しそうに去年のクラス旗を取り出して振り回している。
旗が大きく風に舞って、みんなそれに夢中で俺たちのことなんて誰も見てない。
吉野さんはその小指をクッ……と昨日みたいに絡ませてきた。
昨日の言葉を思い出す……『指切りげんまん』……俺も吉野さんの小指をマウスに巻き込むように絡め取った。
吉野さんはすごく嬉しそうに目を細めてすごく小さな声で、
「(一緒に委員会、うれしい)」
と、言った。
こんなにみんながいるのに、誰も俺たちのことを知らない。
旗が大きく視界を奪って、俺は数秒間息をしてなかった事に気がついて、慌てて息を吸い込んだ。
窓から入ってきた大きな風が吉野さんの黒い髪の毛を大きく揺らした。
「先生、去年の写真も全部ここに入ってるんですか?」
「あったり無かったり。HDDがどこかに転がってるの」
気がつくと吉野さんは俺の横から立ち上がって、先生のほうに行っていた。
夢みたいに一瞬で、でも俺の心臓の痛みが現実だと知らせる。
……委員会最高!! 俺は吉野さんが買ってくれた缶コーヒーを一気飲みした。
まじいぃぃぃ!! これあれだろ、昨日俺がコーヒー飲んでたから、コーヒー好きだと思われてるな。
……次は素直にオレンジジュースを頼もう。あの喫茶店でふたりで。
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