第164話 真相と使者
【奈良県桜井市 能見屋敷】
「おのれ……」
しくじった。玄馬の内にあったのはそんな想いである。まさか娘が人質とされるとは。彼女は、息子孝明が一族の中で生き残るには必須の存在だ。そんな彼女を投入せねばならないほど、あの少年は強敵だったわけだが。
不幸中の幸いは、あの女を。兄の遺した使鬼を始末できたこと。これで父、重吾には事の顛末を知られる心配はなくなった。
玄馬と手の者たちが、兄玄弥の家を襲い、墓を荒らしたなどと。
墓を荒らしたのはあの使鬼に、これが玄馬たちの犯行だと悟らせないためだ。彼女は最期まで、家にあった術の資料を奪って行ったのが重吾の指示だと考えていただろう。事実はそうではない。玄馬と一族の賛同者たちがやったことだ。その共通点は、我が子が妖術の才を持たぬということ。
無能なものは一族より追放される。我が子を守りたいと思う者たちが結託して玄弥の術を奪い取ったのである。かつての玄弥同様、作り出した式神から術を引き出すために。
今、一族の若い世代で強い術を持つ者はそのほとんどが使鬼から術を引き出している。当人らも含め、誰も気が付いてはいない。使鬼を作り出すための期間は、複数の術者が協力することで短縮した。使鬼そのものも厳重に正体を隠されている。
秘伝書を取り戻すことで、一族の存続も安泰となるだろう。そうなれば後は待つだけでいい。老人はいずれ死ぬ。十年か。二十年か。重吾が死に、玄馬が実権を握ればもはや術の伝承が途絶える心配はない。玄弥の遺した秘術を大々的に使えるのだから。これ以上、地下に封じた化け物の数を増やす必要もない。一族の力がここ数十年で急速に衰えたのは、奴らの数が増えすぎた結果なのだから。
何はともあれ、まずは明日だ。秘伝書と娘を無事に取り戻さねばならない。
玄馬は、待った。
◇
【奈良県明日香村 カフェ】
「なんや。食わへんのか」
朝の喫茶店だった。
コンビニにも苦労するような田舎でも、カフェは意外とあった。観光地だからであろう。その一軒に入っていたのは静流と捕虜の女である。刹那というらしい。髪も瞳も肌も凄い色をしている。本当に人間だろうか。と思うくらいだ。まああの一族の術者なら人間なのだろうが。
「……」
「お前は人質なんやからちゃんと食うてもらわな、俺も困るねん。ノドカと交換やからな」
「……敵の施しなんて受けない」
「やっと喋りおったな。
施し思うんやったら後で親に言うて金払ろうて貰え。それやったら施しちゃうやろ」
「何なんだお前は」
「何なんだと言われても困るんやけどな。ただの中学生やぞ」
「お前みたいな中学生がいるか!?」
叫び声に、店内にいる他の客たちが振り向いた。気まずくなって小さくなる刹那。
「いやほんまにただの中学生やってんけどな。六月くらいまでは」
「何があった」
「神様に会うてん」
「神様?」
「建御名方神」
刹那は絶句。ほぼ最高位に近い武神ではないか。そんなものと、人間が出会った?
「気のいいおっちゃんやったけどな。俺とノドカにとっては」
「……じゃあ、お前のあの力は神話に語られる千人力か」
「せやぞ。まあ夏休みに古事記読んでたら『おっちゃん出オチやん!?』ってショックやったけどなー」
「並の神ではそもそも建御雷神相手に出オチすら出来んだろ」
「まあそらそうなんやけどな」
黙々と目玉焼きを平らげる静流とそれを眺める刹那。
「でもまあ、俺たちにとってはヒーローやってん。俺たちを悪い妖怪から助けてくれたからな。
野見宿儺も相撲の神さんやから正義の味方みたいなこと思うてたんやけど、お前ら見てたら違うんかなあって考えを改めたわ」
「し———失礼な!我らの祖を愚弄するのか!?」
「だってそうやん。野見を崇めてるお前らの行い見てみいな。人様の墓荒らしたり、何の関係もない人間殺そうとしたり」
「何の力もない只人が巻き込まれて死んだとて、何が悪い。どうせ奴らは我々の力に抗えん」
「うわあ。悪の妖怪みたいなこと言いよるな。お前ほんまに人間か?」
「重ね重ね無礼な奴め」
「けどな。何の力もない人間やったら殺してええ、言うんやったらお前、自分より強い普通の人間がおったらどないするんや」
「いるわけがないだろうそんなもの」
「いやいやいや。お前の術何メートル届くんよ。十メートルか?三十メートルか?熟練の猟師は300メートル先からライフル当ててくるで。しかも、気配を完全に隠してな。どないして防ぐん?」
「そんなの……」
「考えてなかったか?もしお前らに子供殺された猟師が復讐決意したらどないするんや。お前殺されるぞ。あっさり」
「う……」
「俺の知る限りじゃ最強の妖怪ハンターのおっちゃんも、妖怪に家族殺されてるねん。けどその妖怪はおっちゃんをしとめ損ねた。それでおっちゃんは体鍛えて妖怪退治始めたんやと。
おんなじことや。悪いことしてたらそのうち復讐されるで。警察かて助けてくれへん。警察の眼をごまかし続けてたらな。目撃者を皆殺しにするなんてそのうち失敗する。今回かてそうやろ」
「……」
「まあ俺はお前らがどうなろうがどうでもええんやけどな。ノドカを取り返して無事に家に帰るだけや。けど、昨夜の宿のおばちゃんみたいな普通の人を傷つける言うんやったら許さへんで。例え警察が動かんかったとしてもな」
「……覚えておこう」
「ほら。食え。まだ時間あるからゆっくりでええけど。昼には相撲神社つかなあかんねん。お前この辺住んでるんやから道詳しいやろ。案内せい」
「いいだろう」
そうして、ようやく刹那は朝食に手を付け始めた。
朝食はすっかり冷めていた。
◇
【奈良県桜井市 JR西日本万葉まほろば線
小さな駅だった。
そこに降り立ったのは三名の男女である。とはいえ普通の人間からすれば男女のカップルに見えたかもしれない。
何故ならば女の一人は、実体を持たず目にも見えない幽霊だったから。
竜太郎と雛子。あと一人はマリア。今まで日本と海外を度々行き来していた彼女だったが、この十月から所属している通信会社が神戸に連絡所を設置して常駐するらしい。ちなみに本当に通信関連企業ではある。彼女の上司、ガブリエルは通信の守護聖人でもあるからだ。そもそも天使の役目とは伝令であるし。
ひとまずはこれが火伏の送り込んだ交渉団である。火伏はこの手の交渉に直接出張るには大物すぎるらしい。なにせ日本八大天狗の一角であり、一声かければ何十人では効かない数の天狗を動員できる(先日重傷を負った件ではそれで物凄い騒ぎになった)。一歩間違えれば戦争である。
「さて。まだ約束の時間には間があるな。
マリアさん。少しばかりぶらぶら歩いてみますか」
「そうですね。地形も把握しておきたいですし」
「賛成です」
これから、現地の有力な一族の下に向かわねばならない。そうして交渉を行い、子供たちを無事に取り戻すのだ。もっとも雛子は聖域に入れないからバックアップである。人間の竜太郎と半天使のマリアだけが敵地に乗り込むことになる。
静流からの最新の連絡では、ノドカが能見一族に囚われている。しかし能見一族の求める古文書を確保しているのは静流だ。彼と合流することで、交渉は優位に進められるに違いない。暴力で彼らが静流に勝てなかったというのもポイントだ。百人近い妖術使いを能見一族は擁しているそうだが、子供一人に蹴散らされたという評判が広がれば困ったことになるだろう。今回のように、普段から暴力的に物事を解決しては雑に妖術で隠蔽してきたからである。百人の術者が張子の虎と知られれば、そこかしこで買ってきた恨みが一斉に爆発するかもしれない。
三人は、緊張しつつも緊張しすぎてはいなかった。何とかなるという、ある程度根拠に基づいた判断に従って事態を収束させるつもりだったのである。
竜太郎たちは、駅を後にした。
◇
深く、暗い地の底であった。
岩盤質の洞穴の湿度は高い。そして寒い。一筋の光さえ差さぬ中に満ちる異様な気配はそれだけで人間をおかしくするだろう。
その中心部で、何かが動いた。
人間ではない。動物でもない。石が転がった訳でもない。物理法則に従ったいかなる現象も起きてはいない。
しかしそれでも、それは動いていた。岩に鉄の杭で打ち付けられた不自由な体で、外の気配を探ったのである。
「おお……おお……封印は弱まりつつある……」「おお……」「おお……」
闇の中、いくつもの声が響いた。とても人間のものとは思えぬ嗄れ、潰れた声。痛めつけられ、力を失ったか細い声だった。
しかしまだ、その命は潰えていない。
「復讐の刻は近い……」「近い……」「復讐だ……」「奴らを殺せ……」「能見の一族を……」「人間どもを……」「殺せ……」「殺せ……」「殺せ……!」
怨嗟の声はやがて合唱となって響き渡る。
そうして、洞穴が揺れた。合唱とともに強まっていく声の主らの力が、揺らしたのだ。
千数百年に渡って蓄積された怨嗟はもはや能見一族の術者たちでは抑え込めぬ水準になりつつあった。あとはほんのひと押しがあれば決壊するだろう。
それを阻止する手段はない。
破局が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます