第152話 化け物と人間
「ヤバイな……もう保たへんで」
大木の根本にへたり込んだ静流は弱音を吐いた。自分ひとりなら逃げられるが、雛子は先ほどの場所に釘付けにされているし竜太郎の安否も分からない。雪は息を切らしてダウンし、ミナの居所は不明だった。
「しっかし、ライフル銃とか火炎瓶って強いねんなあ」
「まったくだ。妖怪が人間から隠れてる理由がよく分かった」
ライフルは厄介だが、火炎瓶はそれ以上だ。再生能力と優れた防御力を持つ静流も、火炎瓶をまともに喰らえば呼吸ができなくなり、神力による再生ができなくなって死ぬ。更に言えば敵は連携が達者である。どうやら全員人間(と犬一匹)のようだが思わぬ強敵だ。
息を整える。体を起こす。左右を確認。遮蔽の木から顔を少しだけ出す。そこでまずいものを発見。また火炎瓶だ!
雪を脇に抱えて飛び出したところで待ち構えていたのは、槍と犬。
敵も学習したか、静流の怪力にもひるまない。つかめれば勝てるがそうさせてくれないのだ。更に、時折距離を離したところで銃弾が飛んでくる。敵が何発持っているか分からないが、それが尽きるまで耐えるのは分の悪い賭けだろう。
「しゃあない、尾根を越えるで!銃弾が届かんようになったら勝負や」
「分かった!」
雪と二人で必死に斜面を駆け上がる。銃弾が飛び交い追撃が来る。と、そこで隣を見ると雪が転倒。引きずり起こす。尾根の向こうに投げる。自分も飛び込むところで衝撃。尾根の向こうに転がり込んだ。大丈夫、撃たれたのは腹。すぐ治る。しかし忌々しいほどにいい腕の敵だ。
投げられた雪が悪態をつく。
「痛ってえな!」
「敵さんに言えや、生きてる証拠や!」
静流は尾根を下ると振り返った。隣では雪が精神を集中し始めている。術の使いどころだろう。敵が追いついてくるより一瞬だけ早く、雪の術が発動した。
◇
遠藤は山林を駆け抜けた。前方では尾根を超えて二人の敵が身を隠したところだ。こちらも火炎瓶の残りは少ない。決着を付けねば。
そう考えていたのは敵も同様だったらしい。突如尾根の向こうから出てきたのは多数の鼠。そいつらは驚くべきスピードでこちらに向かってくる。ただし、広く散開して。これは!?
遠藤が投じた火炎瓶の餌食になったのは、今回は十に満たない。敵は密集隊形の危険性を悟ったのだ。逃れようとする遠藤だったが間に合わない。四方八方より殺到したネズミにたちまちのうちに全身が覆い尽くされ、噛じられる苦痛でやがて気を失った。
◇
「―――遠藤さん!?」
仲間があっという間にやられる姿に畑中は悲痛な声を上げた。しかしできることはさほど無い。一刻も早く敵を倒すことくらいしか。
危険を承知で尾根を越える。予想通りの待ち伏せが、想像を絶するパワーで待っていた。振り下ろした槍が振り上げられた木の枝と激突。あまりの威力に畑中は宙を逆戻りし、そして敵手の木の枝は砕け散る。しめた!
着地から踏み込み、コンパクトな突きを繰り出す。相手の少年は後退。尾根を踏み越えて追い掛ける。そこへ追い付いてきた彦丸も攻撃に加わった。追い詰められる少年。今までの経過から、彼の頭は恐らく銃弾が通らない。刃もだろう。首から下は効きはするがたちまち治る。ならば完全な切断ならどうか。機会を見計らう。彦丸が足に噛み付いた。動きが止まる。そこに槍の一撃。肩を切り落とした。やった!
歓喜は一瞬だった。何故ならば少年は、残った手で槍の刃を掴んだからである。指が落ちそうなものなのに!
凄まじいパワーが、槍を奪い取る。彦丸が蹴り飛ばされて動かなくなる。槍の柄がへし折られた。刃を地面に突き刺した少年は、切断された自らの腕を拾い上げると切断面を合わせる。
彼が手を離したときには、切断面は接合されていた。
「あーあ……また服がズタズタやん。勘弁してえな。小遣い少ないのに」
平然と呟くその姿に、畑中は気圧される。
「あ……ば……化け物……!」
「失礼な姉ちゃんやな。これでも百パーセント混じりっけなしの人間やぞ」
歩み寄って来る、少年。彼の手が伸びた。後退しようとして木の根に足を取られる。間合いを詰められた。もう逃げ場はない。槍を失った畑中に抗する術はない。
素人に毛が生えた程度の掴み技。普段の畑中なら難なく返せるはずの攻撃に手も足も出ない。万力のようにがっちりと固定されているからだ。一体どれほどのパワーなのか。
いや。この時点でようやく、畑中は気が付いた。この少年は素人なのではない。これは、人間とは比較にならない凄まじい怪力を制御するための技法だ。それがあまりにも人間の筋力を前提とした武術と噛み合っていないから、素人に見えたのだ。
「ええと、人間の首を絞めるときはこうやったかな……」
少年が腕を首に回してきた。後頭部が押さえられる。息ができない。たちまち目の前が真っ暗になる。
こうして、畑中は無力化された。
◇
「クソ!畑中。返事をしろ。畑中!」
緒方は無線に着けて怒鳴りつけた。応答はない。現状でまだ健在なのは黒木だけ。他は皆やられた。遠藤も。彦丸も。こうなっては撤退するよりほかはない。
斜面を走る。狙撃位置を確保。無線に怒鳴る。
「黒木!後退しろ、援護する!」
黒木が読経を続けながら立ち上がり、斜面を下り始めた。いいぞ。あれなら逃げられるはずだ。
そう見えた矢先。遠藤を倒した黒い、小さなものの群れが動き出した。散開しながら斜面を下るそいつらの正体は、ネズミ。一匹一匹は小さいが、何十何百という数が行進しているのだ。それは、たちまち黒木に追いつくとその全身を覆い尽くす。
「―――!!」
何かをする暇すらなかった。たちまちのうちにどうっ。と倒れ込む様子が、遠くからでもはっきりと見て取れる。あれでは助かるまい。
緒方は退路を確認。まだ自分だけなら逃げられる。もはや誰も助けることはできない。死んだはずだ。最悪の結果を噛みしめた彼は、木々の合間を抜ける。もはや敵の追跡は来ないだろうと確信する。
そうして。
木々がわずかに途切れた空間に出た矢先、あまりの眩しさに足を止めることとなった。
「なんだ……っ!」
後退し、樹木を遮蔽とする。目を細める。天に登るのは太陽。それを背にした何かが、こちらを見下ろしているのだ。敵以外ありえない。位置をずらす。弾丸を装填する。狙いを付ける。眩んだ目が回復し、視力が戻って来る。
そうして、緒方は新たな敵の存在をはっきりと目にした。
御使いであった。
豊かな金髪を伸ばし、背から幾つもの翼を生やし、白亜の甲冑で完全武装し、剣を携えた女の天使がじっとこちらを見ていたのである。
「馬鹿な……っ!?」
引き金を引く。
弾丸は狙い通りに飛び、目標を貫いた。
―――そのはずだった。緒方の予想では。
しかし現実は違う。天使を守る白亜の甲冑は、ライフル弾を完全に弾き返したからである。傷一つ残ってはいない。恐るべき防御力であった。
あまりに美しく、そして高貴な存在に、緒方は気圧されていた。気圧されながらも彼の体は反射で動く。訓練され、経験を積んだ肉体は攻撃を止めた瞬間勝機が失われることを悟っていたのである。
再び狙いを定める。引き金を引く。天使の、甲冑で保護されていない眼球目がけて。
再度の攻撃は、やはりあっさりと受け止められた。今度は、天使が掲げた掌によって。
銃弾がつかみ取られたのである。
「ありえない……なんてことだ……っ!!」
三発目。四発。五発。弾を撃ち尽くしても天使は倒れない。一発もその身に届いていないのだから倒れる道理はなかった。ライフル銃ではこの天使を倒すことはできないと、緒方は悟る。
万事休す。
もはや攻撃はないと見たか、天使はふわり。と翼を羽ばたかせると、緒方の眼前に着地した。そうしてライフルを奪い取ると宣言したのである。
「降伏なさい。さもなくばあなたたちを殺さねばならない」
「お前は……お前たちは、一体」
「私はマリア。マリア・ゼルビーニ。主に仕えし天使にして悪霊の王たるマステマと、人の娘との間に生まれた半天使。あなたは私の腹違いの妹とその母親、そして友人たちを殺そうとした。それは断じて許されることではない」
「そんな……」
ライフルが握り潰される。凄まじい怪力だった。抵抗などできようはずもない。
緒方は、我知らず跪いていた。まるで許しを請うように。
「さあ。どうしますか」
この時ようやく、緒方は相手が日本語を話していないことに気が付いた。知らない言語。にもかかわらず、それは脳内で理解できる形に変換されている。
まさしく超越者。
天使の手が、緒方の首にかかる。
緒方に選択の余地などなかった。
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