第169話 嵐
嵐が通り過ぎた後のようだった。
星灯りに照らされる敷地内にはもはや何も残っていない。かつてそこにあった屋敷も。一族の繁栄も。人間も。何も。
破壊し尽くされた瓦礫の山の中に頭を突っ込み、あるいは庭で屍を玩具にしていた妖怪たちはやがて顔を上げた。復讐するべきものが残っていないと気が付いたからである。
そうなれば、次の標的は街の人間どもだった。奴らも同罪だ。能見一族と同じ人間であるというだけで復讐に値する。
ぞろぞろ。と、西側へと進み始めたときのことだった。まだ結界を抜け、神社の境内を出てもいないときに上空に現れたのは、輝きである。
多くの妖怪たちがそれを見上げた。
大きな翼を幾重にも持ち、武装した人間のような姿をした
「そこまで!それ以上進まないで欲しい。あなた方を封じていた能見一族は滅んだ。復讐は終わったはず。違いますか!」
声は広く、妖怪たちすべてに届いた。恐らく伝達を司る力があるに違いない。
それを受けた二体の、特に巨大な妖怪が輝ける同族に相対する。
上半身を持ち上げた彼らは口々に叫んだ。
「まだ足りぬ」「もっとだ」「我は八百年の責め苦を受けた」「我は千五百年だ」「能見一族だけでは足りぬ」「足りぬ」「人間どもに死を」「殺すのだ」「皆殺しだ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ―——」
大ムカデと龍の叫びを皮切りに、地上のすべての妖怪たちが同調したようだった。「「殺せ」」と口々に叫び、やがてそれは熱狂の渦と化す。とても抑え込めるような状態ではない。
その現実を、輝ける天使―——マリアは噛みしめる。もはや戦闘は不可避となった。予想された結果とはいえ。
龍が身を伸ばした。その開いた口から逃れるマリアだったが、攻撃はそれで済まない。熱狂する妖怪たちの中から幾つもの妖術が放たれる。更には怪鳥のようなもの。亡霊。布切れ。様々な妖怪が飛び出し、マリアへと殺到する。翼を畳んで急降下したマリアは鎮守の森の枝葉の下に飛び込み、翼を広げて急停止。着地すると、身を潜めていた竜太郎に叫ぶ。
「決裂です!攻めて来ます!!」
「了解です!手筈通りに!」
マリアが再び舞い上がる。それを追って降下してきた妖怪どもに、竜太郎は石礫を放った。一発。二発。恐るべき早打ちが怪鳥の翼をえぐり、布切れを引き裂き、そして亡霊をすり抜けた。雛子同様の幽体に違いない。そいつの手が届く寸前、竜太郎が唱え始めたのは法華経。聖なる力を秘めた言葉に亡霊は弾き飛ばされ墜落する。その隙を見て竜太郎は走る。大地へ立て続けに羽が突き刺さった。一撃を受けた怪鳥は健在だったのだ。しぶとい。手傷を負ったそいつは怒り狂い、竜太郎に向けて術を連射する。大木が引き裂かれ石碑が砕け散った。人間が喰らえば血煙しか残るまい。振り返りざまの投石がギョロリとした眼球に直撃。地面に叩きつけられる怪鳥を放置して竜太郎は走る。とどめを刺している余裕などない。敵の数が多すぎる。見上げればマリアに追いすがる敵も数多い。上昇していく彼女はやがて翼を畳むと、そこを頂点として頭から急降下。取り出した弓を落下しながら追跡してくる敵勢に向け、足元目がけて連射する。一発。二発と外れ、三発目を受けた妖怪が塵となり、そこで地面すれすれとなった。翼を広げて落下を水平移動に変換するマリア。後に続く妖怪たちはうまく地面をかわした者もいたが、しくじった者も出た。墜落。しかしその程度で死ぬほど妖怪はやわではない。たちまち立ち直る。
鎮守の森を逃げ回る竜太郎は考える。石を投じる。転がる。遮蔽物のない場所に出た時が最期だ。とにかく走り回るしかない。移動経路を思案していた彼は、計画の変更を余儀なくされた。何十メートルという距離を跳躍し、竜太郎の前に落下してきたのはヒグマの倍はありそうな身の丈の、
一閃。
強烈な斬撃は、猿の腹を鋭く切り裂く。用いられた武器は剣。マリアから借り受けたそれは凄まじい破壊力を発揮していた。人間の竜太郎が使ってすらこの威力とは!
剣を鞘に納めて走る。投石紐を構える。放つ。一秒でも長く稼がねば。
竜太郎は、走った。
◇
「始まった……」
ノドカは、遠方で始まった戦いに足を止めた。マリアが人払いをかけてはいるが気休めだろう。一応、あの辺の農家は車に乗って離れていったから全くの無駄というわけでもないにせよ。すぐに術の範囲から出た妖怪たちが市街地へ殺到するはずだ。
「あとは分かるわね?私はあっちを助けに行くから」
「気いつけてな」「あの、ご無事で」
バイクを取り出して戦場に向かう雛子を見送り、ノドカと静流はため池の横を曲がった。緩やかな私道を登り、案山子人形の飾られた農家の横を抜け、細くて草ぼうぼうの階段を駆け上がる。石垣と木々の合間を登りきった先。古墳の名残の中腹辺りで二人は立ち止まった。
「このへんかな」
「やな。竜太郎のおっちゃんの言う通りええ場所や」
神社の辺りまで見通しはよい。手前の大きなため池とそのこちら側の細い私道は妖怪たちの動きを制約するだろう。戦力が揃うまで防戦するのに相応しい。
しゃがむ。手前の農家は真っ暗。家人が人払いで追い払われた際、電気を切っていったようだ。自分たちの発光も隠さねば。ボストンバッグを開けて中にスマホを突っ込む。この辺もだんだん慣れてきた。四季のぶんも含めてスマホ3台にケーブル、バッテリーもある。有り難い。四季のスマホにロックは掛かっていなかった。
「そうや。これ預かっといてえな」
静流がズボンのポケットから取り出したのは、見覚えのある布だった。墨で呪文が書き込まれている。
「これ、四季さんの?」
「せや。四季のねえちゃんが言うとったやろ。これが本体や。代わりの人形の顔に貼り付けたら生き返るて。体はマネキンやったわ」
「そうだったんだ……ちょっと安心した」
「俺が持ってると戦って破れたら大変やから、頼むわ」
「うん」
やり取りを終え、配置についたことを電話でコミュニティに伝える。後は監視を続け、あちらの準備が済むまで報告を続けるのが二人の仕事だ。
二人は待った。援軍の到着を。
◇
畑と集落に挟まれた林の中、畑を横から見渡せる地点へ、雛子は駆け込んだ。既に何体もの妖怪が防衛線を突破し、神社の境内から出ていたからである。どちらにせよ雛子は境内に近付けない。ここで待ち構えるしか無い。
隠れる。武器を構える。神社の西側、道沿いの農家の連なりを盾とする。
怖くないと言えば嘘になる。しかし雛子は戦う。自分の生き方は竜太郎との出会いで定まった。戦士の道だ。それ以外あり得ない。そのために生まれてきたかのような能力。戦うことで誇りを持って生きていけるようになった。彼と出会わなければまた、違う道があったのかもしれないが。
神社から伸びる道を進む妖怪たちの群れを横手から観察する。大きいのも小さいのもいる。体当たりで道沿いの農家の一軒が崩落した。大丈夫。あそこにいた人達はマリアの人払いでもう去っている。今頃、ぞろぞろと駅の方に人の波が向かっているだろう。神社から古墳の陣地までの範囲に人間はいない。中の臭いを嗅いでいる。人間の痕跡を探しているのか。有り難い。その分時間が稼げる。やがて奴らは人間が居ないことを認識したか、破壊した農家を後にする。目指すは駅だろう。
行かせるものか。
弓矢を放つ。一撃が、歩行する松の木の枝を根本から吹き飛ばす。
敵勢が騒ぎ出した。散開される。第二射。外れる。もはや奇襲は通用しない。存在を把握された。奴らが森に突っ込んでくる。もはや弓は役に立たぬ。鉈と剣に持ち替える。一閃。めきめきめき…と倒れていく樹木で敵の隊列が割れた。踏み込む。斬り付ける。確かな手応え。横手からの金棒を透過して躱す。反撃でそいつの腕が飛んだ。向こうから僧形の姿。まずい。ポケットの機械をスイッチオン。イヤホンから爆音でヘヴィメタルが流れ出す。敵が何を唱えようとも、聴こえなければ問題ない。投げ付けた剣がそいつの肩を貫く。行ける。
そこで、地響き。ヘヴィメタルでも隠し切れないほどのパワーに、雛子は振り返った。
畑とは反対側、森に隔てられた集落の方に進出しつつあったのは、山。そう思えるほどの図体をしたムカデである。あの視点の高さならどちらから集落を襲ったほうが早いか一目瞭然だ。なんてこと!
姿を消す。奴らには急に透明になったように見えるだろう。こいつらを片付け、ムカデを止めなければ。
逸る心に冷水をかけたのはまたもや僧形。そいつの錫杖は雛子を打ち据えたのである。強い。そこへ片腕のない鬼の拳。無視しようとしてまともに食らう。透過できない。幽体化を破られた!?透明化もだ!!
見れば、僧形の妖怪はなにやら経を唱える最中の模様。それも単なる経文ではなく、幽霊に通用する妖術としての。
雛子は後退しようとして、松の木が追い付いてきた事にゾッとする。奴の身の丈は二十メートルはある!
伸ばされた枝は、雛子の体に絡みついた。
雛子は、空中に持ち上げられた。
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