第454話 署長と保管庫

【神戸北署 署長室】


……なんだこいつは

それが、署長室に集まった警察官たちの正直な心持ちであったろう。

喋る鼠、とは。

そいつは手足を大げさに振り回しながら流暢に日本語で主張していた。

「もうすぐ敵が来ます。"円卓"の妖怪に操られた自衛隊です。反乱っていうのかな。ここの証拠品保管庫にあるタコツボを狙ってる」

こんな有様である。たまたま居合わせた刑事たち(別の署の所属だ)がこいつを連れてきた最初はたちの悪い冗談かと思った。しかしどうもそうではないらしい。こいつが生き物なのは間違いがないし、無線で人間が喋っているにしてはあまりにおかしい。しかし言っている内容が信じがたかった。

「疑うなら政府の山中竜太郎という人に電話して確認してください。あるいは宮内庁の岸田さん、皇宮警察の鴇先さん、警察庁のトップにかけるのでもいい。すぐほんとだと分りますから」

「しかしな。電話は今通じていないんだよ。地震のせいでな」

「そんな」

絶望的な表情、というのが分かる顔になる鼠。本当に人間っぽい生き物だ。執務机の上で動き回る彼は確かに妖怪なのだろう。そう考えた方が精神衛生上はよい。

「その地震を起こしたのも明石の大ダコ。タコツボはそれを退治するための道具なんです。円卓は大ダコを完全復活させて兵器に使う気です。タコツボをとにかく隠さないと。円卓がここまで来たらすぐ壊されてしまいます」

「証拠品を迂闊に動かすわけにはいかないんだ。君のいうことが本当かどうかも分からないからな」

署長の立場としてはこう言う他はない。とはいえ、ほんとうに危機が迫っていたら大変なことになる。何しろ"円卓"は警察組織に何度も大被害を与えてきた仇敵である。見逃すわけにはいかない。まさか妖怪の力を使ったテロ組織だとは夢にも思わなかったが。

「だから確認しよう。自衛隊はどちらから来るのかな」

「三宮からです。そこにあるビルが襲われて、俺は逃げて来ました。仲間も死んだかもしれない」

「そうか……

おい。パトカーを何台か出して、三宮に通じる道路に張り込ませろ。本当に自衛隊が来たら確認させるんだ。もし災害救助なら武装してないはずだから分かるだろう。危険そうならすぐに逃げろ」

通路から顔を出して覗き込んでいる警官たちに命じると、署長はよっこらせと立ち上がった。ロッカーに隠しておいたおやつで腹ごしらえする暇もありはしない。

「とりあえず証拠品保管庫へ。タコツボとやらを拝んでやろうじゃないか」


  ◇


3階建ての小さな警察署だった。

その敷地内にある証拠品保管庫の鍵が明けられ、何人もの警察官が中へ入る。先頭は沢田刑事たちだ。鼠に最初に話しかけられた責任らしい。

中に入り、奥の木枠の中に、目的のものはあった。馬鹿でっかい骨董の壺がでーん。と鎮座している。地震でも無事だったようだ。

「これか……本当に?」

「ただの壺に見えるが……」

沢田も先輩刑事も疑問符を浮かべている。鼠のいうことが本当だとは信じがたい。どう見てもただの壺である。

しかし鼠の意見は違うようだった。

「こいつです。先生の絵とそっくりだ」

「先生?」

怪訝な顔をした沢田へ、鼠は頷く。

「はい。山中先生。さっきも話した、悪事をする妖怪をやっつける人です。この壺を悪用してた人間をやっつけたらしくて、その時のノートにこれのスケッチがのってたんです」

「へえ。なんか凄いのがいるんだなあ。……悪用?」

「自走できる大きなものならなんでも吸い込めるとかなんとか。それで自動車泥棒をしてた連中をやっつけて警察に通報したらしいです。だから此処にあるらしくて」

警察官たちが顔を見合わせた。署長がそこへ鶴の一声。

「よし。本当かどうか確かめればはっきりする。外に持って出るんだ」

たちまち力仕事になった。わっせよいせと運び出すと、自動車の一台に壺の口を向けたのである。

たちまち吸い込まれる自動車に、警察官たちの目が丸くなった。

「こいつは……」

警察官たちの心が、ネズミを信じる方に傾きかける。

ちょうどその時だった。地域警察官の無線機がいきなり鳴り始めたのは。無線機は電波を飛ばし、拾うだけなのでネットが壊滅していても使える。

鼠が困惑したか、叫ぶ。

「なんですか、これ!」

「無線の非常ボタンを誰かが押したんだ!!押し間違いならいいんだが……」

署長の願いもむなしく、無線機は非常事態を伝え始めた。それも最悪の形で。

『神戸北21より全署、現在地有馬街道、攻撃された、繰り返す、自衛隊に銃で攻撃された、樋口巡査がじゅ、重傷―――!!』

緊張が走った。


  ◇


【有馬街道 西鈴蘭台方面 小部峠】


タコツボが発見される少し前。

署長命令でを受けたパトカーの一台は、三宮まで続く有馬街道と接続する交差点の先で張っていた。他にも三宮に繋がる道路はあるが、戦車までいるらしい自衛隊が通るならここが一番可能性としては高い。ちなみにここの交差点を東に行くと以前静流がゴーチフルと戦った再度公園にたどり着いたりするが、もちろん警官はそんなことがあったとは知らない。

内陸部まで地震の影響は及び、この辺りも家屋が傾いたり道路が盛り上がってりしている。土砂崩れもこの調子ではそこらじゅうで起きているに違いない。復旧までまともに交通も再開できない場所もあるだろう。

そんな状況で、こんなことをしていていいのだろうか?という想いがパトカーの警官たちにはあった。なにせ喋る鼠である。そんなもののいうことを聞いているより住民を助けたりするのも必要なのでは?

とはいえ、署長がやると言ったのだからやるしかない。万が一本当だったら大変なことになるというのは分かるし、ネズミがしゃべったのは事実だったから。

幸いなことに、彼らの行動が無駄に終わることはなかった。不幸なことに、それには尊い犠牲が必要であったが。

道の向こうから、自衛隊の車両がやって来た。戦車でも装甲車でもない。警官は詳しくなかったが高機動車である。比較的普通の乗用車に近い形態の人員輸送用四輪車だ。鼠の言っていた通りなのか、それとも災害派遣なのか。現場の警察官もよそ様の細かいことはよくわからないが、災害派遣なら武装はしていないだろう。まあ何にせよ止めて話を聞かねば。

警笛を噴く。誘導灯を光らせて振る。相手は幸いなことに停車した。ナンバープレートを確認する。自衛隊のそれは独特な数字で登録場所が分からない。困った。とりあえず声をかける。可能な限り、気さくに。友好的に。

「やあ。あんたらどこから来たんだい。大変だったろう」

運転席の自衛官が助手席の者と目配せした。彼らを引き付けている間に、もう一人の警察官が荷台?になっている方へ行く。幌がかかった下を確認すれば武装しているかどうかは分かる。真っ暗だから確認が大変だが。ライトはつけている。

「この先の道はどうだった?電話も通じなくてね。ほとんど車も来ないから様子が分からないんだよ。ほら。電灯だってついてないだろう?この有様だよ」

「……」

警官もだんだん不安になって来た。相手が返事をしてくれない。まさか……

一方、後ろに回り込んだもう一人の警察官は、目を凝らしそしてギョッとしていた。荷台にたくさん自衛官が乗っているのはいい。しかし彼らが抱えているものは、小銃だったのである。全身も汚れている。まるで一戦交えてきた直後のように!

そして気が付く。高機動車の後ろからやって来たもう一台が、装甲車であるという事実に。トラックではない!

真っ青になった彼が慌てて相棒のところへ戻ろうとしたところで。

自衛官のひとりが、銃を向けた。

たーん!

呆気ない音と共に、倒れる警察官。

「―――出せ!」

高機動車が急発進した。運転席で声をかけていた警察官を置き去りにして。

続いて走って来た装甲車の体当たりを辛うじて避けた彼は、無線機の非常ボタンを押すと、叫んだ。

『神戸北21より全署、現在地有馬街道、攻撃された、繰り返す、自衛隊に攻撃された―――』

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