第475話 世界の敵、世界の守護者

【大阪府大阪市梅田 "魔女の庭"】


「やれやれ。貧乏くじを引いたのう」

魔女雛子は言葉とは裏腹に微笑んだ。明石海峡大橋上の様子を。竜太郎は必要な手配を早速済ませたらしい。相変わらず素早い。さすがは師である。敵の弱点を突かせたら竜太郎に勝る者はいない。

だから後は、自分たちがどう持ちこたえるかだった。

魔女がいるのは庭の端、大阪湾に面した側である。

明石の大ダコはもう、庭のすぐ先だ。大阪市民がパニックになる気配を感じるがどうしようもない。あれだけではなく、たった今その正体を現したヒメとミナの姿が間近ということもあるだろうが。そっちは魔女の管轄ではなかった。それよりも、目の前に迫る大ダコを阻止せねばならぬ。奴のせいで向こう何十年かは瀬戸内海で漁業はできぬだろう。あんな怪物が動き回ったのだからそれだけで生態系は全滅だ。明石で採れた新鮮な魚介を食べることも当面不可能になる。腹立たしい。亡くなった人間たちや神戸コミュニティの仲間たちのことは極力考えないようにする。そちらに意識を向けると胸が張り裂けそうになるから。

庭の霊力を引き出す。自らの力を増幅する。怒りを込めて、雷を投げつける。

大阪が丸ごと消し飛ぶパワーが大ダコに降り注いだ。

それが、弾き返されるとは。

予想はしていた。質量だけで地殻を破壊し、瀬戸内海全域に破滅的な大地震を起こす怪物である。地震のエネルギーは途方もない。核兵器換算で何百、何千発分あるのかという代物だ。自分自身が持つそれだけのパワーに耐えられる構造を持つ以上、外部からの攻撃を弾き返せるのも道理であった。

まさしく化け物。

だから、魔女たちに出来るのは時間稼ぎ。

「ミナ。ヒメ。奴を庭に近づけるな。可能な限り引き離せ」

娘たちに思念を伝える。了解の思念が戻って来る。庭に向かって振り返る。神々が頷き返した。

魔女は、庭にかけた隠蔽の魔法を解いた。

半ば異次元に庭があるのは変わらない。しかしその姿が、人間たちにも見えるようになった。ビルとしての姿だ。更にその偽装が剥がれ落ちて行く。その内に隠されていた真なる姿が膨れ上がり、伸びあがっていく。

たちまちのうちに、大阪の地を覆い隠す巨大な枝葉が広がっていった。高さ1800メートル。枝の幅は東西南北へ3000メートルを超え、大阪平野を中心とする一帯と大阪湾の海底にまで根を張った、超大型の樹木が姿を現したのである。

魔女の庭。生命フルップの樹と呼ばれる神木の、本来の姿であった。

地上の人間たちのすべてが、呆然とそれを見上げていた。

ここ関西の地で生まれ、遥か西のメソポタミアに渡り、そして帰って来た女神が植えた樹がここまで育った姿であった。

その、世界の境界線としての霊力が膨れ上がる。大阪に迫ろうとしている巨大な怪物の目前に、光り輝く巨大な壁が広がったのである。

驚くべきことが起こった。足の長さだけでも全長12キロメートルという大ダコの触手が、壁にぶつかって停止したのだ。侵攻を阻止したのである。

計り知れないほどの力。

そこへ、ヒメが。首一本でも1000メートルを超える巨体で。それだけで海底が破壊し尽くされかねない代物だったが、魔女の庭の根が張った海底はびくともしない。途方もない大質量は、勢いを喪失した大ダコに喰らい付いたのである。

そこに、ミナも続いた。1400メートルの巨人が槍を振り上げ突撃する。

一撃は、もう一本の触手に突き刺さった。

壁は何ら二人の動きを阻害しない。あくまでも敵に対する防壁として機能している。

「―――行くぞ!!」「「「応!!」」」

素戔嗚尊が剣を振り上げた。その姿は古代の日本神話に描かれるような荒々しい荒神そのままだ。ざんばら髪に古代日本風の衣装、素足で飛び出していったのである。何柱もの神々が後に続いた。

壮絶な戦いが、幕を開けた。


  ◇


【東京都千代田区 首相官邸】


会見の場は異様な緊張に包まれていた。

首相が発表した妖怪の実在。そして今直面する危機に対する一言一句を聞き逃すまいと、記者たちは鬼気迫る有様である。

その記者が立ち上がったのは、そんな中であった。すぐに司会役を務める官僚が注意をするが、記者はそれを無視した。

「総理。あなた方はこの事実を隠していたということでしょうか」

「いいえ。円卓について分かっている情報については、捜査に差し支えのない範囲で公開しております。また神々や妖怪の実在について我々が否定したことは一度もありません。日本には神社に限ってもおよそ8万8千以上存在し、多くの人々がその存在を信じております。記録を紐解けば妖怪と人間が接触したという話は無数にあります。妖怪の実在が信じられなくなったのはこの数世紀ほどのことですが、これは妖怪が自発的に人間の生活領域と住み分けた結果です。彼らは人間と共存していくため、より環境に適応したのです。近代に入って目撃例が絶えた通常の動物が幻の動物と言われるように、彼らは自らそのカテゴリへと入っていったのです」

首相が答えた。対する記者はそれを鼻で笑った。

「そうですか。あなた方が彼らを世界の裏側へ追いやったのではなく?」

再び、官僚が不規則発言を注意する。他の記者たちはその様子を固唾をのんで見守っていた。いや。

ひとりが、違和感を呟きに出す。

「あいつ……なんだ……?鱗が生えてる……?」

質問をしていた記者の姿が変わっていく。手や顔が鱗に覆われ、体が膨れ上がった。筋肉が盛り上がる。服が内側から弾け飛んだ。頭部が爬虫類の形へと変わっていく。

「はははははは!!お前たちが何をしようが無駄だ!神々と妖怪が世界を支配する時代がやってくる!!」

記者だった怪物は、口に手を突っ込むと拳銃を。粘液が垂れるそれの向けられた先は、首相。

引き金が引かれ―――

まさしくその瞬間、怪物の首がかくん、と真上に向いた。飛来した石弾の破壊力に耐えられずに。明後日の方向に向けて発射される拳銃。

「―――!?」

怪物が立ち直った時、首相を庇う位置に立ちふさがっていたのは投石紐を携えたスーツの男である。

山中竜太郎であった。

悲鳴が上がる中、怪物は第二射を放つ。投石紐では間に合わない。山中竜太郎の命はないと確信する。

だから、竜太郎が取り出した次の武器は石弾ではなかった。腕時計から青銅の剣が弾道上に置かれ、銃弾のことごとくを弾き返していく。何という技量か!?

「―――!!おのれ!!」

怪物は跳躍した。この、円卓が派遣した刺客の任務は首相の、カメラの前での暗殺だ。そうすることで日本国民はより絶望を深くするであろう。任務は何としてでもやり遂げねばならぬ!!

勝負は一瞬で決まった。怪物が伸ばした爪が届くより先に青銅の剣が怪物を真っ二つとしたからだ。

左右別々に床へ落下する死体。

それを見下ろし、竜太郎は首相へ告げる。

「総理。お下がりください。ここは僕が引き受けます」

「―――お願いします、山中さん」

二人の視線はまだ、会見場の記者たちへと向けられていた。そこで立ち上がる何匹もの、人型の怪物どもの姿を。

竜太郎が一歩前に出る。まだカメラは回っている。円卓の刺客の言葉を否定しておかねばならぬ。だから竜太郎は告げた。世界の敵に対して。

「神々や妖怪たちのほとんどは支配なんて望んじゃいない!そんなことを考えているのはお前たちだけだ、"円卓"。

さあ。来るがいい。お前たちの想い上がりの代償を支払わせてやる」

怪物どもが、一斉に竜太郎へ襲い掛かった。

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