第453話 鼠と刑事
神戸の街並みは酷い有様であった。
ビルは傾き、家屋は倒壊し、道は破壊され、水道管が破裂したのかそこかしこで水が噴き出している。悲惨な光景が散見された。その様子はまるで授業で習った阪神大震災や、出雲で見た光景。あるいは1月に能登で起きた地震の被災地そのものだ。
人知を越えた規模の大地震が市街を襲った結果であった。
ノドカたちが乗る自動車も、ゆっくりと山側に向かっているところだった。ビルを襲撃してきた自衛隊は恐らく円卓に操られた部隊であろう。それに捕捉されるのを避けるため、破壊された道路を進んでいたのである。
自動車はバンである。その後部では、特にひどい怪我をしたスポーツマンの青年の手当てをノドカが行っていた。へたくそな代物ではあったが。引き裂いたタオルやハンカチで止血しておしまいである。その様子を、ボストンバッグの口から小妖怪たちがじっと見ていた。
青年は意識を失っている。妖怪はちょっとやそっとの怪我では死なないらしい。今はそれを信じるより他なかった。給仕の若者も傷を止血され、今は老いた料理長がハンドルを握っている。向かう先は十月医院だ。
車は北上。山沿いに今度は東へと向かっている。途中では止まった自動車の姿も数多く見受けられた。道路がでこぼこなのだ。それでも走ることができているのは驚異的だったが。
山側からは、破壊された神戸の街並みがよく見えた。学校の授業でよく見た阪神大震災そのままと言っていい光景だ。
やがて、給仕の若者が外を見て叫んだ。
「止めてください、あれを!」
自動車は道端に停車。皆が怪訝な顔をする。
「どうしたんですか?」
「あれを……」
ノドカは若者が指した方を見た。窓の外、海側を。皆も同様にする。
全員が、ぽかん。とした。
「―――なに。あれ」
ノドカの言葉は全員の内心を代弁していただろう。
海の中から、巨大な。本当に途方もなく大きな細長い、しかし半透明の物体が、天に伸びあがっている。ありえない。富士山を間近から見上げてもあんな風にはならないのではないか。ノドカが見たことのあるもので例えるなら、魔女の庭やネフィリム、ヤマタノオロチですらあれを言い表すのに足りない。あれは。あれと比肩しうる大きさを持つのは、"世界を支える一本の樹"くらいのものではないか。
それは、ゆっくりと海面下へ消えて行く。波が起こる様子はない。まだ実体はないのだ。その証拠に、道端に出てきた被災者たちには見えていなかった。妖怪と関わりの強い人間たちだけがあれを見ることが叶ったのである。
まさか。あれはまさか。
「明石の、大ダコ……?」
皆が悟っていた。あの存在が、地震を引き起こした元凶なのだと。あれこそが明石の大ダコなのだと。
料理長がすぐさまサイドブレーキを下ろすと運転を再開。
今までと行き先が違うのにノドカは気が付く。
「逃げるぞ。とにかく遠くへ。海から離れるんだ」
たちまち山向こうへの幹線道路に入る。土砂崩れが起きていないか心配だが、もし大ダコが蘇れば地震程度で済むはずもない。
「どこに向かうんですか」
ノドカの疑問に答えたのは料理長。
「押部谷に隠れ里があるだろう。あそこにな」
「ああ」
それでノドカも思い出した。去年ミナがまだ小さかったころ、芋掘りに訪れた場所だ。あの時は酷い目に遭った。妖怪ハンターチームとやり合う羽目になったのだ。無事で済んでよかったが。
一行は、山を越えた。
◇
【三宮】
古いビルが崩れて行く。
沈み行く夕日の中で、三井寺雪はその光景をしっかりと目に焼き付けていた。
この少年がいるのは三宮にある別のビルの上だ。ここからは破壊し尽くされた市街の様子がはっきりと見て取れた。今いる場所も危険かもしれない。だが敵に発見される可能性という意味では極めて低い。
彼の姿は、小さな鼠となっていたから。
久しぶりにこの姿を取った。普段は必要がないからだ。しかし雪はその気になれば簡単に鼠の姿を取ることができる。直立二足歩行する、ハンカチをマント代わりに羽織った鼠だが。この力を使って敵の目を欺き、東洋海事ビルヂングを脱出したのである。
先に脱出した皆は無事だろうか。分からない。自分は千代子の言いつけを守るだけだ。明石の大ダコのタコツボを確保しなければならない。
海の方へ目をやる。
途方もなく巨大な霊体の脚が、天空へと伸びあがっていた。あれがきっと大ダコなのだろう。地震もあいつが引き起こしたのだ。静流たちが要石に向かったが、守り通せたのだろうか。あるいは守れたからこそあれはまだ実体化していない?
ビル跡に目をやる。自衛隊が集合し、移動を始めている。撤収か?やけに動きが早い。
それがタコツボへの移動を開始したのだという可能性に思い至り、雪は総毛立った。戦闘でかなりの損害を与えたとはいえ、自衛隊と真正面からぶつかれば勝ち目はない。急がねば。
まずは移動だった。
空を蝙蝠が舞い始める。そのうちの一匹に念を飛ばして呼びかける。飛んできた蝙蝠に掴んでもらう。
雪は、夜空へと舞い上がった。
◇
この時、瀬戸内海に面した地に住まう多くの妖怪やそれに関わりを持つ人間たちが、明石の大ダコの姿を目の当たりとしていた。皆がまだ、去年の年末に起きたヤマタノオロチとネフィリムの戦いを忘れていなかったし、その再来が今ここで起きつつあるのだということを理解しつつもあった。その多くは、
この戦いに関わる者たちの中でもごく一部は、次なる舞台。すなわち神戸北署へと向かいつつあった。
◇
【兵庫県北区甲栄台 神戸北警察署】
署内は酷い有様だった。
「いててて……」
沢田刑事は頭を振る。さっき打った後頭部がまだ痛む。手当はされたが動かない方がいいと言われた。精密検査が必要になるかもしれない。
隅っこのベンチで休まされている沢田以外の警官たちは、精力的に働いていた。大地震が襲ったのだ。今も町中が停電で、家が傾いたりしている。市民は避難所へ大部分が避難しつつあった。ひっきりなしに救援要請が来るし署内の片付けや出動で休む暇もありはしない。
「よう。調子はどうだ」
振り返ると初老の先輩刑事。無事だった彼は働いていたらしい。沢田刑事の横にどっこいしょ。と座る。
「地震が多くてかなわねえなあ。年末の出雲。元旦には能登もあったし今度は神戸だ。30年ぶりだっけ」
「そんくらいっすかねえ」
先輩刑事からコーヒーを受け取る。飲む。この分だと今夜は飯抜きになりそうだ。自動販売機(災害対応だ)の補充も望めないからしばらくコーヒーも無理だろう。大事に飲む。甘い。糖分補給だ。
「まったく。変な事件も多いしどうなってんだろうな」
「ですねえ。寺とか神社狙ったテロとか」
最近は街中を移動する自衛隊も以前より遥かによく見るようになった。東京からお偉いさんたちが来ることも増えたし。治安の悪化やテロ組織"円卓"の暗躍のせいもあるだろう。寒い時代になりつつある。夏に入ったからクソ暑いが。これもどうなってんだか。暑すぎである。
「んじゃあ俺は仕事に戻る。お前はしっかり休んでろ」
「へい」
先輩刑事が立ち上がろうとした時だった。足元に視線を向けて固まったのは。沢田刑事もそっちを見て固まる。
そこにいたのは、鼠だった。ハンカチをマントのように羽織り、安全ピンで止めている。
そいつは二人を見上げると口を開いた。
「すいません。手伝ってください。ここに危険が迫ってる」
二人の刑事は顔を見合わせた。
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