第157話 マフィアよりひどい

【奈良県明日香村 国営飛鳥歴史公園】


「はぁい」

「……」

怪人だった。

顔に張り付けられているのは細かい呪がびっしりと墨で描かれた白い布。なのに、身に着けているのはシャツに吊りベルトで下がったタイトスカート、黒のストッキングと蒼いネクタイ、と常識の範疇。ストレートの黒髪にむっちりと肉感的な女である。どう見ても変だ。

怪我でもしているのだろうか。脇腹を押さえ、苦しそうにベンチにもたれかかっている。大きな資料館を敷地内に備える大きな公園内には明らかに似つかわしくない。

あまりに変な光景にレンタサイクルを降りて足を止めたノドカを見上げ、女は笑った。たぶん。顔が見えないので推測だが。

同じ班の女子たちがノドカを呼んでいる。どうやら女が見えていないらしい。

悩んだ末、ノドカは女子らに先に行かせると女へ向き直る。

「あ、あの。大丈夫ですか」

「あんまり。見ての通りしくじっちゃってね」

「救急車呼びますか」

風がはらり、と女の顔の布をめくった。ちらりと見える口元は蠱惑的だ。一応普通の人間の顔はあるらしい。

「うーん。医者じゃあんまり助けにならないかな。それにしばらく休めば元気になるから」

「はあ」

「あ、でも助けてくれるなら大歓迎。しばらく荷物預かっててくれないかな。必ず取りに行くから」

そうして押し付けられたのは、安物のリュック。

「これ、中身ヤバいものじゃありませんよね」

「へーきへーき。何なら確かめてもらってもいいわ」

中を検めると、出てきたのは巻物が一つ。他にはなにもない。

「これは……?」

「ただの昔の呪術の指南書。興味があるならコピーしてもらっても構わないわ。普通の人にはなんの意味もないし。原本が返ってくるなら私は困んない」

「はあ」

「もっとも、あいつらにとってはわかんないけど」

「えっ!?」

驚いて振り向いたノドカは、見た。通行人風の服装をした、しかし明らかにこちらを見ている男たちを。

「じゃあ頑張ってあいつらから逃げてね」

「―――!?」

振り返った時にはもう、女の姿はない。

反対側からは、包囲してくるように接近してくる男たち。不味い。これはヤバい。経験上、こういう時に警察は何の役にも立たないということをノドカは知っていた。頼りになるのは自分自身の脚力と、後は唯一人。

巻物ごとリュックを自分のカバンにねじ込んだノドカは、レンタサイクルに跨ると全力で漕ぎ出した。


  ◇


「はええええ。こんなふうに見えるんやなあ」

世界が一変していた。

静流の視界にあるのは遺跡がやたら多いだけの田舎の風景ではない。彼の視界にあるのは神力の流れ。人間たちの想い。ふと思い立ち、結果だった。

ティッシュペーパーを浮かべるのはこれの延長である。神力を操るには、まず認識しなければならない。最近までは触れたものを感じるので精一杯だった。離れた物体の神力を事は更に先のステップへと進むのに不可欠なのだ。

「おーい天乃ー。置いてくぞー」

「おー。すぐ行くわ」

同じ班の男子たちに答え、静流はレンタサイクルのペダルを踏み込んだ。前に進み出した所で、背後から呼ばれた気がする。

「うん?」

振り返ると、緩やかな傾斜の向こうから自転車が爆走してきた。あれはうちの女子では。

「静流ー!」

ノドカだった。えらく焦ってないか。

先月の芋掘りの顛末を思い出し、まさかなと否定しようとして仕切れない事実に直面する。いくらなんでもそんな、こんな真っ昼間の観光地で。

しかし懸念は現実となった。静流の左後方からやってきた乗用車がノドカの手前に停車すると、中から数名の男が現れたからである。

「マジかー……」

レンタサイクルを止める。荷物を入れたカバンを落とす。走る。跳躍する。

男たちを静流はノドカの手前に着地。そのまま男たちに向き直った。

「はいはいそこまでや。ストップ。分かるか。暴力はやめようや。何か不満あるなら警察まで一緒に行ったるから。な?こないな女の子を取り囲んでビビらせたらあかんて」

我ながらなかなかの説得の文言だと思った静流であるが、男たちは感銘を受けなかったようだ。懐に手を突っ込んだ彼らが取り出したのは、警棒。伸縮式のそれを最大に伸ばす。

「あー。あんたらどんな事情あるんか知らんけど、悪い奴らなんは確定やな」

静流は腰を落とした。普通の人間を殴るのは気が引けるが、武器を持ち出す相手なら話は別である。

踏み込む。警棒を腕で受けて殴れば一発だ。殺さないように手加減しないと。

それが、取らぬ狸の皮算用であることを静流は思い知る羽目になった。

警棒をガードした瞬間。強烈な雷光がきらめいた。

「―――!?」

痺れた静流の脳天に、警棒が振り下ろされる。強烈な一撃は、常人ならば死んでいたかもしれない。飛びかける意識。

反撃のパンチは空を切った。電撃で筋肉が収縮したせいに違いない。

それでも相手は後退すると身構える。今の攻撃を受けても倒れない静流に警戒したのかもしれない。

「いたたたた……スタンガンって卑怯ちゃうか?なあ」

静流の抗議も、男たちは聞く耳持たないようだ。

「静流……」

「平気や。ちょっと痺れたけどな。次からはこれも対策考えんとなあ」

左右を視線だけで確認。スマホをカバンに入れていてよかった。もし懐ならもう壊れていたに違いない。

構えを変える。相手は再び警棒を突き出してきた。

そこで、静流は後退しつつ地面に転がると、両足を引き寄せて力いっぱい、相手の腹に叩き込む。吹っ飛んでいく男。

よっこいしょ、と立ち上がった静流に、残る敵はうろたえた。静流も今の技を実戦で使うのは初めてだ。何でもブラジリアン柔術らしい。ブラジルの警察で考案された刃物に対抗するための技を竜太郎が改造したものだ。以前溶岩虎との戦いで彼がやっていた。失敗を恐れず実行できるのは、不死身の再生力のおかげだが。

「正当防衛やでこれ。俺は警察行こって言うたからな?」

この段階でようやく、男たちも対話する気になったようだった。中央にいた若者が口を開く。

「我々の目的は、その女がもっている巻物だけだ。それさえ素直に渡すのであれば、こちらも引き下がろう」

「巻物?ノドカ、そんなもん持っとるんか」

「うん。さっき変な女の人に、これを守ってって渡されたの」

「なるほどなあ。まあ話次第では渡すのは構わへんねんけど、あんたらのもんなんかそれ」

静流の問いに、男は深く頷いた。

「その通り。それは昨夜、我々の蔵から盗まれたもの。その所有権は我々にある」

「ふうん。その話が本当やったら返してやってもええんやけどな。けど、日本の法律やとたとえ盗まれたもんでも力ずくで奪い返したらアカン、警察呼ばなって決まっとるはずなんやけど。

あんたら、警察に言われへん事情でもあったんか」

「それはお前には関係のない話だ。さあ。どうする」

「せやなあ。俺たちに関係のない話ではあるんやけどなあ。でも」

そこで静流は振り返ると、強烈な裏拳を放った。それは空を切り———否、空に、いつの間にか背後から接近していたを吹き飛ばす。

「―――!?」

「酷いわあ。前にやりおうたブラジルのマフィアでも話してる間は攻撃してけえへんかったで。お前らそれ以下やん」

地面に転がったのは、刃物を手にした男。攻撃を受けた衝撃で術が解けたか、目に見えるようになっている。どうも風で大気の屈折を捻じ曲げて透明化していたようだが静流にはよくわからない。ただ、周囲の神力の流れが異様だったから接近を察知できた。これもティッシュペーパーを浮かべていた修行の成果である。

これなら幽霊もそのうち見えるようになるかもな、などと考えながら、静流は改めて身構える。

「決めた。お前らにはその巻物は渡さへん。ノドカもそれでええか」

「うん」

残る男たちは後ふたり。彼らは警棒を投げ捨てると、掌に炎を呼び出し、あるいは氷でできた剣を

明らかな超常の力。妖怪か、あるいは静流のような妖怪の力を使える人間であろうか。ひょっとしたらさっきのスタンガンもスタンガンではなく、電撃を操る能力だったのかもしれない。

喰らうならどちらがマシかを考え、氷の方に踏み込む。突き出された一撃を見切って躱し、腕を掴み取るとそのまま。振り回された男は炎の男に激突すると、そのまま二人して転がった。念のため蹴りを入れて気絶させる。

拍子抜けするほど弱い。まあ時速四百キロで突っ込んで来る狼男やアクロバティックな動きで攻めてくる槍使い、凄まじい火力に正確な照準の半天使と比較すれば、常人の範疇で振るわれる氷の刃など恐れるには足りないが。

敵が全員のびているのを確認した静流は、ノドカに対して頷いた。

「ほな、行こか」

「うん」

ノドカがレンタサイクルに跨る。静流も置いてきた荷物を拾い上げ、自分のレンタサイクルに跨った。

ふたりは、その場を立ち去った。

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