第170話 流星と巨龍
【奈良県桜井市 珠城山古墳群】
珠城山古墳群は景行天皇陵の南、JR
そして、マリアの人払いで作ることのできる無人地帯は半径数百メートル程度に過ぎない。突破されればもうおしまいだ。人口密集地帯に殺到した妖怪たちが何百人も食い殺すだろう。援軍が到着するまでの間に。
だから。そこに至るまでの過程を、静流とノドカは息を呑んで見つめていた。
静流はふと思い出す。学校の災害学習で見た、東日本大震災を。町を飲み込む津波を高所から眺めていた人々は今の自分たちと同じ気持ちだったのかもしれない。飲み込まれる人間が見える瞬間の気持ちを、今なら共有できる。安全な場所から戦いを見ている今ならば。
神社の方から右手の集落向けて、巨大なムカデが伸びあがった。ビルのようにデカい。たぶん三宮のミント神戸くらいの身の丈はあるだろう。さっき見た奴だ。凄まじい勢いで侵攻していく。止めようがない。人間の武器で倒すなら戦車や戦闘ヘリが必要に違いない。妖怪は機械では見えない。瞬時に人間へ化けられる。粉砕できる火力だけあっても駄目だ。地形に隠れてやり過ごされる。目視で照準でき、強力な火力を備え、敵から逃げられるだけの機動力を持った兵器でなければ勝ち目はない。ムカデが集落の建物に突っ込んだ。頭を振り下ろし、人家をあさっている。人間を喰うつもりなのだ。人払いの力でいないのが不幸中の幸いだが、奴もすぐに気が付くだろう。そこで、マリアが空中から攻撃するのが見えた。効いているのかわからない。彼女はすぐに降下していった。多勢に追われているのだ。
そしてもう一体。神社の敷地内で、立て続けに粉塵が上がった。かと思えば鎌首をもたげたのは、龍。あそこで戦っている者など一人しかいない。竜太郎が奴と相対しているのだ。ただの人間が、ビルほどもある龍と。まだやられてはいない。でなければ龍があれほど地上を警戒しているわけもない。
関西最強の妖怪ハンターの名に相応しい、偉業。
しかしそれもしょせんは蟷螂の斧に過ぎぬ。数が違いすぎた。いずれ押しつぶされる。
手前の森で、小さな松の木が人間のように伸び上がった。小さなと言っても先の二体と比較しての話であって十分馬鹿でかい。その枝の先端に絡みつかれたフードの女の子に息を呑む。雛子がやられているのだ。
何も出来ない自分に歯噛みする。あそこに加勢してもたいして意味はない。援軍のための陣地を確保し続けなければならない。神力の流れを読み取る今の静流にとっては夜の古墳も昼間とは行かないまでも、夕方くらいの解像度で見通せる。戦況を報告し続けるのは重要な仕事だ。
神社からまた一群が出てきた。左手の道からこちらに向かってくる。龍もそれに続こうとしている。竜太郎がやられたのか、それとも開けた地点で戦おうというのか。
そこで静流は袖を引かれたのに気が付いた。ノドカが指す方を見るとまずいものが。
「子供やん。なんでや」
「親とはぐれたのかも。人払いのギリギリ外なんじゃ」
「マジか……」
子供がフラフラと歩いているのは古墳のすぐ横の道である。まだ敵勢は二百メートルは離れている。間に合うか。
少しだけ悩む。静流に百人は救えないが一人なら手が届く。やるしかない。
「行ってくるわ」
「急いで」
斜面を駆け下りる。子供を抱き上げる。「静かにな」といい含め、斜面を駆け上がる。敵勢を確認。大丈夫。気付かれてはいない。
そのタイミングで、子供が暴れ始めた。更には泣き出したのである。口を押さえても後の祭りだ。
ヤバい。気取られた。こちらを見ている先頭の妖怪が走り出す。
妖怪たちが、古墳に殺到した。
◇
果樹を圧し折って、天使が墜ちてきた。
地面にほとんど衝突と言っていい
辛うじて顔を上げる。果樹園だろうか。せめて枝の下に身を寄せる。こうなれば隠れることしかできぬ。
妖怪たちが降下してきた。マリアを探しているのだ。地上からも。見つかるのは時間の問題だろう。それまでの短い時間を、マリアは身を縮めて過ごした。
やがてやってきた敵勢は、マリアの隠れた枝の下を覗き込むと誰もいないことを確認。そのまま去っていく。
「―――!?」
何が起きたのか分からず困惑するマリアはふと、枝に絡みついた者の存在に気付いた。それは白蛇。ごく小さな、三十センチほどしか無いそやつはニョロリとマリアに身を寄せると、傷口を舐める。そのオーラからしても明らかに普通の生き物ではない。恐らくこの地に隠れ住まう小妖怪。
マリアは、白蛇に助けられたのだと悟った。
木の幹にもたれかかる。意識を強く持つ。竜太郎に貸し与えた剣はまだ破壊されてはいないようだった。マリアが生命を保ち続ける限りは剣は機能し続ける。隠れる事で彼の助けになるはずだった。
マリアは、息を潜めた。
◇
竜太郎は池の中から顔を出した。攻撃を躱すために咄嗟に飛び込んだのだ。死ぬかと思った。
神社の前にあるそこから這い出す。体が重い。体力は既に尽きつつあった。もし奴らを全滅させられれば誓いは達成できたろうに。人に仇為す妖怪百匹を退治するというやつだ。残念ながら竜太郎には不可能らしい。
まだ動く体に鞭打つ。今一匹倒せば、殺される人は十人は減るだろう。それだけで戦うには十分な理由だ。今の竜太郎は一人ではない。駆け付けてくれる仲間がいる。
既に妖怪たちの大半は神社の外に出たようだ。追いかける。遮蔽物なしでは死ぬだろう。どうすべきか思案しながら果樹園の木々の合間を抜けたところで。
龍がただ一匹、竜太郎を待っていた。
「……まこと、
龍が口を開いた。それは古語であったが、ニュアンスは竜太郎にも理解できた。称賛しているのだ、この怪物は。
「故に、生かしてはおけぬ。黄泉路に旅立つがよい。すぐに大勢が後を追う」
そして、龍は大きく息を吸い込んだ。あそこから飛び出してくるのが何であれ、回避の余地があるものでは無かろう。薙ぎ払われれば一巻の終わりだ。
自らの最期を、竜太郎は呆然として見上げていた。
龍の口から、攻撃が放たれる。
東の空が輝いたのは正しくその瞬間であった。あまりの輝きは、西を向いていた竜太郎にも察知できるほどだったのである。
空を見上げた妖怪ハンターは、見た。巨大な流れ星が轟音とともに落下し、龍目掛けていく様子を。
龍が攻撃対象を変更する。その口から放たれた雷撃は、流星と真正面からぶつかると威力を大幅に減殺したのだ。
余波が、龍の巨体を痛めつける。
「危なかったな!しかし我が来たからには百人力と心得よ」
空からの呼びかけに顔を向けると、そこに飛翔していたのは翼持つ修験者たちの姿である。
天狗だった。
「火伏さん、じゃ―――ない?」
「火伏?比良山の次郎のやつか。はっは!我が名は大峰山前鬼坊。また能見の奴らがやらかしたと聞いてな。様子を見に来たらこの騒ぎと言うわけだ」
告げると、龍に向けて戦闘態勢をとる先頭の天狗。他2名と比較して明らかに大柄である。火伏と異なり鬼のような形相の天狗だった。先の名のりが事実なら―――天狗落としの術の威力から考えても事実だろうが―――彼は日本八大天狗の一角。かつて役小角に仕えた鬼であり、そして後に大天狗へと転じて奈良大峰山を根拠地にしたという前鬼である。
2名の天狗も身構えた。少数だが有り難い援軍だ。
疲弊した竜太郎を前鬼は案じる。
「さあ。お主は下がっておれ」
「いえ。一緒にこいつを倒しましょう。あなた方がいれば可能なはず」
「言いおったな!名前を聞いておこうか」
「山中竜太郎。妖怪ハンターです」
「覚えたぞ、山中竜太郎!」
竜太郎は背負った剣を引き抜くと、一気に駆け出した。この敵相手では遠距離戦では勝ち目がない故に。
天狗たちも空中へと散らばり、巨龍狩りが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます