第150話 迎撃と読経

「ヤバいぞ。先生が捕まった」

雪の報告に、皆がざわついた。

そこは農地に近い山林。そこに逃げ込んだ子供たちや里の妖怪らは、息を整えているところだ。

「そんな。竜太郎さんは大丈夫なの?」

「分からない。けどすぐ殺されそうな雰囲気じゃないです」

雛子の問いに雪は首をふる。彼が見ているのは分身の鼠が見た光景。雪は鼠の分身体を自在に操れるのだった。距離が離れれば離れるほど操れる数は少なくなるが、その分精密な操作が可能となる。偵察にこれほど適した能力もあるまい。

そこへ現れたのは、静流。河童を担いでいる姿に皆が一瞬ギョッとし、そして真っ先にノドカが駆け寄った。

「静流。大丈夫?」

「平気や。それよりこの河童のおっちゃんが重傷なんや。手当せんと」

田守氏が名乗りを上げ、野良着の裾を割いて傷口を縛る。応急手当だがやらないよりはマシだ。妖怪の体はおおざっぱな構造であり、わずかな手当でも大きな効果を発揮する。

手当てがなされていく間にも顔を突き合わせる子供たち。

「どないする?」「とりあえず電話しなきゃ」「そうだな。急いだほうがいい。奴らが動き始めた。こっちに来るぞ」

田守氏以外の妖怪は大した力を持たない小妖怪だ。竜太郎を捕らえるほどの相手には心許ない。援軍を呼ぶ必要があった。

「田守さん。三吉さんは人間に変身できないんですか?人間でなくてもいいですが、とにかく街中に出られる格好に。そうしたら下まで降りて人間に紛れてみんなで逃げられます」

「できるけども、本人が起きないと。気絶してるよ」

「分かりました。私が透明にして隠します。ひとまずここから―——」

雛子が言いかけた時だった。ノドカが、青い顔をして周囲を見回し始めたのは。

「どうしたの、ノドカさん」

「それが……ミナがいないんです。今の今まで一緒にいたのに」

「なんですって!?」

今来た道を雛子は振り返る。まさか敵の方へ行ったのか。

「何てこと……追いかけないと」


  ◇


ミナは不機嫌だった。せっかく気分よくお芋掘りをしていたというのに、急にみんなでかくれんぼをすることになった。おかあさんも上の空で相手をしてくれない。だから畑に戻ってお芋掘りをやるのだ。きっとすごい芋がみんな掘れないから飽きてしまったに違いない。自分が凄いお芋を掘ればみんなが喜んでくれるだろう。

幼いミナは、自分の能力が許す限りにおいて現状を改善しようとしていた。

とてとてと山林を下っていく。危なっかしいが、本人にその自覚はない。そもそもまだ何が危険かも分からない年頃である。人間の3歳でさえそうなのに、ミナは実際にはまだ0歳だからなおさらだ。

やがて発見した者に、彼女は目を輝かせた。

「ねずみ!」

鼠は斜面を駆け降りると、ミナを振り返った。追いかけてくるのを待っているかのように。とてとてと追いかけるミナ。

捕まえた。と思った瞬間、ネズミは走ってまたこちらを振り返る。追いかける。逃げられる。その繰り返し。

ミナは、気が付いていなかった。その鼠が危険なものたちからミナを引き離すべく誘導しているのだということを。

追いかけっこは、しばしの間続いた。


  ◇


「よし……うまくついてきてる。何とかなるぞ」

雪の言に、皆が安堵の表情を浮かべた。彼はネズミを何匹も放ってミナを探し、誘導しているのである。斜面を登るのは難しそうだから、下る方向に。あのままなら隠れ里の結界の外、下の人家のあるところまで誘導できるだろう。彼女には戸籍がない(2か月も経たずに3歳にまで育つ子供の戸籍を作ることなどできない!)から警察に保護された後が面倒だろうが、ライフル銃で武装した敵勢との戦いのど真ん中に出るよりはよほどマシだ。

そう。もはや戦闘は避けられない。故に非戦闘員が逃げ、援軍が来るまでの時間を稼がねばならない。

「二人とも、準備はいい?」

「大丈夫や」「はい」

雛子の問いに、静流と雪は答える。ノドカや里の妖怪たちは山中を逃走中だ。すでに電話で三宮のたまり場に連絡はついた。今頃は何人もの仲間がこちらに向かっているはずだ。

索敵を担当する雪は、敵の布陣を確認する。

「こちらに向かってくる敵は4人とデカい犬1匹。後ろの男は大きな銃を持ってる。3人がこっちに向かってきてる」

「妖怪?」

「分からない。人間の格好をしてます」

「了解。一番近いのを教えて」

「正面やや右から来ます。あっちです」

雪のすぐそばで、弓を引き絞る音が聞こえた。その姿は見えない。ただ、ネズミの妖力を持つ人間である雪には、その気配が明確に感じ取れる。雛子が、弓を引き絞っているのだ。

それは一拍の間を置いて、放たれた。風切りの音が聞こえ、斜面の下方、数十メートル先の樹木に着弾。直径が三十センチはありそうな幹に破滅的なダメージを与える。

めきめきめき……

はじめゆっくりと、やがて凄まじい勢いで倒れていく樹木。それは、どうっ。と横倒しになると、登ろうとしていた男の行く手を阻む。

以前の戦いで騎士の亡霊から奪ったという、雛子の弓の威力だった。こんなものを喰らえば妖怪であろうとも無事では済まない。もちろん人間ならば一発であの世行きだ。

恐るべき火力だったが、当の雛子は不満そうだった。照準が甘かったためだ。彼女の弓の腕はそれほど優れたものではない。弓を手に入れてまだ2か月余り、しかもそのうちの一か月近くは両手を火傷して妖怪ハンターの仕事も訓練も開店休業だったのだから。

しかし、敵を阻止する役には立つ。

敵には雛子の技量にまだ課題があるなどとは分からない。現に、今の攻撃に泡を喰った男は素早く地形に身を隠した。客観的に見れば賢明な判断であろう。攻撃が当たれば死ぬしかない。例え幽体であろうともだ。

「次は?」

「あの大きな木の陰です」

「見えた」

第二射が次の敵へ放たれる。大きく抉れる地面と身を隠す、槍を持った恐らく女。

雪も静流も完全に地形に身を隠している。雛子は相手からは恐らく見えない。弓の射程はライフルに劣るが、これなら時間は稼げるだろう。

雛子は、第三射の準備にかかった。


  ◇


「クソッ!これじゃ近付けない」

畑中は毒づいた。身を隠している地面の出っ張りからそうっと斜面の上を観察する。敵がいるはずだが姿が見えない。迂闊に動けば撃たれるだろう。厄介な。

仲間と繋がっている無線に向けて叫ぶ。

「緒方さん。何とかなりませんか」

『無理だ。敵の姿が見えない。よほどうまく隠れてるのか、あるいは透明なのかもしれん』

「何てこと」

緒方の目はグループ全体の目であり緒方の銃はグループ全体の盾だ。その援護射撃なしに現状を打破するのは困難だった。

『身を守れ。敵が見える位置まで回り込む』

『了解。なるべく早く頼んます。このままじゃ全員やられる』

仲間たちの交信を聞きながら、畑中は自身も打開策を探っていた。敵の射撃の正体は何だ?近くの爆発したかのような痕跡を見る。まるで高速の物体が命中したかのような。

「……これは?」

ふと気になり、伸ばした手にぶつかったのは細長い物体。掴む。検分する。これは……矢か?それも、目に見えない!?

これを敵が放ってきたということは……

「敵の攻撃の正体が分かりました。矢です。目に見えない。信じられないけど、不可視の矢が地面に刺さってる!」

『何だって。矢だと?』

「緒方さん。市川町の時覚えてますか」

『ああ。忘れられっこない。あんときと同じか』

畑中は身を震わせた。亡霊との戦いで危うく全滅しかけたのだ。あの時助けになったのは———

『黒木。やれるか』

『やりますよ、緒方さん。あいつによく聞こえるようにね』

「なら、効いてるかどうかは私が試します。駄目なら別の手で」

『分かった。無茶するなよ。うまく行ったなら、遠藤。お前がトドメだ』

『了解。任せてください』

畑中は、身構えた。黒木が奥の手を使うのを。


  ◇


黒木は大木の根本に座り込み、彦丸の背をやさしく撫でていた。このドーベルマンはいつも黒木を守ってきた。だから今回も大丈夫。無防備な黒木を守ってくれるに違いない。

左手は彦丸を撫でたまま、右手で合掌の形をとる。息を整える。精神を集中する。大きく息を吸い込んだ黒木は、読経を始めた。朗々と山林の合間に響き渡る声。それは間違いなく敵の弓使いにまで聞こえるだろう。

禅宗の寺の三男として生まれ育った黒木哲夫にとって、般若心経は近しいものだ。それが妖怪との戦いにおいて役立つこともある。効かない相手も多いし、どのような理屈で効果を発揮するのかは、彼にも分からなかったが。

視界の隅で畑中が動き始めたのが見えた。敵の反撃は———来ない。攻撃が止まっている。効いたのだ。

勝ち筋がようやく見え始めた。だが油断はまだできない。

黒木は、読経を続けた。

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