第160話 鍋と民宿

【奈良県明日香村 民宿"若葉"】


「いやあ。宿が空いてて助かったわ」

村の中心地からはかなり外れた東の端にある民宿だった。

古くていかにもと言った外観。日焼けした絨毯。広めの廊下にはソファやテーブル、冷蔵庫や電子レンジまで置かれ、庭では鶏を飼っているのが見えた。飛び入りでよくもまあ三人連れの部屋が取れたものだ。さすがに一部屋で三人となったが。名目上は金曜日の夕方に泊まりに訪れた親子である。外見上無理がある気がしないではないが、そもそも顔に布を張り付けた謎の女は存在そのものにかなり無理があるので気にしないことにする。

制服では目立つからとここに来る途中で調達した衣服のままひっくり返る静流。ノドカと四季が今は大浴場に入っている。風呂に入るときもあの顔のままなのだろうか。謎だ。

充電中のスマホを確認する。0になっていた電池が幾分回復していた。ケーブルは四季から借りたものである。まさかこんな長丁場になると思っていなかったから助かった。電源を入れる。ややあって起動したスマホから、さっそくアプリを立ち上げ、コミュニティの会議室へと入る。静流が入ってきたことに気が付いた常連たちが次々に反応した。

>>『無事だったかー。よかった』

>>『とりあえず藤森のお父さんには連絡をしておいた。君のご家族に対しては、友人の家に泊まりに行ったことにしてある。ミナも寂しがっていた』

>>『大丈夫か。昼間は相当に大変だったようだが』

「あー。何とか無事や。変な姉ちゃんに助けられてなあ。まあ助けられた言うたかて、その姉ちゃんが追われる原因になったんやけど」

これまでの経緯を詳しく報告する静流。今は安全であること、民宿に泊まっていることを伝える。すぐに救援が必要なほどは切羽詰まっていないことも。

>>『清岡四季?ああ。清岡玄弥の助手か。前に一回だけ会ったことがある』

そう書き込んで来たのは火伏のアカウント。本当なら今頃彼の快復祝いに参加していたはずなのだ。

「え、知り合いなん」

>>『ああ。外見の特徴も一致する。本人だろうな。以前関西最強の妖怪ハンターと言えば清岡玄弥だった。物凄い呪術師だよ。京都を根城にしていてな。闘病中と聞いていたがそうか。亡くなったか』

「なら信用してええんか」

>>『お前さんたちや一般人に危害を加えないという意味ではたぶん大丈夫だ。能見一族と揉めてたのは初耳だが』

「能見一族ってそもそも何やっとる連中なん。昔から相撲ちゅうか妖術伝えてるのは聞いたけど」

>>『連中のことか。昔から妖術を悪用して裏で繁栄していたようだが、近年は衰退しつつあるらしい。祖先が積み上げてきた資産を食い潰しながら存続してる連中だ。あいつらは秘密主義でな。俺も詳しいことは分からん。ただ、奈良に住んでる妖怪からの評判はすこぶる悪い。やり口が荒っぽいからな。一応、妖怪の存在を秘密にする程度の分別はあるが』

「ふうん。なるほどなあ」

>>『彼らの秘伝書というのは興味深い。どうやって術を継承してきたかわかるかもしれん』

「そういや写真撮ったから送ろうか。ギガやばいから全部は無理やけど」

そうして、写真を何枚か貼り付けたときのことだった。ノドカたちが風呂から戻ってきたのは。

「ただいまー。いい湯だったよー」

「おーそうか。よかったなあ」

自分も風呂に入ろうかと思って静流は時計を確認。夕飯の時間である。食べてから入っても問題なかろう。今日は働きまくったので腹ペコである。

「んじゃ飯に行ってくるわ」

会議室に書き込み、静流は立ち上がった。


  ◇


ひなびた民宿だけあって、夕食の場は1階にある食堂であった。テーブルを囲む三人。周囲ではぽつぽつと宿泊客が降りてきている。温かみのある夫婦が携帯コンロの上に置いてくれたのは鍋。鶏肉、野菜をだし汁とそしてなんと牛乳で煮込んだ料理である。飛鳥鍋といい、奈良の郷土料理だった。飛鳥時代に大陸との交流で牛乳を飲用にすることが伝わると、やがて貴族層だけではなく僧侶も飲むようになり、それが鶏肉を煮る用途で用いられるようになったのが起源らしい。庶民の間では入手しやすい山羊の乳が用いられて広がり、今の形になったのは昭和初期である。

大変に美味で、静流たちは食事を楽しんだ。ごはんやお茶はセルフだったが、この辺も静流たちに合っていたと言える。

そして締めの雑炊。庭で飼っている鶏が産んだという卵も入れられており絶品だった。

「あー。美味かった。これなら昼間に追い掛け回されたのも許せる気分になってくるわ。いや、ほんまにあいつら許すわけちゃうけど」

「もう、静流ったら。現金なんだから」

そんなやり取りをする中学生組を、優しいまなざし(たぶん)で見つめる四季。この使鬼がどう食事するのかもふたりは目にしていた。普通に口を使って食べている。布が食べ物に当たらないよう、顔を下に向けて。

「それ不便ちゃうん」

「まあねえ。でもこの呪符が私の本体で、体はそれを人形に張り付けてるだけだから」

「そうなんだ」

「呪術ってすごいんやなー。布一枚でここまでできるんやもん」

静流の言葉に、四季は苦笑したようだった。やんわりと訂正する。

「呪術が凄いというより、人の想いが凄いのね。昔から、この世には本物の呪術師や仙人、魔法使いが存在する。妖怪と比べれば圧倒的に数は少ないけれど。彼らは強い人間の想いが妖怪を産みだすことを知っていた。だから私の主人も彼らに倣ったの。自らの強い想いを何年も儀式を行うことで制御し、私という妖怪を作り出した。そうして、生まれた私の力を借りることで彼は術を行使した」

「人間の呪術師って、そういうふうにして呪術を使うんだ……」

「別にそれがただの一つの正解ってわけじゃあないわ。例えば大陸の仙人は人間の想像から生まれた者だけじゃあない。本当に人間が修行して成った者だってごく少数だけど存在している。何年、何十年も行をこなし、強い想いによって自身を妖怪と転じることができた者たちとか。あるいは大衆に信じられている既存の神仙思想に乗っかって、それを補助輪みたいにして羽化登仙うかとうせんしたりとかね。同じように、エジプトのファラオたちは妖怪が生まれる理屈を知ってたかもしれない。多くの人が強く死後の生命を信じれば、本当に死んだ人間が復活するかもしれないって。だから彼らは自らを神格化して大衆に崇めさせ、巨大な墓を作らせ、そこに自らの死後の生活に必要な副葬品を埋葬させた。自分自身の遺体もミイラにして保存した。復活の時のためにね。現在盗掘されたとされている墓のいくつかは、そうして復活したファラオが自らの財産ごと立ち去った後なのかもって。まあこれは私の主人の受け売りだけど」

「主人って、清岡玄弥?」

「あら。知ってたのね」

「さっき知り合いにネットで連絡したら教えてくれてん。凄い呪術師で関西最強の妖怪ハンターやったって」

「そういえば今は、神戸に新しい"関西最強"が現れたって聞いたわ」

「あー。竜太郎のおっちゃんやな。術とか使われへんけど超強いねん。俺もあのおっちゃんと戦ったら、よっぽどのことない限り勝てへんわ。勝つ方法はいくつか思いつくけど、絶対それさせてくれへん」

「知り合いなんだー。

ま、こうして人間はどんどん世代交代してくんだなー。って思うと私もこうねえ。センチメンタルな気分になっちゃうわけよ。考えてもみて。私、主人を亡くした後百年も千年も一人で生きてかなきゃいけないのよ」

よく見るといつの間にかビールを片手にしている四季。使鬼だというのに酔っぱらえるのか。酔っぱらっているっぽい。だんだん酒が回ってきている。

「お酒、だいぶ回ってるみたいだけど平気です?」

ノドカがさすがに不安そうにするが、四季は笑いながら手を振った。

「へーきへーき。人とこうして話ながら御飯食べるのも久しぶりだからね。つい楽しくて」

結論から言うと、平気ではなかった。この後部屋に戻った四季は、すぐにひっくり返ると寝息を立て始めたからである。一応逃走中の身のはずなのだが。

そうして、夜も更けていった。

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