第十一章 ソロモンの魔神編

第179話 豹と魔神

「もう遅いですよ。寝てしまいなさい」

「「「はーい」」」

大人が部屋からいなくなってしばらく待っていた子どもたちは、戻ってくる心配が無さそうだと判断した時点で布団から顔を出した。

「もう戻ってこないかな」「こないよ」「じゃあ起きちゃお」

もぞもぞと出てきたのは女の子たち。お泊まり会のお楽しみ、夜の時間だ。

「準備してきた?」「もちろん!」「かんぺきー」

キャンドルライトを付ける。暗闇の中で手早く取り出されたのは、一冊の本。裏の面に何やら図形の書かれたカレンダーの紙。紙を切って作られたローブ。アルミホイルで作られた短剣アサメイ。おっかなびっくり、お線香に火をつける。手鏡。みんなが銀色の玩具の指輪を付けた。そして、手書きの印章シジル

「ねえねえ。ほんとに魔神って来るのかな」「来るよきっと」「みんなが信じたら来るよ」

そうして、皆が本を囲む。今夜の儀式のページが開かれる。まだ幼い女の子たちには難しい。

「魔神が来たら何をお願いするの」「みんなで仲良くずっと一緒にいられますようにって」「せっかくだから魔神ともお友達になろ」

手順が進められる。呪文が唱えられ、儀式が最高潮に達した所で。

「こーら。何してるの」

再び大人が顔を出し、わやくちゃになった。みんなして大慌てで道具や本を隠すが丸見えである。

「もう。寝なきゃめっ。ですよ」

「「「「はーい」」」」

今度こそ布団に潜り込む女の子たち。

彼女らは口々に儀式の失敗を惜しんだ。

「魔神来なかったねー」「失敗」「残念」「でも、ひょっとしたらいるかも?」

皆が黙り込み、室内の気配を探った。特におかしなところはない。

「やっぱりいないよ」「だよね」「途中でやめちゃったから来なかったんだよ」「でも、出来なかったところって魔神を送り返すところだよね」

「「「「……」」」」

女の子たちは気付いていなかった。たしかに居なかったはずの者が、部屋にひとり増えていたという事実に。

「魔神って願いを叶えたら魂を取っちゃうんだよね」「来なかったから平気だよ」「来てるのに気が付いてなかったら?」「送り返してないね……」

皆が黙り込んだ。深く考えていなかったが、魔神にもし悪意があったら。ひょっとしたら……

「怖いからもう寝よう」「そうだね」「ぶるぶる」「……」

女の子たちは、やがて眠りに就いた。


  ◇


【兵庫県芦屋市 阪急神戸線】


「ってなことあったじゃない。覚えてる?」

朝の通学電車で、問われた矢神ヤガミミドリは首を傾げた。額に指をあててしばし考える。

「うーん……そういえば昔そんなこともあったような……?」

電車の中はぎゅうぎゅう詰めだ。その狭い領域の中で、長い付き合いの学友たちは各々が当時の様子を思い出しているようだった。

「あーあったあった。お泊り会した時のですよね。懐かしいなあ」「お母さんの作ったケーキ、おいしかったなあー」

翠ら四人組は幼馴染だ。小学校のころから同じ学校に通っている。エスカレータ式に中学、高校と続いてきた。一応お嬢様学校である。翠は他三人とは違って中流家庭の出であるが。

幼馴染たちが昔話に花を咲かせている間、翠はスマートフォンをいじって音楽を聴いている。正確にはいじっているふりをして、物思いに耽っている。

やがて電車が駅にたどり着き、ドアが開いた。

電車から降りる。若い男性とすれ違う。緩いウェーブのかかった黒髪を伸ばした外国人らしいイケメンだ。ずっと同じ電車の同じ車両に乗ってくる。翠も以前たまたまいつもと違う時間帯の電車に乗らなければ出会わなかったろう。それ以降毎日、この時間に乗っている。今日はタブレットで何かニュースを見ていたようだった。両目の視力が2.0の翠は何を見ているか読み取れた。先日奈良で起きた地震の件だ。狭い範囲で大きく揺れたらしく、二十人以上も亡くなったという。

男性がタブレットを抱え直し、電車に乗り込む。ドアが閉まり、そして電車が出ていった。

「お。あれが翠のご執心の彼?」「おー。イケメンだー。初めて見たー」「隅に置けませんねえ。このこの」

三者三様の冷やかしに、翠は顔色を変える。ちなみに、今最初にしゃべったのが背が小さくて態度がデカい樹里。二番目が間延びして喋る色々なところが巨大な五十鈴。そして最後が、身長においてはもっとも大きくスタイルのいい天音である。

「そ、そんなんじゃありませんわ。第一、話したこともありませんのに」

「出た。翠の偽お嬢様言葉」「パチモノー」「モロに動揺してますよ」

「ううう……」

毎朝すれ違うだけの関係の、憧れの君。

イケメンを乗せた電車を見送り、翠は溜息をついた。

「あなたたちねえ。確かに彼は気になるけれど、もっと重大なことがあるでしょう」

「そっかなあ」「他に大事なことってなあにー?」「そりゃああるかもしれないですけど、翠の恋の行方だって同じくらい大事ですし?」

三者三様の返答に翠は溜息。駄目だこいつら。

人の流れに乗る。ホームを出て、改札から出たらすぐに坂を上っていく。神戸は坂が多い。とはいえこれは殺人的だと思う。そうしてたどり着いた先は女子生徒ばっかりが歩いている。この先にあるのは光陰女学院。女子高である。

正門を抜け、学友たちにあいさつし、校舎で上履きに履き替える。教室に行く。その間も幼馴染たちはしゃべっている。何らおかしなことはない。ただの日常だ。

そうして、朝のチャイムが鳴り、担任が入ってきた。挨拶する。座る。出席が取られる。呼ばれた名前に返事をする。今日は全員来ている。

そして、出席確認は終わった。

「あー。やっぱりわかってはいたけど無視されると辛いなー」「ほんとにねえ」「でも不思議ですよね。何で翠には私たちが見えるのに、みんなには見えていないんでしょう」

名前を呼ばれなかった三人の幼馴染たちが愚痴る。おしゃべりしていても咎める者はいない。聞こえていないからだった。担任にも、同級生たちにも。それどころか姿も見えてはいない。

何故ならば、幼馴染たちは三人とも、二週間前に死んでしまっていたのだから。

翠にだけ彼女たちの姿が見える。声が聞こえる。何故かはわからないが。

「やっぱりあれじゃない?魔神にお願いしたじゃない。みんなでずっと仲良く一緒にいられますようにって」「それしかないかなー」「だから小学校からずっと同じクラスだったんですね」

「あなたたち……何を呑気な……」

三人組に突っ込みかけた翠は口をつぐんだ。自分は普通に生きている。発言が周りに聞こえるし、行動も見られるのだ。困る。

代わりに頭を抱えた翠。自分にだけ幼馴染たちの幽霊が見えるのだ。頭がおかしくなったのかとずっと悩んで来た。今も悩んでいる。一体どうしたらいいのだろう。堂々巡りになる思考回路。

「矢神さん。大丈夫?」

隣席の下北沢しもきた さわが心配そうに声をかけてくる。特に仲の良かった幼馴染を亡くしたばかりだと、クラスの皆が知っていた。大丈夫、と答え、机に突っ伏す翠。

それは、チャイムが鳴り授業が始まるまで続いた。


  ◇


【兵庫県神戸市灘区 阪急神戸線岡本駅】


「成果はありませんでしたわね……」

夕刻。駅で電車を待つ翠はつぶやいた。

「まあ学校の図書館じゃねえ」「私たちだって実際になるまで幽霊なんて信じてませんでしたし?」「まあないよねー」

帰るのがこんなに遅くなったのは調べもののせいだ。今翠が置かれている状況の説明になるものを探したのである。駄目だったが。

「まあ私たちは気にしてないし」「しばらくは幽霊ライフ楽しむよー」「それにまだ四十九日も経ってないですからね」

三者三様の答えに翠は苦笑。まあしょうがない。学校の図書館に、幽霊になった友人を天国に送る方法などあるわけもなかった。あったとして本物のわけがない。

現状の解明は難しそうだった。

周囲はそこそこの人だ。帰りは込むだろう。しょうがない。

やがて電車がやってきた。ぞろぞろとひとが降りる。ぞろぞろぞろぞろ。今日はやたら降りる人が多い。やがてひとが途切れた段階で翠たちは電車に乗り込んだ。

「あら?ラッキーですわ」

開いた座席を発見。座る。というかほとんど人がいない。そこでようやく翠は不審に気が付いた。誰も乗ってこないのである。扉が閉まる。何だ何が起こった。

「ねえ。これおかしくない?」「人がいないよー」「いえ、あっちに何人いますね……ひぃっ!?」

幼馴染の悲鳴で、翠もそいつに気が付いた。

ほぼ空っぽの車両の中で下を向いていたのは、翠と同じ制服を着た女。そいつの上げた顔を見て、翠は悲鳴の理由を理解した。

何故ならばそいつの頭部は、人間ではない。豹の頭を備えていたのである。ぱっと見でわかるような覆面の類ではない。特殊メイクかもしれないが、電車の中あるいは駅のホームでそんな恰好をしていたら騒ぎになっていただろう。


―――SSHHHHHHAAAAAAAAAAAA……


呼気。あるいは威嚇であろうか。身を低くしたそいつの見ている先は、まぎれもなく翠。

腰を浮かせた翠は、近くの乗客に縋りついた。

「た―――助けて!」

スーツを着た男性の乗客は振り返る。彼も驚愕するかと思われたが、しかし違った。彼は笑みを浮かべると、急速に変貌していったのである。毛が生え、骨格が変形して出来上がるのは豹の頭部。

「ひぃ!?」

腰を抜かす翠に対し、そいつは爪を伸ばす。

救いを求めた翠は、すぐに絶望することとなった。わずかばかりの乗客は皆、豹頭の怪物に姿を変えていたからである。男性同様に。

「いや……」

後退りしていく翠。そんな彼女は、怪物共に追い詰められつつあった。

「イヤァァァァ!?」

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