第167話 脱出と援護射撃

【奈良県桜井市 能見屋敷】


一族の若者が異変に気付いたのは、屋敷の中が騒がしくなった時のことだった。

彼が割り当てられていた仕事は警戒である。今日は重要な使者との交渉が行われている。宗主がそれに相対しているはずなのだ。もっとも、分家それもかなり末の方に属する彼としてはどんな意義のある会談なのかは分からない。ただ、命じられたことをやるだけだ。

だから彼は役目に忠実だった。外敵から屋敷を守るべく、外で警戒をしていた彼は敵を真っ先に発見したのである。

「―――なんだありゃあ……」

屋敷の南手側。山林側から伸びあがった巨大な影は、一体何なのだ。無数の足を左右から伸ばした胴体の長いそれは、ムカデであろうか……?

そいつが伸びた元の方を見下ろすと、無数の何かが蠢いている。なんだあれは。妖怪にしても、あんなにたくさん……?

しばし唖然としていた彼は、やがて現実を受け入れた。危険を伝えるべく、叫び声を上げたのである。

「妖怪だ!!南から妖怪の群れが攻めて来たぞおおおおおおお!!」

役目を忠実に果たした彼には、褒美が与えられた。真上から大ムカデの胴体、という。

回避の間もなく押しつぶされる若者の肉体。

こうして、地獄絵図が始まった。


  ◇


「ぎゃっ!?」

石礫を喰らった若者が、ひっくり返った。

それを確認する暇もなく頭を引っ込める竜太郎。身を隠した廊下の角に妖術が命中し、小爆発を起こして吹き飛ばす。火力は向こうが上だ。術者が弱くて助かった。これなら普通の妖怪相手の方がよほど手強い。

「このままじゃじり貧だな」

「どうされますか、山中さん」

「外では雛子ちゃんも異変に気付いているはずです。彼女を通じて火伏さんも何か手を打っているでしょう。退路を確保できればいいですが、無理なら時間を稼がないと」

マリアに答える竜太郎。彼女や静流はともかく竜太郎とノドカが妖術をまともに受ければ無事では済まない。遮蔽物沿いに進むより他ない。敵は多く屋敷の構造は複雑だ。急いで外まで脱出しなければ。

「なら、私が弓で外まで吹き飛ばします。最短距離で抜けましょう」

「できますか。お願いします」

マリアが剣と盾を、代わって弓を。慎重に狙いが定められた。屋敷の外にまで被害が及ばぬようにしなければならない。

そうして放たれた一矢は、凄まじい破壊力を発揮した。人間が通れるほどの穴が部屋を貫通して幾つも開いていたのである。これを抜ければ、外まですぐに違いない。

「行きます。走って!」

再び盾を構えたマリアが走り、その後に他のメンバーが続く。最後尾の静流が足を撃たれて転倒した。即座に竜太郎が術者を撃ち倒し、静流に肩を貸す。たちまち静流の足は回復し、自力で走り始めた。マリアたちに遅れたのはほんの数秒だろう。

そうして外に出た二人は、マリアとノドカが唖然としているところを目撃することになった。

「どうしました」

「あれを」

そうして、男二人も絶句。―――あれは、龍?それにムカデも?

途轍もなく巨大ないきものが何体も、屋敷に接近しあるいはその外周に取りついているのが見て取れた。周囲の能見一族たちも戦いの手を止め、唖然としている。

「一体どこからあんなものが……!」

「まさか……地下に封じられてた妖怪ちゃうんかあれ……」

静流が最初に、正解にたどり着いていた。四季は言っていた。能見一族は地下にたくさんの用済みになった妖怪たちを封印していたと。それも、復讐を恐れて。それが何らかの原因で解き放たれたのだとすれば。

すでに能見一族は奴らと戦い始めているのだろう。そこかしこで絶叫や怒号、悲鳴が上がっている。

そして、塀の向こうから獣のような巨大な妖怪がこちらを向いた。

「―――皆さん、私の後ろに!!」

仲間たちだけが生き延びることができた。マリアの広げた翼の陰に入ることで、次に来る攻撃をやり過ごしたのである。

怪物が、口から毒気を吐き出した。それは扇型に広がると、五十メートル先までを一挙に飲み込んだ。生命ある者すべてを腐食させながら。

「ぎゃあああああああああああああ!?」

魂消るような絶叫が響く。飲み込まれた何人もの能見一族の男女が、生きたまま腐り落ちて行くのだ。皮膚が溶け、筋肉がグズグズになり、剥き出しになった眼球すらも崩れた。最後には骨しか残らない。

「嫌……!」

ノドカが悲鳴を押し殺す。今まで幾つもの危機を乗り越えてきた彼女でさえ、恐怖に屈服しそうになっていたのである。

「くっ……!」

見れば、マリアの甲冑や翼も無傷ではなかった。汚れ、所々は溶解し、羽が剥がれてその下が火傷となっていたのだ。

彼女は盾を投げ捨て、弓矢を取り出した。対するも再び息を大きく吸い込む。わずかに怪物の方が早い。間に合わないと見えた時、動物の口の奥に一撃が叩き込まれた。竜太郎の石礫が。怪物に先んじて、マリアの矢が放たれる。

強烈な破壊力は、象に匹敵する巨体の上半分を抉り取った。どう。と倒れる屍。

一体だけでこの始末。普段の竜太郎なら入念な準備と調査の上でなくば挑まないだろう。それほどの大物である。

それが、少なく見積もっても十数匹。おそらく数十はいるに違いない。

「みんな走れ!奴らから離れるぞ!」

竜太郎は叫ぶとマリアに手を貸し、自らも走り出した。背後では幾つもの悲鳴が聞こえてくるが振り返る余裕はない。自分たちの身を守るので精一杯だった。

皆が、走った。


  ◇


神社の外で待機していた雛子にも、異変は伝わっていた。スマートフォンで見たままを伝える。

「はい、そうです。屋敷の中じゃなく、今度は外から来たんです、妖怪の群れが!!」

『何てこった……!雛子ちゃん、そいつらがどっちから来たか分かるか!?』

「神社の南東から来たように見えます。龍とかムカデとか動物みたいなのとか、とにかくたくさん!私だけじゃ対処出来ません。今は中で暴れてるみたいですけど……竜太郎さんたちも心配です!」

『彼らなら大丈夫だ。騒ぎに乗じて逃げてくるくらいはする』

「火伏さん、あれなんなんですか!?」

『恐らくだが、古文書にあったやつだ。能見一族が術を奪って封じてた妖怪たちだろう。なんでこのタイミングに出てきたかは分からんが、今コミュニティ総出で方方ほうぼうに連絡を飛ばしてる』

「急がないと……あいつらが能見一族だけを狙うならまだいいんですけど、殺すものが無くなったらたぶん、市街地に出てきますよあれ!」

『分かってる。ひとまず時間を稼いでくれ、こちらも全力で援軍を送る!』

「了解―――竜太郎さんたちが出てきました、ノドカさんも!全員いるけど追われてます、援護します!」

ポケットにスマホを投げ込み、弓を雛子。

足場としていた畑の倉庫の屋根を踏み締める。矢をつがえる。弓を引き絞る。幾つもの畑を挟んだ先の神社を見つめる。鳥居を飛び出してきたのは静流。ノドカ。やや遅れて、翼を畳んだ完全武装のマリアとそれを助けて走っている竜太郎。

彼らが道に飛び出し、こちらへ一直線に向かってくる中。

鳥居が、吹き飛んだ。それより巨大な図体のイノシシの体当たりで。最後尾の竜太郎たち目掛けて突進する巨体に、雛子は矢を放った。

二発目。三発。命中するたびにイノシシの勢いは弱まるが、まだ止まらない。追いつかれる。正しくそのタイミングで、竜太郎とマリアが左右に別れた。イノシシは急には曲がれない。さらに矢を撃ち込む。肉が抉れ、血が噴出している。そうして、静流に追い付いた時にはイノシシはほとんど瀕死となっていた。

「おらあああああ!」

振り返った静流が真正面から受けて立った。常人ならそれでも無惨な結果に終わったろうが、彼の超人的パワーはのしかかってくる怪物と拮抗することを可能にする。

そして、息絶えたイノシシが横に。最後は静流のパワー勝ちである。

姿を現した雛子は、仲間たちに向けて手を振った。次いで、スマホをハンズフリーにしつつ報告。倉庫の屋根から飛び降り、駆け寄る。

「竜太郎さん!みんなも!!」

「助かったよ雛子ちゃん。危うく死ぬところだった。

火伏さんと代わってくれ」

スマホを受け取った竜太郎は皆にも聞こえるように話した。

「火伏さん。藤森も含めて全員何とか生きて出てきました。しかしえらいことになってます。どうやら能見一族の封じた妖怪たちが解き放たれたようです」

『雛子ちゃんから聞いた。今援軍を編成中だ。準備が整い次第真理ちゃんがピストン輸送する』

「提案ですが、後方に陣地を築いて戦力を整えてから、奴らと戦うべきです。下手に戦力を逐次投入しても各個撃破されかねません」

『それほど酷いのか。クソ』

「かなり強力な妖怪ばかりが数十、下手すると百近く。しかも奴らは敵味方を識別し、連携までしているようです」

『百だとぉ……!?』

さしもの火伏も絶句。神戸コミュニティだけではとても足りない。奈良、いや近畿圏の妖怪をかき集めなければ。

「説得を試みるつもりですが期待薄でしょう。駄目だった場合は時間を稼ぐつもりですがどこまで持ち堪えられるか」

『分かった。死ぬなよ』

そして竜太郎は皆に向き直った。

「雛子ちゃん。珠城山の古墳。昼間に確認した奴だ。分かるかい」

「はい」

「最悪の形で使うことになったが、あそこを暫定的な陣地にする。天乃と藤森を連れて行ってくれ。それが済んだら済まないが戻って時間稼ぎに参加して欲しい。

天乃。藤森。聞いていたな。古墳は高所だ。遠くまで見渡せるし、生い茂る木々とため池、複雑な地形で守られている。隠れ場所も多いし、妖怪相手にも有効なはず。君たちは陣地係だ。通信回線を絶やすな。コミュニティとの連絡が命綱になる」

その言葉に頷くふたり。下手に市街地へ逃げるより、状況を考えれば安全だろう。あそこなら静流の怪力で投げつけられる石材が多数ある。生い茂る木々による隠蔽効果も抜群だ。中学生二人が身を守るくらいはできるに違いない。

「マリアさん。相手は古い妖怪です。現代の日本語を解さない可能性が高い。あなたの力で語り掛けることはできますか」

「可能です。声を広域に届けることも」

「よかった。まず彼らを説得します。能見一族は仕方ないにしても、市街地への進出は阻止したい。駄目なら時間稼ぎの戦闘になります。申し訳ありませんが付き合ってください」

「喜んで。最悪でも一回死ぬだけです。ほんの数十年の間」

金髪の戦天使は、にっこりとほほえんだ。魅力的な笑顔であった。

「行こう」

皆が動き始めた。

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