第462話 七つの足
「ぐっ……」
雪は、意識を取り戻した。
周りを見渡す。暗い。柔らかい。そうだ。刑事の胸ポケットに入って車に乗っていたのだ。
這い出すと、辺りは一変していた。道路は破壊され、バンは横倒しとなり、刑事たちが呻いている。何とかして割れた窓から脱出する。
外に出ると、とてつもなく巨大な塔が、斜めに突き立っていた。すぐそこだ。何だこれは?と思ったところで気が付く。これは槍だ。敵神が投じた100メートルもの槍なのだ!!
こんなものが突き立てば、地面が無事で済むはずがない。崩落する道路に巻き込まれ、バンはひっくり返ったのだった。周囲の家々も激しく損傷している。大きいということはそれだけで破壊的なのだ。
バンの後ろに回り込んだ雪は絶句した。何故ならば木枠に収まっていた明石の大ダコのタコツボは、バラバラに砕け散っていたからである。あれほどの破壊に巻き込まれて無事なはずもなかった。
「ああ……なんてことだ」
雪は使命をしくじったのだ。これでは大ダコが復活しても為すすべがない。12キロもの足の長さのタコをどうやって倒せばいい?神々ですら極めて困難だろう。
絶望に囚われた時だった。近くの民家の扉が開いたのは。
そこから出てきたのは、一瞬だけ本来の姿を見た東慎一。人間の姿をして、彼はやってきたのである。恐らくこれが空間を超えるという事なのだろう。
「東さん……」
「三井寺雪。タコツボはどうなった」
「……駄目でした」
「そうか」
彼もバンの中を確認し、息をついた。タコツボは失われたのだ。ここまでの戦いと犠牲がすべて無駄になってしまった。
「東さん。俺たちはこれから、どうすれば」
「……まだすべてが失われたわけじゃない」
東慎一は、懐からカードを取り出した。何も描かれていない白紙を。
それが、バンの中へ向けられる。カードが光り出し、そしてタコツボの破片が吸い込まれていく。
一瞬後にはタコツボは消滅していた。
「……今のは」
「こういうことだ」
東慎一が見せたのは、もはや白紙ではなくなったカード。そこに描かれているのは割れた壺だった。カードの中に吸い込んだのか。
「これは……タコツボはまだ使えるんですか?」
「わからん。だが完全に消滅してしまえば、その望みは絶たれる。こうしておけばひとまず消える心配はない。そうだろう」
「は、はい」
その時、車内でうめき声。気絶していた沢田刑事が目を覚ましたらしい。東慎一が手を貸して引っ張り出してやる。幸いなことに負傷は大したことはなさそうだ。
相手は、東慎一の顔をまじまじと見た。
「やっぱりあんた……東慎一か」
「そう名乗ったはずだ」
彼らはお互いに面識があった。刑事と、犯罪者として。
「ってことは何か。あんたが学校を襲ったのは、怪物と戦うためだったのか……?」
「似たようなものだ。妖怪と戦うのが俺の目的だった。だがそれは誤りだと後で知った。ある男に教えられたからだ。妖怪は悪もいるが、善良な者や人間に対して興味を持たない者もいる。それらまで滅ぼそうとしてもキリがない。世界を守るためには彼らと協力していかねばならないと。あの日学校で俺が戦ったのは、善良な妖怪たちだった。だから罪を償うと決めた」
「そうか……あんたが罪を償おうというなら信じる。来てくれなきゃ、俺たちは皆殺しにされてたからな」
「ありがとう」
「とりあえずあんたが留置場の外にいるのは、ほんとうなら大問題なんだがな。緊急事態だ。目をつむることにする。手伝ってくれ。他の連中も助けないと」
協力して残りの三人も引きずり出す。いずれもまだ生きている。奇跡のような幸運だった。普通ならこれほど酷い事故であればみんな死んでいただろうから。
東慎一自身も、地面にひっくり返った。もう体力の限界だ。上を見上げれば
東慎一は、雪と沢田刑事に告げる。
「少し、休む……」
そうして、東慎一は意識を失った。
◇
【コンピュータワールドのどこか "円卓"会議室】
円卓の席上で、アレス神は目を開けた。同室の神々の視線が集中している。彼らへ頷く。
「タコツボを破壊した。極東は壊滅状態に陥るであろう」
神々が感嘆の溜息を洩らした。繰り上げた予定に間に合った。これで
「では」
「ああ」
オーディン神へ頷き、アレスは手元のマイクのスイッチを入れた。そして待機している部下たちへと命じたのである。
「要石を破壊せよ」
◇
和歌山県某所。
小さな、しかし歴史のある神社だった。海を見渡せる岬の先にあるそれは、昔から航海安全の神として地元の村人たちから崇められてきた。
普段は無人であるそこは、前日に仕掛けられていた大量の爆薬に点火されると、わずかな間と共に爆発。消滅する。
村人たちは大騒ぎとなったが、原因究明は後回しになった。何故ならばこの後途方もない大災害が起こったから。
爆破と災害を関連付ける者はいなかった。
◇
広島県のやや内陸にある寺では、すでに地元のコミュニティが駆けつけつつあった。とはいえその戦力は心許ない。ミサイルが撃ち込まれれば阻止できる妖怪はほとんどいないのだった。
巡航ミサイルが飛んできたのをいち早く感知した妖怪は、仲間たちに警戒を呼び掛ける。
「逃げろ、ミサイルだ!!」
飛んできた巡航ミサイルは、あっさりと敷地の建物を全滅させた。
◇
愛媛県、海底。
社は地殻変動によって水の下に沈んでいた。それでさえも、その要石としての機能は維持されていたのである。たった今までは。
事前に設置されていた爆薬が点火され、要石はたやすく吹き飛んでいった。
◇
【兵庫県神戸市須磨区 多井畑厄神八幡宮】
そしてここ、多井畑厄神の境内にも、人間が気付かぬうちに大量の爆薬が設置されていた。そこに点火指令が電波を通じて送り込まれ、爆発する―――はずが、何も起きない。
理由は、爆薬を調べればすぐにわかっただろう。火伏の術がそれらに描き込まれていたからである。爆薬全体の破壊力を食い止めるのは難しくても、そもそもの点火は阻止できるのだ。天狗は火除けの霊力を持つと信じられている。だからこそ比良山次郎坊は火伏次郎の名を、人間界で活動するための仮の名に選んだのだった。だから、日本最古の厄神。要石としての役割を神々によって与えられた最後の霊地だけは守られた。爆発物が封じられたからと言って、どれだけの時間持ちこたえられるのかは疑問であったが。
それでも、臨界に達した封印が破綻しようとしていた。
◇
【瀬戸内海】
その存在は、永い刻を海の底で眠っていた。
全身を無数の杭で貫かれ、神々の縄で縛られ、封をされたそいつは人が訪れることのない海底と同化し、いつか解き放たれる日のことを夢見てまどろんでいたのだ。
その内に燃え上がる念は、憎悪。
長き封印の間に蓄積されたのは、この世界すべてに対する怒りと憎しみだった。
その八本の足を押さえつける要石。そのうちの四つが除かれた時点でこの怪物は目を完全に覚ましていた。残り三つが今失われた。もう待ちきれない。早く復活したい。死と破壊をまき散らしたい。地震と津波、地殻変動の化身こそが、この怪物の本性であったから。人間たちの長い歳月を経た畏怖こそが、この怪物を生み出したのである。
暴れる。七つの脚はもはや自由だ。あと一つ。これさえ自由になれば己はどこにでも行ける。幾らでも災厄をまき散らせる!!
しかし一向に要石が除かれる様子はない。このままではまた封をされるかもしれない。だから怪物は選択した。自由にならぬ足を捨てて行く決断を。
要石に押さえつけられた足を引っ張る。無理やり引き千切る。その過程でもとてつもない規模の地震と津波が起きるが、もちろんこの怪物がそんなことを配慮する理由はない。
やがて、足先が完全に千切れた。自由になった!!歓喜の咆哮を上げる怪物。瀬戸内海の多くの生き物がそれを浴びただけで狂死していく。
こうして、蘇った怪物は―――明石の大ダコは、その身をくねらせると起き上がった。
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