第163話 呪符と人形

ひどく壊れた人形だった。

恐らく元はマネキン人形だったのだろう。腹部は砕け、完全に腰から下と上半身は断絶している。ここまで破壊されては修復は不可能に違いない。

まだ人肌の質感を残した胸より上の部分だけが、生きているようだった。

瀕死の四季は、静流に向けて微笑んだ。

「……はぁい。やられちゃった」

「喋らんほうがええって」

「へーきへーき。言ったでしょ。私の本体は顔の呪符だから。私が完全に動かなくなったら、呪符だけ外して。また別の人形にくっつければ私は生き返るから」

「ええ加減な体やなー。でも、安心したわ」

「……いい子ね、あなたたち」

そこで、四季は小さくうめく。いかに交換が可能だとは言っても、体の損傷は苦痛ではあるらしい。

「……巻き込んじゃった。ごめんね」

「今更やん」

「……事情をすべて話しておいた方がいいんでしょうね。聞いてくれる?」

「事情って……嘘話してたってことかいな」

「いいえ。全部は話してなかったってだけ。

私の主人は清岡玄弥というのは知ってるわね。彼の本名は能見玄弥。能見一族の宗主の長男よ」

「!?」

「十五の時彼は両親から勘当され、一族から追放された。理由は、伝承されてきた一族のわざの才能が全くなかったから。妖術を使えなかったの、彼は」

「たったそれだけの理由で勘当されたんかいな。ひっでえな」

「あいつらがひどいのは思い知ったでしょ。

けど彼は天才だった。妖怪の実在と、それが誕生するメカニズムを知っていた。だから正しい情報を集めることができた。古の時代、本物の術者が自らの想いだけで術を作り出していた頃のね。

彼は働きながら呪術を研究し、そしてとうとう本物の術者になった。私を産みだすことで。

そして妖怪の世界で名を上げ、一族の下に帰還しようとした。自らが編みだした術を手土産にね。宗主にすげなく拒否されたけど。

それから十数年経って玄弥は亡くなった。若いころにした無理が祟ったせい。

そして、玄弥の死を知ったあいつらが、私の留守の間に家に押し入った。一切合切の資料を奪っていったの」

「なんでや。いっぺん拒否したのに」

「それは、あいつらの衰退がにっちもさっちもいかなくなったから。藁にも縋る気持ちだったんでしょうね。妖術の伝承は難しいの。何世代も経ているうちに術は急速に劣化し、絶えて行くのが本来の姿。防ぐには高位の妖怪を捕らえてその術の秘密を聞き出し、元の術に継ぎ足していくしかない。拷問してね」

「!!」

「秘伝書に書かれているのはその手順よ。そして、聞き出して用済みになった妖怪をどうするべきかも書かれている。妖怪は死んでも蘇る。何世代も後の子孫に復讐に来るかもしれない。だから、能見一族の土地の地下には何十体もの強力な妖怪が痛めつけられ、さりとて死ぬことすらできずに封じ込められているの。一族が力を失えば、それも全部解き放たれるでしょうね。そうして復讐される。大変なことだわ。

けれど、あいつらのここ数十年の衰退速度は今までに例がない。力ある術者が急速に減っていった。高位の妖怪を生かしたまま捕らえるのは困難になった。あなた一人に倒された連中を見ても分かるでしょうけど。だから一縷の望みを抱いて、玄弥の残した資料を奪って行ったんだと思う」

「それやったらなんで、墓まで荒らしたんや」

「腹立たしかったんでしょうね。一族の落後者の玄弥に頼らざるを得なくなったことが。あの宗主のやりそうなことだわ」

「……」

「もうこうなったら、玄弥の資料は諦める。ノドカを助け出すことだけを考えなさい」

「ええんかいな」

「構わない。玄弥の残したものは全部、私の頭の中にあるもの。私が生きてさえいればなんとでもなる。次の術者を育てることだってね。

悪いけど、起こしてくれる?」

静流は、言われた通りにした。

残った上半身を抱き起された四季は、破壊された民宿の内部を見回した。石化が解けて昏倒している宿のおばちゃんの姿も。彼らを巻き込んでしまった。後始末をしなければならない。

右手を伸ばして呪符の束を、投げる。それは民宿のそこかしこに飛んでいくと損傷個所に張り付き、覆い尽くす。それらが剥がれ落ちた時、宿の損傷は回復していた。

「……だいたい直ったと思うんだけど、大丈夫かな」

「直っとる。大丈夫、ようできとるって」

「そっか。じゃあ後は、私の財布から、宿代出しておいてくれる?」

「分かった。安心してええで」

「お願いね」

そうして、四季は動かなくなった。肌が樹脂に変化していき、そして髪がばさりと落ちる。よく見ればそれはウィッグだった。

もはや生命を失った人形の顔から慎重に呪符を取り外した静流は、立ち上がると残された荷物を拾い上げる。ノドカと四季の分も含めて三人分のカバンの中身を整理。元々静流とノドカのそれはさほど入っていないから、一つのボストンバッグにまとめて動きやすくする。四季の財布から宿泊料を抜くと封筒に入れて部屋名と宿代であることを書き付けカウンターに置いた。気絶しているおばちゃんを椅子に座らせ、宿を出る準備ができた時点で、静流は最後にもう一回、人形を検める。その断面に手を突っ込み、秘伝書の巻物を抜き取ったのである。

「おい。起きろ」

倒れていた白子の少女を引きずり起こし、静流は民宿を後にした。


  ◇


【奈良県桜井市 能見屋敷】


夜半であった。

この時間にも、能見重吾は起きていた。手勢を率いて戦いに出た息子の連絡を待っていたからである。

やがてスマートフォンが震え、重吾は電話に出た。

相手は、想定とは違っていた。

『もしもし。今世紀になってからは連絡を取るのは初めてか。俺は火伏次郎。比良山次郎坊と言えば分かるだろう』

「……天狗の頭領が、何の用だ」

能見重吾は相手の名前を知っていた。天狗の総大将、愛宕山太郎坊の弟分。日本八大天狗の一角であり、琵琶湖の西に住まう天狗一族の長が比良山次郎坊だった。

『その言葉、そっくり返そう。我々の保護下にある子供たちを襲ったな。何のつもりだ?彼らは人間だ。お前たちもそうだろう。人間の世界のことは人間の法で決着を付けろ。彼らが何か問題を起こしたとしても、暴力で解決しようとはどういうことだ』

「ここは我々の土地だ。揉め事を解決する手段は我々が選択する。よそ者の出る幕はない」

『今の移動が自由な時代によそ者という概念自体が時代遅れだ。現実を受け入れろ、能見重吾』

「……」

『ああそうそう。お前たちの古文書、まだ一部だけだが読ませてもらった。なかなか興味深い内容だ』

「―――!?」

『今は移動が自由というだけじゃない。情報の行き来も簡単だ。お前たちが後生大事に守ってきた秘密も写メで遠くに送ることだってできる。この国にはお前たちを恨みに思っている妖怪も多い。彼らに、秘密が漏れたら大変なことになるだろうなあ?』

「くっ……!何が望みだ」

『子供たちを無事に返せ。それだけだ。明日の夕刻、俺の代理人を送る。彼の要求に応じなかった時がお前たち一族の最期だと思え』

それで、電話は切れた。

「……おのれ」

歯ぎしりする重吾。妖怪風情に指図されねばならぬとは何たる屈辱か。

彼ら一族にとって、全ては見下す対象だった。何の力も持たぬ只人たちも。妖術を奪うために存在する妖怪どもも。もちろん、一族に生まれながら術を使えぬ落後者も。強烈な選民意識こそが、千年以上も妖術を継承し続けるための原動力となったのだ。

彼ら能見一族は実際のところ、野見宿儺の子孫ではない。妖術を手にしただけのただの人間たちの集まりが、術を継承するために作った一族に過ぎない。それが権威を得るために野見にあやかった。妖怪どもを封じるための霊地として、相撲神社の奥を選んだ。

そんな一族の営みも終わりが近づいている。天狗の頭領に急所を握られたからだ。もうおしまいだ。

能見重吾の精神は、平衡を失いつつあった。

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