第181話 妖怪と脱出ルート

【兵庫県芦屋市 矢神家】


「これは……上がっていいのか」

「ど、どうぞ。両親はまだ帰ってきませんし。大したものは出せないですけど」

矢神翠は、人生で初めて男性を家に上げた。具体的には先ほど助けてくれた謎の留学生クリスティアンをである。その後ろから三人の幼馴染の幽霊たちも続く。

「クリスティアンさんを私の部屋に案内してさしあげて。私はお茶を淹れて来るから」

「普通逆じゃないの」「ラブコメだー」「でも私たちだとお茶を淹れられませんしね」

幼馴染たちに頼むと三者三様の答え。これくらいの役にしか立たないのだからこういうときくらいは仕事をして欲しいと思う翠である。

先に上がった皆に遅れることしばし。翠は、お盆にティーポットとカップを五つ、持って上がった。

「お待たせしました」

「ああ」

部屋では、幼馴染たちがクリスティアンとおしゃべりをしていたようだった。幽霊の彼女たちは翠以外の人と話すのは久しぶりのためか、はしゃいでいるようだ。

「ふむ。翠と言ったな。ご両親は?」

「二人とも帰って来るのは遅いのでお気になさらず」

「そうか。君にはご両親がいるのか。この家には何年住んでいる」

「?生まれた後ずっとのはずですけど」

「なるほどな。どうやら私の勘違いか。君は人間なのだな」

クリスティアンの問いに怪訝な顔をする翠。自分が人間なのは当たり前ではないか。

ちなみに家はごく普通の戸建て住宅である。父がローンで買ったらしい。

翠の表情を、相手は違う意味で受け取ったようだった。

「違うのか?」

「い、いえ。私は人間ですわ。そこの三人は幽霊ですけど」

「なるほど。興味深い状況だ。説明してもらっても?」

「構いませんけど」

カップに茶を注ぐ。クリスティアンに出す。他の三名も、飲めないにしろ出す。最後に自分の分を注いで、翠はクッションに座った。

「でも、説明と言ってもどこから話せばいいか」

「どこからでも構わない。不足があればこちらから聞く」

「分かりました」

そして、翠は何があったかを話し始めた。今日の出来事だけではなく、今までの幼馴染たちと過ごしてきた時間のすべてについて。


  ◇


「改めて自己紹介いたしますわ。わたくしの名前は矢神翠。こちらの三人は樹里、五十鈴、天音と言います。私たちは幼馴染でした。小さいころからずっと一緒だった。学校も私立の、エスカレーター式に上がっていくところです。小学校の時からずっと同じクラスでしたの。

私たちは二週間ほど前、みんなで箕面に出かけました。日帰りの小旅行ですわ。滝を見たりお猿さんが寄ってきたり。足湯に浸かったり。そして、みんなでタクシーに乗った時事故が起きました。トラックが追突したんです。後ろに乗っていた三人は亡くなり、助手席に乗っていた私と運転手さんだけが助かりました。気が付いたときには病院だった。三人が亡くなったと知って悲しかった。泣いていました。けれど、その日の晩。三人が帰ってきたんです。生きていた時同様の姿で。

私はびっくりしました。三人とも死んだと聞いていたからですが、すぐに聞いていた話は事実だったと悟りましたわ。だって、三人とも触ることさえできない幽霊になっていたんですから。

ええ。私たちにはそうとしか理解できませんでした。退院し、学校に通い始めたのは今日からです。その間も三人はずっと私の側にいました。彼女たちを見聞きできるのが私しかいなかったからでもありますが、三人は私から離れられないのが最大の理由です。原因が何か考え続けました。そして一つだけ心当たりがあったんです。

私たちは幼いころ、ある儀式を行いました。今から見るとお遊びでした。確か天音の家だったかしら。書斎に魔法に関する本があったんです。何でも、魔神を呼び出し使役するとか。みんなでそれを読み、儀式を行ってみようということになりました。みんなでお泊り会をした夜に。五十鈴の家だったと思います。儀式は途中まで実行しましたが、最後。魔神を退去させる段で失敗しました。五十鈴のお母さまが部屋に入ってきたからですわ。その後何事もなく終わりました。その時はそう思った。

何の魔神だったかは私たちも覚えていません。ただ、彼は幾つもの魔力を持っていたと本にはありました。軍勢を率いているとも。お泊り会で呼んだのは別の理由ですが。夜、儀式を行おうとしていた時間に合致していたのがこの魔神だったから。そんな理由だったと思います。何を願ったかは覚えています。魔神と友達になりたい。私たちみんなずっと一緒に仲良くいたい。そんな他愛のない願いを。

私たちは、三人が死後も幽霊としてとどまっているのが魔神の力ではないかと考えています。だってそれしか説明がつきませんもの。あの時の儀式は確かに力を発揮していたのだと。

クリスティアンさん。私たちはどうすればいいのでしょう。三人が天国に行けるように祈るべきなのでしょうか?私には、判断できない。

どうか、助けてください」


  ◇


「ふむ」

クリスティアンは考え込んだ。なかなか厄介な状況のようだ。コミュニティに助けを求めた方がいい案件であろう。先ほどの襲撃者たちの件も気になる。

「電車で襲ってきた相手の心当たりは?」

「ありません。あんなの、初めてです」

「なるほどな。

……タクシーの事故。本当に事故だったのか?」

「え?」

「私にはそこから気になる。四人の仲の良い友達のうちの三人が死んだ。本当は四人、その時死ぬはずだったのではないかな。それが運命のいたずらで失敗した。だから生き残った君が狙われた。その可能性がある」

「そんな……」

顔色を変える少女。他の幽霊たちも心拍数が上がり緊張しているのが分かる。慌てて補足する。

「もちろん、そうでない可能性もある。だが、これが偶然とは考えにくい。超常現象は頻繁に起こるものではないからだ」

「そ―——そうなんですの?」

「ああ。妖怪の絶対数は少ない。そうそう出くわすものではないんだ。私には何らかの作為を感じるな」

「妖怪……」

事情を聞く限り、彼女たちに妖怪に関する知識はなさそうだった。説明しておかねばならない。

「この世にはたくさんの不思議なものがある。神。悪魔。天使。精霊。巨人。小人。幽霊。都市伝説。魔法。そういったものを総称して、私たちは妖怪と呼んでいる」

「クリスティアンさん。あなたも妖怪なんですの?」

問いかけに、ゆっくりと頷く。誤解の余地がないように。

「私の母は人間だった。しかし父は違う。彼は魔神だった。私は人間と魔神のハーフとして生まれたのだ」

「魔神……!」

「とはいえ大した力はない。武装警官の百人なら無傷で退けられる程度に過ぎない」

「いやいやいや十分無茶苦茶ですから」

頭を振る。この点は相手にもはっきりと理解させねばならない。

「いいや。その程度、だ。何故ならばそれ以上の戦力をぶつけられれば私は死ぬ。そして人類にはそれが可能だ。軍隊を差し向けるとかな。この国なら自衛隊Self defense forcesか。だから私は基本的に人間に対して正体を明らかにしたりしない。私だけじゃあない。現代の妖怪は皆、人間に存在が露見することを恐れている。妖怪がこの世に実在するという事実そのものを、人類に知られるわけにはいかないのだ。秘密を守れる個々人に明かすだけならまだしも」

案の定、少女たちはきょとん。としていた。事の重大さが分かっていないのだろう。

「個々の妖怪の正体がバレただけでも大きな不幸に見舞われるだろう。実験材料として檻の中に閉じ込められるか、石もて追われるか、殺されるか。化け物として」

「化け物って、そんな……」

「私の友人の中には何人もの妖怪がいるが、その正体は化け物としか言いようがない姿の者も多い。しかし皆気の良い、いい人たちだ。

だが人間は、同じ人間同士ですらいがみ合い殺し合っている。信じている神や、肌の色の違いといった馬鹿げた理由で。ニュースを見たか?先日イスラエルで起こったテロとその報復として起きた軍事攻撃を」

「は、はい」

「同じ種族同士であの有様だ。彼らが正体を現した妖怪を見ればどう考えるか、火を見るより明らかだろう。私たちは個々の人間を信じることはできても、人類という巨大で制御不能な集団を信じることはできない。だから君たちも、この秘密を共有する仲間になってほしい。事は私の生命だけではない。最悪の場合人類と妖怪の間で戦争が起きるかもしれない」

「戦争……」

「納得してくれたか」

翠は、ゆっくり頷いた。他三名も。一安心する。話を本題に戻す。

「ひとまずは、先ほどの豹頭たちの件とそこの三人がこの世にとどまっている件。そして事故の件と魔神について。これらは一続きの事件と見たほうがいい。

連絡先を渡しておく。三宮の私たちのたまり場のものだ」

財布から名刺を取り出す。東洋海事ビルヂングの常連なら誰もが持っているもの。ビルの名刺である。裏に自分の連絡先も書きつけておく。

「必要があればこれで連絡をくれ。こちらでも調べておくが、今は立て込んでいてな。すぐに成果が出るかは解らん」

「は、はい。それであの。明日からはどう、身を守ったらいいのでしょう」

「そうだな。ひとまず電車通学をやめて別の移動手段を考えた方がいい。ルートも毎日変えるんだ。常識的な方法だが、無防備にならないのが一番だからな」

「分かりました。じゃあ―——」

翠が言いかけた時だった。階下から「帰りました。翠、お友達もいるんですか?」と女性の声が聞こえたのは。

「あ。お母さま。まずいですわまずいですわ」

「なんだ。どうした」

いきなり焦り始めた翠に、こちらも浮足立つ。そこへ幽霊たちも口々にしゃべり始めた。

「翠のお母さん、部屋に男の人がいるの見たら卒倒するかもね」「初のボーイフレンドだもんねー」「それはそれで見てみたい気も?」

翠が窓を開けた。「脱出ルートはここしかありませんわね」などとのたまっている。ちょっと待て。

「クリスティアンさん。母に見られずに脱出できる出口はここしかありませんわ。靴は後でお持ちします。さあ。飛び降りてくださいまし」

「待て。無茶苦茶を言っているのに気が付かないのか君は」

額から脂汗が流れた。山中氏ではあるまいし、二階から飛び降りろと?靴もなしで?

「さあ。さあ!」

力強く迫って来る翠に、クリスティアンは圧倒された。どうしろと。

結局クリスティアンは、窓から飛び降りる羽目になった。

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