第162話 邪眼と踏み付け

「……お断りじゃ、ボケ」

勝利を確信していた刹那は、驚きで目を見開いた。何故ならば眼前の敵手。静流は、自らの右足を前に一歩、踏み出したからである。

「―――何を。正気か君は!言っただろう。壊れれば治らないと!!」

「いらんわ。自分で治す」

そうして、今度こそ刹那は絶句した。静流の右足が再生していったからである。邪眼への抵抗で神力を費やしているはずなのに!

そうして、むき出しのままの真新しい右足が、床を踏みしめた。

続いて、左足が。石と化しつつあった両手が砕かれ、生身に戻る。顔面が。たちまちのうちに再生していく顔。そうしていく間にも体のそこかしこが石化していくが、そのたびに引き剥され、あるいは破壊され、再生する。そうして静流は距離を詰めていく。

―――こいつは痛みを感じていないのか!?

あまりの光景に気圧された刹那は後退し、そして退路を断たれたことを知った。玄関の柱に、背中が当たったからである。

そこへ、静流の手が伸ばされた。柱を叩く音が間近で聞こえ、刹那が硬直する。

「よくも、無関係な人間石にしおったな。弱っちい癖に」

「ボ……ボクが、弱い……!?」

「そうや。はっきり言っといたる。お前らより、前に戦こうた猟師のおっちゃんや、槍の達人の姉ちゃんのほうがよっぽど強かったわ。ただの人間やのにな」

「あ……あ……」

「知っとるか?ただの人間でもな。俺より強いのは何人もおるんや。俺と違って神力に頼らんでも、この石化の術を跳ね返せるようなごっつい達人かてな。

俺がこの力を使こうとるんは、戦い方を教えてくれって頼んだ神さんに教えてもらったんがこれやからや。力は道具に過ぎん。それが分かってへん奴には負けへんぞ」

とうとう、静流の石化が止まった。刹那の集中が解けたのだ。へたり込んだ彼女は静流を見上げ、そして。

「ぁ……」

異臭と共に、彼女のスカートの下から広がる液体に静流は気が付いた。失禁したのである。

静流の手が、刹那へと伸ばされる。それは信じがたい剛力で、首を絞め始めた。

「…ぉ……ぐ……」

「悪いな。今ちょっと心の余裕がないんや。うまく気絶されられるか自信ない」

そのままであれば刹那はよくて意識喪失、最悪首が引き千切られていたに違いない。

しかしそうはならなかった。二階から大きな音が響いたからである。

静流が動揺し、首を絞める力が弱まる。

二階では今まさに、戦いの決着が付きつつあった。


  ◇


「どけ。お前たちではその女の相手は務まらん」

男の声だった。

二階の廊下で戦っていた四季は新たな呪符を取り出す。廊下の奥よりやってきた新手が、知っている顔だったからである。

「能見玄馬……!」

「その顔の呪符、やはり兄上の使鬼か。さんざん好き勝手してくれたな。だがそれも終わりだ」

そうして、能見玄馬は腰を低くした。それはに繋ぐための神代からの構え。野見宿禰の時代から伝わる技なのだ。

その事実を知っていた四季は、家鳴りたちに命じた。動き出す前にあの構えを封じ込めろと。

家鳴りたちはそれに応え、玄馬の五体に組み付いた。両手両足、頭、胴体。全身に取りついたこの低級妖怪たちは玄馬を宙に持ち上げたのである。両足が地面についていなければ力を発揮などできまい。

事実、その通りだった。ただ一つ誤算があったとすれば、力を十全に発揮できない状況であってもなお、玄馬の怪力は家鳴りどもを振り払うのに十分であったという事実。

「ふんっ!!」

気合とともに、家鳴りたちが弾き飛ばされていく。危なげもなく着地する玄馬。

「嘘でしょ……」

再び構えに入った玄馬は、そのまま突進に入った。咄嗟に四季ができたことは、ノドカをその進路から突き飛ばすことだけ。

強烈な突進が四季に直撃。そこから体に回された両腕にがっしりと掴まれた肉感的な女体は宙を舞い、床に投げつけられる。完璧なコンビネーション技は、それで終わりではない。トドメの一撃としての蹴りが腰を踏みつけそして粉砕。あまりの破壊力に廊下の床が崩落、1階にまで落下していく四季。

「死んだか」

敵の沈黙を確認し、ゆっくりと振り返る能見玄馬。その視線が次に向いた先は、ノドカだった。

「あ……来ないで……!」

「そうはいかん。娘よ。秘伝書を渡してもらうぞ。―――検めろ」

まだ無事だった一族の男たちが集まり、たちまちのうちにノドカを拘束。その荷物を検める。

その間に玄馬は、一階玄関へと目を向けた。一族の者が死屍累々に横たわり、自らの娘もまた、敵にとどめを刺されようとしている。

だから彼は叫んだ。

「やめよ!この娘がどうなってもよいのか」

「―――!」

こちらを見上げる少年の顔を見て、玄馬は驚いた。まだ十五に届くかどうかといった子供である。それにここまでやられる羽目になるとは。

少年も負けずに叫び返した。

「そっちこそ、こいつらみんなどうなってもええんか?まだたぶん生きてるで。けどノドカを殺したら、皆殺しにしたる。手始めにこの女や」

玄馬はうなった。このままでは一族と娘が殺される。こちらにも女という人質があるとはいえ。

膠着状態に陥りかけた時だった。

「秘伝書がありません!」

「何?」

荷物を検めていた部下たちの報告に目を剥く玄馬。馬鹿な。では秘伝書はいったいどこに。

「こんなこともあろうかと安全な場所に移しといたわ。どないする。このままやったらお前らの大事な秘伝書、戻ってけえへんぞ」

「……おのれ。いいだろう。娘は秘伝書と交換だ。明日の夕刻、相撲神社へ来るがいい、小僧。貴様も我が一族の者を害すれば決して許さぬぞ」

「どの口で言うとるねんと言いたいとこやけどな。分かった。とりあえず失せい。この女だけ代表で預かっといたる」

「……引き上げだ!!」

号令に従い、能見一族の者たちは引き上げを開始した。負傷者をまだ無事な者が背負い、手を貸して民宿の外へと逃れて行く。玄馬も階段を降り、静流の横を抜けて出ていった。その一瞬で交わされる両者の視線。玄馬たちの後に続いて連れていかれるノドカに、静流は頷く。それで二人の間では十分だった。

そうして能見一族すべてが宿から撤収した時点で、目を剥いた白子アルビノの女を放り出し、静流は奥へ駆け出した。

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