第476話 神王と魔術神

【イタリア共和国 シチリア島南岸】


―――GGGGYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!


魂消るような悲鳴が、ゆっくりと響き渡った。海面に横倒しになりつつある巨体が、上げているのだ。

目を矢で射抜かれたそいつは水底へと消えはしない。あまりに大きすぎるからである。身長1400メートルの巨体が沈むにはここは浅すぎる。ほとんど島のような有様となりつつ、怪物は死んだのだ。

巨人ギガースの一体、エンケラドスであった。

「はぁ、はぁ、はぁ……畜生め。恐れ入ったか」

ギガースを倒したアルは、空中で息を切らしていた。手にしているのは弓だ。こいつで眼球を撃ち抜いてエンケラドスを殺したのである。右腕をへし折り、左の鎖骨を砕いてガード不能にしたうえで。人間の血を引くアルにはそれができる。ギガースが不死なのは純粋な神に対してだけだ。

これで3体目。

このまま脱力して海面を漂いたいところだったが、そうはいかないようだった。何しろここまでで倒したのは前座も前座、160体のギガースの最初の3体に過ぎない。そして、怪物を殺す戦いを多くの人間が見ていた。沿岸地域だけではない。今日は晴れていて遠方からでもよく見えたはずだ。ギガースの、1400メートルもある光り輝く巨体は。彼らはこう思うだろう。「ギガースは実在した」と。こうも思い出すはずだ。「ギガースは大勢いる」と。

控えめに言っても最悪だ。

背後を振り返る。遠方から巨大な気配が膨れ上がるのを感じる。さすがに距離が遠すぎて直接は見えないにしても。今度はあいつか!!

それで終わらない。ほんの2000メートルほど先に巨大な雷が二つ落ちる。それが晴れた時にはもう、新たなギガースが出現していたのである。

アルは顔をひきつらせた。いくら何でもこんなすぐそばに同時に二体も出るだと!?

「おいおいおい……嘘だろ」

「嘘ではない。現実にそこに存在する者どもだ。相手をしてやりたまえ」

時ならぬ声に、相手を探す。この状況下で何者だ!?

探し物はすぐ見つかった。馬にまたがり空中に佇んでいる魔術神の姿は。

片目がなく、馬には八本の足があり、手に槍を携えている、こいつの名をアルは知っていた。

「オーディン!!あなたがここにいるとはね。北極海にいるんじゃないのか」

「ははは。これは幻像だよ。それもわからないほど疲弊しているのかな。君の言う通り忙しい身だが、時間をひねり出してきた。

名高き神王ゼウスと是非とも相見あいまみえたくてね。まだこちらにはおられないかな。まあいい。しばらく君と遊ぶとしよう」

確かにオーディンの言う通りであった。奴自身は遠隔地にいるのだろう。

オーディンは槍を振り上げた。更に巨大な雷が落ちると、ギガースがもう二体出現する。離れた場所にいながらにして術を行使できるとは!

「神降ろしの秘儀……!!」

「正解だ。私も伊達に魔術神と呼ばれてはいないのでね。人間たちの想いが大気の中に満ちている。破滅の封印が決壊するほどに。これだけの想いがあれば幾らでもギガースを呼び出すことができるだろうな。放っておいても勝手に誕生するだろうが、待っているのも暇だからね。時間短縮だよ。もっとも、この夜の暗さではせっかくのギガースの巨体も遠目に見えないだろう。世紀の一大スペクタクルだ。彼らにも戦いをお披露目してやろうじゃないかね」

そしてオーディンは、槍を使うと空中に文字ルーンを描き始めた。あれは太陽ソールのルーン!!

突然、東の空から太陽が昇った。まだ朝まで何時間もあるはずなのに!!

光に満たされた世界は、遠方までよく見えた。ここ、高度1300メートル地点からは。地平線や水平線のあたりはうっすらと霞がかったようになり、地球が丸く見える錯覚も起こる。地上からも同じように見えるだろう。身長1300メートルから1500メートルもあるギガースたちの姿は。

オーディンは饒舌に語る。

「実を言うとね。友人に頼まれたのだよ。ローマ人の土地ルーマニアのあたりにはしばらく太陽を昇らせないでくれとね。だからこれは、本来ならそこを照らす太陽の前借りというわけだな。これで太陽が必要な場所には日が届かず、そして朝日が照らしだしてはいけない者が照らされるというわけだ。ふはははははは!!」

「くっ……!!」

「さあ。ギガースたち相手に君がどこまで戦えるか、見せてもらおうか。古代ギリシャの大英雄、ヘラクレスよ!」

すぐ近くの四体のギガースが、こちらを見た。オーディンには目もくれない。やはりオリュンポス神族、ゼウスに連なる者のみが標的なのだろう。オーディンまで現れたということは、やはりここにアレスは現れまい。

もはや戦いは避けられない。覚悟を決めたアルは敵勢へと身構える。

そこへ、ギガースどもは襲い掛かった。虚空から巨大な―――1000メートルを超える長さのと、そのまま投じられる。エンパイアステートビルが飛んでくるようなものだ。急速に近づいてくる、あまりにバカバカしい大きさの樫の木を叩き落したアルの目前に巨大な手が迫った。それをするりと躱すと、向こうでは何百メートルもある岩を抱えたギガースの姿。まずい。避けたら陸に命中する!思念の手を構え、飛んできた岩にカウンターで叩き込む。粉々に砕け散った岩に安心する暇もなく、強烈なタックルが真横から襲い掛かった。

衝撃。

まともに喰らったアルは跳ね飛ばされた。これだけでも山が粉砕される威力だろう。神の中でもとりわけ頑丈なアルでなければ即死していたはずだが、もちろんこれで終わったわけではない。

今度こそ、ギガースの掌がアルを捕まえる。

「ぐっ……!?」

アルは、自分を掴んだギガースを睨みつけた。凄まじい憎悪の炎が、兜の向こう、虚ろな瞳の中に宿っている。こいつらにはまだ自己というものがないのだ。神話に残っている通りに動いているに過ぎない。だがまだ大丈夫。アルの権能は"不死"。戦神が矢除けの加護を持つように、不死身の英雄は決して死なないのだ。弱点を突かれない限りは。

唯一の問題は、アル―――アルケイデースのもう一つの名があまりに有名過ぎるという点であったろう。

オーディンが哄笑する。

「ははははははは!!ヘラクレスも存外だらしがない。そのまま握り潰されるさまを眺めたいところだが、君は不死身だと聞いている。とどめを刺しておこう。

神話における君の死因は毒だったな」

オーディンが槍を振り上げた。つらつらと空中に文字を書き連ねて行く。ルーン文字の詩だ!!

その意味は―――"英雄、猛毒にて死す"

アルが諦めかけた時だった。


―――お前が死ぬべき場所はここではない


声が、聞こえた。海よりも深く、空よりも澄み切った天空神の声が。

全ての者が声の主の方を向く。

まさしくその瞬間、巨大な閃光が膨れ上がった。

それは一直線に飛ぶとオーディンの兜をかすめて溶融させ、そしてアルをつかまえたギガースの胸部を甲冑ごと貫通。100メートルという大穴を開けるに至ったのである。

ギガースは、呆然と己の胸を見た。その向こうに広がる背後の光景をポカンと見つめた彼はやがて絶命。そのまま横倒しになっていく。あまりに大きすぎるから、海面に横倒しとなるまで何分もかかるであろうが。

ギガースの掌より脱出するアルに目もくれず、オーディンは一方向を凝視していた。この場におらず、矢除けの加護に守られてさえいる己を傷つけるとは。

空中に佇んでいたのは、背後に何柱もの神々を率いた少年神。手に投槍紐アメントゥムを持ち、胸当てと肩当で身を守る彼の名をこの場にいる者全てが知っていた。

オーディンは、敵神の名を叫ぶ。

「そうか。貴公がゼウスか!!名高き神王よ!!」

名を呼ばれた神王は、次なる雷の槍をながら答えた。

「いかにも。余はゼウス。世界の秩序を司る天空神にして神々の王なり。

愚かなる"円卓"の悪しき神オーディンよ。そなたにも神罰を与えよう」

雷が、構えられた。


  ◇


ゼウスは、手にした槍の狙いをつける。革紐で作った投槍器アメントゥムの扱いは母から習った父の技だ。身に着けている多くの技の基礎はそうしてあたえられた。神王が父より受け継いだのは血だけではない。その技や知識もだ。だからこの場にいないオーディンを傷付けることもできる。父は武器を手にしてほんの数年で矢除けの加護を突破できるまで技を高めた。永遠の命を持ち、6000年の歳月を経てきたゼウスがなぜ真似できないことがあろうか。そこに膨大な秘術の知識が加われば不可能なことなどほとんどない。できないことと言えば死んだ人間を蘇らせることと、不条理な世界のあり様を許すことくらいだ。

召喚した槍の質量をすべてエネルギーに転換する。強烈な雷が槍を象る。これも母より学んだ。物質は莫大なエネルギーからできている。物質の根源である原子アトムを砕けばそこにエネルギーが残るのだ。原子を素手で砕けるようになるまで何十、いや何百年かかったろうか。砕いて生じるエネルギーを自在に扱えるようになるまでは。

核兵器の何千発分のエネルギーを投げつける。それだけでギガースがまた一体、斃れる。放たれたエネルギーは大気圏を離脱し、宇宙にまで伸びていく。

圧倒的なまでの威力に、恐れを知らぬはずのギガースどもが慄いた。オーディンが目を見張る。

「馬鹿な……こうもあっさりギガースを倒すとは」

「馬鹿なのはそなたであろう。この程度の相手も倒せぬ神に地中海を制することができると?付け加えるならば、余には人間の血が流れておる。神に対して不死のギガースと言えども殺すことができる」

「くくく……さすがは神王ゼウスよ。確かに1体2体ならその通りなのは認めよう。しかし160体のギガースとテュポンを相手にどこまで戦えるかな?私はよそから見させてもらうとしよう。何しろ北極海の方でも忙しいのでね」

「ふん。―――友よ!ブリアレオスよ!!」

巨大な力が膨れ上がる。かと思えばギガースが真っ二つとなった。その向こうから現れたのは、樹木様の巨人。ギガースに負けない大きさを備え、その倍以上の長さである3000メートル級の節くれた腕を300本も持ち、竜のような形の小ぶりの頭部が多数伸びた異形がそこにいたのである。

百腕巨人ヘカトンケイル、ブリアレオスであった。

ゼウスとブリアレオス、アル、そして十数の神々の視線を受けながら、それでもオーディンは余裕を崩さない。

「それではさらばだ。また会える機会があるかどうかはわからぬがね」

告げると、オーディンの幻像は消えていく。

それを侮蔑の視線で見送ったゼウスは、残った一同へと告げた。

「速やかに残るギガースどもを片付けるぞ」

「「「はっ!!」」」

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