第161話 家鳴りと夜討ち
【奈良県明日香村 民宿"若葉"】
夜半。
尿意を催した静流はむくり。と起き上がった。同じ部屋に女性陣もいるから慎重に。いくら片方は布を張り付けた人形だとはいえ。
カーテンの隙間を指で広げて窓から外を見上げると、美しい月がすぐそばの山というか斜面の上から覗いている。本当にただの観光旅行みたいになってきた。
そうっと立ち上がると、寝ぼけ眼のまま部屋を出た彼。廊下を通ってトイレに入ると用を足す。
すっきりした時点で、静流は部屋に戻った。
◇
「―――気付かれたと思うか」
「分からん。単にトイレかもしれん」
「油断はするな。奴らは一筋縄ではいかん」
月光の下、民宿を取り囲む者たちの姿があった。能見一族の手勢、その数総勢三十余り。昼間と昨夜の戦いで結構な数が撃退され、負傷した現状では動員できる最大と言っていい数である。いずれもごく普通の私服だ。こんな異常な状況でなければ誰も気にすることはないだろう。
その指揮を執る次期宗主であり、現宗主の息子である能見玄馬へと報告する者があった。白髪に紅い瞳。
「お父様。準備、整いました。隠蔽用に火災に見せかける用意もできてございます」
「よくやった、刹那よ。人払いの結界が張られると共に突入する。お前は初陣だ。無理はせず、合図を待て」
「はい」
自らの配置へと向かう我が子を頼もしく思いながら、玄馬は民宿を見上げる。相手が何者であろうとも、寝込みを襲われれば無事では済むまい。その際、宿が多少は破壊されるだろうが些細な問題だ。もし隠蔽が困難であれば宿泊客ごと皆殺しとし、焼いてしまえばいいのだから。
人払いの術を担当する老人に対して頷く。
その術が行使されたのを確認した玄馬は、無線に命じた。
「やれ」
◇
民宿の窓が、強烈な風に飛ばされてきた木の枝で叩き割られた。更にはそこから突入してくる二名の男たち。タイミングをほぼ同じくして、部屋の入口の襖を明け、侵入してきたのも四名の男であった。彼らは手にした刃を振り上げると、畳敷きの部屋に敷かれた布団をめくりあげる。
この段階で、彼らは動きを止めた。何故ならば三つの布団の中で寝ていたのは人間ではなく、小鬼の姿をした十数匹の家鳴りだったからである。
―――KKKKYYYYYYYIIIIIIIIIII!
家鳴りたちは飛び上がると、男たちの四肢を持ち上げて外に放り投げた。あるいは布団の中にあったロープで男たちをぐるぐる巻きにし、頭から布団を被せたのである。
男たちの奇襲は察知され、待ち伏せを喰らったのだ。
突入部隊の第一陣は、あっけなく全滅した。
◇
「うわあ……迷惑にも程があるやろあれ」
トイレの入り口から様子を伺っていた静流は、部屋で繰り広げられている戦いを見て呟いた。後ろにはノドカや四季もいる。いずれも荷物を背負い、着替えが済んだ状態だった。
「危なかったわ。気付くのにあと少し遅かったらまともにやり合う羽目になってた。さ、行きましょう」
四季が促し、静流とノドカがそれに従う。奴らの目を盗んで窓から飛び降り、車まで走らねばならない。もちろんノドカは静流が背負って。
そうなるはずであったが、廊下の奥の窓が割れると外から男たちが飛び込んで来る。どうやら第一陣の失敗を知ったらしい。踵を返し、下へ降りる階段へと向かった静流たちは、玄関から入ってきた十数人の敵勢を吹き抜けから目の当たりとすることになった。
「ああもう。後ろとノドカは任せた、俺はあっちをやっつけてくる」
「分かった。気を付けて」
四季に背後の守りを、ノドカに自分のリュックを任せた静流は、吹き抜けの手すりを乗り越えて飛び降りた。こうなったからには正面突破するしかない。
壁際に置かれた椅子を持ち上げ、振り回す。たちまちのうちに二人をやっつける。こいつらは技量的、肉体的には常人とさほど変わらないようだ。妖術を多少使えたところで接近戦で静流に勝つのは難しい。脅威度という点では拳銃と大差ない。いや、常人からすると立派に脅威だが。
階上ではノドカを庇いながら四季が奮闘しているようだった。どこからか取り出した紙が折りたたまれていくと、鳥や狐と言った生き物に姿を変えて敵へ襲い掛かるのである。
戦いは優勢に進められているように見えた。このまま推移していたとするならば。
騒ぎを聞きつけたか、受付の奥から顔を出したのは宿の奥さん。夕食を振る舞ってくれた気のいいおばちゃんである。彼女が顔を出したのを目の当たりにした静流はギョッとした。まさか敵は人払いをかけていないのか!?
この場にいた皆が知らなかったことだが、人払いがかけられていなかったのではない。このおばちゃんがたまたま、霊感が鋭かったのである。人払いが効かなかったのだ。
見られたのを見とがめた襲撃者の一人が術を構えた。手から飛び出すのが何だろうか、確認している暇はない。何しろその標的は、顔を出してポカンとしているおばちゃんであったから。
反射的に、静流は飛び出した。
衝撃。
放たれた風の一撃は、静流の腹へ穴を開けるに至った。
「あ……あ……」
腰を抜かすおばちゃんに振り返り、どうにか笑顔を見せる静流。
「大丈夫や。隠れとってえな」
そうして彼が敵に向き直った時。その表情は、悪鬼の如きものとなっていた。
「……もう許さへんぞ、お前ら。たかがカビ臭い古文書一つのために人を殺すんか」
たちまちのうちに癒えて行く静流の傷。明らかな致命傷が一瞬で回復したのを目の当たりにした襲撃者らは、自分たちが相手をしている者の実力に気圧された。
誰かが叫ぶ。
「い……一斉に放て!」
雷が放たれた。火炎が飛び、氷の刃が投げつけられ、石礫が襲い掛かった。光線が切り裂くように振り抜かれ、風の塊が打ち据える。
たちまちのうちに十を超える妖術の嵐を浴びる羽目となった静流。それを階上から目の当たりにしたノドカは悲鳴を押し殺す。
凄まじい火力の集中によって生じた粉塵が収まった時。襲撃者たちは愕然とすることになった。
何故ならば敵手はほぼ無傷だったからである。
頭部を庇って組まれた両腕の合間から、静流は襲撃者たちをじっと見据えている。咄嗟に全身へ張り巡らされた硬気功の力だった。
「ば……馬鹿な……っ!?」
硬気功の防御力は、高位の半天使の攻撃を耐えられるレベルまで低減する。それには遠く及ばない低級な妖術ごときで静流を傷つけるのは不可能だ。
庇ったおばちゃんの無事を確認した静流は前進。無造作に襲撃者たちを殴り倒していく。もはや相手の生死を気にしてはいない。こいつらすべてを倒さなければ、宿の人間にまで危険が及ぶからである。反撃が時折静流の肉体を打ち据えるが、いずれも硬気功で阻まれ、あるいは再生能力でたちまちのうちに回復するだけの結果に終わる。どちらが絶対的強者かは明らかだった。
そうして玄関から攻め込んで来た敵の半数ほどを倒した時。
「そこまでだ」
静流の前に立ちふさがったのは、眼鏡をかけた白髪の少女。紅い瞳を持つ彼女は
「物理的な破壊には耐えられるようだ。だが、ボクの術に耐えられるか」
この段階でようやく、静流は構えを取った。敵の神力が、他の雑兵どもとは段違いであるのが視てとれたために。
強烈なぶちかましからの投げ技を実行するために編み出された神殺しの構えを前に、白子の少女は微笑んだ。まるで敗北を想定していないかのようだ。
眼鏡が、外される。同時に踏み込もうとした静流は、足が地面に張り付いている事実に気が付いた。いやこれは!?
「これが、ボクの眼が持つ力。世間で言う
さあ。どうする?まだやるかい?ああ、動かない方がいい。君に術のかかりは遅いようだが、無理をすると壊れるよ」
少女が言う通りだった。静流の足首より先は石と化していたのである。それだけではない。両手の指。顔面の一部も。
周囲を確認する。ノドカはまだ、無事だ。四季も上で敵勢と戦っている。少女の視線が静流に集中しているためだろう。静流の体内で高められた神力が、少女の妖力と拮抗しているのだ。
だが。
静流の背後でへたり込んでいたおばちゃんは、無事では済まなかった。物言わぬ石像と化していたのである。恐らく、ほんの一瞬で。
「ボクの名は能見刹那。一族の宗主、能見重吾の孫だ。さあ、降伏するがいい。さもなくば君は不名誉な死を、ここで遂げることになる」
少女は、高らかに宣言した。
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