第171話 鉈と松

「―――このっ!」

鉈が幾度も振り回された。

それによって切断されたのは松の木の枝の先。自身を絡め取っていたそれを、雛子は切り裂いたのである。宙に投げ出される。四十メートルはあるだろう高さ。遠くまでよく見えた。集落に迫る妖怪たちの姿も。

例え竜太郎でもこの高度では助かるまいが雛子は妖怪。鍛え上げたパルクールの技と併せれば着地は可能だ。

動くことが出るのであれば。

硬直した体に絶句する。下に一瞬、寺が見えた。不味い、動けない!!

衝撃が走った。

雛子が落下したのは集落の端。最悪なことに、お寺の敷地ど真ん中である。体が硬直する。妖怪の耐久力がなければもう死んでいたろうが、このままであれば同じことだ。逃げられなければ死ぬしか無い。

戦果を確認しようと、がのっそり歩いてくる足音が聞こえる。実体はまだ解けていない。たぶん普通の人にも、今の雛子の素顔は見えるだろう。

呆気ない最期に、雛子は苦笑した。まあいい。よく戦ったと思う。死ぬのは怖いが、多分自分は復活出来るだろう。小宮山雛子という個人を知る人は多くないが、幽霊という概念は普遍的だ。その想いによって、きっと。

竜太郎にはもう会えないのだけが心残りだった。まだまだ学びたいことがあったのに。彼がもしこの戦いを生き延びたとしても、雛子が蘇るのは何十年も後だ。その頃には彼の寿命は尽きている。雛子の後に彼の技のすべてを受け継ぐ者は現れるだろうか。竜太郎の編み出した戦いの技術は後世に伝えるに相応しい。きっと現れて欲しい。

雛子は待つ。おのれの最期を。

そのはずであったが。

視界の隅で膝を抱え、震えている者の姿に気が付く。かろうじて動く眼球だけ使って相手を見る。

白子アルビノの少女だった。静流が捕虜に取ったという、確か名前は能見刹那。

彼女は負傷しているようだった。左腕がない。あの地獄から何とか逃げ出し、ここに逃げ込んだのだろう。こうなったのも能見一族のせいだが、子供には罪はない。逃げろと言ってやりたいが、口も動かせない。そこへ地響きが近づいてきた。松の木の奴だ。上からこちらを覗き込んでいる。間に合わなかったか。

雛子は、じっと己の死を見つめた。


  ◇


刹那は、寺の片隅で震えていた。何が何やらもう、分からない。何もかも失った。なのにどうしてまだ、自分は生きようとしているのか。どうせこの体も心も作り物なのに。

そこで空から女の子が降ってきて仰天する。腰を抜かした。奴らにやられたのか。フードを被った可愛らしい女の子である。ダメージで動けないようだ。

そこへ地響き。上を見ると、月が陰った。松の木がこちらを見下ろしていたのである。もちろん妖怪だろう。幾つもの傷を負ったそやつはと、女の子を掴もうとした。

どうしてそこで、体が動いたのかはわからない。刹那は力を振り絞ると邪眼を発動させたのである。松の木の幹の中央に、重点的に。

動きが止まった所で立ち上がる。倒れている女の子を支える。重い。十三歳の―――いや、その年頃として作られた刹那には厳しい。それでも進む。寺の敷地からでる。門を抜けた所で足がすくんだ。妖怪どもがたくさん!囲まれた、しかし下がれない。後ろには松の木がいる。どうしたら!

僧形の妖怪の手がこちらに伸びた、まさにその瞬間。

妖怪の体が、真っ二つになった。女の子が振るった鉈によって。

「―――え?」

いつの間に取り出したのか。女の子が手にしていたのは剣と鉈の二刀流。鬼が真っ二つとなり、鎌鼬の首が飛んだ。反撃のことごくをすり抜けて躱し、たちまちのうちに女の子は敵勢を皆殺しとしたのである。惚れ惚れするような鮮やかさ。止めとばかりにを見て、今度こそ刹那は腰を抜かす。あんなものを隠せるわけがない、妖怪だったのか!

力いっぱいに引かれた強弓は、まだ石化が解け切っていない松の木に向けられていた。

放たれた矢。風を切って飛んだ攻撃は、石化した幹を抉る。そこから砕け散り、真っ二つに裂けていく松の木。

敵を全滅させた女の子は跪いた。力を使い切ったのだ。

「……ありがとう。助かった」

告げて、消えていくフードの中身。透明な妖怪なのだろう。

「お……お前は、妖怪?天乃静流の仲間?」

「……そう言えば、あなたに姿は見せてなかったかな。静流くんが竜太郎さんたちと合流したとき私もいたんだけどね。私は雛子。幽霊」

「……気付かなかった」

神力の流れを読み取るのは能見一族なら基本とも言える能力だ。透明なものもそれを持ってすれば感知は可能なはずなのに。

壁にもたれて息を整える幽霊は、なにかに気づいたようだった。

「ねえ。その腕……」

問われた刹那は、傷口からこぼれる呪符を押さえた。

「ああ。ボクは人間ではなかった。父の作った道具に過ぎん。その父ももう亡くなった。一族もいない。ボクはもう、誰からも必要とされない……」

そこで、そっと肩を撫でられた。顔を上げれば雛子が間近まで寄ってきている。

彼女は、優しく告げた。

「そっか。じゃあ貴方は今日、生まれたんだね」

「……?な、何を」

抱きしめられる。雛子からは、お日様のような匂いがした。初めての感覚に刹那は戸惑う。

「妖怪は、たった一人でこの世界に生まれてくるの。私もそうだった。今日貴方はすべてを失った。けれど、これから先何も得られないわけじゃあない」

「……!」

「さあ。貴方は何を手に入れたい?」

「ボクは……」

刹那は、世界を見渡した。己の立つべき寄る辺を探したのである。

目的のものはすぐに見つかった。集落を突破し、駅の方に進んでいる最中の巨大なムカデの姿を。

「ボクは、誰かに褒めてもらいたい。道具としてじゃなく、ボク自身を認めて欲しい。そのために、あいつらをやっつけたい。そうして誇りを持って生きていきたい」

「分かった。行こう。まずはあれを倒しましょう」

そして道具として生まれた少女は、亡霊として生まれた少女の手を取った。


  ◇


「人間だ」「人間がいる」「子供だ」「喰いたい」「殺せ」

何匹もの妖怪が殺到していた。

古墳の斜面を登ろうとする化け物の群れに投げつけられたのはへし折られた樹木の幹。静流が怪力でへし折り、そのままブン投げたのである。まともに直撃を喰らい転がり落ちていく妖怪が2,3体。効果的な攻撃だったが焼け石に水だった。すでに集まっている敵は十近かったからである。

「ええいヤバいぞ!このままやったらやられる」

静流の叫びに、ノドカも周囲を見回した。妖怪どもは多勢とはいえ古墳をくまなく包囲するには足りない。逃げ道はあったが、問題は周囲が平坦で見通しのいい田畑だということだった。隠れられずにすぐ追いつかれるだろう。

子供を抱え、地形に隠れることくらいしかできない。それも静流が突破されれば手遅れとなる。

どうすれば。

そう思った矢先、静流が叫んだ。

「そっち行った、逃げい!!」

絵巻物の虎のような怪物が。それは十数メートルも跳躍すると、ノドカの眼前に着地したのである。恐るべき跳躍力であった。

そいつが食いついて来る。子供を突き飛ばして左右に回避。虎が迷った一瞬のうちに石を拾い、投げつける。注意がこちらに向いた時点で後退する。静流が駆けつけてくるまで何秒だろう。虎が身構えた。突っ込んで来るのに合わせて、周囲の植物にありったけの力を流し込む。突如急成長したいくつもの雑木の枝が伸び、虎を中に閉じ込める。虎が暴れただけで砕け散る枝葉の檻。ノドカの力など本物の妖怪相手には通用しない。もう駄目だ。

諦めかけた時だった。スマートフォンから叫び声。「奴に向けて!!」従う。スマートフォンの画面からが伸びる。

―――衝撃波が走った。

コンピュータワールドを経由して転送されてきたは、その機能を完全に発揮した。砲身より放たれた20mm砲弾は、虎妖怪を真正面から尻まで貫通したのである。どうっ!と倒れる虎の巨体。

「よ……っと。久しぶりだけどうまく当たったわね」

そうして、画面からのはスーツ姿の女性である。ノドカもよく知る相手。ビルのオーナー、花園千代子だった。

普段通りの格好をした彼女の唯一普段通りでない部分。それは片手にぶら下げられていた巨大な携行火器だった。九七式自動砲。こんな名前だがれっきとした歩兵小隊用火器である。本体だけで六十キログラムもの質量を備え、運用に十名が必要になる怪物だ。旧日本軍が運用していた対戦車火器であった。

千代子は、反対の手にぶら下げていたアタッシュケースを投げ捨てた。中身は九七式の予備弾やその他の付帯装備だ。そうして自由になった手を砲に添えると敵に向き直る。

「さあ。次に死にたい奴はどいつ?」

砲の照準が、妖怪たちに向けられた。

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