第159話 先生と道の駅

【奈良県明日香村 道の駅"飛鳥"】


「ああもう。あいつらどこで油を売ってるんだ」

担任の篠田が愚痴った。

今回の学校行事の拠点になっている道の駅でのことである。

レンタサイクルの貸し出し場が隣接した大きな駐車場には何台ものバスが止まっている。ここで車を降り、レンタサイクルで広大な明日香村を巡るように整備されているのだった。

学年団の教師たちが顔を突き合わせているのは戻ってこない二人の生徒のためである。天乃静流とノドカ=藤森。両名は途中で班の仲間をほっぽりだし、姿を消したのだ。出発時間を過ぎてもやってこない。このままではバスは足止めを食う。

教師たちが頭を悩ませているときだった。

「まあまあ。篠田先生。主任も。もう他の子たちはみんなバスに乗っているんでしょう?早く出発しないと」

そう声を上げた女教師に、篠田は抗議の声を上げる。

「しかし清岡先生。連中を置いて行くわけにはいかんでしょう」

「ええ。ですから私が残ります。あの二人が来たら私が連れて帰りますから。主任。皆さんもそれでよろしいですか?」

「あー。まあ清岡先生がおっしゃるならこの辺にしときましょうか」

学年主任の一声で決着となった。他の教師たちが清岡先生に「お疲れ様です」などと告げ、それぞれの担当のバスに乗っていく。

その様子を、清岡先生。この、は腕を組み、満足そうに見ていた。

やがて、彼女が手を振る中。何台もの貸し切りバスが出発し、神戸に向かって帰っていく。

それを見送ったは、自販機でコーラを買うと適当なベンチに腰掛けた。まだ昨夜やられた腹が回復しきっていない。もう少しばかり、あの少女には時間を稼いでもらわねばならなかった。時間通りに来たのであれば、バスに一緒に乗って逃げられたのだが。

清岡と名乗る女は、待った。


  ◇


遅刻した。

車道をレンタサイクルで爆走する静流たちの内にあったのはそんな事実である。逃げ回っている間にバスの出発時間が過ぎたのだ。ヤバイ。

交差点を曲がり、坂を上がり、下り、そして前方。道の駅にたどり着いた二人は、バスがもういないという事実を突きつけられる。

「マジかー」

「どうしよう」

途方に暮れるふたり。怒られる。これは間違いない。こうなったらコミュニティの力を借りるしかない。

「ひとまず自転車だけでも返しとこか……先生らの伝言とかあるかもしれんし」

「そうだね」

道の駅に隣接するレンタサイクル店まで行き、従業員に声をかける。幸いと言っていいか自転車返却はスムーズに行ったが、伝言は何もなかった。無常である。

道を挟んだ先、道の駅に向かうふたり。そこで彼らは、真横に付けてきた車に遭遇した。開く扉。伸びる手に反射的に蹴りを入れて撃退する静流。前にも同じようなことがあったからこの辺は慣れたものである。ノドカを連れ去ろうとして失敗した自動車のドアが閉じられる。逃げるつもりらしい。だ。さすがにちょっと学習したか、静流と正面対決を避ける知恵はついたのか。

いい加減バテてきた静流とノドカの眼前で、自動車がエンスト。動きを止める。

「?」

怪訝な顔をした静流の前で、自動車が。かと思えば物凄い勢いでシェイクされる。中に乗っている人間はえらいことになるのでは。

怪現象は数十秒続き、そしてドアが開くと青い顔をした男たちが転がり落ちた。動きからして、見えない何かに引きずり出されたようだ。もはや何もできそうにない。静流がと、何やら小さな人型の何かがたくさんいるのは分かった。まだはっきりと実体は見えない。透明なものの存在が分かるだけだ。

周囲を見回すと道の駅だというのに誰も気にしていない。人払いがかかっているのだろう。一体誰が。

「あ」

怪現象の主を見つけたのは、ノドカが先だった。道の駅の建物の方からやって来る、奇怪な女を発見したのである。顔に呪文が書き込まれた布を張り付けた、肉感的な女。

「はあい。お待たせ。ちゃんと巻物を守ってくれたのね。ありがとう」

その風体と、ノドカの表情から静流もこれが問題の女だと悟った。

「あー………今の、やっぱり妖術かなんかです?」

「そんなとこ。普通の人は今の術に気付かないし、私のこともただのどこにでもいる人間に見えるはずなんだけど。あなたと、そっちの男の子には私の正体が見えてるみたいね」

静流がぶんぶんと頷いている。ノドカも同様に肯定。

「あの、それで。結局あなたとこいつらは何者なの?」

「うーん。それに答えてあげてもいいんだけど。時間があんまりなさそう」

「?」

女の向いた方を見た二人は、こちらにやって来る車に気が付いた。中に男が何人も乗っている。ひょっとしてあれはか。

「ちょっとヤバいんじゃ」

「ヤバイわね。だから少しばかり時間稼ぎをするわ」

パチン。と女の指が鳴ると、自動車のボンネットから突如煙が噴き出した。近くの電柱に激突して止まる自動車。

「さ。これであいつらが走ってここにたどり着く前には出発できる。さっさと乗って。早く」

たった今男たちが放り出された自動車の運転席に女が乗り込んだ。静流とノドカも後部座席に飛び乗った段階で、全てのドアが勝手に閉まる。

女がエンジンをかけ、そして自動車はその場から走り去った。


  ◇


「私はひらたく言えば使鬼しきの一種。式神しきがみともいうわね」

女が運転する自動車の中。ノドカと静流は、女の事情を聞いていた。

「式神ってあれかいな。陰陽師が操る手下みたいな」

静流の言葉に、女は深く頷く。

「それそれ。陰陽道だけじゃあなくて、神道や民間信仰にも根付いてるけどね。一人の人間が、古い資料を調べて作り上げたのが私。誰にも教わらずにね」

「ほええ。そういうことができる人もおるんやなあ」

「まあ滅多にいないわ。もう死んじゃったけど」

「死んじゃったの?」

「ええ。病気だった。それは仕方ないことだったけど、その後がよくない。あいつらは私の主人の墓を荒らした。それに、主人が残した資料を奪った。だから私はあいつらの宝を盗んだの。あいつらに奪われたものを取り返すためにね。その巻物は人質ってわけ」

「うわあ」

ノドカは納得した。この女も胡散臭いが、あの男たちよりはよほどマシだ。少なくとも街中でいきなり襲ってくる相手よりは。

「それで、あいつらは何者なん。妖術使こうとったけど」

「彼らについて説明する前に聞いておきたいんだけど、野見宿禰のみのすくねって知ってる?日本で初めて相撲を取った人間」

女の言葉に頷く静流とノドカ。野見宿禰とは記録にある限りで日本で最初に相撲を取った人間の名前である。ちなみに神だとこれが建御名方と武御雷になる。明日香村からほど近い桜井市にも、野見宿禰を祀る相撲神社があった。静流としては行きたかったのだが他の班員はそうではなかったため、今回は来訪を見送ったのである。時間的にも厳しかったし。

「彼らはその末裔。能見一族を名乗ってる。神と祀られるまでになった野見宿禰の相撲のわざを伝え、時代が下るとそれ以外にも様々な術を取り入れてきたの。そうして今の、術の体系を作り上げた」

「あれ、相撲やったんか……」

自分が学んだものとは似ても似つかない術を使ってきた男たちを思い浮かべる静流。長い年月で変化したというから、原初には、神代のわざを直接神から習った静流と同じような術の体系だったかもしれないが。

「そ。あの手の術は伝承が難しくてね。普通は頑張っても2、3代で途絶えるもんなんだけど。連中は古墳時代から伝えてると言い張ってる。ほんとに野見宿禰の血を引いてるかどうかは怪しいもんだけどね」

「そういや、前に十月先生が言うとったなあ。原理的には妖怪と人間の混血が産まれるのと、人間が教わった妖術身につけるのはおんなじやて」

「あら。十月先生って、十月医院の?道理で話が早いと思った。あなた達もそっちの人なのね」

深く頷く静流。十月医院の名は奈良にまで伝わっているようだった。

「それで、これからどうするの?ええと……」

「四季。清岡四季と呼んで頂戴」

「式神だから四季?そんな安直な」

式神を自称する女の名前に若干呆れつつも、ノドカは事実を受け入れる。そんな彼女に、四季は微笑んだ。

「そうね。できればこのままあなたたちを家まで送って行きたいとこなんだけど。あれを見て」

前方に見えたのは、渋滞。何だろう。事故?

「警察が検問してる。これ、一応盗難車だからね。奴らとうとう警察を動員したみたい」

「術で何とかでけへんのかいな」

「警察をごまかすくらいは簡単だけど、アレ、どちらかと言えば渋滞を作るのが目的じゃないかな。足止め喰らってる間にあいつらが大挙してやってくるわ」

「うわあ。勘弁してえな」

「やり過ごしましょ」

脇道に入る。そのまま今まで来たルートを逆に進んでいるようだ。

「どないするん」

「検問をいつまでも維持はできないわ。今夜は宿を取って、明日脱出するの。いい?」

問いかけに、静流とノドカは顔を見合わせた。選択の余地はないように思える。

「しゃあないなあ。でも俺ら金持ってへんで」

「それくらいは出すわ。巻き込んじゃったお詫び」

そうして、四季と名乗る女は布の下で微笑んだ。たぶん。

「明日には無事にあなたたちを帰してあげる。きっとね」

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