第483話 今ここに迫る危機

【東京都 首相官邸危機管理センター】


「戻りました。岸田さん。状況はどうなっていますか」

多くの人間でごった返す危機管理センターへと入って来た男の顔に、岸田は安堵を覚えていた。竜太郎は再び神殺しを成し遂げたのだ。

「山中さん、ご無事で何よりです。しかし状況はよくない。こちらへ」

既に室内では主要な人間たちが待っていた。この国を動かす人々だ。一礼した岸田は彼らの前で状況を説明する。

「地図を見てください。上野で現在丸い穴のようなものが出現した、と報告が入りました。向こうにはたくさんの怪物が見えると。ギリシャ神話のようなね」

「アレスの置き土産でしょう。上野というと鬼門ですか」

「ええ。寛永寺の霊的な防御で出現が押し留められていると思われます。とはいえあまり長くは持たないでしょう」

「集められる戦力は?」

「すでに陸上自衛隊が皇居前広場に集合しています。いつでも投入可能です。あちらに鴇先ら、助言できるスタッフも配しました。また、東京中のコミュニティから妖怪が集まりつつあります。こちらは現在神田明神へ集合しつつあります」

「なら僕は神田明神へ。同士討ちしないように注意しないと」

「やっていただけますか」

「ええ。それで網野ですが、任せていいですか。彼女は疲弊しきっているので。辛うじて意識はありますが」

「分かりました。こちらで面倒を見ておきます」

最小限の打ち合わせを済ませた竜太郎は、首相に一礼する。あちらも深く頷く。それで互いに伝わった。あとはやるべきことをやるだけだ。

「ご武運を」

岸田らに見送られ、竜太郎は戦場へ向かった。


  ◇


【東京都台東区 上野の森】


港区で起きていた200メートルの巨人同士の戦いは、ここ上野でも目撃することができた。多くの人はその光景を足を止めて見ていただろう。あるいは多少、目端の効く者であれば反対方向へと逃げようとしたに違いない。もちろん事態に気付いていない間抜けな者も大勢いただろうが。しかし全体としては警察も動き、都内各地で避難が開始されつつあった。国の中枢である国会議事堂や霞が関などからは最小限の人員を除いて脱出も始まっていたのである。もちろん、戦いと反対方向に。そんな動きに水を差すような騒ぎがここ、上野で始まりつつあった。

空中に開いた円形の穴は、門。今だこの世に具象化していない怪物どもを召喚するためのものであった。アレス神の死と同時に開き始めたそれの向こうには、人間たちの不安と狂乱をエネルギー源として幾多の怪物が溢れつつあった。まもなくこちら側になだれ込んで来るであろう。そうなっていないのは上野寛永寺が皇居、旧江戸城を守る結界の要として建てられたとことに関係があった。多くの人間が信じればその通りとなるのである。逆に言えば、そこは皇居の鬼門。すなわち霊的な守護の抜け穴であるからこそ、怪物どもが出現する門が開きつつあったわけでもあるが。

今のところ二つの力は拮抗していたが、やがて天秤は片方に傾くのは明白であった。駆けつけた警察官たちは無線機に怒鳴り、人間たちを避難させていたが間に合うかどうか。

やがて警官のひとりが気付いた。穴が十分に大きくなったことに。

中から、一匹の怪物が踏み出してくる。ライオン。山羊。蛇。いくつもの頭を備え、アフリカゾウ以上の図体を誇るそいつはギリシャ神話に詳しいものが見れば即座に正体を言い当てたであろう。キマイラだ。

「あ……あ………!?」

他の警官たちも異変に気が付く。思わず後ずさる者。銃を手にする者。様々だ。あるいは無線機へ叫ぶ者も。

しかし、彼らの対応は間に合いそうになかった。最も近くにいた警官がつまずいて尻餅をつく。そうしている間に、キマイラの巨体が完全にこちらへ出てきた。二匹目が顔を出していたが、そちらを気にしている余裕はない。今まさに尻餅をついた哀れな警察官は食い殺されようとしていたからである。

「ああああ……ああああああああ!?」

がぶり。と頭が食いちぎられる。まさしくそうなろうとした瞬間、強烈な爆発がキマイラを襲った。飛来した粘土弾が爆発して手傷を負わせたのである。

負傷したキマイラは、台地となった上野恩賜公園の端に上がって来た男の姿を見た。そいつが紐を手にしていることも。あれは投石紐であろうか。

現れたのはそいつだけではなかった。男の左右から何体もの敵が現れたのである。布のような者。石のような者。炎のような者。草木のような者。明らかに人間ではない特徴を備えた妖怪が、何十匹も。

男は、冷徹な瞳でキマイラを見据えた。

「お前たちに好き勝手させるわけにはいかない。おとなしく本来いるべき場所へと帰るがいい。何も存在しない無の中へと」

キマイラの背後からも、怪物どもが続々と現れ始めた。三つ首の犬ケルベロス。女の顔に鳥の翼と体を持つ女怪ハルピュイア。信じられないほど巨大な猪。様々な化け物どもだ。

投石紐の男は次弾を装填する。

男たちと怪物どもは、真正面から激突した。


  ◇


【中国大陸 黄河下流域】


天を突くような異形が、蠢いていた。

四目六臂で獣のようにも、あるいは人のようにも見える胴体を持ち、銅で出来た牛の頭と鳥の蹄を備え、五つの武器を携えた山より巨大な怪物だ。

そいつを取り囲む神々の一柱。翼を備え鳥の仮面をつけた女神九天玄女は、空を見上げた。雲を引いて撃ちあがっていく、幾つもの人類の石火矢ミサイルを。

「―――愚かな」

国内で暴れまわる怪物どもを狙ったものではない。あれは隣国を狙った攻撃。人間たちがこの状況下で、それを選んだのだ。

怪物が暴れ回る国内から逃げ出すため。領土的野心のため。ライバルをこの騒ぎに乗じて減らすため。いずれの理由だろうか。あるいはすべてかもしれない。この状況下ですらそうしてしまう人間たちの愚かさと、それを実行させるだけの狂乱を振りまいた戦いの神がいることへの怒りがないまぜとなる。

しかし今は目の前の敵神を滅ぼすのが先だ。

女神は、剣を振りかぶった。


  ◇


【東京都 首相官邸危機管理センター】


「総理。まずい知らせです」

統合幕僚長の言葉に、首相はまなじりを釣り上げた。

「これ以上悪くなる余地がありましたか。それで、何が?」

「はい。北朝鮮の核が発射態勢に入ったようです。中国も」

「核兵器で破滅の怪物を撃退するつもりだと?」

「それならまだいいでしょう。しかし状況は混乱していますが、恐らくは違うでしょう。何しろそれらの核兵器が狙っているのは国内を闊歩している怪物ではありません。台湾。韓国。そして日本。フィリピンなど。領土的な意味での東シナ海におけるライバルたちです」

「―――つまり?彼らの上層部が円卓に乗っ取られた?」

「そこまではなんとも。ただ、私見を述べさせていただくなら―――常日頃の領土的野心がこの緊急時に爆発したようにも見えます。かの国らから見れば、脱出先を確保したいという思惑があるのかもしれません。国土を捨て、政府中枢を移すために。その意味では日本や在日米軍は邪魔者でしょう。大ダコの駆除が失敗すれば日本は干渉することが完全に不可能になりますから。最悪なことに、核兵器のいくつかは東京を狙っているようです。イージス艦による迎撃が行われますがうまくいくかは賭けでしょう。ただでさえ大ダコによって太平洋側はぐちゃぐちゃですから」

「―――何と言う事だ。都民に避難を呼びかけねば。どれくらい時間が?」

「後十分。Jアラートが運悪く敵の電子的攻撃で停止しています。すでに緊急を知らせるよう指示を下しています」

「分かりました。こちらからも放送しましょう」

「はっ」

命令し、自らも国民に対して放送するため準備を始める。すぐ始められる。危機管理センターから直接放送することになるとは。

「どうぞ」

カメラを担当する部下の合図に、首相は国民への呼びかけを始めた。

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